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赤毛のアン

Anne of Green Gables

出版年
1908年
翻訳
開原かいばら 藍誠あいせい
概要
プリンス・エドワード島にやってきた孤児の少女アンが、老兄妹に引き取られ、様々な経験を経て成長していく物語である。空想豊かな彼女が周囲との交流を深め、自らの未来を選択する過程を描く。

ルーシー・モード・モンゴメリ作


『赤毛のアン。』


第一章 レイチェル・リンド夫人の驚き

レイチェル・リンド夫人の家は、アヴォンリーの街道が小さな谷へ下りこむ、ちょうどそのあたりにあった。谷の縁にはハンノキやツリフネソウが茂り、昔からあるカスバート家の土地の、ずっと奥の森を源とする小川が流れていた。その小川は、森の中では入り組んだ流れを勢いよく走り、淵や滝に暗い秘密をひそませているという評判だった。だがリンドの谷まで来ると、静かで行儀のよいせせらぎになった。なにしろ、小川といえどもレイチェル・リンド夫人の玄関先を通るときには、礼節と品位をわきまえずにはいられない。おそらく小川も知っていたのだろう。レイチェル夫人が窓辺に腰を据え、小川や子どもをはじめ、そこを通るものすべてに鋭い目を光らせていることを。そして、少しでも妙なことや場違いなことに気づけば、そのわけを根掘り葉掘り突き止めるまで、決して気を休めないことを。

自分の用事をほったらかしておけば、ご近所の暮らしに存分に目を配れる人間は、アヴォンリーにも、そのよそにもいくらでもいる。だがレイチェル・リンド夫人は、自分のことを立派に片づけたうえで、他人のことまで面倒を見られる有能な人だった。主婦としての腕は名高く、仕事はいつもきちんと、しかも見事に仕上がっていた。裁縫の会を「取りしきり」、日曜学校の運営にも力を貸し、教会扶助会と海外伝道補助会ではいちばん頼りになる柱だった。それでいて、台所の窓辺に何時間も座り、「木綿の縦糸」で掛け物を編む暇はいくらでもあった。その掛け物を、もう十六枚も編んだという。アヴォンリーの主婦たちは、いつも畏敬のこもった声でそう語るのだった。編みながらも夫人は、谷を横切り、その向こうの急な赤土の丘をうねりながら上っていく街道を、油断なく見張っていた。アヴォンリーはセントローレンス湾へ突き出た小さな三角形の半島にあり、二方を海に囲まれていたので、出入りする者は必ずその丘道を通らねばならなかった。したがって誰もが、すべてを見通すレイチェル夫人の目による、見えない関所を通ることになるのだった。

六月初めのある午後も、夫人はそこに座っていた。明るい日差しが窓から暖かく差しこみ、家の下の斜面にある果樹園は、花嫁の頬のようなほのかな紅を帯びた白い花に包まれ、その上では無数の蜂が羽音を響かせていた。トーマス・リンド――アヴォンリーの人々から「レイチェル・リンドの亭主」と呼ばれている、気の弱い小柄な男――は、納屋の向こうの丘の畑で、遅まきのカブの種をまいていた。マシュー・カスバートも、グリーン・ゲイブルズのずっと向こう、小川沿いに広がる赤土の大きな畑で、同じ仕事をしているはずだった。夫人がそれを知っていたのは、前の晩、カーモディのウィリアム・J・ブレアの店で、マシューがピーター・モリソンに、明日の午後はカブの種をまくつもりだと話すのを耳にしたからである。もちろん、ピーターのほうから尋ねたのだ。マシュー・カスバートが生涯に一度でも、自分から何かを話して聞かせたという例はなかった。

それなのに、農作業で忙しい日の午後三時半、そのマシュー・カスバートが、のんびり馬車を走らせて谷を越え、丘を上っていくではないか。しかも白い襟をつけ、いちばん上等な服を着ていた。アヴォンリーの外へ出かける、動かぬ証拠である。そのうえ、乗っているのは一頭立ての軽馬車、引いているのは栗毛の雌馬だった。これは相当遠くへ行くというしるしだ。いったいマシュー・カスバートは、どこへ、何をしに行くのだろう。

アヴォンリーのほかの男なら、レイチェル夫人はあれこれ巧みに考え合わせ、どちらの問いにもまずまず見当をつけられただろう。だがマシューはめったに家を離れない。となれば、よほど差し迫った、ただならぬ用事に違いなかった。あれほど人見知りをする男はいない。知らない人の中へ出ていくことや、口をきかねばならない場所へ行くことが大嫌いなのだ。そのマシューが白い襟でめかしこみ、軽馬車を御している。そうそう見られる光景ではない。どれほど思案しても、レイチェル夫人にはさっぱりわからず、午後の楽しみは台なしになってしまった。

「お茶がすんだら、ちょっとグリーン・ゲイブルズへ行って、マリラに聞いてこよう。どこへ何をしに行ったんだか」と、この立派な婦人はとうとう決めた。「この時季に町へ出るのは珍しいし、人を訪ねるなんて絶対にしないんだから。カブの種が足りなくなったにしても、わざわざ着替えて軽馬車で買いに行くはずはないし、医者を呼びに行くにしては、馬の足が遅すぎた。けれど、昨夜から何かあって、出かけることになったに違いないよ。まったくわけがわからない、ほんとに。今日マシュー・カスバートがアヴォンリーを出たわけがわかるまでは、心も良心も、片時だって落ち着きゃしない。」

そこで、お茶がすむとレイチェル夫人は出かけた。遠くはない。果樹に包まれ、あちこちに棟を広げたカスバート家の大きな家は、リンドの谷から街道を上って四分の一マイル足らずのところにあった。ただし、そこから長い取りつけ道を入るので、実際にはずいぶん遠くなる。マシュー・カスバートの父親は、息子も受け継いだその内気さと無口さゆえに、家を建てるにあたり、森の中へ引きこもらずにすむぎりぎりのところまで、世間から離れようとしたのだった。グリーン・ゲイブルズは開墾地のいちばん奥に建てられ、今もそこにあった。アヴォンリーのほかの家々が、いかにも人づきあいよく並んでいる街道からは、かすかに見えるばかりである。レイチェル・リンド夫人に言わせれば、こんな所に住むのは、暮らすうちに入らなかった。

「ただ居ついてるだけだよ、ほんとに」と夫人は、野ばらの茂みに縁取られた、深い轍わだちのある草道を歩きながら言った。「こんな奥に二人きりで住んでいるんだもの、マシューもマリラも少し変わっているのは当たり前だね。木じゃ大した話し相手にもならないし。もっとも、相手になるなら、数だけはたっぷりあるけれど。わたしは人間を見ているほうがいいよ。まあ、二人とも満足そうではあるけれど、慣れたんだろうね。人間は何にでも慣れるものさ。アイルランド人が言ったように、首をつられることにだってね。」

そんなことを言いながら、レイチェル夫人は小道を抜け、グリーン・ゲイブルズの裏庭へ出た。緑濃く、きちんと整った、隅々まで行き届いた庭だった。片側には一族の長老のような大きな柳が、もう片側にはおすまししたポプラが並んでいた。小枝一本、小石一つ、余計なものは見当たらない。あればレイチェル夫人が見落とすはずはなかった。マリラ・カスバートは家の中を掃くのと同じくらい、しょっちゅうこの庭も掃いているに違いない、と夫人はひそかに思っていた。「人は死ぬまでに一ペックの土を食べる」ということわざの、その割り当てを越えずに、地面からじかに食事ができそうだった。

レイチェル夫人は台所の戸をきびきびとたたき、声がかかると中へ入った。グリーン・ゲイブルズの台所は、明るい気持ちのよい部屋だった――というより、気味が悪いほどきれいで、使わない客間のようでさえなければ、そうだっただろう。窓は東と西を向いていた。裏庭に面した西の窓からは、六月の柔らかな日がなみなみと差しこんでいた。一方、左手の果樹園に白く咲く桜や、小川のある谷でうなずくほっそりした白樺の見える東の窓は、絡み合うつる草に覆われ、緑に染まっていた。マリラ・カスバートが腰を下ろすとすれば、いつもこちらだった。日差しというものを、どうも少し信用していなかったのだ。真面目に生きるべきこの世にあって、あまりに浮かれ、無責任なものに思えたのである。今もそこで編み物をしており、背後の食卓には夕食の支度がしてあった。

レイチェル夫人は戸を閉め終わらないうちに、食卓の上のものを一つ残らず頭に刻んだ。皿は三枚。ということは、マリラはマシューが誰かを連れて帰り、一緒にお茶を飲むつもりでいるのだ。だが食器は普段使いで、食べ物もヒメリンゴの砂糖煮とケーキが一種類だけ。たいそうなお客ではあるまい。けれど、それならマシューの白い襟と栗毛の雌馬はどういうことだろう。いつも静かで、謎など一つもないグリーン・ゲイブルズに、こんな異様な謎が生じたので、レイチェル夫人はすっかり目がくらみそうだった。

「こんばんは、レイチェル」とマリラははきはき言った。「ほんとうにいい夕方だね。さあ、お座りなさいな。皆さんお変わりない?」

マリラ・カスバートとレイチェル夫人の間には、ほかに適当な呼び名がないので友情とでも言うほかないものが、昔から変わらず存在していた。二人の性質が違っていたにもかかわらず――あるいは、そのおかげだったのかもしれない。

マリラは背が高く、やせていて、丸みというものがなく、角ばった女だった。黒い髪には白い筋が交じり、いつも後ろで小さく固い髷にねじり上げ、そこへ針金の髪留めを二本、挑むように突き刺していた。世間が狭く、良心の厳格な女に見えたし、実際そのとおりだった。だが、口元にはどこか救いがあって、ほんの少し育てられていたら、ユーモアの持ち主であることを示したかもしれなかった。

「みんな、まずまず元気だよ」とレイチェル夫人は言った。「ただ、今日マシューが出かけるのを見たものだから、あんたの具合が悪いんじゃないかと、ちょっと心配してね。お医者へ行くのかと思ったのさ。」

マリラの唇が、心得たようにぴくりと動いた。レイチェル夫人が訪ねてくるだろうとは思っていた。マシューがわけもなく馬車で出かけるのを見ては、お隣の好奇心がじっとしていられないことぐらい、わかっていたのだ。

「いいえ、わたしは元気だよ。昨日はひどく頭が痛かったけれど」と言った。「マシューはブライト・リバーへ行ったんだよ。ノバスコシアの孤児院から男の子を引き取ることになってね。その子が今晩の汽車で来るんだ。」

もしマリラが、マシューはオーストラリアから来るカンガルーを迎えにブライト・リバーへ行ったのだと言ったとしても、レイチェル夫人はこれ以上驚かなかっただろう。実際、まる五秒間、口がきけなかった。マリラが自分をからかっているなど、考えられることではない。だが、ほとんどそう考えずにはいられなかった。

「本気で言ってるのかい、マリラ?」ようやく声を取り戻して、夫人は問いただした。

「ええ、もちろん」とマリラは答えた。ノバスコシアの孤児院から男の子を引き取ることが、前代未聞の新しい試みではなく、アヴォンリーのきちんとした農家ならどこでも行う、春の恒例の仕事の一つででもあるかのようだった。

レイチェル夫人は、頭をがつんと殴られたような気がした。頭の中の思いには、一つ一つ感嘆符がついていた。男の子だって! よりにもよってマリラとマシュー・カスバートが、男の子を養子に! 孤児院から! まったく、世の中はひっくり返りかけているのだ! これからはもう何を聞いても驚かない! 何を聞いたって! 

「いったい、どうしてそんなことを思いついたんだい?」と、夫人は不賛成を隠さず尋ねた。

自分に相談もせず決められたことなのだから、どうあっても賛成するわけにはいかなかった。

「まあ、前から考えていたんだよ。ほんとうは冬じゅうね」とマリラは答えた。「クリスマスの前に、アレクサンダー・スペンサー夫人が来たことがあって、春になったらホープトンの孤児院から女の子をもらうつもりだと言っていたんだ。あそこにはいとこが住んでいて、スペンサー夫人も訪ねたことがあるから、事情はよく知っているそうだよ。それでマシューとわたしも、それから折にふれて話し合ってね。うちは男の子をもらおうかと思ったんだ。知ってのとおり、マシューも年を取ってきたし――六十だからね――昔ほど体もきかない。心臓もずいぶん悪いんだよ。それに、雇い人を見つけるのがどれほど難しくなったか、あんたも知っているだろう。来るのは、のみこみの悪い、まだ半人前のフランス系の男の子ばかり。やっとこちらのやり方に慣らして少し仕事を覚えさせたと思えば、たちまちロブスターの缶詰工場やアメリカへ行ってしまう。最初マシューは、イギリスの施設の子[訳注:当時、イギリスの救済施設からカナダへ移住させられた子どもたち]をもらおうと言ったんだけれど、わたしはきっぱり断ったんだ。『いい子たちなのかもしれない。それを疑うわけじゃないよ。でも、ロンドンの浮浪児はごめんだね』って。『せめてこの国で生まれた子にしておくれ。誰をもらったって危なっかしいことには変わりない。でも生まれながらのカナダ人なら、わたしも気が楽だし、夜もよく眠れる』と言ったのさ。それで結局、スペンサー夫人が女の子を迎えに行くときに、うちの子も選んでもらおうと決めたんだ。先週、出かけると聞いたので、カーモディのリチャード・スペンサーの家の人に頼んで、十か十一ぐらいの、利口で見込みのある男の子を連れてきてほしいと伝えてもらった。すぐに雑用の役に立つだけの年にはなっていて、しかも、まだちゃんとしつけられるほど幼い。そのくらいがいちばんいいと決めたんだよ。きちんとした家庭を与えて、学校にもやるつもりだ。今日、アレクサンダー・スペンサー夫人から電報が来てね。郵便屋さんが駅から持ってきてくれたんだが、今晩の五時半の汽車で来るということだった。それでマシューがブライト・リバーへ迎えに行ったんだよ。スペンサー夫人はそこで男の子を降ろしてくれる。もちろん本人は、そのままホワイト・サンズの駅まで行くんだけれど。」

レイチェル夫人は、いつでも思ったことを率直に言うのを自慢にしていた。この驚くべき知らせにどう向き合うかを定めると、さっそく今も思うところを述べた。

「いいかい、マリラ、はっきり言わせてもらうけれど、ずいぶん馬鹿なことをしていると思うね。危ないことだよ、ほんとに。どんな子が来るかわからないじゃないか。見も知らない子を、自分の家、自分の家庭へ入れるんだよ。どんな子かも、どんな気性かも、親がどんな人間だったかも、どんな大人になるかも、何一つわからないのにさ。つい先週も新聞で読んだばかりだよ。この島の西のほうの夫婦が、孤児院から男の子を引き取ったら、夜中に家へ火をつけられたんだ。わざとつけたんだよ、マリラ。二人とも寝床の中で、もう少しで黒焦げになるところだったんだから。それから、もらった男の子が卵を吸って食べる癖を持っていた話も知っている。どうしてもやめさせられなかったそうだよ。もしわたしに相談してくれていたら――してくれなかったけれどね、マリラ――お願いだから、そんなことは考えないでおくれと言ったはずさ、ほんとに。」

この、ヨブの友人さながらの慰め[訳注:旧約聖書で、苦しむヨブを慰めるつもりが、かえって苦しめた友人たちにちなむ]にも、マリラは気を悪くした様子も、怖じけた様子もなかった。手を休めずに編み続けた。

「あんたの言うことにも一理あるのは認めるよ、レイチェル。わたしだって心配がなかったわけじゃない。でも、マシューがひどく乗り気だったんだ。それがわかったから、折れたのさ。マシューが何かを強く望むことはめったにないから、そういうときは、わたしが折れるべきだという気になるんだよ。それに危ないと言うなら、この世で人間のすることには、たいてい何だって危険がある。突き詰めていけば、自分の子を持つことだって危ないだろう。いつも立派に育つとは限らないんだから。それにノバスコシアは、この島のすぐ近くだ。イギリスやアメリカからもらうわけじゃない。わたしたちと、そう違うはずはないよ。」

「まあ、うまくいくことを願うよ」とレイチェル夫人は言った。その口調は、つらいほどの疑念をはっきり表していた。「ただ、グリーン・ゲイブルズを焼かれたり、井戸にストリキニーネ[訳注:猛毒の薬物]を入れられたりしても、忠告しなかったとは言わないでおくれ。ニューブランズウィックで、孤児院から来た子がそんなことをして、一家がみんな、ものすごく苦しんで死んだ話を聞いたんだから。もっとも、そのときは女の子だったけれどね。」

「でも、うちがもらうのは女の子じゃないからね」とマリラは答えた。井戸に毒を入れるのは女だけの特技で、男の子なら心配はいらない、とでもいうように。「わたしなら、女の子を引き取って育てようなんて夢にも思わないよ。アレクサンダー・スペンサー夫人には驚くね。まあ、あの人なら、その気になれば孤児院を丸ごと引き取るのも、ためらわないだろうけれど。」

レイチェル夫人は、マシューがよそから仕入れた孤児を連れて帰るまで、ここにいたかった。だが帰宅までたっぷり二時間はかかると考え、街道を上ってロバート・ベルの家へ行き、この話を知らせようと決めた。きっと、これに勝る話題はないほどの大騒ぎになる。そしてレイチェル夫人は、大騒ぎを起こすのが大好きだった。そういうわけで夫人は立ち去り、マリラは少しほっとした。夫人の悲観的な話に影響され、不安と疑いがまた頭をもたげていたからである。

「まあ、後にも先にも、こんなことがあるものかね!」無事に小道へ出ると、レイチェル夫人は声を上げた。「まるで夢でも見ているようだよ。それにしても、かわいそうな子だ。ほんとうに気の毒に。マシューもマリラも子どものことなんか何も知らないのに、おじいさんより賢くて落ち着いた子でいることを期待するんだろうね。そもそも、その子におじいさんがいたかどうかも怪しいものだけれど。グリーン・ゲイブルズに子どもがいるなんて、考えただけで妙な気分になる。あそこに子どもがいたことなんて、一度もないんだから。今の家を建てたときには、マシューもマリラも、もう大人だったし――もっとも、あの二人がほんとうに子どもだった時があるとしてだけど。あの顔を見ていると、信じにくいものさ。何をもらったって、あの孤児の身にはなりたくないね。ああ、気の毒なことだよ、ほんとに。」

レイチェル夫人は、胸いっぱいの思いを野ばらの茂みにそう語った。だが、そのまさに同じ時刻、ブライト・リバーの駅で辛抱強く待っている子どもの姿を見ていたなら、夫人の憐れみは、さらに深く、いっそう切実なものになっていただろう。


第二章 マシュー・カスバートの驚き

マシュー・カスバートと栗毛の雌馬は、ブライト・リバーまでの八マイルを、気持ちよくゆっくり進んだ。こぢんまりした農家の間を縫っていく、美しい道だった。ときおり、すがすがしく香るモミの林を抜けたり、野生のスモモが薄絹のような花を広げるくぼ地を通ったりした。空気には、いくつものリンゴ園の甘い息吹が満ちていた。牧草地は遠くへなだらかに下り、真珠色と紫の霞がたなびく地平線へ続いていた。そして、

「小鳥たちは歌っていた、まるで
一年じゅうで、今日だけが夏の日であるように。」

マシューも、彼なりに馬車の道中を楽しんでいた。女の人に出会い、会釈しなくてはならない時だけは別だった。プリンス・エドワード島では、道で会えば知り合いかどうかにかかわらず、誰にでも会釈することになっているのだ。

マシューは、マリラとレイチェル夫人以外の女という女が怖かった。あの不可解な生き物たちは、陰で自分を笑っているのではないかという、落ち着かない気がするのである。その考えは、まったくの間違いではなかったかもしれない。マシューは、どこかちぐはぐな格好をした風変わりな男だった。長い鉄灰色の髪が丸まった肩に触れ、二十歳からずっと伸ばしている柔らかな茶色のあごひげが、ふさふさと顔を覆っていた。実際、白いものが今より少なかっただけで、二十歳のときも六十歳の今と、ほとんど同じ顔をしていたのだ。

ブライト・リバーに着いても、汽車の気配はまったくなかった。早く来すぎたのだと思い、小さなブライト・リバー・ホテルの庭に馬をつなぐと、駅舎へ向かった。長いホームはほとんど無人で、目に入る生き物は、いちばん端の屋根板の山に腰かけている女の子だけだった。マシューは、相手が女の子であると気づくや、見ないようにしながら、できるだけ急いでそばをすり抜けた。もし見ていれば、その姿勢や表情の、期待に張りつめたこわばりを見落とすことはなかっただろう。少女はそこで、何かを、あるいは誰かを待っていた。そして今は、座って待つよりほかにすることがなかったので、持てる力をすべて注いで、座り、待っているのだった。

マシューは、夕食を食べに家へ帰ろうと切符売場に鍵をかけている駅長に出会い、五時半の汽車はもうすぐ来るのかと尋ねた。

「五時半の汽車なら、三十分も前に着いて、もう出ましたよ」と、てきぱきした駅長は答えた。「でも、あんたのところへ行くお客が一人、降りました。女の子です。あそこの屋根板の上に座ってますよ。婦人待合室へ入りなさいと言ったんですが、真面目な顔で、外にいるほうがいいと言うんです。『そのほうが想像の余地があるから』ですって。なかなかの変わり者ですよ。」

「女の子を待っているんじゃないんだが」と、マシューはぽかんとして言った。「男の子を迎えに来たんだ。ここにいるはずなんだがね。アレクサンダー・スペンサー夫人が、ノバスコシアから連れてきてくれることになっていたんだ。」

駅長は口笛を吹いた。

「何か手違いがあったんでしょう」と言った。「スペンサー夫人は、あの子と一緒に汽車を降りて、わたしに預けていきましたよ。あんたと妹さんが孤児院から引き取ることになっていて、じきに迎えに来るからとね。わたしが知っているのは、それだけです。このへんに、ほかの孤児を隠してあるわけでもないし。」

「どうもわからんなあ」とマシューは途方に暮れて言った。マリラがここにいて、どうにかしてくれたらと思った。

「まあ、あの子に聞いてみるんですね」と駅長は無造作に言った。「説明できるんじゃないですか。口だけは達者ですから、それは確かだ。ご希望の型の男の子が、品切れだったのかもしれませんよ。」

腹がすいていた駅長は、軽い足取りで去っていった。気の毒なマシューには、獅子の巣穴へ踏みこんでひげをつかむよりも難しい仕事が残された。女の子のところへ歩いていくこと。見知らぬ女の子、孤児の女の子のところへ。そして、どうして男の子ではないのかと問いただすこと。マシューは心の中でうめきながら向き直り、そっと足を引きずるようにして、ホームを少女のほうへ歩いていった。

少女は、マシューがそばを通り過ぎた時からずっと見つめていて、今も目を離さなかった。マシューは少女を見ていなかったし、見ていたとしても、その実際の姿をよくは見取れなかっただろう。だが、普通の観察者ならこう見ただろう。年は十一くらい。黄ばんだ灰色のウィンシー[訳注:綿と羊毛などを交ぜた丈夫な織物]でできた、ひどく丈の短い、ひどく窮屈な、ひどく不格好な服を着ている。色あせた茶色の水兵帽をかぶり、その下からは、たいそう豊かで、紛れもなく赤い髪を二本のお下げにして、背中へ垂らしている。顔は小さく、色が白く、やせていて、そばかすも多い。口が大きく、目も大きい。その目は光の加減や気分によって、緑に見えたり灰色に見えたりした。

普通の観察者なら、そこまでである。並外れた観察者なら、あごがひどく尖って、しっかりしていること、大きな目に気力と生き生きした輝きが満ちていること、口元が愛らしく表情豊かなこと、額が広くふっくらしていることにも気づいただろう。要するに、この洞察力に富んだ観察者なら、内気なマシュー・カスバートが滑稽なほど恐れている、この寄る辺のない少女の小さな体には、ありふれた魂など宿っていないと結論したかもしれない。

だが、マシューは自分から話しかける苦行を免れた。少女は、自分のところへ来るのだとわかるとすぐに立ち上がり、日焼けした細い片手で、くたびれた古風な絨毯地の旅行鞄の取っ手を握り、もう一方の手を差し出したからである。

「グリーン・ゲイブルズのマシュー・カスバートさんでしょう?」と、ひときわ澄んだ、愛らしい声で言った。「お会いできて、ほんとうにうれしいわ。お迎えに来てくださらないんじゃないかって心配になって、来られなくなるようなことが何か起きたのかもしれないって、いろいろ想像していたところなの。今夜来てくださらなかったら、線路に沿ってあの曲がり角の大きな山桜まで歩いていって、木に登ってひと晩過ごそうと決めていたのよ。少しも怖くないし、月明かりの中で真っ白に咲いている山桜で眠るなんて、すてきでしょう? 大理石の広間に住んでいるって想像できるものね。それに、今夜いらっしゃらなくても、朝にはきっと迎えに来てくださると思っていたわ。」

マシューは、その小さな骨ばった手を、不器用に自分の手に取った。そして、その場で決心した。こんなに目を輝かせている子に、間違いだったとは言えない。家へ連れていき、マリラに言ってもらおう。どんな間違いがあったにせよ、ブライト・リバーに置き去りにはできないのだ。質問も説明も、無事グリーン・ゲイブルズへ帰ってからでよかった。

「遅れて、すまなかったね」と、はにかみながら言った。「さあ、おいで。馬は向こうの庭にいるんだ。鞄をおよこし。」

「あら、自分で持てるわ」と少女は明るく答えた。「重くないもの。あたしの全財産が入っているけれど、重くないの。それに、ちょっと特別な持ち方をしないと、取っ手が抜けるのよ。だから、こつをよく知っているあたしが持ったほうがいいわ。すごく古い絨毯鞄なの。ああ、迎えに来てくださって、ほんとうにうれしい。山桜で眠るのもすてきだったでしょうけれど。ずいぶん遠くまで馬車に乗るんでしょう? スペンサー夫人は八マイルって言っていたわ。うれしいな。あたし、馬車に乗るのが大好きなの。これからあなたのおうちで暮らして、あなたの家の子になれるなんて、夢のようだわ。あたし、誰の家の子にもなったことがないの――ほんとうの意味ではね。でも、孤児院がいちばんひどかった。いたのは四か月だけだけれど、もうたくさんだったわ。あなたは孤児になって孤児院にいたことなんかないでしょうから、どんなところか、とてもおわかりにならないでしょうね。どんな想像よりも、もっとつらいところなの。スペンサー夫人は、そんなことを言うなんて悪い子だっておっしゃったけれど、悪いことを言うつもりはなかったのよ。知らないうちに悪い子になるのって、ずいぶん簡単でしょう? 孤児院の人たちは、いい人だったの。でも、孤児院って想像の余地がほんとうに少ないのよ。ほかの孤児についてぐらいしかないんだもの。みんなのことをいろいろ想像するのは、かなり面白かったわ。たとえば隣に座っている子は、ほんとうは由緒正しい伯爵の娘で、赤ん坊のときに悪い乳母にさらわれて、その乳母は白状しないうちに死んでしまったのかもしれない、なんて。昼間は暇がないから、夜、目を覚ましたまま、そんなことを想像したものよ。あたしがこんなにやせているのは、そのせいかしら。ほんとうにひどくやせているでしょう? 骨ばかりで、お肉なんてちっともないの。肘にえくぼのある、かわいいぽっちゃりした子だって想像するのが大好きなのよ。」

ここでマシューの連れは、おしゃべりをやめた。息が切れたせいもあったし、馬車へ着いたせいもあった。それから村を出て、小さな急坂を下り始めるまで、ひと言も口をきかなかった。その坂道は、柔らかな土を深く切り開いて作られていて、花咲く山桜やほっそりした白樺に縁取られた両側の土手が、二人の頭より数フィートも高くそびえていた。

少女は手を伸ばし、馬車の脇をかすめる野生のスモモの枝を一本折った。

「きれいでしょう? 土手から身を乗り出している、真っ白なレースみたいなあの木を見て、何を思い浮かべた?」と尋ねた。

「そうさなあ、わからんね」とマシューは答えた。

「もちろん花嫁よ。すばらしい霧のようなベールをかぶった、真っ白な花嫁。見たことはないけれど、どんな姿か想像できるわ。あたしは自分が花嫁になるとは思っていないの。こんな器量じゃ、誰もお嫁にほしがらないでしょうから。外国へ行く宣教師なら別かもしれないけれど。宣教師なら、あまりえり好みしないかもしれないでしょう。でも、いつか白いドレスがほしいな。あたしにとって、この世の幸せの最高の理想だわ。きれいな服が大好きなの。覚えているかぎり、生まれてから一度もきれいなドレスを着たことはないけれど、そのぶん、楽しみが先にあるってことよね? それに、豪華な服を着ていると想像することだってできるし。今朝、孤児院を出るときは、このいやな古いウィンシーの服を着なきゃならなくて、恥ずかしくてたまらなかった。孤児はみんな、こういうのを着るのよ。去年の冬、ホープトンの商人が孤児院へウィンシーを三百ヤード寄付したの。売れなかったからだなんて言う人もいたけれど、あたしは、その人の優しい心からだと思いたいわ。あなたもそうでしょう? 汽車に乗ったとき、みんながあたしを見て、かわいそうに思っているような気がしたの。でも、すぐ想像を働かせたわ。とびきりきれいな淡い青の絹のドレスを着ているのだって――どうせ想像するなら、しがいのあるものにしたほうがいいでしょう? ――それから、花と揺れる羽飾りでいっぱいの大きな帽子をかぶって、金時計を持って、子ヤギ革の手袋をはめて、編み上げ靴を履いているのだって。すぐ元気が出て、この島までの旅を思いきり楽しんだわ。船で渡るときも、少しも酔わなかったの。スペンサー夫人もよ。いつもは酔うんですって。でも、あたしが海へ落ちやしないかと見張るので忙しくて、酔う暇もないとおっしゃったわ。あたしほど歩き回る子は見たことがないって。でも、それで船酔いしないですんだなら、歩き回ってよかったでしょう? あの船で見られるものは、全部見たかったの。もう二度とそんな機会はないかもしれないんだもの。ああ、向こうにも満開の桜があんなに! この島は、どこもかしこも花だらけね。もう大好きになったわ。ここに住めるなんて、ほんとうにうれしい。プリンス・エドワード島は世界でいちばん美しいところだって、ずっと聞いていたの。それで、ここに暮らしているってよく想像したけれど、ほんとうになるとは思わなかったわ。想像が現実になるのって、すてきでしょう? でも、あの赤い道はとても変わっているわね。シャーロットタウンで汽車に乗って、赤い道が次々に窓の外を走り過ぎるようになったとき、どうして赤いのかスペンサー夫人に聞いたの。そうしたら、知らないから、お願いだからもう質問しないでおくれ、ですって。もう千も質問したはずだっておっしゃったわ。きっと、したのでしょうね。でも、質問しなければ、どうやって物事がわかるというの? それで、道はどうして赤いの?」

「そうさなあ、わからんね」とマシューは答えた。

「じゃあ、それもいつか調べることの一つね。これからわかることが、こんなにたくさんあると思うと、すばらしくない? 生きていてうれしいって気持ちになるわ。世界ってこんなに面白いんだもの。何でもすっかり知っていたら、今の半分も面白くないでしょう? そうなったら、想像の余地もなくなるものね。でも、あたし、しゃべりすぎかしら? いつもそう言われるの。黙っていたほうがいい? そうおっしゃるなら、やめるわ。その気になれば、あたしだってやめられるのよ。難しいけれど。」

マシューは、自分でもひどく意外なことに、楽しくなっていた。無口な人の多くがそうであるように、相手が自分でしゃべってくれ、こちらにも話を続けることを求めないなら、おしゃべりな人間が好きだった。だが、女の子と一緒にいて楽しいなどということは、思ってもみなかった。女というだけでまったく苦手なのに、女の子となると、もっといけない。横目でそっとこちらをうかがい、びくびくしながらそばをすり抜けていく、あの仕草が嫌いだった。うっかりひと言でも口をきけば、一口に呑みこまれると思っているかのようなのだ。それがアヴォンリーの、お行儀のよい女の子の型だった。だが、このそばかすの小さな魔女は、まるで違った。ゆっくりした自分の頭では、少女のすばしこい思考についていくのが少々骨だったが、その「おしゃべりが、なんとなく気に入った」と思ったのである。

そこで、いつもどおりはにかみながら言った。

「好きなだけ話していいんだよ。わしは構わんから。」

「ああ、うれしい。あなたとあたしは、きっとうまくやっていけると思うわ。話したいときに話せて、子どもは顔だけ見せて口は出すな、なんて言われないのは、ほんとうに気が楽ね。それなら、あたし、百万回も言われたわ。それに難しい言葉を使うって、みんなあたしを笑うの。でも大きな考えを持っていたら、それを表すのに大きな言葉が必要でしょう?」

「そうさなあ、そりゃ道理だね」とマシューは言った。

「スペンサー夫人は、あたしの舌は真ん中でつながっているに違いないっておっしゃったわ。でも違うのよ。ちゃんと端っこでつながっているの。スペンサー夫人から、おうちはグリーン・ゲイブルズという名前だって聞いたわ。いろいろ聞いたのよ。そうしたら、周りに木がいっぱいあるって。ますますうれしくなったわ。あたし、木が大好きなの。孤児院の周りには一本もなかったのよ。前のほうに、白く塗った小さな檻みたいなものに囲まれた、かわいそうな、ちっぽけな木が数本あっただけ。あの木たちも、まるで孤児みたいだったわ。見ていると、泣きたくなったもの。よく話しかけたのよ。『ああ、かわいそうな小さな木さんたち! 大きな大きな森の中で、周りに仲間の木がいっぱいあって、根元に小さな苔や六月の釣鐘花が生えていて、すぐそばに小川が流れて、枝で小鳥が歌っていたら、大きくなれるでしょう? でも、ここじゃ育てないのね。あなたたちの気持ち、あたしにはよくわかるわ、小さな木さんたち』って。今朝、置いてくるのが悲しかった。そういうものには、すっかり愛着がわくものね。グリーン・ゲイブルズの近くに、小川はある? スペンサー夫人に聞き忘れたの。」

「そうさなあ、あるよ。家のすぐ下にね。」

「まあ、すてき。小川の近くで暮らすのは、ずっと夢の一つだったの。でも、できるとは思わなかったわ。夢って、なかなかかなわないものね。かなったらすてきでしょう? でも今、あたしはほとんど完全に幸せなの。まったく完全には幸せになれないのは――ねえ、これ、何色だと思う?」

少女は長い艶やかなお下げの一本を細い肩の前へ引っぱり出し、マシューの目の前に差し上げた。マシューは、婦人の髪の色を見定めることには慣れていなかったが、この場合、あまり迷う余地はなかった。

「赤いんじゃないかね?」と言った。

少女は、つま先からわき上がり、あらゆる時代の悲しみを吐き出すかのようなため息をついて、お下げを落とした。

「ええ、赤いの」と、あきらめたように言った。「これで、あたしが完全には幸せになれないわけがわかったでしょう? 赤毛の人は誰だって、なれないわ。ほかのことは、それほど気にならないの。そばかすも、緑の目も、やせっぽちなことも。想像すれば、なくせるもの。きれいなばらの花びらみたいな肌と、星のように輝くすてきなスミレ色の目を持っているって想像できるわ。でも、この赤毛だけは、どうしても想像で消せないの。精いっぱいやってみるのよ。『あたしの髪は今、見事な黒。カラスの翼のような黒なのよ』って自分に言うの。でも、その間もずっと、ただの赤毛だってわかっているから、胸が張り裂けそうになるのよ。一生の悲しみになるわ。前に小説で、一生の悲しみを持っている女の子の話を読んだけれど、それは赤毛じゃなかった。その子の髪は純金色で、雪花石膏の額から波打って後ろへ流れていたの。雪花石膏の額って、何? どうしてもわからなかったの。教えてくださる?」

「そうさなあ、わしには無理だね」とマシューは答えた。少し目が回ってきていた。向こう見ずだった若いころ、一度、友達に誘われてピクニックの回転木馬に乗ったときのような気分だった。

「まあ、どんなものにせよ、きっとすてきだったのね。その子は神々しいほど美しかったんだもの。神々しいほど美しいって、どんな気分か想像したことある?」

「そうさなあ、いや、ないね」と、マシューは素直に認めた。

「あたしは何度もあるわ。選べるとしたら、どれになりたい? 神々しいほど美しい人、目もくらむほど賢い人、それとも天使のように善良な人?」

「そうさなあ、わしは――よくわからんね。」

「あたしも。どうしても決められないの。でも、たいして問題じゃないわ。どれにもなれそうにないもの。天使のように善良には絶対になれないわね。スペンサー夫人が――ああ、カスバートさん! ああ、カスバートさん!! ああ、カスバートさん!!!。」

スペンサー夫人がそう言ったのではない。少女が馬車から落ちたわけでもなければ、マシューが驚くようなことをしたのでもなかった。ただ、道の曲がり角を回り、「並木道」へ入っただけだった。

ニューブリッジの人々が「並木道」と呼ぶそこは、四、五百ヤードほど続く道で、昔、風変わりな年寄りの農夫が植えた大きなリンゴの木が、広く枝を張り、頭上をすっかりアーチに覆っていた。見上げれば、雪のように白い、香り高い花の天蓋がひと続きに伸びていた。枝の下には紫の薄明かりが満ち、はるか行く手には、夕焼けに彩られた空が、大聖堂の通路の果てにある大きなばら窓のように輝いていた。

その美しさに、少女は言葉を奪われたようだった。馬車の座席へ身をもたせ、細い両手を胸の前で組み、うっとりと顔を上げて、頭上の白い輝きに見入った。そこを抜け、ニューブリッジへ下る長い坂道にさしかかっても、身動きもせず、口もきかなかった。顔にはなお陶酔の色を浮かべ、夕日で燃える西の空を遠く見つめていた。その目には、光り輝く空を背景に、華麗な幻が次々と行き交うのが見えているのだった。二人は、まだ黙ったままニューブリッジを通り抜けた。にぎやかな小村で、犬が二人に吠えかかり、男の子たちがはやしたて、窓からは好奇心に満ちた顔がのぞいた。さらに三マイル進んでも、少女は口をきかなかった。どうやら、おしゃべりをするときと同じ勢いで、黙っていることもできるらしい。

「だいぶ疲れて、腹もすいたんだろうね」と、とうとうマシューが思いきって言った。長く続く沈黙について、思いつく説明はそれしかなかった。「でも、もう遠くないよ。あと一マイルだけだ。」

少女は深いため息とともに物思いから戻り、星に導かれて遠いところをさまよってきた魂の、夢見るようなまなざしをマシューへ向けた。

「ああ、カスバートさん」と、ささやいた。「さっき通ったところ――あの白いところ――あれは何というの?」

「そうさなあ、並木道のことだろうね」と、マシューはしばらく深く考えてから答えた。「なかなかきれいなところだよ。」

「きれい? ああ、きれいなんて言葉じゃ足りないわ。美しい、でも違う。どちらも、とても言い尽くせない。ああ、すばらしかった――すばらしかったわ。想像で、もうそれ以上よくできないものを、初めて見たの。ここのところが、すっかり満たされたのよ」少女は胸に片手を当てた。「なんだか不思議な痛みがして、でも、気持ちのいい痛みだったの。そんなふうに胸が痛んだこと、ある? カスバートさん。」

「そうさなあ、あったとは思い出せんね。」

「あたしは何度もあるの。このうえなく美しいものを見るたびにね。でも、あんなすてきなところを、並木道なんて呼ぶべきじゃないわ。そんな名前じゃ意味がないもの。あそこは――そうね――歓喜の白い道、と呼ぶべきよ。想像力にあふれた、すてきな名前でしょう? 場所や人の名前が気に入らないと、あたしはいつも新しい名前を想像して、その名前で考えることにしているの。孤児院にヘプジバ・ジェンキンズという子がいたけれど、あたしはいつもロザリア・ド・ヴィアだと思っていたわ。ほかの人は並木道と呼んでも、あたしはいつまでも歓喜の白い道と呼ぶつもり。ほんとうに、あと一マイルでおうちへ着くの? うれしいけれど、寂しいわ。こんなに楽しい馬車の旅だったから、終わるのが寂しいの。楽しいことが終わると、あたしはいつも寂しくなるわ。そのあとにもっと楽しいことがあるかもしれないけれど、確かじゃないでしょう? それに、もっと楽しくないことのほうが、とても多いもの。少なくとも、あたしの経験ではそうだったわ。でも、おうちへ帰れると思うのはうれしいの。覚えているかぎり、あたしにはほんとうのおうちが一度もなかったんだもの。ほんとうの、ほんとうのおうちへ帰るのだと思うだけで、またあの気持ちのいい痛みがしてくる。ああ、なんてきれいなの!」

二人は丘の頂を越えたところだった。眼下には池があった。長く曲がりくねっていて、ほとんど川のように見えた。中ほどに橋がかかり、そこから下流の端までは、さまざまに移ろう色が水面にきらめいていた。クロッカスの薄紫、ばら色、空のような淡い緑、そのどれもがこの世ならぬ色合いで、ほかにも、まだ名づけられたことのない、つかみがたい色があった。池の先では、琥珀色の砂丘の帯が、その向こうの濃い青い湾と池とを隔てていた。橋より上では、池は岸辺のモミとカエデの林へ入りこみ、揺れる影を映して暗く透き通っていた。ところどころで野生のスモモが岸から身を乗り出していた。まるで白い服の少女が、つま先立ちして水に映る自分へ近づくように。池の奥の沼地からは、澄んだ、悲しいほど甘美な蛙の合唱が聞こえた。向こうの斜面では、小さな灰色の家が、白い花に包まれたリンゴ園の脇から顔をのぞかせていた。まだすっかり暗くはなっていなかったが、一つの窓には明かりがともっていた。

「あれはバリーの池だよ」とマシューは言った。

「あら、その名前も好きじゃないわ。あたしは――そうね――輝く湖水と呼ぶことにする。ええ、それがぴったりの名前よ。胸がぞくぞくするから、わかるの。ちょうどいい名前を思いつくと、ぞくっとするのよ。あなたも、何かでぞくっとすることがある?」

マシューは考えこんだ。

「そうさなあ、あるよ。キュウリの畝を掘り返すと出てくる、あの気味の悪い白い幼虫を見ると、いつもぞくっとするね。あれを見るのは大嫌いなんだ。」

「あら、それは同じぞくぞくじゃない気がするわ。同じだと思う? 幼虫と輝く湖水には、あまりつながりがなさそうだものね。でも、ほかの人はどうしてバリーの池と呼ぶの?」

「あそこの家に、バリーさんが住んでいるからだろうね。あの家は果樹園の丘というんだよ。裏にある大きな林がなければ、ここからグリーン・ゲイブルズが見えるんだが。橋を渡って道をぐるりと回らなけりゃならんから、まだ半マイル近くあるんだ。」

「バリーさんには女の子がいる? でも、あまり小さくない子――あたしぐらいの。」

「十一ぐらいの子がいるよ。ダイアナというんだ。」

「ああ!」少女は長く息を吸いこんだ。「なんてすてきな名前なの!」

「そうさなあ、わしにはわからんね。ひどく異教じみた名前に思えるがな。[訳注:ダイアナは古代ローマの女神ディアナの英語名]ジェーンとかメアリーとか、そういうまっとうな名前のほうが好きだよ。だが、あの子が生まれたとき、学校の先生が下宿していてね。名づけを任せたら、ダイアナとつけたんだ。」

「じゃあ、あたしが生まれたときにも、そんな先生がいてくれたらよかったのに。あ、橋へ来たわ。目をぎゅっとつぶることにする。橋を渡るのは、いつも怖いの。真ん中まで来たとたん、折りたたみナイフみたいにぱたんと折れて、はさまれるんじゃないかって、どうしても想像してしまうのよ。だから目をつぶるの。でも、真ん中へ近づいたと思うと、結局いつも目を開けてしまうわ。だって、橋がほんとうに折れるなら、折れるところを見たいでしょう? なんて愉快な音がするの。ごろごろ響くところは、いつも大好き。世の中に、好きになれるものがこんなにたくさんあるなんて、すばらしいでしょう? ほら、渡りきった。今度は振り返るわ。おやすみ、大好きな輝く湖水。あたし、好きなものには、人にするのと同じように、いつもおやすみを言うの。きっとうれしいと思うから。あの水、あたしにほほえんでいるみたいだわ。」

向こう岸の丘を上り、曲がり角を回ると、マシューは言った。

「もうじき家だよ。あそこがグリーン・ゲイブルズで――」

「ああ、言わないで」と少女は息せききってさえぎり、半ば上げかけたマシューの腕をつかんだ。指さす先が見えないよう、目もつぶった。「あたしに当てさせて。きっと当たると思うの。」

目を開き、あたりを見回した。二人は丘の頂にいた。日はもうしばらく前に沈んでいたが、柔らかな残照の中で景色はまだはっきりと見えた。西には、マリーゴールド色の空を背にして、教会の尖塔が黒くそびえていた。足もとには小さな谷があり、その向こうには緩やかな斜面が長く伸びて、居心地よさそうな農家が点々と並んでいた。少女の目は、熱心に、切なげに、その一軒から次の一軒へと走った。そしてとうとう、左手の遠く、街道からずっと奥まった家の上で止まった。周りの森の夕闇の中に、花咲く木々とともに、ほの白く浮かぶ家だった。その上、雲一つない南西の空には、大きな水晶のように白い星が、導きと約束の灯のように輝いていた。

「あれでしょう?」少女は指さして言った。

マシューはうれしそうに、栗毛の背へ手綱をぱちりと当てた。

「おやまあ、当てたね! だが、スペンサー夫人が、わかるように話してくれたんだろう。」

「いいえ、違うの。ほんとうよ。夫人のお話は、ほかのあの家のほとんどにも当てはまるものだったわ。どんなおうちなのか、ほんとうは全然わからなかったの。でも、見たとたん、あたしのおうちだって感じたのよ。ああ、夢の中にいるみたい。あのね、あたしの腕は、きっと肘から上が青あざだらけよ。今日は何度も何度もつねったんだもの。ときどき急に、いやな、胸の悪くなるような気持ちがして、何もかも夢じゃないかって、たまらなく怖くなったの。それで、ほんとうか確かめるためにつねったのよ。でも、ふと思い出したわ。たとえ夢でも、できるだけ長く見続けたほうがいいんだって。だから、つねるのはやめたの。でも、これはほんとうで、もうすぐおうちに着くのね。」

喜びのため息をつき、少女はまた黙った。マシューは落ち着かず身じろぎした。この世に寄る辺のない子に、待ちこがれているその家は、結局その子のものにはならないのだと告げるのが、自分ではなくマリラでよかったと思った。二人はリンドの谷を越えた。そこはもうすっかり暗かったが、窓辺の見晴らしのきく場所にいるレイチェル夫人の目を逃れられるほどではなかった。それから丘を上り、グリーン・ゲイブルズの長い取りつけ道へ入った。家に着くころにはマシューは、迫ってくる打ち明け話に、自分でもわからないほど強くおびえていた。考えていたのはマリラでも自分でもなければ、この間違いがもたらすだろう厄介ごとでもなかった。少女の失望だった。その目の陶然とした光が消えるところを思うと、何かの命を奪う手伝いをするような、いたたまれない気持ちになった。子羊や子牛、その他なんであれ、罪のない小さな生き物を殺さねばならないときと、よく似た気持ちだった。

馬車が入った庭は真っ暗で、周りではポプラの葉が、絹ずれのようにさやさや鳴っていた。

「聞いて、木々が寝言を言っているわ」と、地面へ抱き下ろしてもらいながら、少女はささやいた。「きっと、すてきな夢を見ているのね!」

それから、「全財産」の入った絨毯鞄をしっかり握り、マシューのあとについて家へ入った。


第三章 マリラ・カスバートの驚き

マシューが戸を開けると、マリラはきびきびと進み出た。だが、ごわごわした不格好な服を着て、長い赤毛のお下げを垂らし、期待に目を輝かせている、風変わりな小さな姿を見るなり、驚いて足を止めた。

「マシュー・カスバート、その子は誰なんだい?」と声を上げた。「男の子はどうしたの?」

「男の子はいなかったんだ」と、マシューは情けなさそうに言った。「この子しかいなかった。」

少女のほうへあごをしゃくり、その名さえ聞いていなかったことを思い出した。

「男の子がいなかったって! でも、いたはずだよ」とマリラは言い張った。「スペンサー夫人には、男の子を連れてきてほしいと伝えたんだから。」

「だが、連れてこなかったんだ。連れてきたのはこの子だよ。駅長に聞いたんだ。それで、家へ連れてくるしかなかった。どこで間違ったにせよ、あそこへ置き去りにはできんからね。」

「まあ、ずいぶんなことになったものだね!」とマリラは声を上げた。

このやり取りの間、少女は黙って、二人の顔を交互に見ていた。顔からは、生き生きした表情がすっかり消えていった。やがて突然、話の意味がすべてわかったらしかった。大切な絨毯鞄を取り落とし、一歩前へ飛び出して、両手を握り合わせた。

「あたしはいらないのね!」と叫んだ。「男の子じゃないから、あたしはいらないのね! そうなると思えばよかった。誰もあたしを欲しがったことなんかなかったんだもの。こんなすばらしいことが続くはずはないって、わかっていればよかった。ほんとうにあたしを欲しがる人なんていないって、わかっていればよかった。ああ、どうしよう。あたし、わっと泣いてしまう!」

そして、ほんとうにわっと泣き出した。食卓のそばの椅子へ腰を落とし、卓上に両腕を投げ出して、その中へ顔を埋めると、激しく泣きじゃくった。マリラとマシューはストーブを挟み、困り果てて顔を見合わせた。どちらも何を言えばいいのか、どうすればいいのかわからなかった。とうとうマリラが、ぎこちなく事態の収拾に乗り出した。

「さあ、さあ、そんなに泣くことはないだろう。」

「いいえ、泣くことはあるわ!」

少女はさっと頭を上げた。涙に濡れた顔と、震える唇があらわになった。「あなただって泣くわ。孤児で、ここがおうちになると思ってやって来たのに、男の子じゃないからいらないと言われたら。ああ、今まででいちばん悲劇的なことだわ!」

長く使われず、いささか錆びついた、不承不承の笑みのようなものが、マリラの厳しい表情を和らげた。

「もう泣くのはおやめ。今夜、外へ放り出そうというわけじゃないんだよ。この件を調べるまでは、ここにいてもらわなければならないからね。名前は何というの?」

少女は少しためらった。

「コーデリアと呼んでくださらない?」と熱心に言った。

「コーデリアと呼ぶ? それがあんたの名前なの?」

「いーいえ、ほんとうの名前というわけじゃないんだけれど、コーデリアって呼ばれたいの。とびきり優雅な名前でしょう。」

「何を言っているんだか、さっぱりわからないね。コーデリアでないなら、何というの?」

「アン・シャーリー」と、その名の持ち主はしぶしぶ口ごもった。「でも、お願い、コーデリアと呼んで。ほんの少ししかここにいないのなら、何と呼んだって、大してかまわないでしょう? それにアンなんて、ちっともロマンチックじゃない名前だもの。」

「ロマンチックじゃないなんて、くだらない!」と、マリラはにべもなく言った。「アンは、飾り気のない、ちゃんとした、ほんとうにいい名前だよ。恥ずかしがることなんかない。」

「あら、恥ずかしがっているんじゃないの」とアンは説明した。「ただ、コーデリアのほうが好きなのよ。あたし、自分はコーデリアという名前だって、いつも想像してきたの――少なくとも、ここ数年はずっとね。幼いころはジェラルディンだと想像していたけれど、今はコーデリアのほうが好き。でも、アンと呼ぶのなら、どうかEのついたアンにしてね。」

「つづり方で、何が変わるというんだい?」マリラはまた錆びついたような笑みを浮かべ、ティーポットを取り上げた。

「ああ、ものすごく違うのよ。見た目がずっとすてきなの。名前を耳で聞くと、印刷されているみたいに、いつも頭の中で文字が見えない? あたしには見えるわ。A――n――nだとひどいけれど、A――n――n――eなら、ずっと品格があるもの。Eのついたアンと呼んでくださるなら、コーデリアと呼ばれなくても、なんとか折り合いをつけてみるわ。」

「わかったよ。じゃあ、Eのついたアン、この間違いがどうして起きたのか、説明できるかい? スペンサー夫人には、男の子を連れてきてほしいと伝えたんだよ。孤児院には男の子がいなかったの?」

「ええ、たくさんいたわ。でも、スペンサー夫人は、十一歳ぐらいの女の子がほしいと、はっきりおっしゃったの。それで院長先生が、あたしならよさそうだとおっしゃったのよ。どんなにうれしかったか、わかっていただけないでしょうね。昨夜はうれしくて、ひと晩じゅう眠れなかったの。ああ」と、マシューへ向き直り、恨めしげにつけ加えた。「どうして駅で、あたしはいらないんだって言って、置いていってくださらなかったの? 歓喜の白い道と輝く湖水を見ていなければ、こんなにつらくなかったのに。」

「いったい何を言っているんだい?」マリラはマシューを見つめて尋ねた。

「あの――この子は、道々話したことを言っているんだよ」とマシューは急いで答えた。「馬を入れてくるよ、マリラ。戻るころには、お茶の支度をしておいておくれ。」

「スペンサー夫人は、あんたのほかにも誰か連れてきたのかい?」マシューが出ていくと、マリラは続けた。

「ご自分のために、リリー・ジョーンズを連れてきたわ。リリーはまだ五歳で、とてもきれいで、木の実みたいな茶色の髪をしているの。あたしがとてもきれいで、木の実みたいな茶色の髪だったら、ここに置いてくださる?」

「いいえ。うちでは農場でマシューを手伝う男の子がほしいんだよ。女の子では役に立たないんだ。帽子をお取り。鞄と一緒に、玄関のテーブルへ置いておこう。」

アンはおとなしく帽子を取った。ほどなくマシューが戻り、三人は夕食の席についた。だがアンは食べられなかった。バターつきのパンを少しかじり、皿の脇の、縁が波形になった小さなガラス鉢から、ヒメリンゴの砂糖煮をつついてみたが、だめだった。まるで食が進まなかった。

「何にも食べていないじゃないか」とマリラはとがめるように言い、それが重大な欠点であるかのようにアンを見た。アンはため息をついた。

「食べられないの。絶望のどん底にいるんだもの。絶望のどん底にいるときに、食べられる?」

「絶望のどん底にいたことはないから、わからないね」とマリラは答えた。

「ないの? じゃあ、絶望のどん底にいるって、想像してみたことはある?」

「いいえ、ないよ。」

「それじゃ、どんなものかわからないと思うわ。ほんとうに、とてもつらい気分なの。食べようとすると、喉にかたまりがせり上がってきて、何も呑みこめないのよ。チョコレート・キャラメルだって無理だわ。二年前に一度、一つ食べたことがあるの。もう、すばらしくおいしかった。それ以来、チョコレート・キャラメルをたくさん持っている夢を何度も見たけれど、食べようとすると、いつも目が覚めてしまうのよ。食べられないからって、気を悪くしないでいただきたいわ。どれも、とてもおいしいの。でも、やっぱり食べられないのよ。」

「疲れているんだろうね」と、納屋から戻って以来ひと言もしゃべっていなかったマシューが言った。「寝かせてやったほうがいいよ、マリラ。」

マリラは、アンをどこへ寝かせるか考えていた。望みどおりに来るはずだった男の子のためには、台所の上の小部屋に寝椅子を用意しておいた。清潔で片づいてはいるが、どうも女の子を寝かせるにはふさわしくない気がした。とはいえ、こんな寄る辺のない子に客用寝室を使わせるのは論外だったから、残るのは東の切妻きりづまの部屋だけだった。マリラはろうそくに火をともし、アンについてくるよう言った。アンは元気なく従い、通りがけに玄関のテーブルから帽子と絨毯鞄を取った。玄関は恐ろしいほど清潔だったが、やがて通された切妻の小部屋は、それ以上に清潔に見えた。

マリラは、三本脚の三角形のテーブルへろうそくを置き、寝具を折り返した。

「寝巻きは持っているんだろうね?」と尋ねた。

アンはうなずいた。

「ええ、二枚あるわ。孤児院の院長先生が作ってくださったの。ひどくけちけちした作りなのよ。孤児院では何でも人数分に足りないから、いつもけちけちしたものになるの。少なくとも、あたしたちのような貧しい孤児院ではね。けちけちした寝巻きは大嫌い。でも、首の周りにフリルのある、裾を引くすてきな寝巻きと同じくらい、夢は見られるわ。それが慰めね。」

「さあ、できるだけ早く着替えて、お休み。少ししたら、ろうそくを取りに来るよ。自分で消させるのは心配だからね。家に火をつけかねないもの。」

マリラが去ると、アンは心細く部屋を見回した。白く塗られた壁は、痛々しいほどむき出しで、こちらをにらんでいた。壁自身も、自分のむき出しの姿がつらいに違いない、とアンは思った。床も裸で、真ん中に、今まで見たことのない、編み紐で作った丸い敷物が一枚あるきりだった。隅には、四本の黒っぽい低いろくろ細工の柱のある、昔風の高い寝台があった。もう一つの隅には、さっきの三角形のテーブルがあり、その上には赤いビロードの太った針山が飾られていた。どんな勇敢な針でも先が曲がりそうに固い針山だった。上には六インチ掛ける八インチの小さな鏡がかかっていた。テーブルと寝台の中ほどには、氷のように白いモスリンのひだ飾りをつけた窓があり、その向かいに洗面台があった。部屋全体に、言葉では言い表せない堅苦しさが漂い、アンの骨の髄まで震え上がらせた。アンはすすり泣き、急いで服を脱いで、窮屈な寝巻きを着ると、寝台に飛びこんだ。枕にうつぶせに顔を埋め、頭まで寝具を引き上げた。マリラが明かりを取りに上がってきたとき、床の上にだらしなく散らばる何枚かの貧弱な衣服と、嵐に荒らされたような寝台の様子だけが、そこに自分以外の誰かがいることを示していた。

マリラは、ゆっくりとアンの服を拾い上げ、堅苦しい黄色の椅子へきちんと置くと、ろうそくを手に寝台へ歩み寄った。

「おやすみ」と、少しぎこちなく、だが冷たくはなく言った。

寝具の上に、アンの白い顔と大きな目が、はっとするほど突然現れた。

「これまででいちばんひどい夜だってわかっているのに、どうしてよい夜をなんて言えるの?」と、恨めしそうに言った。

そしてまた潜りこみ、見えなくなった。

マリラはゆっくり台所へ下り、夕食の食器を洗い始めた。マシューはたばこを吸っていた。心が乱れている、確かなしるしだった。マリラが不潔な習慣だと断固反対するので、ふだんはめったに吸わない。だが、どうにも吸わずにいられない時があり、そんなときはマリラも見て見ぬふりをした。しょせん男には、感情のはけ口が要るのだと心得ていたのである。

「まったく、厄介なことになったものだよ」と腹立たしげに言った。「自分たちで行かずに、人づてに頼むからこんなことになるんだ。リチャード・スペンサーの家の人が、どこかで伝言を取り違えたんだね。明日はどちらかがスペンサー夫人に会いに行くしかないよ、それだけは確かだ。この子は孤児院へ帰さなけりゃ。」

「ああ、そうだろうね」とマシューは気の進まない様子で言った。

「そうだろうだって! わかっているんじゃないのかい?」

「だがね、ほんとうにいい子だよ、マリラ。こんなにここにいたがっているのに、帰すのは、なんだかかわいそうじゃないかね。」

「マシュー・カスバート、まさか、ここへ置いておいたほうがいいとでも言うつもりじゃないだろうね!」

マシューが、逆立ちが大好きだと言い出したとしても、マリラはこれ以上驚かなかっただろう。

「いや、その、そうじゃないだろうね。そういうわけでもないが」とマシューはどもった。正確な意味を求められて追い詰められ、居心地が悪かった。「まあ――引き取るところまでは、期待されまいね。」

「当たり前だよ。あの子がうちの何の役に立つというの?」

「わしたちが、あの子の役に立つかもしれんよ」とマシューは、不意に思いがけないことを言った。

「マシュー・カスバート、あの子に魔法でもかけられたんじゃないの! あの子を置いておきたいんだって、はっきりわかるよ。」

「だがね、ほんとうに面白い子なんだ」とマシューは言い続けた。「駅から帰る道で、あの子の話を聞かせたかったよ。」

「ええ、おしゃべりは十分できるようだね。それはすぐにわかったよ。だからって、長所にはならない。わたしは、あんなに口数の多い子どもは好きじゃないんだ。孤児の女の子はほしくないし、ほしいとしても、ああいう子を選びはしないね。あの子には、わたしにわからないところがある。いいえ、来たところへ、さっさと送り返さなければだめだよ。」

「手伝いには、フランス系の男の子を雇ってもいいんだ」とマシューは言った。「それに、あの子はおまえの話し相手にもなるだろう。」

「話し相手がいなくて困っているわけじゃない」とマリラはそっけなく言った。「あの子は置かないよ。」

「そうさなあ、もちろん、おまえの言うとおりにするよ、マリラ」とマシューは立ち上がり、パイプをしまった。「わしは寝るよ。」

マシューは床についた。そしてマリラも、食器を片づけると、決然と眉を寄せたまま床についた。二階の東の切妻の部屋では、独りぼっちで、愛情に飢え、友達もいない子どもが、泣きながら眠りに落ちていった。


第四章 グリーン・ゲイブルズの朝

アンが目を覚まして寝台に起き上がったときには、もうすっかり明るくなっていた。戸惑いながら窓を見つめた。そこからは陽気な日差しがあふれ、外では羽毛のような白いものが揺れて、その間に青空がのぞいていた。

一瞬、自分がどこにいるのか思い出せなかった。まず、何かとてもすばらしいことがあるような、うれしいときめきが来た。それから、恐ろしい記憶がよみがえった。ここはグリーン・ゲイブルズで、男の子ではないから、あたしはいらないのだ! 

でも、今は朝だった。そして、そう、窓の外にあるのは満開の桜だった。アンはひと跳びで寝台を出て、床を横切った。窓枠を押し上げると、長いこと開けられたことがないかのように、きしみながら重たく上がった。実際、そのとおりだった。窓は固くはまったので、支えをしなくても落ちてこなかった。

アンは膝をつき、喜びに目を輝かせて、六月の朝を眺めた。ああ、なんて美しいのだろう。なんてすてきな場所なのだろう。ほんとうはここにいられないとしても、それがどうしたというのだ。いられるのだと想像しよう。ここには、想像の余地があった。

窓の外には大きな桜が生え、枝が家をたたくほど近くまで迫っていた。葉がほとんど見えないほど、びっしりと花をつけていた。家の両側には大きな果樹園があり、一方はリンゴ、もう一方は桜で、どちらにも花が降り注いでいた。足もとの草には、タンポポが一面に散りばめられていた。下の庭ではライラックが紫の花を咲かせ、目もくらむほど甘い香りが、朝の風に乗って窓まで漂ってきた。

庭の下にはクローバーの茂る緑の野が広がり、小川の流れる谷へと下っていた。そこには何十本もの白樺が生え、シダや苔をはじめ、森のすてきなものがいろいろ潜んでいそうな下草の間から、軽やかに伸び上がっていた。その向こうには、トウヒとモミが羽毛のように緑を広げる丘があり、木々の切れ目から、小さな家の灰色の切妻が見えた。輝く湖水の向こう側から見た、あの家だった。

左のほうには大きな納屋があり、その先、緩やかに下る緑の畑のはるか向こうに、青くきらめく海がちらりとのぞいていた。

美しいものを愛するアンの目は、あらゆるものの上にとどまり、貪るようにすべてを吸いこんだ。かわいそうに、この子はこれまで、あまりに多くの美しくない場所を見てきた。だが、ここは、今まで夢見たどんなところにも劣らず美しかった。

アンは、周囲の美しさ以外のすべてを忘れて膝をついていたが、肩に手を置かれて、はっとした。小さな夢想家に気づかれぬまま、マリラが入ってきていたのだ。

「もう着替える時間だよ」と、そっけなく言った。

マリラは、この子にどう話しかければよいのか、ほんとうにわからなかった。その戸惑いのせいで、そのつもりもないのに、言葉が短く、とげとげしくなってしまうのだった。

アンは立ち上がり、長く息を吸った。

「ああ、すばらしいでしょう?」と言い、外のすてきな世界を、ひとまとめに抱えるように手で示した。

「大きな木だよ」とマリラは言った。「花も盛んに咲くけれど、実はいつも大したことがない。小さくて、虫がついてね。」

「あら、木だけのことじゃないの。もちろん木もすてき――ええ、光り輝くほどすてきよ。心をこめて咲いているみたい。でも、あたしが言ったのは全部なの。庭も果樹園も小川も森も、この大きな、いとしい世界の全部。こんな朝には、世界を愛さずにはいられない気がしない? 小川の笑い声が、こんなところまで聞こえてくるわ。小川って陽気なものだって、気づいたことある? いつも笑っているのよ。冬だって、氷の下で笑っているのを聞いたことがあるわ。グリーン・ゲイブルズの近くに小川があって、ほんとうにうれしい。あたしを置かないのだから、関係ないと思うかもしれないけれど、関係あるのよ。もう二度と見られなくても、グリーン・ゲイブルズには小川があるって、いつまでも楽しく思い出せるもの。もし小川がなかったら、あるべきなのに、という落ち着かない気持ちに、いつまでもつきまとわれるわ。今朝は絶望のどん底にはいないの。朝には、どうしてもいられないのよ。朝があるって、すばらしいことじゃない? でも、とても悲しいわ。さっきまで、やっぱりあなた方がほしかったのはあたしで、ここにいつまでも、いつまでもいられるって想像していたの。その間は、ずいぶん慰めになったわ。でも想像のいちばん困るところは、やめなければならない時が来ることね。それがつらいの。」

「想像なんかしていないで、着替えて下りてきたほうがいいよ」と、ようやく口を挟む隙を見つけたマリラは言った。「朝ごはんが待っているんだから。顔を洗って、髪をとかしなさい。窓は開けたままで、寝具は足もとのほうへめくっておくんだよ。できるだけてきぱきおやり。」

どうやらアンは、その気になれば役に立つてきぱきさを発揮できるらしかった。十分後には、服をきちんと着て、髪をとかして編み、顔も洗って、階下へ下りてきた。マリラの言いつけをすべて果たしたという心地よい満足感が、胸に満ちていた。ただし実際には、寝具をめくるのを忘れていた。

「今朝は、ずいぶんお腹がすいているわ」と、マリラが用意してくれた椅子へ滑りこみながら言った。「昨夜ほどには、この世が荒涼とした荒野に思えないの。晴れた朝でうれしいわ。でも、雨の朝も、とても好きよ。どんな朝も面白いでしょう? その日、何が起きるかわからないし、想像の余地がたくさんあるもの。でも、今日は雨でなくてよかった。晴れているほうが、元気を出して苦難に耐えるのも楽だから。あたしは、ずいぶん耐えなければならない気がするわ。悲しい話を本で読んで、自分が勇敢に苦しみを乗り越えるところを想像するのは結構だけれど、ほんとうに身に降りかかると、そうすてきなものじゃないわね。」

「お願いだから、口を閉じておくれ」とマリラは言った。「小さな女の子にしては、あまりにしゃべりすぎだよ。」

するとアンは、あまりに従順に、あまりに徹底して口を閉じたので、その沈黙が続くうちに、マリラはかえって落ち着かなくなった。何か少しばかり不自然なものと同席している気がしたのである。マシューも口を閉じていた――こちらはいつものことだった――ので、食事はたいそう静かなものになった。

食事が進むにつれ、アンはいよいよ上の空になった。大きな目を窓の外の空へ動かぬまま向け、何も見てはいない様子で、機械的に食べていた。マリラはますます落ち着かなくなった。この奇妙な子の体は食卓にいても、魂は想像の翼に乗り、はるかな空の雲の国へ飛んでいってしまっているような、居心地の悪い感じがした。こんな子を、誰が家に置きたがるというのだろう。

それなのに、どうにも不思議なことに、マシューは置いておきたがっているのだ! 今朝も昨夜と同じくらい強く望んでいて、これからも望み続けるだろうと、マリラにはわかった。それがマシューのやり方だった。ひとたび思いつくと、驚くほど黙り強く、それにしがみつく。その無言の粘り強さは、黙っているからこそ、言い立てるより十倍も強力で、効果があった。

食事が終わると、アンは夢想から戻り、食器を洗おうと申し出た。

「ちゃんと洗えるのかい?」マリラは疑わしそうに尋ねた。

「かなりうまいほうよ。でも、子どもの世話のほうが得意なの。経験がずいぶんあるもの。ここに、あたしの世話をする子どもがいなくて、ほんとうに残念だわ。」

「わたしは、今いる以上に世話の要る子どもがほしいとは思わないね。あんただけで十分大変なんだから。あんたをどうしたらいいのか、わからないよ。マシューも、まったくおかしな人だ。」

「あたしは、すてきな人だと思うわ」とアンはとがめるように言った。「とても思いやりがあるもの。あたしがいくら話しても嫌がらないで、むしろ楽しんでくださったみたいだった。初めて見たときから、心の通い合う人だって感じたわ。」

「心が通い合うというのが、変わり者どうしという意味なら、二人とも十分そうだろうね」とマリラは鼻を鳴らした。「そうだね、食器は洗ってもらおう。お湯をたっぷり使って、しっかり拭くんだよ。今朝はやることがたくさんある。午後にはホワイト・サンズへ行って、スペンサー夫人に会わなければならないからね。あんたも一緒に行って、どうするか決めよう。食器が終わったら、二階へ上がって寝床を整えなさい。」

アンは十分器用に食器を洗った。厳しい目で見張っていたマリラにも、それはわかった。そのあとの寝床作りは、あまりうまくいかなかった。羽毛の敷き布団と格闘するすべを、まだ習ったことがなかったからだ。それでも、どうにか仕上げて平らにならした。するとマリラは、そばから追い払うために、昼ごはんまで外へ出て遊んでよいと言った。

アンは顔を明るくし、目を輝かせて戸口へ飛んでいった。だが、敷居の上でぴたりと止まり、くるりと振り返ると、戻って食卓のそばに腰を下ろした。まるで誰かが火消しをかぶせたかのように、顔の明るさも目の輝きも、すっかり消えていた。

「今度はどうしたんだい?」とマリラは尋ねた。

「外へ出る勇気がないの」とアンは、この世のあらゆる喜びを断念する殉教者のような口調で言った。「ここにいられないのなら、グリーン・ゲイブルズを好きになってもしかたがないでしょう。あそこへ出て、木や花や果樹園や小川と知り合いになったら、どうしたって好きになってしまうわ。今でも十分つらいのに、もっとつらくしたくないの。外へ出たくてたまらないわ。何もかもが、『アン、アン、出ておいで。アン、アン、遊び相手がほしいんだよ』って呼んでいるみたい。でも、行かないほうがいいの。引き離されるものを愛しても、しかたがないでしょう? でも、好きにならないようにするのは、ほんとうに難しいわね。ここに住めると思ったとき、あんなにうれしかったのは、それなの。好きになれるものがたくさんあって、誰にも邪魔されないと思ったのよ。でも、その短い夢は終わったわ。今は運命に従う覚悟ができたから、また覚悟が揺らがないよう、外へは出ないことにする。ねえ、窓辺のあのゼラニウムは、何という名前なの?」

「あれは、リンゴの香りのするゼラニウムだよ。」

「あら、そういう名前じゃないの。あなたがつけた名前のことよ。名前をつけなかったの? じゃあ、あたしがつけてもいい? そうね――ボニーがいいわ――ここにいる間、ボニーと呼んでもいいかしら? ねえ、お願い!」

「まあ、好きにおし。でも、ゼラニウムに名前をつけて、いったい何になるんだい?」

「あら、たとえゼラニウムだって、呼び名があったほうが好きなの。そのほうが人間に近く感じられるもの。ただゼラニウムとしか呼ばれないのは、ゼラニウムの気持ちを傷つけているかもしれないでしょう? あなたも、いつもただ女とばかり呼ばれたら、嫌でしょう。ええ、ボニーと呼ぶことにするわ。今朝、寝室の窓の外の桜にも名前をつけたの。あんまり白いから、雪の女王って呼ぶことにした。もちろん、いつまでも花が咲いているわけじゃないけれど、咲いているって想像はできるでしょう?」

「生まれてこのかた、こんな子は見たことも聞いたこともないよ」と、マリラはジャガイモを取りに地下室へ退却しながらつぶやいた。「マシューの言うとおり、たしかに面白いところはあるね。次にはいったい何を言い出すかと、もう気になっている自分がわかるよ。わたしまで魔法にかけられそうだ。マシューはすっかりかけられている。出ていくときのあの目つきで、昨夜言ったことも、ほのめかしたことも、全部繰り返したんだから。ほかの男の人みたいに、口に出して話してくれればいいのに。そうすれば、こちらも言い返して、道理をわからせられる。でも、ただ見るだけの男を、どうすればいいんだろうね。」

マリラが地下室への遠征から戻ったとき、アンは両手で頬杖をつき、空を見て、また夢想にふけっていた。マリラは早めの昼食が食卓に並ぶまで、そのままにしておいた。

「午後は馬と軽馬車を使っていいんだろうね、マシュー?」とマリラは言った。

マシューはうなずき、心配そうにアンを見た。マリラはそのまなざしをとらえ、厳しく言った。

「ホワイト・サンズへ行って、この件を片づけてくるよ。アンも連れていく。スペンサー夫人が、すぐノバスコシアへ帰せるよう手配してくれるだろう。お茶の支度はしておくから。牛の乳搾りには間に合うように帰るよ。」

それでもマシューは何も言わず、マリラは言葉も息も無駄にした気がした。口答えしない男ほど腹立たしいものはない――口答えしない女は別として。

時間が来ると、マシューは栗毛の雌馬を軽馬車につなぎ、マリラとアンは出発した。マシューは庭の門を開けてやり、馬車がゆっくり通り抜けるとき、誰にともなく言うように口を開いた。

「今朝、クリークの小さいジェリー・ブオートが来たんだ。夏の間、雇おうかと思うと、言っておいたよ。」

マリラは返事をしなかったが、気の毒な栗毛に、むちをぴしゃりとひどく当てた。そんな扱いに慣れていない太った雌馬は、憤慨して、恐ろしい勢いで小道を駆け出した。馬車が跳ねながら進む途中で、マリラは一度振り返った。腹立たしいマシューが門にもたれ、切なそうにこちらを見送っているのが見えた。


第五章 アンの身の上

「ねえ」と、アンは打ち明け話をするように言った。「あたし、この馬車の旅を楽しむことに決めたの。あたしの経験では、楽しむんだって固く決心すれば、たいていのことは楽しめるものよ。もちろん、固く決心しなければだめだけれど。馬車に乗っている間は、孤児院へ帰ることなんか考えないわ。ただ、この道中のことだけ考えるの。あ、見て、早咲きの野ばらが一輪咲いている! すてきでしょう? ばらであることが、うれしくてたまらないんじゃないかしら。ばらが話せたら、すばらしいでしょうね。きっと、とてもすてきなことを聞かせてくれるわ。それに、桃色って世界でいちばん魅惑的な色だと思わない? あたし、大好きなの。でも、着られないのよ。赤毛の人は桃色を着られないの。想像の中でさえね。子どものころ赤毛だったのに、大人になったら別の色になった人を知っている?」

「いいえ、知っているとは思わないね」とマリラは容赦なく言った。「それに、あんたの場合も、そうなるとは思えないよ。」

アンはため息をついた。

「じゃあ、また一つ希望が消えたわ。『わが人生は、葬られた希望で埋め尽くされた墓場』。前に本で読んだ文句なの。何かに失望するたびに繰り返して、自分を慰めるのよ。」

「わたしには、どこが慰めになるんだか、わからないね」とマリラは言った。

「あら、だって、とてもすてきでロマンチックに響くでしょう? まるで本の中のヒロインになったみたいで。あたし、ロマンチックなものが大好きなの。希望がいっぱい埋まった墓場なんて、想像できるかぎり、いちばんロマンチックなものの一つじゃない? そんな墓場があることを、ちょっとうれしく思うくらいだわ。今日は、輝く湖水を渡るの?」

「あんたの言う輝く湖水がバリーの池のことなら、渡らないよ。海岸の道を行くんだ。」

「海岸の道って、すてきな響きね」と、アンは夢見るように言った。「ほんとうに、その名前と同じくらいすてきなの? 今、『海岸の道』とおっしゃったとたん、頭の中に絵が浮かんだわ。ほんとうに、一瞬でよ。それにホワイト・サンズもきれいな名前ね。でも、アヴォンリーほどは好きじゃないわ。アヴォンリーは、すてきな名前。まるで音楽みたいに響くのよ。ホワイト・サンズまでは、どのくらいあるの?」

「五マイルだよ。それだけしゃべる気があるのなら、自分について知っていることを話して、少しは役に立つおしゃべりをしたらどうだい。」

「ああ、自分について知っていることなんて、話すほどのことじゃないわ」とアンは熱心に言った。「自分について想像していることを話させてくだされば、そのほうがずっと面白いと思っていただけるわよ。」

「いいえ、想像の話はいらないよ。ありのままの事実だけにおし。初めから話しなさい。どこで生まれて、今いくつなの?」

「この三月で十一歳になったわ」とアンは、小さくため息をつき、ありのままの事実を受け入れた。「生まれたのはノバスコシアのボーリングブロークよ。父の名前はウォルター・シャーリーで、ボーリングブロークの高校の先生だったの。母の名前はバーサ・シャーリー。ウォルターとバーサって、すてきな名前でしょう? 両親がいい名前で、とてもうれしいわ。お父さんの名前が――そうね、たとえばジェデダイアだったら、ほんとうに恥ずかしいでしょう?」

「きちんとした行いをする人なら、名前なんかどうでもいいと思うよ」とマリラは言った。ためになる立派な教訓を教えこむべきだと感じたのだ。

「そうかしら、わからないわ。」

アンは考え深げな顔をした。「前に本で、ばらはほかの名で呼んでも同じように甘く香るって読んだけれど、どうしても信じられなかったの。ばらがアザミとかスカンクキャベツなんて名前だったら、同じくらいすてきだとは思えないわ。お父さんはジェデダイアと呼ばれていても、いい人にはなれたでしょうけれど、きっとそれは背負う十字架になったでしょうね。ええと、お母さんも高校の先生だったの。でも、お父さんと結婚したとき、もちろん先生はやめたわ。夫一人でも十分責任があるもの。トーマス夫人は、二人とも赤ん坊みたいで、教会のねずみみたいに貧しかったって言っていた。二人はボーリングブロークの、ちっぽけな黄色い家に住むようになったの。あたし、その家を見たことはないけれど、何千回も想像したわ。きっと居間の窓にはスイカズラが這っていて、前庭にはライラックが、門を入ったすぐのところにはスズランがあったと思うの。ええ、それに窓には全部モスリンのカーテン。モスリンのカーテンがあると、家にとても風情が出るもの。あたしはその家で生まれたの。トーマス夫人は、あたしほど不器量な赤ん坊は見たことがないと言ったわ。やせこけて、ちっぽけで、目ばかり大きかったんですって。でも、お母さんは、あたしをとびきりきれいだと思っていたのよ。掃除に来る貧しい女の人より、お母さんのほうが見る目があったと思わない? とにかく、お母さんがあたしに満足してくれて、うれしいわ。がっかりさせたと思ったら、あたし、とても悲しいもの。だって、それからあまり長く生きられなかったのよ。あたしがたった三か月のとき、熱病で死んだの。お母さんと呼んだことを覚えていられるくらいまでは、生きていてほしかったわ。『お母さん』って言うのは、とてもすてきなことだと思わない? お父さんも、その四日後に、同じ熱病で死んだの。それであたしは孤児になって、みんな、どうしたらいいかわからなくて困り果てたって、トーマス夫人が言っていたわ。ほら、そのころから、誰もあたしを欲しがらなかったのよ。それが運命みたいね。お父さんもお母さんも遠くから来た人で、生きている親類はいないということは、みんな知っていたの。とうとうトーマス夫人が、貧しくて、酔っぱらいの夫もいるけれど、あたしを引き取ると言ってくれたのよ。ミルクで育ててくれたわ。ミルクで育てられると、ほかの人よりいい人間にならなければいけないようなことがあるのかしら? あたしが悪いことをするたびに、トーマス夫人は、ミルクで手ずから育ててやったのに、どうしてそんな悪い子になれるのかって、責めるように言ったから。

「トーマスさん夫婦は、ボーリングブロークからメアリーズヴィルへ引っ越して、あたしは八歳になるまで一緒に暮らしたの。トーマス家の子どもの世話を手伝ったわ。あたしより小さい子が四人いて、ほんとうに手がかかったのよ。それからトーマスさんが汽車の下に転げ落ちて死んで、お母さんが、トーマス夫人と子どもたちは引き取ると言ったけれど、あたしはいらないと言ったの。トーマス夫人は、あたしをどうしたらいいか、自分が困り果てたと言っていたわ。すると、川上からハモンド夫人がやって来て、あたしは子どもの世話が上手だから引き取ろうと言ったの。それで川上へ行き、切り株に囲まれた小さな開拓地で、その人と暮らしたわ。とても寂しいところだった。想像力がなかったら、とても暮らしていけなかったと思う。ハモンドさんはそこで小さな製材所をやっていて、ハモンド夫人には八人も子どもがいたの。双子を三度も産んだのよ。赤ちゃんは、ほどほどなら好きだけれど、三度続けて双子というのは、多すぎるわ。最後の二人が生まれたとき、ハモンド夫人には、きっぱりそう言ったの。抱いて歩くと、ひどくくたびれたもの。

「川上でハモンド夫人と二年以上暮らしたあと、ハモンドさんが死んで、夫人は家を畳んだの。子どもたちを親類へ分けて預けて、アメリカへ行ってしまったわ。あたしは誰も引き取ってくれなかったから、ホープトンの孤児院へ行かなければならなかったの。孤児院でも、あたしはいらないと言われたわ。今だっていっぱいなんだからって。でも引き取らないわけにはいかなくて、スペンサー夫人が来るまで四か月、そこにいたの。」

アンはもう一度ため息をついて話を終えた。今度は、ほっとしたため息だった。自分を欲しがらなかった世界での経験を語るのは、どうやら好きではなかった。

「学校へは行ったことがあるのかい?」栗毛を海岸の道へ向けながら、マリラは尋ねた。

「あまりないわ。トーマス夫人のところの最後の一年に、少し通ったの。川上へ行ったら、学校からとても遠くて、冬は歩いていけなかったし、夏は休みだったから、春と秋にしか通えなかったわ。でも、孤児院では、もちろん学校へ行ったの。本はかなりよく読めるし、詩をたくさん暗唱できるわ。『ホーエンリンデンの戦い』と『フロドンの戦いのあとのエディンバラ』と『ライン河畔のビンゲン』、それから『湖上の美人』もたくさん、ジェームズ・トムソンの『四季』も大部分ね。背中を上から下まで、ぞくぞくさせてくれる詩って、大好きじゃない? 第五読本にある『ポーランドの没落』という詩は、そんなぞくぞくでいっぱいなの。もちろん、あたしは第五読本までは進んでいなくて、第四までだったけれど、大きな女の子たちが自分のを貸して、読ませてくれたのよ。」

「その人たち――トーマス夫人とハモンド夫人は、あんたに優しくしてくれたかい?」とマリラは、横目でアンを見ながら尋ねた。

「ああ、そのう」とアンは口ごもった。敏感な小さな顔が、突然真っ赤になり、額に困惑が浮かんだ。「ええ、優しくするつもりだったのよ。できるだけ親切に、優しくするつもりだったことは、わかっているわ。そういうつもりでいてくれるなら、いつも――すっかり――そうでなくても、あまり気にならないもの。心配ごとがたくさんあったのよ。酔っぱらいの夫を持つのは、とても大変でしょう。それに、三度続けて双子が生まれるのも、とても大変なはずだわ。そう思わない? でも、あたしに優しくしようと思っていたことは、確かだと思うの。」

マリラは、それ以上尋ねなかった。アンは海岸の道に見とれ、黙って喜びにひたった。マリラはうわの空で栗毛を御しながら、深く考えこんだ。不意に、この子への憐れみが胸にわき上がっていた。なんと愛情に飢えた、愛されない暮らしだったことだろう。重い仕事と貧しさと、顧みられない日々。マリラは、アンの話の行間を読み、その真実を察するだけの洞察力を持っていた。ほんとうの家庭を持てると思って、あんなに喜んだのも無理はない。送り返さなければならないのは、かわいそうだった。マシューの不可解な気まぐれに、自分が折れて、この子を置いておいたらどうだろう。マシューは本気で望んでいる。それに、この子は素直で、ものを覚えそうな、よい子に見えた。

「口数は多すぎる」とマリラは思った。「でも、それはしつければ直るかもしれない。言うことにも、無作法なところや下品な言葉はない。品はあるね。きっと親が、いい人たちだったんだろう。」

海岸の道は、「森の気配に満ち、野趣に富み、寂しかった」。

右手には低いモミが密生していた。長年、湾からの風と闘ってきたというのに、少しも気力をくじかれていなかった。左手には赤い砂岩の断崖が切り立ち、場所によっては道へひどく迫っていた。この栗毛ほど落ち着いた馬でなければ、後ろに乗っている人間は神経をすり減らしただろう。崖の下には波に洗われた岩が積み重なり、あるいは小さな砂の入り江が、海の宝石のような小石を散りばめていた。その向こうには、きらめく青い海が広がり、カモメが舞い、日の光に翼を銀色にひらめかせていた。

「海って、すばらしいでしょう?」長いあいだ目を見開いて黙っていたアンが、我に返って言った。「メアリーズヴィルにいたとき、一度トーマスさんが荷馬車を借りて、十マイル先の海岸へ、みんなを一日遊びに連れていってくれたの。ずっと子どもの世話をしなければならなかったけれど、その日は一瞬一瞬が楽しかったわ。それから何年も、幸せな夢の中で、その日を何度も生き直したの。でも、ここの海岸はメアリーズヴィルよりすてきね。あのカモメたち、見事でしょう? カモメになりたいと思う? あたしはなりたいと思うわ。人間の女の子でいられないなら、ということだけれど。日の出とともに目を覚まし、水の上へさっと舞い降りて、あの美しい青のはるか上を一日じゅう飛び回り、夜になったら巣へ飛んで帰るなんて、すてきじゃない? ああ、自分がそうしているところを、はっきり想像できるわ。ねえ、前に見える大きなおうちは何?」

「あれはホワイト・サンズ・ホテルだよ。カークさんがやっているんだが、まだ季節には早いんだ。夏になると、アメリカ人が大勢来るよ。この海岸が、うってつけだと思っているのさ。」

「スペンサー夫人のおうちかもしれないと、心配したわ」とアンは悲しげに言った。「着きたくないの。なんだか、何もかも終わりになってしまう気がするから。」


第六章 マリラの決心

それでも、やがて二人は着いた。スペンサー夫人はホワイト・サンズの入り江にある大きな黄色い家に住んでおり、驚きと歓迎の入り交じる慈愛深い顔で、戸口へ出てきた。

「まあ、まあ」と声を上げた。「今日は、まさかあなた方がいらっしゃるとは思わなかったわ。でも、お会いできて、ほんとうにうれしい。馬を入れていらっしゃるでしょう? アン、元気?」

「この状況では、これ以上望めないくらい元気です。ありがとうございます」とアンは、にこりともせず答えた。霜に打たれでもしたようだった。

「馬を休ませる間、少しお邪魔しようかね」とマリラは言った。「でも、マシューには早く帰ると約束したんだよ。実はスペンサー夫人、どこかで妙な間違いが起きてね、それを確かめに来たんだ。マシューとわたしは、孤児院から男の子を連れてきてほしいと頼んだんだよ。お兄さんのロバートさんには、十か十一の男の子がほしいと伝えてくれるよう言ったんだ。」

「マリラ・カスバート、まあ、なんということでしょう!」スペンサー夫人は困り果てて言った。「でも、ロバートは娘のナンシーに伝言をよこさせて、あの子は女の子がほしいと言ったのよ。そうだったわね、フローラ・ジェーン?」と、玄関の段へ出てきた娘に同意を求めた。

「確かにそう言いました、カスバートさん」と、フローラ・ジェーンは真剣に請け合った。

「ほんとうに申し訳ないわ」とスペンサー夫人は言った。「とんだことになって。でも、わたしの間違いでないことは、おわかりでしょう、カスバートさん。できるだけのことをしたし、お言いつけどおりにしていると思っていたんですもの。ナンシーは、ひどくそそっかしい子でね。不注意なので、わたしも何度もしっかり叱ったことがあるのよ。」

「わたしたちが悪かったんだよ」とマリラは、あきらめたように言った。「自分たちで会いに来るべきだったね。こんな大事な用を、人づての口伝えに任せたりしないで。とにかく間違いは起きたんだから、あとは正すしかない。この子を孤児院へ帰せるかね? 引き取ってはくれるんだろう?」

「そうでしょうね」と、スペンサー夫人は考えながら言った。「でも、帰す必要はないと思うわ。昨日ピーター・ブルーエット夫人が来て、わたしに手伝いの女の子を頼んでおけばよかったと、しきりに言っていたの。ご存じのとおり、あそこの奥さんは子どもが大勢いるのに、なかなか手伝いが見つからなくて。アンなら、ちょうどぴったりよ。これはもう、神様のお引き合わせだわ。」

マリラは、神の摂理がこの件に関わっていると思っているような顔はしなかった。望まぬ孤児を手放す、思いがけない好機が訪れたというのに、ありがたいとさえ感じなかった。

マリラが知るピーター・ブルーエット夫人は、顔を見たことがある程度の、小柄で意地の悪そうな、余分な肉が一オンスもない女だった。だが、評判は耳にしていた。「恐ろしく働くし、人もこき使う」という話だった。暇を出された女中たちは、その気性とけちさ、そして生意気でけんか好きな子どもたちについて、ぞっとするような話をしていた。アンをその慈悲深い手に委ねることを考えると、マリラの良心はうずいた。

「まあ、中で話をさせてもらおうかね」と言った。

「まあ、ちょうど今、ブルーエット夫人が小道を来るじゃありませんか!」スペンサー夫人は叫び、せわしなく客たちを玄関から客間へ通した。そこでは、命も凍るような冷気が二人を襲った。ぴったり下ろされた濃緑色の日よけを通して、長いあいだ空気が濾されていたために、かつて持っていた暖かさの粒まで失ってしまったかのようだった。「ほんとうに運がいいわ。これですぐに話がつきますもの。カスバートさん、肘掛け椅子へどうぞ。アンはここの長椅子へ座って、もじもじしないのよ。帽子をお預かりしましょう。フローラ・ジェーン、やかんを火にかけてきてちょうだい。こんにちは、ブルーエット夫人。ちょうど来てくださって幸運だったと話していたところよ。ご紹介しましょう。こちら、ブルーエット夫人。こちら、カスバートさん。ちょっとだけ失礼しますね。フローラ・ジェーンに、パンをオーブンから出すよう言うのを忘れていたわ。」

スペンサー夫人は日よけを上げると、さっと姿を消した。アンは長椅子に黙って座り、膝の上で手を固く握り合わせ、呪縛されたようにブルーエット夫人を見つめた。この尖った顔、鋭い目をした女の人に、預けられるのだろうか。喉にかたまりがせり上がり、目が痛いほど熱くなった。もう涙を抑えられないのではないかと思い始めたところへ、スペンサー夫人が戻ってきた。顔を紅潮させ、にこにことして、肉体的であれ、精神的であれ、霊的であれ、ありとあらゆる困難を考慮し、その場で片づけてしまえそうな様子だった。

「この女の子について、間違いがあったようなんですよ、ブルーエット夫人」と言った。「わたしは、カスバートさんのご兄妹が女の子を養女にほしがっていると思っていたんです。確かに、そう聞きましたから。でも、ほしかったのは男の子だったんですって。ですから、昨日とお考えが変わっていなければ、この子がちょうどいいと思うんです。」

ブルーエット夫人は、アンを頭から足まで、さっと見回した。

「いくつで、名前は何というの?」と尋ねた。

「アン・シャーリーです」と、縮こまったアンは口ごもった。つづりについて条件をつける勇気はなかった。「十一歳です。」

「ふん! あまり力がありそうには見えないね。でも筋は強そうだ。結局、そういう子がいちばんいいのかもしれない。いいかい、引き取ってやるなら、いい子でいなけりゃだめだよ。行儀よく、てきぱきして、目上を敬うんだ。食べさせてもらう分は働いてもらうからね。それだけは間違いないよ。そうだね、カスバートさん、わたしがお引き受けしてもいいだろうね。赤ん坊がひどくむずかって、世話をするのにくたくたなんだ。よければ、今すぐ連れて帰ってもいいよ。」

マリラはアンを見た。青ざめた顔に、声もない悲惨さが浮かんでいた。ようやく逃れた罠に、また捕らわれた、無力な小さな生き物の悲惨さだった。それを見て、マリラの心は和らいだ。このまなざしの訴えを退けたら、死ぬ日までその目に追いかけられるだろうという、落ち着かない確信があった。それに、ブルーエット夫人は好きではなかった。敏感で「神経の細い」子を、こんな女に渡すなど! いいえ、そんな責任は負えない! 

「さあ、どうだろうね」と、ゆっくり言った。「マシューとわたしが、この子を置かないときっぱり決めたとは、言っていないんだよ。実のところ、マシューは置いておきたい気持ちでいると言ってもいい。わたしはただ、どうして間違いが起きたのか確かめに来ただけなんだ。もう一度この子を連れて帰って、マシューと相談したほうがよさそうだね。兄に相談せずに何かを決めるべきではない気がするよ。もし置かないと決めたら、明日の夕方、連れてくるか、誰かに送り届けさせよう。来なければ、うちにいることになったと思っておくれ。それでいいかい、ブルーエット夫人?」

「しかたないだろうね」とブルーエット夫人は愛想なく答えた。

マリラが話す間に、アンの顔には日の出が始まっていた。まず絶望の色が消え、それから希望の淡い紅が差した。目は明けの明星のように深く輝いた。少女は、まるで別人になっていた。ほどなくスペンサー夫人とブルーエット夫人が、後者の借りに来た料理の作り方を探しに出ていくと、アンは跳び上がり、部屋を横切ってマリラのもとへ飛んできた。

「ああ、カスバートさん、グリーン・ゲイブルズに置いてくださるかもしれないって、ほんとうにおっしゃったの?」と、息を弾ませてささやいた。声を大きくしたら、その輝かしい可能性が砕けてしまうとでもいうようだった。「ほんとうにおっしゃったの? それとも、あたしがそう想像しただけ?」

「現実とそうでないものの区別がつかないなら、その想像力を抑えることを覚えたほうがいいね、アン」とマリラは不機嫌に言った。「ええ、確かに、そう言ったのを聞いたんだよ。それ以上のことは言っていない。まだ決まったわけじゃないし、結局ブルーエット夫人に引き取ってもらうことになるかもしれない。あの方のほうが、わたしよりずっとあんたを必要としているんだから。」

「あの人のところへ行くくらいなら、孤児院へ戻るほうがいいわ」とアンは激しく言った。「まるで――まるで錐きりみたいな人なんだもの。」

そんなことを言わせてはいけないと思い、マリラは笑いをかみ殺した。

「あんたのような小さい子が、初めて会った大人の女の方をそんなふうに言うなんて、恥ずかしいことだよ」と厳しく言った。「戻っておとなしく座り、口を閉じて、いい子らしくしていなさい。」

「ここに置いてくださるなら、どんなことでもするし、どんな子にでもなるように努めるわ」とアンは言い、おとなしく長椅子へ戻った。

その夕方、二人がグリーン・ゲイブルズへ帰り着くと、マシューが小道で出迎えた。マリラは遠くから、兄がうろうろ歩いているのに気づき、その理由を察していた。少なくともアンを連れ帰ったとわかったとき、兄の顔に浮かんだ安堵も予想どおりだった。だが、この件については、二人が納屋の裏庭で牛の乳を搾るまで、何も言わなかった。そこで初めて、アンの身の上と、スペンサー夫人との話し合いの結果を、手短に話した。

「あのブルーエットという女には、大事にしている犬一匹だって渡したくないね」とマシューは珍しく強い口調で言った。

「わたしも、あの人のやり方は好きじゃないよ」とマリラは認めた。「でも、あそこへやるか、うちで引き取るか、どちらかなんだ、マシュー。兄さんがほしがっているようだから、わたしも承知したと言っていいんだろうね。しなければならない、というのかもしれないけれど。あれこれ考えているうちに、なんだかその考えに慣れてきたよ。務めのようにも思えるんだ。子どもを育てたことなんて一度もないし、まして女の子はね。ひどい失敗をするかもしれない。けれど、できるかぎりのことはする。わたしとしてはね、マシュー、あの子を置いてもいいよ。」

マシューの内気な顔が、喜びに輝いた。

「そうさなあ、きっとそう考えてくれるだろうと思っていたよ、マリラ」と言った。「ほんとうに面白い子なんだから。」

「役に立つ子だと言えるほうが、よほど大事なんだけれどね」とマリラは言い返した。「でも、そうなるようにしつけるのは、わたしの仕事にするよ。いいかい、マシュー、わたしのやり方に口出ししてはいけないよ。年を取った独身女は子育てのことをあまり知らないかもしれないが、年を取った独身男よりは知っているはずだからね。あの子のことは、わたしに任せておくれ。わたしが失敗したら、そのとき口を挟めば十分だよ。」

「わかった、わかったよ、マリラ。おまえの好きなようにすればいい」とマシューは安心させるように言った。「ただ、甘やかさない範囲で、できるだけ優しく、親切にしてやっておくれ。あの子は、自分を好きになってもらいさえすれば、何でも言うことを聞かせられる、そういう子じゃないかと思うんだ。」

マリラは鼻を鳴らし、女性に関するマシューの意見への軽蔑を示すと、乳桶を持って乳製品室へ歩いていった。

「ここにいていいとは、今夜は言わないでおこう」と、牛乳を濾してクリーム分離用の容器へ注ぎながら考えた。「興奮して、一睡もできなくなるだろうからね。マリラ・カスバート、いよいよ引き受けてしまったよ。孤児の女の子を養女にする日が来るなんて、考えたことがあったかい? それだけでも十分驚きだけれど、その張本人がマシューだというのは、もっと驚きだよ。小さな女の子を、あれほど怖がっているように見えた人がね。とにかく、試してみると決めたんだ。何がどうなるかは、神様だけがご存じさ。」


第七章 アンのお祈り

その晩、アンを寝かせに二階へ連れていくと、マリラは堅い口調で言った。

「さて、アン。昨夜は服を脱ぐと、床じゅうへ放り散らかしていたね。あれは、とてもだらしない癖だよ。決して許さないからね。何でも脱いだらすぐに、きちんと畳んで椅子へ置きなさい。身の回りを整えられない女の子は、わたしはまったく好きじゃないんだ。」

「昨夜は、心があまりにかき乱されていて、服のことなんて全然考えなかったの」とアンは言った。「今夜はきれいに畳むわ。孤児院でも、いつもそうするように言われたのよ。でも、半分くらいは忘れてしまったわ。早く寝床へ入って、静かに気持ちよく想像をしたくて、急いでいたから。」

「ここにいるなら、もう少し忘れないようにしなければね」とマリラは諭した。「そう、それならいい。さあ、お祈りをして、寝なさい。」

「あたし、お祈りはしないの」とアンは言った。

マリラは、恐れと驚きを顔に浮かべた。

「まあ、アン、どういうことだい? お祈りをするように教わらなかったの? 神様はいつでも、小さな女の子がお祈りすることを望んでおいでだよ。神様がどなたか、知らないのかい、アン?」

「『神は霊にして、その存在、知恵、力、聖、義、善、まことにおいて、無限、永遠、不変であられる』」とアンは即座にすらすら答えた。

マリラは、少しほっとした顔になった。

「じゃあ、少しは知っているんだね。ありがたいことだよ。まるっきりの異教徒というわけじゃないんだ。どこで覚えたの?」

「ああ、孤児院の日曜学校よ。教理問答を全部覚えさせられたの。けっこう好きだったわ。言葉の中には、すばらしいものがあるんだもの。『無限、永遠、不変』。見事でしょう? 大きなオルガンを弾くみたいに、朗々と響くのよ。詩とは言えないんでしょうけれど、とてもよく似ているわね。」

「詩の話をしているんじゃないよ、アン。お祈りの話をしているんだ。毎晩お祈りをしないのは、ひどく悪いことだと知らないの? どうやら、あんたはたいそう悪い子らしいね。」

「赤毛だったら、いい子になるより悪い子になるほうが簡単だとわかるわ」とアンは恨めしそうに言った。「赤毛じゃない人は、苦労ってものを知らないのよ。トーマス夫人が、神様はわざとあたしの髪を赤くなさったんだと教えてくれたから、それ以来、神様を好きじゃなくなったの。それに、夜はいつもくたくたで、お祈りなんてする余裕はなかったわ。双子の世話をしなければならない人に、お祈りまで期待できないでしょう? ねえ、ほんとうに、できると思う?」

マリラは、アンの宗教教育をすぐに始めなければならないと決めた。どう見ても、一刻も無駄にはできなかった。

「わたしの家にいる間は、お祈りをしなければいけないよ、アン。」

「ええ、もちろん、そうお望みなら」とアンは明るく承知した。「あなたのお気に召すことなら、何でもするわ。でも、今度だけは何と言えばいいか教えていただかなくちゃ。寝床へ入ったら、いつでも使える、ほんとうにすてきなお祈りを想像してみるわ。考えてみると、なかなか面白そうね。」

「ひざまずくんだよ」とマリラは戸惑いながら言った。

アンはマリラの膝もとにひざまずき、真面目な顔で見上げた。

「どうしてお祈りするときには、ひざまずかなければならないの? あたしがほんとうにお祈りしたいと思ったら、どうするかお話しするわ。一人で大きな大きな野原へ出るか、深い深い森へ入って、空を見上げるの。高く、高く、高く、どこまでも青さが続いていそうな、あのすてきな青空を。それから、ただお祈りを感じるのよ。さあ、用意ができたわ。何と言えばいいの?」

マリラはますます戸惑った。子どもの定番の祈り、「いま床に就き、眠るとき」を教えるつもりだった。

だが、前にも述べたように、マリラにもユーモアのかすかな光があった。ユーモアとは、要するに、物事のふさわしさを感じ取る力の別名である。そして、母の膝もとで白い寝巻きの幼子がたどたどしく唱える、あの神聖で素朴な小さな祈りは、このそばかすの魔女のような女の子には、まったく向かないと、ふと思いついた。人間の愛情を通して神の愛を伝えられたことがないので、神の愛について何も知らず、関心も持っていない子なのだから。

「あんたはもう、自分でお祈りできる年だよ、アン」と、ようやく言った。「いただいている恵みに神様へ感謝して、ほしいものを謙虚にお願いすればいいんだよ。」

「じゃあ、精いっぱいやってみるわ」とアンは約束し、マリラの膝へ顔を埋めた。「慈悲深き天の父よ――牧師さんは教会でそうおっしゃるから、一人でするお祈りでもいいんでしょう?」と、ちょっと顔を上げて挟んだ。「慈悲深き天の父よ、歓喜の白い道と輝く湖水と、ボニーと雪の女王をありがとうございます。ほんとうに、たいへん感謝しています。今のところ、お礼を申し上げる恵みで思いつくのは、それだけです。ほしいもののほうは、あんまりたくさんあるので、全部並べると長い時間がかかりますから、いちばん大事な二つだけ申し上げます。どうかグリーン・ゲイブルズにいさせてください。それから、大人になったら美人にしてください。それでは、

「敬具 アン・シャーリー。

「ねえ、うまくできた?」と、立ち上がりながら熱心に尋ねた。「もう少し考える時間があれば、もっとずっと華やかにできたんだけれど。」

気の毒なマリラが完全に崩れ落ちずにすんだのは、この途方もない願いの原因が不敬ではなく、ただアンが信仰について何も知らないことにあるのだと思い出したからだった。明日こそ祈りを教えようと心に誓いながら、寝具を掛けてやり、明かりを持って部屋を出ようとしたとき、アンが呼び止めた。

「今、思いついたの。『敬具』の代わりに『アーメン』と言うべきだったのね? 牧師さんみたいに。忘れていたけれど、お祈りには何か結びが必要だと感じたから、あちらをつけたの。何か差し障りがあるかしら?」

「い、いいえ、ないだろうね」とマリラは言った。「さあ、いい子だから眠りなさい。おやすみ。」

「今夜は、心にやましいところなく、おやすみと言えるわ」とアンは言い、枕の間へ気持ちよさそうに潜りこんだ。

マリラは台所へ退き、ろうそくを食卓へしっかり置くと、マシューをにらみつけた。

「マシュー・カスバート、あの子は誰かが引き取って、ものを教えてやる時が、とっくに来ていたんだよ。まるで異教徒も同然じゃないか。今夜まで生まれて一度もお祈りをしたことがないなんて、信じられるかい? 明日、牧師館へ使いをやって、『日の出』シリーズを借りよう。そうするよ。それから、ふさわしい服ができしだい、日曜学校へも行かせる。これは手いっぱいになるね。まあ、まあ、この世は誰でも、自分の分の苦労なしでは通れないものだ。今まではかなり楽な暮らしをしてきたけれど、とうとうわたしの番が来たんだね。せいぜい最善を尽くすしかないんだろうよ。」


第八章 アンの教育が始まる

マリラが、グリーン・ゲイブルズにいてよいとアンへ告げたのは、翌日の午後になってからだった。その理由は、本人だけがよく知っていた。午前中はさまざまな仕事をさせ、働く様子を鋭い目で見守った。正午までには、アンが利発で素直で、仕事を嫌がらず、覚えも早いことがわかった。いちばん大きな欠点は、仕事の途中で白昼夢へ入りこみ、その仕事をすっかり忘れてしまうことらしかった。叱られたり、何か失敗を起こしたりして、はっと現実へ呼び戻されるまで、そのままなのである。

昼食の食器を洗い終えると、アンは突然マリラの前へ進み出た。どんな悪い結果でも聞こうと、必死に決意した者の顔つきと態度だった。小さなやせた体が頭から足まで震え、顔は紅潮し、目はほとんど黒く見えるほど大きくなっていた。両手を固く握り合わせ、すがるような声で言った。

「ああ、お願いです、カスバートさん。あたしを追い出すのかどうか、教えていただけない? 午前中ずっと辛抱しようとしたけれど、もうこれ以上、わからないままでは耐えられない気がするの。ほんとうに恐ろしい気持ちなのよ。どうか教えて。」

「言いつけたとおり、布巾をきれいな熱湯につけていないね」とマリラは動じず言った。「これ以上質問する前に、行ってそれをおやり、アン。」

アンは行って、布巾の始末をした。それからマリラのもとへ戻り、すがる目をその顔に据えた。

「さて」とマリラは言った。もう説明を延ばす口実が見つからなかった。「そろそろ話してもいいだろうね。マシューとわたしは、あんたを置くことに決めたよ。つまり、あんたがいい子になろうと努めて、感謝を示すならね。まあ、おまえ、いったいどうしたの?」

「泣いているの」とアンは、戸惑った声で言った。「どうしてか、わからないわ。これ以上ないほどうれしいのに。ああ、うれしいなんて言葉じゃ、全然足りないの。白い道や桜の花も、うれしかったけれど――これは! ああ、うれしい以上のことだわ。ほんとうに幸せなの。とてもいい子になるように努めるわ。きっと大変だと思うけれど。トーマス夫人には、どうしようもなく悪い子だと、よく言われたから。でも、精いっぱい努力するわ。だけど、どうして泣いているのか教えてくださる?」

「興奮して、気持ちが高ぶっているからだろうね」とマリラは、あまり感心しない様子で言った。「そこの椅子へ座って、落ち着くようにおし。あんたは泣くのも笑うのも、ずいぶんたやすくしすぎるようだね。そう、ここにいていいんだよ。わたしたちも、あんたにきちんとしてやるつもりだ。学校にも行かなければならないね。でも、休みまであと二週間しかないから、九月にまた始まるまでは、行くこともないだろう。」

「あなたを何とお呼びしたらいいの?」とアンは尋ねた。「いつもカスバートさんと言うの? マリラおばさんと呼んでもいい?」

「いいえ、ただマリラと呼べばいいよ。カスバートさんなんて呼ばれ慣れていないから、落ち着かなくなる。」

「ただマリラなんて、ひどく失礼に聞こえるわ」とアンは抗議した。

「丁寧に話すように気をつければ、失礼なことはないよ。アヴォンリーでは年寄りも若い者も、みんなわたしをマリラと呼ぶ。牧師さんだけは別だけれどね。あの方は、気がつけばカスバートさんとおっしゃるよ。」

「マリラおばさんと呼びたいわ」とアンは切なげに言った。「あたし、おばさんも、親類も、一人もいたことがないの。おばあさんさえ。そう呼べたら、ほんとうにあなたの家の子だって感じられると思うわ。マリラおばさんと呼んではいけない?」

「いけないよ。わたしはあんたのおばではないし、そうでないものをそう呼ぶのは、よいことではないと思うからね。」

「でも、あたしのおばさんだって想像できるわ。」

「わたしにはできないね」とマリラは厳しく言った。

「現実と違うふうに物事を想像することは、一度もないの?」アンは目を丸くして尋ねた。

「ないよ。」

「ああ!」

アンは長く息を吸った。「ああ、カスバートさ――マリラ、なんて損をしているの!」

「現実と違うふうに物事を想像するのは、よいことだと思わないね」とマリラは言い返した。「神様がわたしたちをある境遇へ置かれるのは、想像して、それをなかったことにしろという意味ではないんだよ。それで思い出した。アン、居間へ行って――足がきれいか確かめて、ハエを入れないようにね――暖炉の棚にある絵入りのカードを取っておいで。主の祈りが書いてあるから、今日の午後、暇な時間はそれを暗記することに使うんだよ。昨夜のようなお祈りは、もうなしにしよう。」

「きっと、とても不器用だったのね」とアンは申し訳なさそうに言った。「でも、練習したことが一度もなかったんですもの。初めてやってみる人に、とても上手なお祈りを期待するわけにはいかないでしょう? 約束したとおり、寝床へ入ってから、すばらしいお祈りを考えたのよ。牧師さんのと同じくらい長くて、とても詩的だったわ。でも、信じられる? 今朝起きたら、ひと言も覚えていなかったの。それに、あれほどよいものは、もう二度と思いつけない気がするわ。なぜか二度目に考えたものは、最初ほどよくないのよね。気づいたことある?」

「アン、あんたに気づいてもらいたいことがあるよ。わたしが何か言いつけたら、その場に突っ立って論じたりしないで、すぐに従っておくれ。さあ、行って言われたとおりにしなさい。」

アンはすぐに、廊下を隔てた居間へ出ていった。だが、帰ってこなかった。十分待つと、マリラは編み物を置き、厳しい顔であとを追った。アンは二つの窓の間の壁にかかった絵の前に、身じろぎもせず立っていた。目には夢の星が輝いていた。外のリンゴの木と、群がるつる草を透かした白と緑の光が、うっとりとした小さな姿に、この世離れした輝きを半ば帯びて降り注いでいた。

「アン、いったい何を考えているんだい?」マリラは鋭く尋ねた。

アンは、はっと現実へ戻った。

「あれよ」と言い、絵を指さした。それは『子どもたちを祝福するキリスト』という、かなり鮮やかな多色刷りの絵だった。「あたしも、あの子たちの一人だって想像していたの。青い服を着て、隅に一人で立っている、あの小さな女の子なのよ。あたしみたいに、誰の子でもないように見えるでしょう。寂しくて、悲しそうじゃない? きっと、自分のお父さんもお母さんもいないのね。でも、あの子も祝福していただきたくて、恥ずかしそうに、そっと人の輪の外へ近づいたの。誰にも気づかれませんようにと思いながら――あの方以外には。あたし、あの子の気持ちは、ほんとうによくわかるわ。きっと胸がどきどきして、手が冷たくなったのよ。ここにいてもいいかって、あなたに聞いたときのあたしみたいに。あの方が気づいてくださらないんじゃないかって、怖かったのね。でも、きっと気づいてくださったと思うわ。そうでしょう? 全部を想像してみようとしていたのよ。あの子が少しずつ近づいて、とうとうすぐそばまで行くの。すると、あの方があの子を見て、髪に手を置いてくださる。ああ、そのとき、どんなに喜びが体じゅうを駆け巡ったでしょう! でも、画家は、あの方をあんなに悲しそうに描かなければよかったのに。お気づきかもしれないけれど、どの絵でもそうでしょう。でも、ほんとうにあんなに悲しそうだったとは思えないの。あれでは子どもたちが怖がったはずだもの。」

「アン」とマリラは言った。なぜもっと早くこの話をさえぎらなかったのか、自分でも不思議だった。「そんなふうに話してはいけないよ。不敬だよ。まったく不敬なことだ。」

アンの目に驚きが浮かんだ。

「あら、あたしは、これ以上ないくらい敬虔な気持ちだったのよ。失礼なつもりは、ほんとうになかったわ。」

「まあ、そうだろうけれどね。でも、こういうことを、そんなになれなれしく話すのは、聞いていてよいものじゃないよ。それから、もう一つ、アン。何かを取りに行かせたら、すぐに持ってくるんだよ。絵の前でぼんやりしたり、想像したりしてはいけない。覚えておおき。そのカードを取って、すぐ台所へおいで。さあ、隅に座って、その祈りを暗記しなさい。」

アンは、昼食の食卓を飾るために持ってきたリンゴの花の水差しへ、カードを立てかけた。マリラはその飾りを横目で見ていたが、何も言わなかった。アンは両手で頬杖をつき、数分間、黙って一心に勉強した。

「これ、好きだわ」と、やがて言った。「美しいのね。前に聞いたことがあるわ。孤児院の日曜学校の校長先生が、一度唱えるのを聞いたの。でも、そのときは好きじゃなかった。ひどくひび割れた声で、あんまり悲しそうに祈るんだもの。お祈りを、いやな義務だと思っているに違いないと感じたわ。これは詩じゃないけれど、詩とまったく同じ気持ちにさせてくれるの。『天にましますわれらの父よ、願わくは御名をあがめさせたまえ』。音楽の一節みたいね。ああ、これを覚えさせようと思ってくださって、とてもうれしいわ、カスバートさ――マリラ。」

「なら、黙ってお覚え」とマリラはそっけなく言った。

アンはリンゴの花を入れた器を傾け、桃色の杯のようなつぼみに、そっと口づけした。それから、またしばらく熱心に勉強した。

「マリラ」と、やがて尋ねた。「あたしにも、いつかアヴォンリーで腹心の友ができると思う?」

「ふ、何だって、どんな友達?」

「腹心の友よ。とても親しい友達のこと。心の奥底まで打ち明けられる、ほんとうに魂の通い合う人。あたし、生まれてからずっと、そんな子に会うことを夢見てきたの。ほんとうに会えるとは思わなかったけれど、いちばんすてきな夢がこんなに一度にたくさんかなったんだから、この夢もかなうかもしれないわね。可能性はあると思う?」

「果樹園の丘にダイアナ・バリーという子が住んでいて、あんたと同じくらいの年だよ。とてもいい子だから、帰ってきたら遊び相手になるかもしれないね。今はカーモディのおばさんのところへ行っているんだ。でも、行儀には気をつけなければいけないよ。バリー夫人はとてもやかましい人だからね。感じのよい、行儀のよい子でなければ、ダイアナを遊ばせないんだ。」

アンはリンゴの花越しにマリラを見つめた。目は興味に輝いていた。

「ダイアナって、どんな子? 赤毛じゃないでしょう? ああ、そうでないといいな。自分が赤毛なだけでも十分つらいのに、腹心の友まで赤毛だったら、とても耐えられないわ。」

「ダイアナはとてもきれいな子だよ。髪も目も黒くて、頬はばら色だ。それに素直で利口なんだ。きれいなことより、そちらのほうが大事だよ。」

マリラは、『不思議の国のアリス』の公爵夫人と同じくらい教訓が好きだった。しつけている子どもへの言葉には、一つ残らず教訓をつけるべきだと固く信じていた。

だがアンは、その教訓を気にもせず脇へ払い、それより前にあった、楽しい可能性だけをつかまえた。

「ああ、きれいな子でうれしいわ。自分が美人であることの次には――あたしの場合、それは不可能だけれど――きれいな腹心の友を持つのがいちばんだもの。トーマス夫人のところにいたとき、居間にガラス戸のついた本棚があったの。本は一冊もなくて、いちばんいい陶器や砂糖煮を入れていたわ。砂糖煮を入れるだけの余裕があったときにはね。片方の戸は割れていたの。ある晩、トーマスさんが少々酔って、壊したのよ。でも、もう片方は無事で、あたしはそこに映る自分の姿を、中に住んでいる別の女の子だと思うことにしていたの。ケティ・モーリスと名づけて、とても仲よしだったわ。何時間も話しかけたものよ。特に日曜日にはね。何もかも打ち明けたわ。ケティは、あたしの人生の慰めで、心の支えだったの。あたしたち、本棚には魔法がかかっていて、その呪文さえわかれば、戸を開けて、トーマス夫人の砂糖煮や陶器の棚ではなく、ケティ・モーリスの部屋へ入れることにしていたのよ。そうしたらケティ・モーリスが、あたしの手を取って、花と日差しと妖精ばかりのすばらしいところへ連れていってくれて、それから二人はいつまでも幸せに暮らすはずだったわ。ハモンド夫人のところへ行くとき、ケティ・モーリスと別れるのは、胸が張り裂けそうだった。ケティもひどく悲しんでいたわ。確かよ。本棚の戸越しに別れのキスをしたとき、泣いていたんだもの。ハモンド夫人のところには本棚がなかったの。でも、家から少し川上へ行ったところに、細長い緑の小さな谷があって、そこにはとてもすてきなこだまが住んでいたわ。少しも大きな声で話さなくても、言ったことを全部繰り返してくれたの。それで、ヴィオレッタという女の子だと想像して、とても仲よしになったわ。ケティ・モーリスを愛したのと、ほとんど同じくらい愛していた。まったく同じではないけれど、ほとんど、ということよ。孤児院へ行く前の晩、ヴィオレッタにさよならを言ったら、ああ、ひどく、ひどく悲しい声で、さよならが返ってきたの。あまりに深く愛着を持っていたから、孤児院でまた腹心の友を想像する気にはなれなかったわ。たとえ想像の余地があったとしてもね。」

「余地がなくてよかったと思うよ」とマリラはそっけなく言った。「そういうことは感心しないね。自分の想像を、半ば信じているようじゃないか。ほんとうに生きている友達ができれば、そんなばかげたことも頭から抜けて、いいだろうよ。でも、ケティ・モーリスだのヴィオレッタだのの話を、バリー夫人に聞かせてはいけないよ。うそをつく子だと思われるから。」

「ええ、話さないわ。誰にでも話せることじゃないもの。あの子たちの思い出は、あまりに神聖だから。でも、あなたには知っていてほしいと思ったの。ああ、見て。大きな蜂が、リンゴの花から転げ落ちたわ。考えてみて、リンゴの花の中で暮らすなんて、なんてすてきなんでしょう! 風に揺られながら、その中で眠るところを想像してみて。人間の女の子でなかったら、蜂になって、花の間に住みたいわ。」

「昨日はカモメになりたがっていたね」とマリラは鼻を鳴らした。「まったく気の変わりやすい子だよ。おしゃべりをしないで、祈りを覚えなさいと言ったはずだ。けれど、聞いてくれる人がいると、口を止められないらしいね。だから、自分の部屋へ上がって覚えておいで。」

「あら、もうほとんど全部覚えたわ。最後の一行以外は全部。」

「いいから、言われたとおりにしなさい。部屋へ行って、最後までしっかり覚えるんだよ。お茶の支度を手伝いに呼ぶまで、そこにいなさい。」

「お相手に、リンゴの花を連れていってもいい?」アンは頼んだ。

「だめだよ。部屋を花でごちゃごちゃにするものじゃない。そもそも、木に咲かせておけばよかったんだ。」

「あたしも、少しそう感じたの」とアンは言った。「摘んで、あの美しい命を縮めてはいけない気がしたわ。あたしがリンゴの花だったら、摘まれたくないもの。でも、抗いがたい誘惑だったのよ。抗いがたい誘惑に出会ったとき、あなたはどうするの?」

「アン、部屋へ行きなさいと言ったのが聞こえなかったのかい?」

アンはため息をつき、東の切妻の部屋へ退いて、窓辺の椅子に腰を下ろした。

「さあ、お祈りは覚えたわ。最後の文句は、階段を上りながら覚えたの。今度はこの部屋にいろいろ想像して、ずっとそのままにしておこう。床には桃色のばらが一面に咲いた白いビロードの絨毯が敷いてあって、窓には桃色の絹のカーテン。壁には金銀の錦織りのつづれが掛かっているの。家具はマホガニーよ。マホガニーなんて見たことはないけれど、なんて豪華な響きかしら。これは長椅子で、桃色と青と深紅と金色の、豪華な絹のクッションが山ほど積んであり、あたしは優雅に横たわっているの。壁に掛かったすばらしい大鏡に、自分の姿が見えるわ。背が高くて、女王のようで、裾を引く白いレースのドレスを着て、胸には真珠の十字架、髪にも真珠を飾っているの。髪は真夜中の闇のように黒く、肌は澄んだ象牙色。名前はレディ・コーデリア・フィッツジェラルド。いいえ、違うわ。それだけは、ほんとうらしくできない。」

アンは踊るように小さな鏡へ近づき、のぞきこんだ。尖ったそばかすの顔と、真剣な灰色の目が、見つめ返した。

「あなたは、ただのグリーン・ゲイブルズのアンよ」と、まじめに言った。「レディ・コーデリアだって想像しようとするたびに、今そこに映っているとおりのあなたが見えるの。でも、どこの誰でもないアンより、グリーン・ゲイブルズのアンであるほうが、百万倍もすてきじゃない?」

身をかがめて、自分の姿へ愛情深く口づけすると、開いた窓へ向かった。

「大好きな雪の女王、ごきげんよう。谷の白樺さんたちも、ごきげんよう。丘の上の灰色のおうちも、ごきげんよう。ダイアナは、あたしの腹心の友になるかしら。そうなってほしいな。あたし、うんと大好きになるわ。でも、ケティ・モーリスとヴィオレッタを、すっかり忘れてはいけないの。忘れたら、あの子たちはひどく傷つくわ。あたし、誰の気持ちも傷つけたくないもの。たとえ小さな本棚の女の子や、小さなこだまの女の子でもね。忘れないように気をつけて、毎日キスを送らなければ。」

アンは指先から二つほど、桜の花の向こうへ軽い投げキスを送った。それから両手で頬杖をつき、白昼夢の海へ、心ゆくまで漂い出した。


第九章 レイチェル・リンド夫人、大いに憤慨する

アンがグリーン・ゲイブルズへ来て二週間たってから、ようやくリンド夫人が品定めに訪れた。公平に言えば、これはレイチェル夫人のせいではなかった。前にグリーン・ゲイブルズを訪れたあと、季節外れのひどいインフルエンザにかかり、この立派な婦人はずっと家に閉じこもっていたのだ。レイチェル夫人はめったに病気をせず、病気になる人々をはっきり軽蔑していた。だがインフルエンザは、この世のほかのどの病気とも違い、神が特にお下しになる試練の一つとしか考えられない、と断言していた。医者から外へ足を踏み出す許しが出るやいなや、グリーン・ゲイブルズへ急いだ。マシューとマリラの孤児を見たいという好奇心で、はち切れそうだった。その孤児については、アヴォンリーじゅうに、さまざまな話や憶測が広まっていたのである。

アンは、その二週間、起きている一刻一刻を有効に使った。もう、敷地の木や低木の一つ一つと知り合いになっていた。リンゴ園の下から小道が開け、帯状の林を抜けて上っていくことを発見した。そして、その道をいちばん奥まで探検した。小川と橋、モミの若木の茂み、山桜のアーチ、シダの密生する曲がり角、カエデとナナカマドの間へ分かれていく脇道と、すばらしい変化を一つ残らずたどったのだ。

谷の泉とも友達になった。深く澄んで、氷のように冷たい、あのすばらしい泉だ。周りには滑らかな赤い砂岩が置かれ、縁にはヤシの葉のような水辺のシダが、大きな株を作っていた。その向こうには、小川を渡す丸太橋があった。

その橋は、アンの踊る足を、向こうの木立に覆われた丘へ導いた。まっすぐなモミとトウヒが密生する下では、いつも薄明かりが支配していた。花といえば、無数の繊細な「六月の釣鐘花」――森の花の中でいちばん内気で、いちばん愛らしい花――と、昨年の花の精のような、淡くはかないツマトリソウが、少しあるだけだった。木々の間ではクモの糸が銀の糸のようにきらめき、モミの枝や房は、親しげに語りかけているようだった。

こうした喜びに満ちた探検の旅は、遊びを許された、端々の三十分を使って行われた。発見したことをアンが話し続けるので、マシューとマリラは耳が半分遠くなりそうだった。もちろん、マシューが文句を言ったわけではない。楽しげな笑みを顔に浮かべ、ひと言も言わずに、すべてを聞いた。マリラも「おしゃべり」を許していたが、自分があまり熱心に聞き始めたと気づくと、いつもすぐに、黙りなさいという短い命令で、アンの話を消し止めた。

レイチェル夫人が来たとき、アンは果樹園にいた。赤い夕日がまだらに差す、豊かに茂って揺れる草の中を、気の向くまま歩いていたのである。おかげで夫人は、自分の病気について十分話す機会を得た。痛みの一つ一つ、脈のひと打ちひと打ちを、いかにもうれしそうに描写したので、マリラは、インフルエンザにさえ埋め合わせの楽しみがあるのだと思った。細かな話が尽きると、レイチェル夫人は訪問の真の目的へ移った。

「あんたとマシューについて、ずいぶん驚くような話を聞いているよ。」

「わたし自身ほどは、驚いていないだろうと思うけれどね」とマリラは言った。「今では、わたしもだいぶ驚かなくなったよ。」

「あんな間違いがあったのは、気の毒だったね」とレイチェル夫人は同情した。「送り返せなかったのかい?」

「できたとは思うけれど、そうしないことにしたんだ。マシューがあの子を気に入ってね。それに、わたしも好きだと言わなければならないよ。欠点があることは認めるけれどね。もう家が別の場所のようだよ。ほんとうに利発な子なんだ。」

マリラは話し始めたときのつもりより、多くを語っていた。レイチェル夫人の顔に、不賛成の色を読み取ったからである。

「大変な責任を引き受けたものだね」と夫人は暗い調子で言った。「子どもの経験が一度もないとなれば、なおさらだよ。あの子のことも、ほんとうの気立ても、あまり知らないんだろうし、ああいう子がどんな大人になるか、見当もつかないものさ。でも、あんたをくじけさせたいわけじゃないんだよ、マリラ。」

「わたしはくじけていないよ」とマリラはそっけなく答えた。「何かをすると決めたら、その決心は変わらないんだ。アンに会いたいだろうね。呼んでこよう。」

まもなくアンが駆けこんできた。果樹園を歩いてきた喜びで、顔が輝いていた。だが思いがけず、知らない人がいることに気づいて気後れし、戸口の内側で、まごついて立ち止まった。確かに、風変わりな姿の子だった。孤児院から着てきた、短くて窮屈なウィンシーの服の下では、細い脚が不格好に長く見えた。そばかすは前より多く、目立っていた。帽子もかぶらずにいた髪は、風にかき乱され、あまりに鮮やかに乱れていた。今ほど赤く見えたことはなかった。

「まあ、顔を見て選ばれたんじゃないのは、はっきりしているね」と、レイチェル・リンド夫人は力をこめて評した。レイチェル夫人は、相手を恐れもせず、えこひいきもせず、思ったことを言うのを誇りとする、あの愉快で人気のある人々の一人だった。「ひどくやせっぽちで不器量な子だね、マリラ。こっちへおいで、よく見せておくれ。まあ、なんということだろう。こんなそばかすを見たことがあるかい? おまけにニンジンみたいに真っ赤な髪! こっちへおいでと言ってるんだよ。」

アンは「こっちへ来た」。ただし、レイチェル夫人の予想したとおりではなかった。ひと跳びに台所の床を横切り、夫人の前に立った。怒りで顔は真っ赤になり、唇は震え、細い体全体が、頭から足までわなわなしていた。

「大嫌い!」と、詰まる声で叫び、床を踏み鳴らした。「大嫌い――大嫌い――大嫌い――」嫌いと言うたびに、足音が大きくなった。「よくも、やせっぽちで醜いなんて言えたわね! よくも、そばかすだらけで赤毛だなんて言えたわね! あなたは無作法で、失礼で、思いやりのない女の人よ!」

「アン!」とマリラは仰天して叫んだ。

だがアンは少しもひるまず、レイチェル夫人をにらみ続けた。頭を上げ、目を燃やし、こぶしを握りしめ、激しい憤りが、空気のように全身から立ちのぼっていた。

「よくも、あたしのことをそんなふうに言えたわね!」と、激しく繰り返した。「自分がそんなことを言われたら、どう思うの? 太っていて、ぶざまで、きっと想像力のかけらもないんでしょうと言われたら、どう思うの? こう言って、あなたの気持ちを傷つけたって構わないわ! 傷つけばいいのよ。あなたは、これまで誰よりもひどく、あたしを傷つけたんだから。酔っぱらったトーマス夫人の旦那さんよりもひどく! 絶対に許さないわ。絶対、絶対に!」

どん! どん! 

「こんな癇癪持ちがいるものかね!」と、恐れをなしたレイチェル夫人は叫んだ。

「アン、自分の部屋へ行って、わたしが上がるまで、そこにいなさい」とマリラは、ようやく口をきく力を取り戻して言った。

アンは泣き出し、玄関の戸へ駆け寄ると、外のポーチの壁に掛かったブリキの器まで共鳴してがたがた鳴るほど、激しく閉めた。そして廊下を抜け、旋風のように階段を駆け上がった。上から、少しくぐもった戸の音がして、東の切妻の部屋の戸も同じ激しさで閉められたことがわかった。

「まあ、あれを育てる仕事は、うらやましくないね、マリラ」とレイチェル夫人は、何ともいえない厳粛な声で言った。

マリラは、何か謝罪か、とりなしの言葉を口にしようとしたが、自分でも何を言うのかわからなかった。そして実際に出た言葉は、そのときも、のちに思い返しても、自分自身を驚かせた。

「あの子の顔のことを、あんなふうに言うべきじゃなかったよ、レイチェル。」

「マリラ・カスバート、まさか、今見たような、あの恐ろしい癇癪をかばうつもりじゃないだろうね?」レイチェル夫人は憤然と問いただした。

「いいえ」とマリラはゆっくり答えた。「言い訳をしてやろうというんじゃない。ひどく悪いことをしたし、よく言い聞かせなければならないよ。でも、あの子の事情も考えてやらなければ。何が正しいか、教えられたことがないんだ。それに、あんたも、確かにあの子にきつすぎたよ、レイチェル。」

またも自分に驚きながらも、マリラは最後のひと言をつけ加えずにいられなかった。レイチェル夫人は、誇りを傷つけられた様子で立ち上がった。

「なるほど、これからは言うことに、ずいぶん気をつけなければならないらしいね、マリラ。どこの誰とも知れない孤児の、繊細なお気持ちを、何より先に考えなければならないんだから。いいえ、腹を立てているんじゃないよ。心配しないでおくれ。あんたが気の毒すぎて、怒る余地なんかないんだから。あの子には、これから苦労させられるよ。でも、わたしの忠告を聞くなら――十人育てて二人葬ったわたしの言うことでも、どうせ聞かないんだろうけれど――今言った『言い聞かせ』は、かなり太い白樺のむちでするんだね。ああいう子には、それがいちばんよく通じる言葉だと思うよ。気性も髪に負けていないんだね。では、おやすみ、マリラ。今までどおり、しょっちゅう遊びに来ておくれよ。でも、わたしのほうは、またすぐ来ると思わないでおくれ。あんなふうに食ってかかられ、侮辱されるかもしれないんじゃね。わたしには、こんな経験は初めてだよ。」

そう言ってレイチェル夫人は、颯爽と出ていった――いつもよたよた歩く太った女に、颯爽という言葉が使えるならばだが。マリラは、ひどく厳しい顔で、東の切妻の部屋へ向かった。

階段を上りながら、どうしたものかと落ち着かず考えた。さっきの一幕には、少なからずうろたえていた。よりにもよって、レイチェル・リンド夫人の前で、アンがあんな癇癪を起こすとは、なんという不運だろう! そのときマリラは、気まずい、自分を責める思いに不意に気づいた。アンの性質にあんな重大な欠点を見つけた悲しみよりも、それが夫人の前だったことへの恥ずかしさのほうが、強かったのである。さて、どう罰したらよいのだろう。白樺のむちという、あの親切な提案――その効き目については、レイチェル夫人の子どもたち全員が、痛みのこもる証言をしただろう――は、マリラには気が進まなかった。子どもを打てるとは思えなかった。いや、自分のしたことがどれほど悪いか、アンによくわからせるには、別の罰を見つけなければならない。

アンは寝台にうつぶせになり、激しく泣いていた。泥のついた靴が、きれいな寝台掛けに乗っていることなど、まるで忘れていた。

「アン」とマリラは、そう冷たくはなく呼んだ。

返事はなかった。

「アン」と、もっと厳しく呼んだ。「今すぐ寝台から下りて、わたしの話を聞きなさい。」

アンは身をよじって寝台を下り、その脇の椅子へ、こわばって座った。顔は腫れ、涙に濡れ、目は頑固に床へ据えられていた。

「ずいぶんな行儀のよさだね、アン! 自分が恥ずかしくないのかい?」

「あの人に、あたしを醜いだの赤毛だのと言う権利はなかったわ」とアンは、答えを避け、反抗的に言い返した。

「あんたにだって、あんなに怒って、あんな口をきく権利はなかったんだよ、アン。わたしは恥ずかしかった。本当に恥ずかしかったよ。リンド夫人に行儀よくしてほしかったのに、その代わりに恥をかかせたんだ。リンド夫人が赤毛で不器量だと言っただけで、どうしてあんなに腹を立てるのか、さっぱりわからないね。自分だって、しょっちゅうそう言っているじゃないか。」

「ああ、でも、自分で言うのと、人に言われるのとでは、全然違うのよ」とアンは泣き叫んだ。「ほんとうだとわかっていても、ほかの人はそれほどそう思っていないかもしれないと、どうしても望んでしまうもの。あたしをひどい癇癪持ちだと思うでしょうけれど、どうしようもなかったの。あの人がああ言ったら、何かがあたしの中からせり上がってきて、喉をふさいだのよ。食ってかからずにはいられなかったの。」

「まあ、ずいぶんな姿を見せたものだよ。リンド夫人には、あちこちで話す格好の話の種ができたね。きっと話して歩くよ。あんなにかっとなるなんて、ひどいことだったんだよ、アン。」

「目の前で、やせっぽちで醜いと言われたら、どんな気持ちがするか、ちょっと想像してみて」とアンは涙ながらに頼んだ。

マリラの前に、古い記憶が不意によみがえった。まだほんの幼いころ、叔母の一人が別の叔母に、「あんなに色が黒くて不器量な子で、かわいそうに」と言うのを聞いたことがあった。

その記憶の痛みが消えたのは、マリラが五十歳を迎えてからだった。

「リンド夫人があんたに言ったことを、まったく正しいと思っているわけではないよ、アン」と、少し柔らかい声で認めた。「レイチェルは遠慮がなさすぎる。でも、それはあんたがあんな振る舞いをしていい理由にはならないよ。初めて会う方で、年長の方で、わたしのお客だった。その三つのどれだけでも、敬意を払う十分な理由だよ。あんたは無作法で、生意気だった。それで――」マリラに、罰についてのありがたい思いつきがひらめいた。「あの方のところへ行って、腹を立てたことを心からすまなく思っていると言い、許しをお願いしなければならないよ。」

「そんなこと、絶対にできないわ」とアンは、暗く決然と言った。「どんな罰でも受けるわ、マリラ。蛇やヒキガエルのいる、暗くてじめじめした地下牢へ閉じこめて、パンと水だけで暮らさせても、文句は言わない。でも、リンド夫人に許してくださいとは言えないの。」

「うちには、人を暗くてじめじめした地下牢へ閉じこめる習慣はないよ」とマリラはそっけなく言った。「だいいち、アヴォンリーには、そんなものはめったにないからね。でも、リンド夫人には謝ってもらう。必ずだよ。そうする気になったと言えるまでは、この部屋にいなさい。」

「じゃあ、永遠にここにいなければならないわ」とアンは悲しげに言った。「あんなことを言ってすまなかったなんて、リンド夫人には言えないもの。どうして言える? すまないと思っていないのよ。あなたを困らせたことは悪かったと思う。でも、あの人にああ言ったことは、よかったと思っているの。とてもすっきりしたわ。すまないと思っていないのに、すまないとは言えないでしょう? すまないと思っているって、想像することさえできないのよ。」

「朝になれば、想像力ももう少しよく働くかもしれないね」とマリラは、出ていこうと立ち上がった。「ひと晩、自分の行いを考えて、もっとまともな気持ちになる時間があるよ。グリーン・ゲイブルズに置いてやるなら、とてもいい子になるよう努力すると言ったね。でも今夜は、そうしていたとは、とても思えないよ。」

退き際の矢をこうして放ち、アンの荒れる胸に突き刺したまま、マリラは台所へ下りた。心はひどく乱れ、気持ちはいらだっていた。アンに腹を立てているのと同じくらい、自分にも腹が立っていた。レイチェル夫人の、あっけにとられた顔を思い出すたびに、口元が面白そうにぴくりと動き、笑い出したいという、このうえなくけしからぬ気持ちが起きたからだった。


第十章 アンの謝罪

その晩、マリラは一件をマシューに何も話さなかった。だが、翌朝になってもアンが強情を張りつづけるので、朝食の席に姿を見せないわけを説明せざるをえなくなった。マリラは事の次第をすべて話し、アンのふるまいがどれほどひどいものだったか、マシューにも十分わからせようと努めた。

「レイチェル・リンドも、一度くらいはやりこめられてよかったんだよ。お節介な噂好きのばあさんだからね」と、マシューはなだめるつもりで答えた。

「マシュー・カスバート、あきれたもんだね。アンのしたことがとんでもないことだとわかっていながら、あの子の肩を持つのかい! そのうち罰なんか与えるなと言いだすんだろうね!」

「いや、その――そうじゃない――そういうわけじゃないさ」と、マシューは落ち着かない様子で言った。「少しは罰を受けてもしかたがないと思うよ。でも、あんまりきつくしないでおくれ、マリラ。あの子には、正しいことを教えてくれる人が、これまで一人もいなかったんだから。食べ物は――食べ物は、やるんだろうね?」

「私が誰かを飢えさせて、行儀をよくさせたことがあるかい?」と、マリラは憤然と言った。「食事はちゃんと食べさせるよ。私が自分で運んでいくさ。でも、リンド夫人に謝る気になるまでは、あの部屋から出しません。これはもう決めたことだよ、マシュー。」

朝食も昼食も夕食も、ひっそり静まり返った食事になった。アンはまだ意地を張りとおしていたのだ。食事がすむたび、マリラはたっぷり食べ物をのせた盆を東の切妻きりづまの部屋へ運び、しばらくして、ほとんど減っていない盆を持ちおりてきた。夕食の盆が下りてきたとき、マシューは心配そうに目をやった。アンは何か少しでも食べたのだろうか。

その夕方、マリラが裏の牧草地へ牛を連れにもどったとき、納屋のあたりをうろうろして様子をうかがっていたマシューは、泥棒のように家へ忍びこみ、そっと階段を上がった。ふだんのマシューの行動範囲は、台所と、玄関の廊下に続く小さな寝室のあいだにほぼ限られていた。牧師がお茶に来たときだけ、たまに居心地悪そうに客間か居間へ足を踏みいれるくらいだった。自分の家の二階だというのに、最後に上がったのは客用寝室の壁紙を貼るマリラを手伝った春で、それも四年前のことだった。

廊下をつま先立ちで進み、東の切妻の部屋の前で数分間立ちつくしてから、ようやく勇気を出して指で戸を軽くたたき、そっと開けて中をのぞいた。

アンは窓辺の黄色い椅子に座り、悲しげに庭を眺めていた。ひどく小さく、不幸そうに見えて、マシューは胸が痛んだ。静かに戸を閉め、足音を忍ばせて近づいた。

「アン」と、誰かに聞かれるのを恐れるように、声をひそめて言った。「どうしてるね、アン?」

アンは力なくほほえんだ。

「まあまあよ。たくさん想像していると、時間がたつの。もちろん、ちょっと寂しいけど。でも、それにも慣れておいたほうがいいんでしょうね。」

アンはまたほほえんだ。これから何年も続く孤独な監禁生活を、勇敢に受けとめているのだった。

マリラが早くもどってくるかもしれない。言いにきたことを、ぐずぐずせずに言わなくては、とマシューは思いだした。「あのね、アン、もうやってしまったほうがいいんじゃないかね」とささやいた。「遅かれ早かれ、しなければならないんだからね。マリラは、ひどく決めたことを曲げない人なんだ――本当に曲げないんだよ、アン。すぐにすませて、終わりにしてしまいなさい。」

「リンド夫人に謝るってこと?」

「そう、謝る――そういうことだよ」と、マシューはほっとしたように言った。「まあ、丸くおさめるんだね。わしが言いたかったのは、それなんだ。」

「マシューのためなら、できると思うわ」と、アンは考えながら言った。「悪かったと言っても嘘にはならないの。今は本当に悪かったと思っているんだもの。昨夜は少しも思わなかった。頭のてっぺんから足の先まで腹が立って、一晩じゅうそのままだったのよ。そう言いきれるのは、三度目を覚まして、そのたびにかんかんだったから。でも、朝にはおさまっていたの。もう怒っていなくて――そのかわり、何だかすっかり力が抜けてしまった。自分がとても恥ずかしかったわ。でも、リンド夫人のところへ行って、それを言うなんて、とてもできないと思ったの。あんまり屈辱的だもの。そんなことをするくらいなら、いつまでもここに閉じこもっていようと決めたのよ。でもね――マシューのためなら、なんでもするわ――本当にそうしてほしいのなら――」

「うん、もちろん、そうしてほしいよ。おまえがいないと下はひどく寂しいんだ。行って、仲直りしておいで――いい子だから。」

「わかったわ」と、アンは観念して言った。「マリラが帰ったらすぐ、悔い改めたって言うわ。」

「そうか――それがいい、アン。ただ、わしが何か言ったことは、マリラには話さないでおくれ。口出ししたと思うかもしれないからね。口出ししないと約束してあるんだ。」

「荒馬に引きずられたって、この秘密は漏らさないわ」と、アンは厳かに約束した。「でも、荒馬が人から秘密を引っぱり出すって、いったいどうやるのかしら?」

だがマシューは、自分の成功におびえたように、もう出ていっていた。何をしていたのかマリラに勘づかれないよう、馬の牧草地のいちばん遠い隅へ急いで逃げた。いっぽう、家にもどったマリラは、階段の手すり越しに「マリラ」と呼ぶ哀れっぽい声を聞いて、うれしい驚きを覚えた。

「なんだい?」と、廊下へ出ながら言った。

「かんしゃくを起こして失礼なことを言って、ごめんなさい。リンド夫人にも、そう言いにいくわ。」

「よろしい。」

きっぱりした口調に、安堵の色はみじんも出さなかった。アンが折れなかったら、いったいどうすればよいのかと考えていたのだ。「乳しぼりがすんだら、連れていくよ。」

こうして乳しぼりがすむと、マリラとアンは小道を下っていった。マリラは背筋を伸ばし、勝ち誇った足どりで、アンはうなだれ、しょんぼりと。ところが途中まで行くと、アンの沈んだ様子は魔法のように消えた。顔を上げ、夕焼け空に目を向け、ひそやかな喜びを身にまとって、軽い足どりで歩きだした。マリラはその変化が気に入らなかった。気分を害したリンド夫人の前へ連れていくには、もっとおとなしく悔い入っているべきではないか。

「何を考えているんだい、アン?」と、きつく尋ねた。

「リンド夫人に何を言えばいいか、想像しているの」と、アンは夢見るように答えた。

それなら申し分ない――そのはずだった。だがマリラは、罰の与え方がどこかで狂ってしまったような気がしてならなかった。アンがこんなにうっとりと、晴れやかな顔をしていてよいはずがない。

アンのうっとりした晴れやかな表情は、台所の窓辺で編み物をしているリンド夫人の前へ出るまで続いた。だがそこで、輝きは消えた。顔の隅々に、悲しげな悔恨の色が浮かんだ。誰も一言も口を開かないうちに、アンは突然、驚くレイチェル夫人の前にひざまずき、懇願するように両手を差し出した。

「ああ、リンド夫人、本当に、本当に申しわけありませんでした」と、声を震わせて言った。「この悲しみは、とても言葉では言いつくせません。辞書一冊の言葉を全部使っても、無理なんです。どうか想像なさってください。あたしは、あなたにひどいことをしました――それに、男の子でもないあたしをグリーン・ゲイブルズに置いてくださった、大切なお友達のマシューとマリラにも、恥をかかせてしまいました。あたしは、とても悪い、恩知らずの女の子です。罰を受けて、立派な人たちから永久に追い出されてもしかたありません。本当のことを言われてかんしゃくを起こすなんて、とても悪いことでした。本当のことだったんです。おっしゃったことは、一言残らず本当でした。あたしの髪は赤くて、そばかすだらけで、やせっぽちで、醜いんです。あたしがあなたに言ったことも本当でしたけど、口にしてはいけなかったんです。ああ、リンド夫人、どうか、どうか許してください。許してくださらなければ、かわいそうな小さな孤児の一生の悲しみになります。どんなにかんしゃく持ちでも、そんな悲しみを背負わせたりなさらないでしょう? ええ、きっとなさらないわ。どうか許すと言ってください、リンド夫人。」

アンは両手を組み、頭を垂れて、裁きの言葉を待った。

その誠意は疑いようもなかった。声のひと節ひと節に息づいていた。マリラにもリンド夫人にも、そのまぎれもない響きはわかった。だがマリラは、アンがこの屈辱の谷を実は楽しんでいるのだと悟り、うろたえた。徹底して身を低くすることに、酔っているのだ。これこそためになる罰だと自負していたのに、それはどこへ行ったのだろう。アンは罰を、まぎれもない楽しみの一種に変えてしまった。

善良なリンド夫人は、洞察力がありすぎて困るという人ではなかったので、そこまでは見抜かなかった。アンがこのうえなく念入りに謝ったとだけ受けとめ、多少お節介ではあっても情け深い心からは、恨みがすっかり消えていた。

「さあさあ、お立ちなさい」と、快活に言った。「もちろん許しますよ。私もちょっと言いすぎたんだろうね。なにしろ、思ったことをずけずけ言うたちなんだよ。いちいち気にしちゃいけないよ、まったく。髪がひどく赤いのは、たしかにそうだけどね、昔知っていた女の子に――実は学校がいっしょだったんだが――小さいころは、あんたとまったく同じくらい髪の赤い子がいたよ。それが大きくなると、色が濃くなって、ほんとにきれいな赤褐色になったのさ。あんたの髪だってそうなっても、私は少しも驚かないよ――少しもね。」

「ああ、リンド夫人!」

アンは大きく息を吸って立ち上がった。「あたしに希望をくださったんですね。これからずっと、ご恩人だと思います。ああ、大きくなったら髪がきれいな赤褐色になると思えさえしたら、どんなことでも我慢できるわ。髪がきれいな赤褐色だったら、いい子になるのもずっと楽でしょうね。そうお思いになりません? それで、マリラとお話しなさっているあいだ、お庭へ出て、りんごの木の下のベンチに座っていてもいいですか? あそこは想像を広げる余地が、ずっとたくさんあるんです。」

「まあ、いいとも。行っておいで。好きなら、隅に咲いている白い六月ユリも、花束に摘んでいいよ。」

アンのあとで戸が閉まると、リンド夫人はきびきびと立ち上がり、ランプに火をともした。

「ほんとに変わった子だねえ。マリラ、こっちの椅子へお掛けなさいよ。その椅子より楽だから。そっちは雇いの男の子に座らせるだけのものなんだ。ええ、たしかに変わっているけど、やっぱりどこか人を引きつけるところがあるね。あんたとマシューがあの子を置くことにしたのも、前ほど不思議じゃなくなったよ。お気の毒だとも、それほど思わなくなった。ちゃんとした子になるかもしれないね。もちろん、ものの言い方は妙だけど――ちょっと、なんていうか、調子が強すぎるというのかね。でも、きちんとした人たちの中で暮らすようになったんだから、そのうち直るだろう。それに、かなり短気らしいね。でも一つ安心なのは、かっとなって、さっと冷める子は、陰険だったり、人をだましたりはしないってことさ。陰でこそこそする子だけは、私はごめんだよ、まったく。総じて言えば、マリラ、私はあの子がわりに気に入ったよ。」

マリラが帰るころ、アンは香り漂う果樹園の薄闇から、白い水仙をひと抱え手にして現れた。

「とても上手に謝れたでしょう?」と、小道を下りながら得意げに言った。「どうせ謝らなくちゃならないのなら、徹底的にやろうと思ったの。」

「徹底的だったことは、たしかだね」と、マリラは答えた。思い返すと笑いそうになる自分に、マリラはうろたえた。あまり上手に謝ったから叱るべきだ、という妙に落ち着かない気もしたが、それでは馬鹿げている。そこで良心との折り合いをつけ、厳しく言った。

「これからは、あんな謝り方を何度もしなくてすむようにしておくれ。かんしゃくを抑えるよう、努力するんだよ、アン。」

「みんながあたしの顔や髪をからかわなければ、それほど難しくないんだけど」と、アンはため息をついた。「ほかのことでは怒らないのよ。でも髪のことでからかわれるのは、もううんざりなの。そうされると、怒りが煮えたぎって噴きこぼれてしまうのよ。あたしが大きくなったら、本当に髪がきれいな赤褐色になると思う?」

「見かけばかり、そんなに気にするものじゃありません、アン。おまえはずいぶん虚栄心の強い子らしいね。」

「自分が器量よしじゃないとわかっているのに、どうしてうぬぼれられるの?」と、アンは抗議した。「あたし、きれいなものが好きなの。だから鏡をのぞいて、きれいじゃないものを見るのは嫌い。とても悲しくなるんだもの――ほかの醜いものを見るときと、同じ気持ちよ。きれいじゃないのが、かわいそうになるの。」

「美しい行いこそ、人を美しくするんだよ」と、マリラはことわざを引いた。「それ、前にも言われたけど、本当かどうか疑わしいわ」と、アンは水仙に鼻を寄せながら、疑り深く言った。「ああ、なんていい香り! リンド夫人、これをくださるなんて親切ね。もうリンド夫人を恨んではいないの。謝って許してもらうと、素敵な、ほっとした気持ちになるものね。今夜は星が明るいわねえ。星に住めるとしたら、どれを選ぶ? あたしは、あの暗い丘のずうっと上にある、大きくて澄んだ、きれいな星がいいわ。」

「アン、どうか少し黙っておくれ」と、マリラは言った。くるくる飛びまわるアンの考えについていこうとして、すっかり疲れきっていた。

自分たちの家へ続く小道へ曲がるまで、アンは口をきかなかった。露にぬれた若いシダのすっとする香りをのせて、旅するような小風が、道を下って二人を迎えにきた。はるか先の闇では、グリーン・ゲイブルズの台所から、木々を透かして明るい光がこぼれていた。アンはふいにマリラに寄り添い、その働きづめの硬い手のひらへ、自分の手を滑りこませた。

「自分のおうちだとわかっているところへ帰るって、素敵ね」と言った。「もうグリーン・ゲイブルズが大好きなの。前にはどんな場所も好きになったことがなかった。どこも、自分のおうちとは思えなかったの。ああ、マリラ、あたし、とても幸せ。今ならすぐお祈りできるわ。少しも難しくないの。」

その小さなやせた手に触れられて、マリラの心に、温かく心地よいものが湧き上がった。これまで知らずにきた母性の鼓動だったのかもしれない。あまりに不慣れで、あまりに甘やかな感覚に、マリラは落ち着かなくなった。急いで教訓を説き、いつもの平静を取りもどそうとした。

「いい子にしていれば、いつでも幸せでいられるんだよ、アン。それに、お祈りを唱えるのを難しいなんて思っちゃいけません。」

「お祈りを唱えるのと、お祈りするのは、まったく同じことじゃないわ」と、アンは考え深げに言った。「でも、今からあたし、あの木のてっぺんを吹いている風になったつもりでいるの。木に飽きたら、ここのシダの中をそよそよ渡って――それからリンド夫人の庭へ飛んでいって、お花を踊らせるわ――それから、ひと息にクローバー畑をひゅうっと越えて――それから輝く湖水の上を吹いて、きらきらする小さな波でいっぱいにするの。ああ、風には、なんてたくさん想像を広げる余地があるのかしら! だから、しばらくもうお話ししないわ、マリラ。」

「ありがたいことだよ」と、マリラは心の底からほっとしてつぶやいた。


第十一章 アンの日曜学校の感想

「さて、どうだい、気に入ったかい?」と、マリラは言った。

アンは切妻の部屋に立ち、ベッドに広げられた三着の新しい服を、真剣な顔で見つめていた。一着は、去年の夏、丈夫そうなのにつられてマリラが行商人から買った、嗅ぎたばこ色のギンガムだった。一着は冬に特売台で見つけた、白黒の格子柄のサテン地。もう一着は、その週にカーモディの店で買った、ごわごわした、冴えない青のプリント地だった。

マリラが自分で仕立てたもので、三着とも同じ形だった。飾りけのない身頃に、同じく簡素なスカートを細かく寄せて縫いつけ、袖も身頃やスカートに劣らず簡素で、これ以上は無理というほど細く、ぴったりしていた。

「気に入ったつもりで想像するわ」と、アンはまじめに言った。

「想像してもらいたいわけじゃないよ」と、マリラは気を悪くした。「ああ、気に入らないのは、見ればわかるさ! どこが悪いんだい? きちんとしていて、清潔で、新しいじゃないか。」

「ええ。」

「じゃあ、なぜ気に入らないの?」

「だって――その――きれいじゃないんだもの」と、アンは言いにくそうに答えた。

「きれい!」

マリラは鼻を鳴らした。「きれいな服を作ってやろうなんて、考えもしなかったよ。はっきり言っておくけれど、虚栄心を甘やかすつもりはありません、アン。これはどれも、ひらひらした飾りなんかついていない、ちゃんとした、実用的で丈夫な服だよ。今年の夏はこれだけです。茶色のギンガムと青いプリントは、学校へ行くようになったら着ればいい。サテン地のは教会と日曜学校用だよ。きれいに、きちんと着て、破かないようにするんだね。これまで着ていた窮屈なウィンシー[訳注:羊毛と綿などの交織物]の服に比べれば、どんな服でもありがたいはずだと思うけどね。」

「ああ、感謝しているわ」と、アンは抗議した。「でも、もし――もし一着だけでも袖をふくらませてくれたら、もっともっと感謝できたんだけど。今、ふくらんだ袖がとても流行しているのよ。そんな袖の服を着るだけで、胸がわくわくするわ、マリラ。」

「それなら、わくわくするのは我慢するんだね。袖をふくらませるために無駄にする布なんてなかったよ。それに、あんな袖は見た目もおかしいと思うね。私は飾りのない、実用的なのが好きなんだよ。」

「でもあたしは、たった一人で地味で実用的に見えるより、みんなといっしょにおかしく見えるほうがいいわ」と、アンは悲しげに言い張った。

「おまえなら、そう言うだろうね! さあ、その服をきちんと戸棚につるして、それから日曜学校の勉強をしなさい。ベルさんから、おまえの四半期用の教本をもらってきたからね。明日は日曜学校へ行くんだよ」と言って、マリラはたいそう腹を立てながら階下へ消えた。

アンは両手を組み、服を眺めた。

「ふくらんだ袖の白い服が一着あればいいと、ほんとに思っていたのに」と、力なくささやいた。「お祈りもしたけれど、だからといって、あまり期待はしていなかったわ。神様が、小さな孤児の服にまで気を配る暇をお持ちだとは思わなかったもの。頼りになるのはマリラだけだと、わかっていたの。まあ、幸い、どれか一着を雪のように白いモスリンで、きれいなレースのひだ飾りと、三段にふくらんだ袖がついていると想像することはできるわ。」

翌朝、マリラは吐き気のする頭痛が起こりそうだったので、アンといっしょに日曜学校へ行けなかった。

「リンド夫人のところへ寄っていくんだよ、アン」と言った。「どの組へ入ればいいか、教えてくださるからね。いいかい、お行儀よくするんだよ。そのあとの礼拝にも出て、うちの席をリンド夫人に教えてもらいなさい。ほら、献金の一セント。人をじろじろ見たり、もじもじしたりするんじゃありません。帰ったら、説教の聖句を聞かせてもらうからね。」

アンは非の打ちどころのない姿で出かけた。ごわごわした白黒のサテン地の服は、丈もまともで、布をけちったとは決して言えないものだったが、やせた体の角という角、骨張ったところを、ことごとく際立たせていた。帽子は新品の、小さくて平たい、つやのある水兵帽だった。ひそかにリボンや花を夢見ていたアンには、このうえない地味さもまた、大きな失望だった。とはいえ花のほうは、大通りへ出るまでに手に入った。小道を半分ほど下ったところで、風に揺れ狂う金色のキンポウゲと、見事な野ばらに出会ったアンは、すぐさまたっぷり摘み、重たげな花輪にして帽子を飾ったのだ。その出来ばえをほかの人がどう思おうと、アンは満足だった。桃色と黄色に飾られた赤い頭を誇らかに上げ、陽気な足どりで道を進んだ。

リンド夫人の家へ着くと、夫人はもう出かけていた。アンは少しもひるまず、一人で教会へ向かった。入口のポーチには女の子たちが集まっていた。みな白や青や桃色で、それぞれに華やかに着飾り、奇妙な頭飾りをつけた見知らぬ子が仲間入りするのを、好奇心に満ちた目で眺めた。アヴォンリーの女の子たちは、すでにアンの妙な噂を聞いていた。リンド夫人は、ひどいかんしゃく持ちだと言っていたし、グリーン・ゲイブルズの雇いの少年ジェリー・ブオートは、気の変な子みたいに、いつも独り言を言ったり、木や花に話しかけたりしていると言っていた。女の子たちはアンを見て、教本の陰でひそひそ話した。そのときも、始まりの礼拝がすんでアンがミス・ロジャーソンの組に入ってからも、親しく声をかけてくれる子はいなかった。

ミス・ロジャーソンは、二十年間、日曜学校の一クラスを受け持ってきた中年の婦人だった。教え方は、教本に印刷された質問を読み上げ、その問いに答えるべきだと見定めた女の子を、本の上から厳しく見つめるというものだった。アンは何度も見つめられ、マリラに仕込まれていたおかげで、すぐさま答えた。ただ、質問も答えも、どれほど理解していたかは疑わしい。

アンはミス・ロジャーソンを好きになれそうにないと思い、ひどくみじめな気持ちになった。クラスのほかの女の子は、みんなふくらんだ袖をつけていた。ふくらんだ袖がなければ、人生などまるで生きる値打ちがない、とアンは思った。

「さて、日曜学校はどうだった?」

アンが帰ると、マリラは尋ねた。花輪はしおれてしまい、アンは小道で捨ててきたので、マリラはひとまず、そのことを知らずにすんだ。

「少しもよくなかった。ひどかったわ。」

「アン・シャーリー!」と、マリラはたしなめた。

アンは深いため息をついて揺り椅子に座り、ボニーの葉を一枚とって口づけし、花盛りのフクシアへ手を振った。

「あたしがいないあいだ、寂しかったかもしれないでしょう」と説明した。「それで、日曜学校のことね。言われたとおり、いい子にしていたわ。リンド夫人はもういなかったけど、あたしはそのまま一人で行ったの。大勢の女の子と教会に入って、始まりのお祈りのあいだは、窓のそばの長椅子の端に座っていたわ。ベルさんのお祈りは、ものすごく長かった。窓のそばにいなかったら、終わるずっと前に、くたくたになっていたと思う。でも、ちょうど輝く湖水が見えたから、それを眺めながら、素敵なことをいろいろ想像していたの。」

「そんなことをしてはいけません。ベルさんの言うことを聞いているべきだったんだよ。」

「でも、あたしに話していたんじゃないわ」と、アンは抗議した。「神様にお話ししていたのよ。それに、ご自分でもあまり興味がなさそうだった。神様が遠くにいらっしゃりすぎると思っていたんじゃないかしら。湖に白樺の並木が長く張り出していて、木々のあいだから日差しが、水のずうっと、ずうっと深いところまで差しこんでいたの。ああ、マリラ、きれいな夢みたいだったわ! 胸がわくわくして、『神様、ありがとうございます』って二、三度言ったのよ。」

「声に出してじゃないだろうね」と、マリラは心配そうに言った。

「ええ、ほんの小声で。それで、ベルさんがやっとお祈りを終えると、ミス・ロジャーソンの組といっしょに教室へ行くように言われたの。女の子は、あたしのほかに九人いたわ。みんな袖がふくらんでいた。あたしのもふくらんでいるつもりになろうとしたけど、できなかったの。どうしてかしら? 東の切妻の部屋に一人でいるときは、いとも簡単に想像できたのに、本物のふくらんだ袖をつけた子たちの中では、ものすごく難しかったわ。」

「日曜学校で、自分の袖のことなど考えていてはいけません。勉強に身を入れるべきだったんだよ。ちゃんと覚えていったんだろうね。」

「ええ、もちろん。質問にも、たくさん答えたわ。ミス・ロジャーソンは、とてもたくさん質問したの。あの先生ばかり質問するなんて、不公平だと思うわ。あたしだって聞きたいことが山ほどあったけど、気の合う人とは思えなかったから、聞く気になれなかったの。それから、ほかの女の子たちはみんな、聖句の讃歌[訳注:聖書の一節を韻文にした歌]を暗唱したの。あたしも何か知っているかと聞かれたから、知らないけど、お望みなら『主人の墓に眠る犬』を暗唱できますと言ったわ。『ロイヤル読本』の第三巻にあるのよ。本当の宗教詩ではないけど、とても悲しくて、もの寂しいから、宗教詩みたいなものだと思う。でも、それはだめだとおっしゃって、次の日曜日までに第十九番の讃歌を覚えてくるように言われたの。あとで教会で読んだら、とても素晴らしかったわ。とくにこの二行は、胸がぞくぞくするの。

「『ミディアンの災いの日、
討たれし軍勢の倒れるがごとく、たちまちに』。」

「『軍勢』が何かは知らないし、
『ミディアン』もわからないけれど、なんて悲劇的な響きなのかしら。次の
日曜日に暗唱するのが、待ちきれないくらい。一週間ずっと練習するわ。
日曜学校が終わると、リンド夫人はあまり遠くにいたから、
ミス・ロジャーソンに、うちの席を教えてもらったの。あたし、できるだけ
じっと座っていたわ。聖句は『ヨハネの黙示録』第三章の二節と三節だった。とても長い聖句よ。
あたしが牧師だったら、短くて歯切れのいいのを選ぶわ。説教も
ものすごく長かったの。聖句に長さを合わせなければならなかったのね。
少しも面白いとは思わなかったわ。あの牧師さんの困るところは、
想像力が足りないことらしいの。だから、あまり
聞いていなかった。考えを自由に飛ばして、それはそれは驚くようなことを
いろいろ考えていたわ。」

こんな話はすべて厳しく叱るべきだ、とマリラは思ったが、どうにもできなかった。アンの言ったこと、とくに牧師の説教やベル氏の祈りについては、マリラ自身が長年、心の底で思いながら、一度も口にしなかったことと同じだったという、否定しようのない事実に妨げられたのだ。ひそかに胸にしまい、言葉にしなかった批判的な思いが、ろくに世話もされずに育った、この遠慮のない小さな人間の姿を借り、急に目に見える形となって、自分を責めているような気さえした。


第十二章 厳かな誓いと約束

花輪をつけた帽子の話がマリラの耳に入ったのは、ようやく次の金曜日になってからだった。リンド夫人の家から帰ると、マリラはアンを呼んで問いただした。

「アン、レイチェル夫人が言うには、おまえは先週の日曜日、帽子をばらとキンポウゲでおかしなふうに飾り立てて、教会へ行ったそうだね。いったい何を考えて、そんなまねをしたんだい? さぞ見ものだったろうね!」

「ああ、桃色と黄色があたしに似合わないことは、わかっているの」と、アンは言いかけた。

「似合うも似合わないもないよ! どんな色だろうと、帽子に花をつけたことそのものがおかしいんです。おまえほど人をいらいらさせる子はないね!」

「服につけるのはよくて、帽子につけるとおかしいなんて、どうしてなのかわからないわ」と、アンは抗議した。「服に花束を留めている女の子は、たくさんいたのよ。どこが違うの?」

マリラは、確かな具体的事実の足場から、あやふやな抽象論の道へ誘いこまれるつもりはなかった。

「そんなふうに口答えするんじゃありません、アン。あんなことをするのは、とても愚かだったんだよ。二度とそんなまねをするんじゃないよ。レイチェル夫人は、おまえがあんな格好で入ってくるのを見て、床の下へ沈みたくなったそうだよ。花を取るように言おうにも、近くへ行けたときには、もう遅すぎたんだってさ。みんながひどく噂をしたそうだよ。あんな飾りをつけて出かけさせるなんて、私まで常識のない人間だと思われたに決まっている。」

「ああ、ごめんなさい」と、アンは目に涙を浮かべた。「マリラが嫌がるなんて、考えもしなかったの。ばらもキンポウゲも、とてもかわいらしくてきれいだったから、帽子につけたら素敵だと思ったのよ。造花のついた帽子をかぶった女の子は、たくさんいたわ。あたし、マリラにとって、ひどい試練になるんじゃないかしら。孤児院へ返したほうがいいのかもしれないわね。それは恐ろしいことよ。あたし、とても耐えられないと思う。きっと肺病になってしまうわ。ただでさえ、こんなにやせているんだもの。でも、マリラを困らせるよりは、そのほうがいいわ。」

「馬鹿なことをお言いでない」と、マリラは言った。子どもを泣かせてしまった自分に腹を立てていた。「孤児院へ返したいなんて、これっぽっちも思っていないよ。ただ、ほかの女の子のようにふるまって、笑いものにならないでほしいだけなんだ。もう泣くのはおよし。知らせがあるよ。ダイアナ・バリーが今日の午後、帰ってきたんだ。私はバリー夫人にスカートの型紙を借りられないか、これから行ってみるつもりだけど、おまえもよければいっしょに来て、ダイアナと知り合いになれるよ。」

アンは頬に涙を光らせたまま、両手を組んで立ち上がった。縁を縫っていた皿ふき布が床に滑り落ちたが、気づかなかった。

「ああ、マリラ、怖いわ――とうとうそのときが来たと思ったら、本当に怖くなったの。あの子があたしを好きにならなかったら、どうしよう! 一生でいちばん悲劇的な失望になるわ。」

「さあ、そんなに取り乱すんじゃないよ。それから、そんな大げさな言葉は使わないでほしいね。小さな女の子が言うと、妙に聞こえるよ。ダイアナはきっとおまえを気に入るだろうさ。問題はお母さんのほうだよ。お母さんがおまえを気に入らなければ、ダイアナがどんなに気に入っても、どうにもならないからね。リンド夫人にかみついたことや、帽子にキンポウゲをつけて教会へ行ったことを聞いていたら、どう思っているかわからないよ。礼儀正しく、お行儀よくして、あっと驚くようなことは言わないでおくれ。おやまあ、本当に震えているじゃないか!」

アンは本当に震えていた。顔は青ざめ、こわばっていた。

「ああ、マリラだって、腹心の友になってほしい女の子に会いにいくんだったら、どきどきするわよ。それに、そのお母さんには嫌われるかもしれないんだもの」と言い、急いで帽子を取りにいった。

二人は小川を渡り、モミの林のある丘を上る近道を通って、果樹園の丘へ向かった。マリラが戸をたたくと、バリー夫人が台所の戸口に出てきた。背の高い、黒い目と黒い髪をした婦人で、口もとには強い意志が表れていた。子どもにとても厳しいという評判だった。

「こんにちは、マリラ」と、愛想よく言った。「お入りなさい。こちらが、お引き取りになった女の子ね?」

「ええ、アン・シャーリーです」と、マリラは答えた。

「Eのつくアンです」と、アンは息を詰まらせながら言った。震えるほど興奮していても、その大切な点を誤解されるわけにはいかなかった。

バリー夫人は、聞こえなかったのか、意味がわからなかったのか、ただ握手をして、優しく言った。

「お元気?」

「体は元気ですけれど、心はかなりくしゃくしゃです。お気遣いありがとうございます」と、アンはまじめに答えた。それからマリラに、周囲にも聞こえるささやき声で言った。「今のは驚くようなことじゃなかったでしょう、マリラ?」

ダイアナはソファに座って本を読んでいたが、客が入ってくると本を置いた。とてもかわいらしい女の子で、母親譲りの黒い目と髪に、ばら色の頬をしていた。楽しげな表情は父親から受け継いだものだった。

「これが娘のダイアナです」と、バリー夫人は言った。「ダイアナ、アンをお庭へ連れていって、お花を見せてあげたらどう? 本で目を疲れさせるより、そのほうがいいわ。この子は本を読みすぎるんですよ――」女の子たちが出ていくと、マリラに向き直った。「父親が味方をしてあおるものだから、やめさせられなくて。いつ見ても本にかじりついているんです。遊び相手ができそうで、うれしいわ。少しは外で遊ぶようになるかもしれませんもの。」

庭には、西側に立つ古いモミの暗い木立を透かして、やわらかな夕日が満ちていた。アンとダイアナは、見事なオニユリの茂みを隔て、恥ずかしそうに見つめ合っていた。

バリー家の庭は、緑の陰に花があふれる奔放な庭で、これほど運命のかかったときでなければ、いつだってアンの心を喜ばせただろう。周囲を巨大な古い柳と背の高いモミが囲み、その下には日陰を好む花々が茂っていた。貝殻で縁をきちんと飾られた、行儀よく直角に曲がる小道が、湿った赤いリボンのように庭を区切り、そのあいだの花壇では昔ながらの花が咲き乱れていた。ばら色のケマンソウ、見事な深紅の大きなボタン。白く香る水仙、とげのある、かぐわしいスコッチローズ。桃色、青、白のオダマキと、薄紫がかったサボンソウ。サザンウッドとシマガヤ、ハッカの茂み。紫のアダムとイヴの花、ラッパ水仙、細やかで香り高い羽毛のような花穂を伸ばし、白くかすむシナガワハギ。おすましした白いジャコウホオズキの上へ、炎の槍を突き出す深紅のアメリカセンノウ。日差しは長くとどまり、蜂はうなり、誘われて足を止めた風が、木の葉のあいだで喉を鳴らし、さやさやとささやく庭だった。

「ああ、ダイアナ」と、やっとアンが、両手を組んで、ささやくように言った。「あたしのこと、少しは好きになれそうかしら――腹心の友になれるくらいに?」

ダイアナは笑った。ダイアナはいつも、話す前に笑うのだった。

「ええ、なれると思うわ」と、率直に言った。「あなたがグリーン・ゲイブルズへ来て、ほんとうにうれしいの。遊ぶ相手がいたら、楽しいもの。遊べるほど近くに住んでいる女の子は、ほかにいないし、妹もまだ小さいのよ。」

「いつまでも、いつまでも、あたしの友達でいると誓ってくれる?」と、アンは熱心に尋ねた。

ダイアナはぎょっとした顔になった。

「誓いを口にするなんて、とても悪いことよ[訳注:英語の swear には「誓う」と「罵る」の両義がある]」と、たしなめた。

「いいえ、あたしの言う誓いは違うの。二種類あるのよ。」

「一種類しか聞いたことがないわ」と、ダイアナは疑わしそうに言った。

「本当にもう一種類あるの。ちっとも悪くないのよ。ただ、厳かに誓って約束することなの。」

「それなら、してもいいわ」と、ダイアナは安心して言った。「どうやるの?」

「手を取り合うの――こうしてね」と、アンは厳かに言った。「本当は流れる水の上でしなくちゃいけないの。この小道が流水だと思うことにしましょう。まず、あたしが誓いを言うわ。あたしは太陽と月が存在するかぎり、腹心の友ダイアナ・バリーに忠実であることを、ここに厳かに誓います。さあ、あたしの名前を入れて言って。」

ダイアナは前後に笑い声を添えて、その「誓い」を繰り返した。それから言った。

「あなたって、変わった子ね、アン。変わっているとは前から聞いていたけど。でも、あたし、あなたがとても好きになりそう。」

マリラとアンが帰るとき、ダイアナは丸太橋まで送ってきた。二人の女の子は互いの体に腕をまわして歩いた。小川のところで、明日の午後はいっしょに遊ぼうと何度も約束し、別れた。

「さて、ダイアナは気の合うお友達だったかい?」と、グリーン・ゲイブルズの庭を上りながら、マリラは尋ねた。

「ああ、ええ」と、アンはうっとりため息をつき、マリラの皮肉にはまるで気づかなかった。「ああ、マリラ、今この瞬間、あたしはプリンス・エドワード島でいちばん幸せな女の子よ。今夜のお祈りは、心から喜んでするって約束するわ。明日、ダイアナとウィリアム・ベルさんの白樺林に、おままごとの家を作るの。薪小屋にある、割れた陶器のかけらをもらってもいい? ダイアナの誕生日は二月で、あたしは三月なの。とても不思議な偶然だと思わない? ダイアナが本を貸してくれるのよ。とびきり素晴らしくて、ものすごくわくわくする本なんですって。森の奥で、ライスリリー[訳注:スズランに似た白い小花をつける野草]の生える場所も教えてくれるの。ダイアナの目って、とても心がこもっていると思わない? あたしもあんな目だったらいいのに。『ハシバミの谷のネリー』っていう歌を、ダイアナが教えてくれるんですって。部屋に飾る絵もくれるのよ。薄青い絹のドレスを着た美しい女の人の、とてもきれいな絵なんですって。ミシンの販売員にもらったのよ。あたしもダイアナにあげるものがあればいいのに。背はあたしのほうが一インチ高いけど、ダイアナはずっとふっくらしているわ。やせているほうがずっと優美だから、やせたいと言っていたけど、あたしを慰めようとしただけじゃないかしら。いつか海辺へ貝殻を拾いにいくの。丸太橋のそばの泉は、木の精の泉と呼ぶことに決めたわ。とびきり優雅な名前でしょう? 前に、そういう泉が出てくるお話を読んだの。木の精って、大人になった妖精みたいなものだと思うわ。」

「まあ、しゃべりつづけてダイアナを参らせないようにしておくれ」と、マリラは言った。「でも、いろいろ計画を立てるにしても、これだけは覚えておくんだよ、アン。遊んでばかりはいられないし、一日の大半を遊びに使うのもだめです。おまえには仕事があるんだから、先にすませるんだよ。」

アンの幸福の杯は満ちていたが、それをあふれさせたのはマシューだった。カーモディの店へ出かけて、ちょうど帰ってきたところで、照れくさそうにポケットから小さな包みを出すと、マリラに申しわけなさそうな目を向けながら、アンに渡した。

「チョコレートのお菓子が好きだと言っていたから、少し買ってきたよ」と言った。

「ふん」と、マリラは鼻を鳴らした。「歯にも胃にも悪いのに。さあさあ、そんな悲しい顔をするんじゃないよ。マシューがわざわざ買ってきたんだから、それは食べていいんだよ。ハッカのお菓子のほうがよかったのにね。あっちのほうが体にいいんだ。いっぺんに全部食べて、気分を悪くするんじゃないよ。」

「ええ、そんなこと絶対にしないわ」と、アンは熱心に言った。「今夜は一つだけにする、マリラ。それで、半分はダイアナにあげてもいいでしょう? ダイアナにもあげたら、残りの半分は二倍おいしくなるわ。あげるものができたと思うだけで、うれしいの。」

「この点は認めてやらなきゃね」と、アンが切妻の部屋へ行ってしまうと、マリラは言った。「あの子はけちじゃない。ありがたいよ。子どもの欠点の中で、けちほど嫌なものはないからね。やれやれ、来てからまだ三週間だというのに、ずっと前からここにいたような気がするよ。あの子のいない家なんて、もう考えられないね。さあ、『だから言っただろう』という顔をするんじゃないよ、マシュー。女がしたって嫌な顔なのに、男がしたら我慢できないよ。あの子を置くことに賛成してよかったし、かわいくなってきたことも、喜んで認めるさ。でも、いい気になって念を押すんじゃありませんよ、マシュー・カスバート。」


第十三章 待つ楽しみ

「もうアンが入ってきて、縫い物をする時間だよ」と、マリラは時計に目をやり、それから暑さに何もかもまどろむ、金色の八月の午後を窓越しに眺めて言った。「ダイアナと遊んでいいと言った時間を、もう三十分以上も過ぎている。それなのに、今度は薪の山に腰かけて、マシューにまくしたてているんだから。仕事をしなきゃならないのは、ちゃんとわかっているくせに。あの人もあの人で、ぼんくらみたいに聞きほれているよ。あんなに夢中になる男は見たことがないね。あの子がしゃべればしゃべるほど、変わったことを言えば言うほど、うれしくなるらしい。アン・シャーリー、今すぐ入っておいで。聞こえたかい!」

西の窓がこつこつこつと鋭くたたかれると、アンは庭から飛びこんできた。目は輝き、頬はほんのり桃色に染まり、ほどけた髪が、光の奔流となってあとを流れていた。

「ああ、マリラ」と、息を弾ませて叫んだ。「来週、日曜学校のピクニックがあるのよ――ハーモン・アンドルーズさんの畑で、輝く湖水のすぐそばなの。それに、校長のベルさんの奥さんと、レイチェル・リンド夫人がアイスクリームを作るんですって。考えてみて、マリラ――アイスクリームよ! ねえ、マリラ、あたし、行ってもいい?」

「まず時計をごらん、アン。何時に入ってくるように言ったかね?」

「二時よ――でも、ピクニックなんて素晴らしいでしょう、マリラ? お願い、行ってもいい? ああ、あたし、ピクニックに行ったことがないの。夢には見たけど、一度も――」

「そう、二時に入ってくるように言いました。それがもう、三時十五分前だよ。なぜ言いつけを守らなかったのか、聞きたいね、アン。」

「だって、守るつもりだったのよ、マリラ。本当に、心から。でも、アイドルワイルドがどんなに魅力的か、想像もつかないでしょう。それに、もちろんマシューにピクニックのことを知らせなくちゃならなかったの。マシューは、とても気持ちをわかって聞いてくれるもの。お願い、行ってもいい?」

「アイドルなんとかの魅力に負けないことを、覚えなきゃいけないね。何時に入っておいでと言ったら、その時刻なんだよ。三十分あとじゃないんです。途中で立ち止まって、気持ちをわかってくれる人に長話をする必要もありません。ピクニックは、もちろん行っていいよ。おまえも日曜学校の生徒なんだからね。ほかの女の子がみんな行くのに、おまえだけ行かせないわけがないだろう。」

「でも――でもね」と、アンは口ごもった。「ダイアナが、みんな食べ物をかごに詰めて持っていくんだと言ったの。あたし、お料理ができないでしょう、マリラ。それで――あの――ふくらんだ袖なしでピクニックへ行くのは、それほど気にしないけど、かごも持たずに行くのは、ひどく恥ずかしいと思うの。ダイアナに聞いてから、ずっと心配だったのよ。」

「それなら、もう心配しなくていいよ。かごに詰めるものは、私が焼いてあげるから。」

「ああ、大好きな、優しいマリラ! ああ、なんて親切にしてくれるの。ああ、本当にありがとう。」

「ああ」を言い終えると、アンはマリラの腕の中へ飛びこみ、喜びにあふれて、その黄ばんだ頬に口づけした。マリラの顔に、子どもの唇が自分から触れたのは、生まれて初めてだった。またしても、はっとするほど甘やかな感覚が、突然胸を震わせた。アンの衝動的な愛情表現を、心の中ではこのうえなく喜んでいた。だからこそ、こんなふうにぶっきらぼうに言ったのだろう。

「さあさあ、そんな口づけなんか、もうおやめ。言いつけをきちんと守ってくれたほうが、私はうれしいよ。料理のほうも、近いうちに教えはじめるつもりです。でも、おまえはあんまりうわついているからね、アン。もう少し落ち着いて、しっかりできるようになるまで待っていたんだよ。料理には気を配らなくちゃいけないんです。途中で手を止めて、あちこちへ考えを飛ばしてはいられないんだよ。さあ、つぎはぎを出して、夕食までに四角いのを一枚縫ってしまいなさい。」

「つぎはぎって、本当に嫌い」と、アンは悲しげに言い、裁縫かごを探し出すと、赤と白のひし形の布片の小山を前に、ため息をついて座った。「縫い物でも、楽しいものはあると思うわ。でも、つぎはぎには想像を広げる余地がないんだもの。短い縫い目のあとに、また短い縫い目で、少しも先へ進まない気がする。でも、もちろん、ほかのどこかのアンになって遊んでばかりいるより、グリーン・ゲイブルズのアンで、つぎはぎをしているほうがいいわ。ただ、ダイアナと遊んでいるときと同じくらい、縫い物の時間も早く過ぎればいいのに。ああ、あたしたち、本当に素敵な時間を過ごしているのよ、マリラ。想像はほとんどあたしが受け持たなくちゃならないけど、それは十分できるもの。ほかのことなら、ダイアナはまったく申し分ないわ。小川の向こうに、うちの農場とバリーさんの農場のあいだへ細長く入りこんだ土地があるでしょう。ウィリアム・ベルさんの土地で、その隅に白樺が小さな輪になって生えているの――このうえなくロマンチックな場所よ、マリラ。ダイアナとあたしのおままごとの家は、そこにあるの。アイドルワイルドと呼んでいるわ。詩的な名前でしょう? 考えつくまで、ずいぶんかかったのよ。ほとんど一晩じゅう眠らずに考えたんだから。そうしたら、眠りに落ちる寸前に、ひらめくように浮かんだの。ダイアナは聞いたとたん、うっとりしていたわ。家はとても素敵に整えてあるの。見にきてちょうだい、マリラ――ね? 苔にすっかり覆われた大きな石が椅子で、木から木へ板を渡して棚にしてあるの。その上にお皿を全部並べたわ。もちろん、みんな割れているけど、完全なお皿だと想像するなんて、いとも簡単だもの。赤と黄色のつたの枝が描いてあるお皿のかけらが、とくにきれいなの。それは客間に置いてあって、妖精のガラスもそこにあるわ。妖精のガラスは夢みたいにきれいなのよ。ダイアナが、鶏小屋の裏の森で見つけたの。虹でいっぱいなの――まだ大きくなっていない、小さな子どもの虹よ。お母さんは、昔うちにあったつりランプのかけらだと言ったんですって。でも、妖精たちが夜に舞踏会を開いたとき、落としていったと想像するほうが素敵でしょう。だから、妖精のガラスと呼んでいるの。マシューがテーブルを作ってくれるのよ。ああ、バリーさんの畑の小さな丸い池は、柳の湖と名づけたわ。その名前は、ダイアナが貸してくれた本から取ったの。胸の躍る本だったわ、マリラ。女主人公には恋人が五人もいたの。あたしなら一人で満足するわ。マリラもそうでしょう? とても美しい人で、大きな苦難をいくつもくぐり抜けるの。簡単に気を失えるのよ。あたしも気を失えたらいいのに。マリラもそう思わない? とてもロマンチックだもの。でもあたし、こんなにやせていても、とても丈夫なのよ。もっとも、少し太ってきたと思うわ。そう思わない? 毎朝起きると、ひじにえくぼができていないか調べるの。ダイアナは、ひじまでの袖の、新しい服を作ってもらっているわ。ピクニックに着ていくんですって。ああ、来週の水曜日、どうか晴れますように。何かあってピクニックに行けなくなったら、その失望には耐えられない気がするわ。生きてはいけるでしょうけど、きっと一生の悲しみになると思う。あとになって百回ピクニックに行けたとしても、今度行けなかった埋め合わせにはならないのよ。輝く湖水でボートにも乗れるの。それに、さっき言ったとおり、アイスクリームもあるのよ。あたし、アイスクリームを食べたことがないの。ダイアナがどんなものか説明してくれたけど、アイスクリームは想像を超えたものの一つなんだと思うわ。」

「アン、時計できっちり十分間、しゃべりとおしたよ」と、マリラは言った。「今度は物は試しに、同じだけの時間、黙っていられるかやってごらん。」

アンは言われたとおり黙った。だが、その週の残りの日々は、話すのもピクニック、考えるのもピクニック、夢に見るのもピクニックだった。土曜日は雨になり、水曜日になっても、さらにその先も降りつづくのではないかと、アンは取り乱すほど心配した。マリラは気持ちを落ち着かせるため、つぎはぎの四角をもう一枚、余分に縫わせた。

日曜日、教会からの帰り道でアンはマリラに打ち明けた。牧師が説教壇からピクニックの知らせをしたとき、あまり興奮して、本当に体じゅうが冷たくなったというのだ。

「背中を上へ下へ、ぞくぞくっとしたのよ、マリラ! あのときまでは、本当にピクニックがあると、心から信じていなかったのだと思うわ。自分で想像しただけじゃないかって、どうしても心配だったの。でも牧師さんが説教壇でおっしゃったことなら、信じるほかないでしょう。」

「おまえは物事に期待をかけすぎるよ、アン」と、マリラはため息をついた。「その調子では、一生のあいだに、ずいぶんたくさん失望が待っていそうだね。」

「ああ、マリラ、楽しみの半分は、待っているときにあるのよ」と、アンは叫んだ。「そのものは手に入らないかもしれないわ。でも、待って楽しむことは、誰にも取り上げられないもの。リンド夫人は『何も期待しない者は幸いなり、失望することがないから』って言うけれど、あたしは失望するより、何も期待しないほうが、もっとつまらないと思うわ。」

その日もマリラは、いつものように紫水晶のブローチをつけて教会へ行った。教会へ行くときには、必ずそのブローチをつけた。つけずに行くのは、聖書や献金の十セントを忘れるのと同じくらい、罰当たりのように感じられたのだ。紫水晶のブローチは、マリラにとって、いちばん大切な持ち物だった。船乗りの叔父が母に贈り、母がマリラに遺してくれたものだった。昔風の楕円形で、中には母の髪を編んだものが収められ、そのまわりを、とても上質な紫水晶が囲んでいた。マリラは宝石のことをあまり知らなかったので、それが実際どれほど上等な石かはわからなかった。だが、とても美しいと思っており、上等の茶色いサテンの服の襟もとで紫の光が揺らめいていることを、目には見えなくても、いつも心地よく意識していた。

そのブローチを初めて見たとき、アンは喜びと憧れにすっかり心を奪われた。

「ああ、マリラ、なんてとびきり優雅なブローチでしょう。これをつけていて、どうして説教やお祈りに気持ちを向けられるのか、わからないわ。あたしには、きっとできない。紫水晶って、本当に素敵ね。あたしが昔、ダイヤモンドだと思っていたのは、こういう石なの。ずっと前、本物を見たことがないころ、本で読んで、どんなものか想像してみたのよ。きれいな紫色にきらめく石だと思ったわ。ある日、女の人の指輪で本物を見たときは、がっかりして泣いてしまったの。もちろん、とてもきれいだったけど、あたしの考えていたダイヤモンドじゃなかったんだもの。そのブローチ、一分だけ持たせてくれる、マリラ? 紫水晶は、よいスミレの魂なのかもしれないと思わない?」


第十四章 アンの告白

ピクニックを控えた月曜日の夕方、マリラは困った顔をして、自分の部屋から下りてきた。

「アン」と、ぴかぴかのテーブルのそばでエンドウ豆をさやから出しながら、ダイアナの教えぶりも見事とわかるほど、元気いっぱい、感情をこめて『ハシバミの谷のネリー』を歌っている小さな姿に呼びかけた。「私の紫水晶のブローチを見なかったかい? 昨日の夕方、教会から帰って、針山に刺したと思うんだけど、どこにも見つからないんだよ。」

「あたし――今日の午後、マリラが扶助会に出かけていたとき、見たわ」と、アンは少しゆっくり答えた。「部屋の前を通ったら、針山にあるのが見えたから、見ようと思って入ったの。」

「触ったのかい?」と、マリラは厳しく尋ねた。

「ええ」と、アンは認めた。「どんなふうに見えるか知りたくて、手に取って、胸に留めてみたの。」

「そんなことをする権利はなかったはずだよ。人のものを勝手にいじるのは、とても悪いことです。第一、私の部屋へ入るべきじゃなかったし、第二に、自分のものではないブローチに触るべきじゃなかった。どこへ置いたんだい?」

「ああ、化粧だんすの上にもどしたわ。つけていたのは、一分もないのよ。本当に、いたずらするつもりじゃなかったの、マリラ。部屋へ入ってブローチをつけてみるのが悪いことだなんて、考えなかった。でも、今は悪かったとわかるし、二度としないわ。そこはあたしのいいところなの。同じ悪いことは、決して二度しないのよ。」

「もどしてなんかいないよ」と、マリラは言った。「ブローチは、たんすの上にはどこにもないんです。持ち出したか、何かしたんだね、アン。」

「ちゃんともどしたわ」と、アンはすぐに答えた。その口調がマリラには生意気に聞こえた。「針山に刺したのか、陶器のお皿に置いたのか、そこまでは覚えていないの。でも、もどしたことだけは、絶対に確かよ。」

「もう一度見てくるよ」と、マリラは、公平であろうと心に決めて言った。「もどしたのなら、まだそこにあるはずだからね。なければ、もどさなかったとわかる。それだけのことだよ!」

マリラは部屋へ行き、化粧だんすの上だけでなく、ブローチのありそうな場所をすべて徹底的に探した。だが見つからず、台所へもどってきた。

「アン、ブローチはなくなっています。最後に触ったのは、おまえだと自分で認めたね。さあ、どうしたんだい? 今すぐ本当のことを言いなさい。外へ持ち出して、なくしたのかい?」

「いいえ、違うわ」と、アンはマリラの怒った視線をまっすぐに受けとめ、きっぱり答えた。「ブローチを部屋から持ち出してはいないの。それは本当よ。そのせいで断頭台へ連れていかれるとしてもね――もっとも、断頭台がどんなものか、よく知らないんだけど。そうなのよ、マリラ。」

アンの「そうなのよ」は、ただ言い分を強めるつもりだったのだが、マリラには反抗のしるしと映った。

「おまえは嘘をついているんだね、アン」と、鋭く言った。「私にはわかるよ。さあ、何もかも本当のことを話す気になるまでは、もう何も言わなくていい。自分の部屋へ行って、白状する気になるまで、そこにいなさい。」

「お豆も持っていくの?」と、アンはおとなしく尋ねた。

「いいえ、残りは私がやります。言われたとおりにしなさい。」

アンが去ると、マリラはひどく心を乱しながら、夕方の仕事に取りかかった。大切なブローチが心配だった。もしアンがなくしてしまったのなら、どうしよう。それに、どう見ても持ち出したに違いないのに、否定するとは、なんて悪い子なのだろう。あんな無邪気な顔までして! 

「ほかのどんなことが起きたって、これよりはましだったろうに」と、いらいら豆をむきながら、マリラは思った。「もちろん、盗もうとしたなんて思っちゃいない。遊びに使うか、あの想像とやらを助けるために、持っていっただけなんだろう。持ち出したに決まっている。あの子が入ったという時刻から、今晩私が上がるまで、あの部屋には誰一人入っていないんだから。それに、ブローチがないことも間違いない。きっとなくしてしまって、罰が怖くて認められないんだろう。嘘をつく子だなんて、恐ろしいことだよ。かんしゃくを起こすより、ずっと悪い。信用できない子を家に置くなんて、なんという重い責任だろう。ずるさと不正直――あの子が見せたのは、それなんだ。まったく、ブローチより、そのほうがこたえるよ。本当のことを話してくれさえしたら、これほど気に病まないのに。」

その晩、マリラは何度も部屋へ行ってブローチを探したが、見つからなかった。寝る前に東の切妻の部屋へ行っても、何の成果もなかった。アンはブローチのことは何も知らないと言い張ったが、そのたびマリラの確信は強まるばかりだった。

翌朝、マリラはマシューに話した。マシューは驚き、途方に暮れた。それほど簡単にアンへの信頼を失うことはできなかったが、状況がアンに不利なことは認めざるをえなかった。

「たんすの後ろへ落ちているんじゃないかね?」

思いついたのは、それだけだった。

「たんすは動かしたし、引き出しも抜いたし、ありとあらゆる隙間を調べたよ」と、マリラはきっぱり答えた。「ブローチはなくなった。あの子が持ち出して、そのことで嘘をついている。これが、はっきりした、嫌な事実なんです、マシュー・カスバート。私たちも目をそらさないことだね。」

「それで、どうするつもりなんだい?」

マシューはしょんぼり尋ねながら、対処しなければならないのが自分ではなくマリラであることに、ひそかに感謝していた。今度ばかりは口を出したいとは思わなかった。

「白状するまで、部屋から出しません」と、マリラは以前この方法がうまくいったことを思いだし、厳しく言った。「その先は、それからだよ。どこへ持っていったか言ってくれさえすれば、見つかるかもしれない。でも、どちらにしたって、厳しく罰しなくてはいけないよ、マシュー。」

「それなら、おまえが罰するんだね」と、マシューは帽子に手を伸ばした。「わしは関わらないよ、忘れないでおくれ。口出しするなと言ったのは、おまえだからね。」

マリラは、誰からも見捨てられた気がした。リンド夫人に相談することさえできなかった。重々しい顔で東の切妻の部屋へ上がり、さらに重い顔で下りてきた。アンは頑として白状しようとしなかった。ブローチは持ち出していないと言い張った。泣いていたことは明らかで、マリラは胸に哀れみを覚えたが、厳しく押し殺した。夜には、本人の言葉を借りれば「へとへと」だった。

「白状するまで、この部屋にいるんだよ、アン。そう覚悟しておくことだね」と、きっぱり言った。

「でも、明日はピクニックなのよ、マリラ」と、アンは叫んだ。「行かせないなんて言わないでしょう? 午後だけ出してくれるわね? そうしたら、あとで、どれだけでも喜んでここにいるわ。でもピクニックには、どうしても行かなくちゃ。」

「白状するまでは、ピクニックだろうと、どこへだろうと行かせません、アン。」

「ああ、マリラ」と、アンは息をのんだ。

だがマリラは出ていき、戸を閉めてしまった。

水曜日の朝は、まるでピクニックのために特別に注文したかのように、明るく晴れわたった。グリーン・ゲイブルズのまわりでは鳥が歌い、庭の白ユリは香りを漂わせた。香りは目に見えない風に運ばれて、あらゆる戸口と窓から入りこみ、祝福の精のように、廊下や部屋をさまよった。くぼ地の白樺は、東の切妻の窓からアンがいつもの朝の挨拶をするのを待つかのように、楽しげに手を振っていた。だが、アンは窓辺にいなかった。マリラが朝食を持って上がると、アンは青ざめた決然たる顔で、唇を固く結び、目を光らせ、ベッドにきちんと座っていた。

「マリラ、白状するわ。」

「そうかい!」

マリラは盆を置いた。またしても、この方法は成功したのだ。だが、その成功はひどく苦かった。「それなら、聞かせてもらおうじゃないか、アン。」

「あたしが紫水晶のブローチを持ち出しました」と、アンは暗記した課題を復唱するように言った。「マリラの言うとおり、持ち出しました。部屋へ入ったときは、そんなつもりじゃなかったの。でも胸につけたら、あまりきれいだったので、マリラ、抗いがたい誘惑に負けてしまいました。アイドルワイルドへ持っていって、レディ・コーデリア・フィッツジェラルドのつもりで遊んだら、どんなにわくわくするかと想像したの。本物の紫水晶のブローチをつけていれば、レディ・コーデリアになったつもりになるのも、ずっと簡単でしょう。ダイアナとあたしは、ばらの実で首飾りを作るけど、紫水晶に比べたら、ばらの実なんて何ほどのものでもないわ。だから、ブローチを持っていったの。マリラが帰る前にもどせると思ったわ。できるだけ長く持っていたくて、ぐるっと遠回りして道路を通ったの。輝く湖水にかかる橋を渡るとき、もう一度見ようと、ブローチを外したわ。ああ、日の光の中で、なんてきれいに輝いていたこと! そして、橋から身を乗り出したとき、指のあいだから、するりと抜けたの――こういうふうに――そして下へ――下へ――下へ――紫色にきらきらしながら落ちて、輝く湖水の底へ、永遠に沈んでしまいました。これで精いっぱいの告白よ、マリラ。」

マリラの胸に、また熱い怒りが込み上げた。この子は大切な紫水晶のブローチを持ち出してなくしたうえ、今は平然と座り、そのいきさつを述べている。良心の痛みも、反省の色も、少しも見えない。

「アン、これはひどいことだよ」と、できるだけ落ち着いて言った。「おまえほど悪い女の子は、聞いたこともありません。」

「ええ、そうだと思うわ」と、アンは静かに同意した。「罰を受けなければならないことも、わかっているの。あたしを罰するのはマリラの義務ですもの。どうか、すぐにすませてくれない? 何の心配もなく、ピクニックへ行きたいから。」

「ピクニックだって! 今日はピクニックになんか行かせませんよ、アン・シャーリー。それがおまえへの罰です。それでも、したことに比べれば、半分ほどにも厳しくないんだよ!」

「ピクニックに行けないの!」

アンは跳び上がり、マリラの手にしがみついた。「でも、行かせてくれるって約束したじゃない! ああ、マリラ、あたし、どうしても行かなくちゃ。それで白状したんだもの。それ以外なら、どんな罰でも受けるわ。ああ、マリラ、お願い、お願い、ピクニックへ行かせて。アイスクリームのことを考えてよ! これから先、もう二度と食べる機会がないかもしれないでしょう。」

マリラは冷ややかに、しがみつくアンの手を振りほどいた。

「頼んでも無駄だよ、アン。ピクニックには行かせません。これはもう決まったことです。いいえ、もう一言も聞きません。」

マリラの心は動かないのだと、アンは悟った。両手を組み、耳をつんざくような叫び声を上げると、ベッドへうつ伏せに身を投げ、失望と絶望のままに泣き、身をよじった。

「まあ、なんてことだろう!」と、マリラは息をのんで、急いで部屋を出た。「気が変なんじゃないかね。まともな子なら、あんなまねはしない。そうでなければ、とことん悪い子なんだ。ああ、やっぱり初めからレイチェルが正しかったのかもしれない。でも、いったん鋤すきに手をかけたからには、振り返るわけにはいかないよ。」

陰気な朝だった。マリラは激しく働き、ほかにすることがなくなると、ポーチの床と乳製品貯蔵室の棚をごしごし洗った。棚にもポーチにも、その必要はなかった。必要だったのはマリラのほうだった。それから外へ出て、庭を熊手でかいた。

昼食ができると、階段のところへ行ってアンを呼んだ。涙の跡のついた顔が現れ、悲劇的な目つきで手すり越しに見下ろした。

「下りてきて、お昼を食べなさい、アン。」

「お昼はいらないわ、マリラ」と、アンはしゃくり上げた。「何も食べられないの。あたしの心は砕けてしまったわ。いつか、あたしの心を砕いたことを良心に責められる日が来ると思うけど、マリラ、あたしは許すわ。その日が来たら、許していることを思いだしてね。でも、どうか何か食べろとは言わないで。とくに、ゆでた豚肉と青菜なんて。悲しみに暮れているとき、ゆでた豚肉と青菜は、あんまりロマンチックじゃないんだもの。」

腹を立てて台所へもどったマリラは、マシューに苦労をぶちまけた。マシューは正義感と、持つべきでないアンへの同情のあいだで、みじめな思いをしていた。

「そりゃ、ブローチを持ち出したり、そのことで嘘をついたりするべきじゃなかったよ、マリラ」と、悲しげに認めた。皿いっぱいのロマンチックでない豚肉と青菜を眺める様子は、アンと同じく、心の危機にはふさわしくない食べ物だと考えているようだった。「でも、まだ小さい子じゃないか――あんなに面白い、小さな子だよ。あれほど楽しみにしていたピクニックへ行かせないのは、少し酷だと思わないかね?」

「マシュー・カスバート、あきれたよ。私は、ずいぶん甘くすませてやったと思っています。それに、自分がどれほど悪いことをしたか、まるでわかっていない様子じゃないか。それがいちばん心配なんだ。本当に悔やんでいるなら、まだいいけれど。あんたもわかっていないらしいね。心の中で、始終あの子の言い訳をしているんだろう。私にはわかるよ。」

「でもね、まだ小さい子だから」と、マシューは弱々しく繰り返した。「大目に見てやることも必要だよ、マリラ。ろくにしつけられたこともないんだからね。」

「だから今、しつけているんじゃないか」と、マリラはやり返した。

マシューは納得こそしなかったが、その返事に口をつぐんだ。ひどく陰気な昼食だった。陽気なのは雇いの少年ジェリー・ブオートだけで、マリラにはその陽気さまで、自分への侮辱のように思われた。

皿を洗い、パンの発酵種を仕込み、鶏に餌をやってから、マリラは思いだした。月曜日の午後、婦人扶助会から帰って、いちばん上等な黒いレースのショールを外したとき、小さな裂け目に気づいたのだった。

あれを繕おう。ショールはトランクの中の箱に入っていた。取り出すと、窓のまわりに密生したつたを透かして差す日光が、ショールに引っかかった何かを照らした。紫の光を幾面にもきらめかせる何かだった。マリラは息をのみ、それをつかんだ。紫水晶のブローチだった。留め金でレースの糸にぶら下がっていたのだ! 

「まあ、なんということだろう」と、マリラはぼうぜんと言った。「これはどういうことなんだい? バリー家の池の底にあると思っていたブローチが、無事にここにあるじゃないか。あの子は持ち出してなくしたなんて、どういうつもりで言ったんだろう。まったく、グリーン・ゲイブルズは魔法にでもかかったらしいね。そうだ、思いだした。月曜日の午後、ショールを外して、ちょっとたんすの上に置いたんだった。何かのはずみで、ブローチが引っかかったんだろうね。やれやれ!」

ブローチを手に、マリラは東の切妻の部屋へ向かった。アンは泣き疲れ、窓辺でうなだれていた。

「アン・シャーリー」と、マリラは重々しく言った。「たった今、黒いレースのショールにブローチが引っかかっているのを見つけたよ。今朝おまえが話した、あの長々しい話はどういうことだったのか、聞かせてもらおうじゃないか。」

「だって、白状するまで、ここから出さないと言ったでしょう」と、アンは疲れた声で答えた。「だから白状することにしたの。どうしてもピクニックへ行きたかったんだもの。昨夜ベッドに入ってから告白を考えて、できるだけ面白くしたのよ。忘れないように、何度も何度も繰り返したわ。でも、結局ピクニックへは行かせてもらえなかったから、苦労は全部無駄になってしまったの。」

マリラは思わず笑ってしまった。だが、良心が痛んだ。

「アン、おまえには、ほんとうにあきれるよ! でも、私が間違っていたんだ。今はそれがわかる。これまで一度も嘘をついたことがないのに、おまえの言葉を疑うべきじゃなかったね。もちろん、してもいないことを白状するのはよくありません。それはとても悪いことだよ。でも、そうさせたのは私だ。だから、私を許してくれるなら、おまえのことも許して、ここからまた出直そうじゃないか。さあ、ピクニックへ行く支度をしなさい。」

アンはロケットのように跳び上がった。

「ああ、マリラ、もう遅すぎない?」

「いいえ、まだ二時だよ。みんながようやく集まったくらいだろうし、お茶までは一時間ある。顔を洗って、髪をとかして、ギンガムの服を着なさい。かごは私が詰めてあげる。焼いたものは家にたっぷりあるからね。それからジェリーに栗毛の馬をつながせて、会場まで送らせよう。」

「ああ、マリラ」と、アンは洗面台へ飛んでいきながら叫んだ。「五分前までは、生まれてこなければよかったと思うほどみじめだったのに、今は天使とだって代わりたくないわ!」

その夜、心から幸せで、すっかり疲れきったアンが、言葉では表せないほどの至福に包まれて、グリーン・ゲイブルズへ帰ってきた。

「ああ、マリラ、とびきりすんばらしい時間を過ごしたわ。『すんばらしい』って、今日覚えた新しい言葉なの。メアリー・アリス・ベルが言っていたのよ。とても気持ちが伝わる言葉でしょう? 何もかも素敵だった。ごちそうをいただいて、それからハーモン・アンドルーズさんが、六人ずつみんなを輝く湖水でボートに乗せてくれたの。ジェーン・アンドルーズは、もう少しで水に落ちるところだったわ。スイレンを摘もうと乗り出したのよ。アンドルーズさんがとっさに飾り帯をつかまなかったら、落ちて、きっとおぼれていたわ。あたしだったらよかったのに。もう少しでおぼれるなんて、とてもロマンチックな経験だったでしょう。人に話すにも、なんて胸の躍るお話になったことかしら。それからアイスクリームも食べたの。あのアイスクリームを言い表す言葉なんてないわ。マリラ、ほんとうに、この世のものとも思えないほどだったのよ。」

その晩、マリラは靴下のかごを前に、マシューへ一件のすべてを話した。

「自分が間違ったことは、ちゃんと認めるよ」と、最後に率直に言った。「でも、おかげで教訓になった。アンの『告白』を思うと、笑わずにいられないね。本当は嘘だったんだから、笑っちゃいけないんだろうけど。どういうわけか、初めに疑ったような嘘ほど悪くは思えないし、どのみち責任は私にあるんだ。あの子には、わかりにくいところがあるね。でも、きっとちゃんとした子になると思うよ。一つだけ確かなのは、あの子がいる家では、退屈なんてありえないということだね。」


第十五章 学校という茶わんの中の嵐

「なんて素晴らしい日でしょう!」と、アンは深く息を吸いこんだ。「こんな日は、生きているだけでうれしくならない? まだ生まれていない人たちが、かわいそう。こんな日を知らずにすむんだもの。もちろん、その人たちにもよい日はあるでしょうけど、この日は二度とないのよ。それに、こんな素敵な通学路があるなんて、もっと素晴らしいわね。」

「大通りをぐるっと行くより、ずっといいわ。あっちはほこりっぽくて暑いもの」と、ダイアナは現実的に答えた。弁当かごをのぞきこみ、中の汁気たっぷりのおいしそうなラズベリー・タルト三つを十人で分けると、一人何口になるか、頭の中で計算していた。

アヴォンリー学校の女の子たちは、いつも弁当を持ち寄って分け合った。ラズベリー・タルト三つを一人で食べたり、たとえいちばんの仲よしだけと分けたりしたら、その子には永久に「ひどいけち」という烙印が押されることになる。とはいえ、十人で分けると、かえって食欲をそそるだけの量しかなかった。

アンとダイアナの通学路は、本当に美しかった。ダイアナといっしょに登下校するその道は、想像力を使っても、これ以上よくはできないとアンは思っていた。大通りを回っていくのでは、あまりにロマンチックでない。だが、恋人たちの小径を通り、柳の湖、スミレの谷、白樺の小道をたどるのは、まさしくロマンチックというものだった。

恋人たちの小径は、グリーン・ゲイブルズの果樹園の下に入口があり、森の奥へと長く伸びて、カスバート家の農場の端まで続いていた。牛を裏の牧草地へ連れていったり、冬には木を運びこんだりする道だった。アンはグリーン・ゲイブルズへ来てひと月もたたないうちに、恋人たちの小径と名づけていた。

「本当に恋人たちが歩いているわけじゃないのよ」と、マリラに説明した。「でも、今ダイアナと読んでいる、とても素晴らしい本に、恋人たちの小径が出てくるの。だから、あたしたちも一つほしいのよ。それに、とてもきれいな名前でしょう? ロマンチックだわ! 恋人たちを想像で歩かせるわけにはいかないけれどね。あの道が好きなのは、考えごとを声に出しても、気が変だと言われないからなの。」

朝、一人で家を出たアンは、恋人たちの小径を小川まで下っていった。そこでダイアナと落ち合い、二人でカエデの葉のアーチの下を進んだ。「カエデって、とても社交的な木ね」と、アンは言うのだった。「いつもさわさわと話しかけてくれるもの」。やがて素朴な橋に着くと、小径を外れ、バリー氏の裏の畑を抜けて、柳の湖のそばを通った。その先にスミレの谷があった。アンドルー・ベル氏の大きな森の陰にくぼんだ、小さな緑のえくぼのような場所だった。「もちろん、今はスミレはないの」と、アンはマリラに言った。「でもダイアナが、春には何百万本も咲くって。ああ、マリラ、その眺めを想像できない? 本当に息が止まりそうになるわ。スミレの谷と名づけたのは、あたしなの。ダイアナは、場所に素敵な名前をつけるのでは、あたしにかなう人を見たことがないって言うわ。何か得意なことがあるのって、うれしいものね? でも白樺の小道は、ダイアナがつけたの。つけたがったから譲ったんだけど、ただの白樺の小道より、もっと詩的な名前を思いつけたと思うわ。あんな名前なら誰でも考えつくもの。でも白樺の小道は、世界でいちばんきれいな場所の一つよ、マリラ。」

まさにそのとおりだった。偶然そこへ迷いこんだ人は、アンでなくともそう思った。ベル氏の森の真ん中を、長い丘に沿って曲がりくねりながら下る、細く小さな道だった。幾重ものエメラルドの葉の幕を透かしてこぼれる光は、ダイヤモンドの芯のように、澄みきっていた。道の両側には、白い幹としなやかな枝を持つ若い白樺が、ずっと並んでいた。シダ、ツマトリソウ、野生のスズラン、赤い実を房にしたゴゼンタチバナが密生し、いつもすがすがしい香りが漂っていた。頭上の木々では、鳥の声が音楽を奏で、森の風がささやき、笑っていた。静かにしていれば、ときにはウサギが道を横切るのも見られた。ただし、アンとダイアナが静かなのは、めったにないことだった。谷の底で小道は大通りに出た。あとはトウヒの丘を上るだけで学校だった。

アヴォンリー学校は、軒が低く、窓の広い、白く塗られた建物だった。中には古風だが丈夫で座り心地のよい机が並び、開閉するふたの一面には、三世代の子どもたちの頭文字や、不思議な象形文字が刻まれていた。校舎は道路から少し引っこんだところに立ち、裏には薄暗いモミの林と小川があった。子どもたちは朝、牛乳の瓶をみんなその小川へ入れ、昼まで冷たく新鮮に保った。

九月一日、アンが初めて学校へ出かけるのを、マリラはひそかにいくつもの不安を抱きながら見送った。あれほど変わった子なのだ。ほかの子どもたちと、うまくやっていけるだろうか。それに授業中、いったいどうやって口をつぐんでいられるのだろう。

だが、事はマリラの心配よりもうまく運んだ。その夕方、アンは上機嫌で帰ってきた。

「あの学校、好きになれそう」と、宣言した。「でも、先生はあまり感心しないわ。しょっちゅう口ひげをひねって、プリッシー・アンドルーズに甘い目つきをしているの。プリッシーはもう大人なのよ。十六歳で、来年シャーロットタウンのクイーン学院を受けるために勉強しているの。ティリー・ボールターが、先生はあの子にぞっこんなんだって言っていたわ。肌がきれいで、茶色い巻き毛を、とても優雅に結っているの。後ろの長い席に座っていて、先生もたいていそこにいるわ。勉強を説明するためだと言うんだけど。でもルビー・ギリスが、先生がプリッシーの石盤[訳注:文字や計算を書く、当時の学習用の板]に何か書くのを見たんですって。プリッシーは読んだらビーツみたいに真っ赤になって、くすくす笑ったの。ルビー・ギリスは、勉強とは何の関係もなかったと思うって言っていたわ。」

「アン・シャーリー、先生のことをそんなふうに言うのは、二度と聞きたくないよ」と、マリラは鋭く言った。「先生を批評するために学校へ行くんじゃありません。おまえに教えることなら、ちゃんとおできになるだろうし、おまえの仕事は学ぶことです。それから、帰ってきて先生の噂話をするのはやめなさい。そういうことは勧めませんよ。おまえはいい子にしていたんだろうね。」

「もちろんよ」と、アンは気楽に答えた。「想像するほど難しくもなかったわ。ダイアナといっしょに座っているの。席は窓のすぐそばで、輝く湖水を見下ろせるわ。いい女の子がたくさんいて、お昼休みに遊ぶのは、すんばらしく楽しかった。遊ぶ女の子がたくさんいるのって、素敵ね。でも、もちろんいちばん好きなのはダイアナで、それはいつまでも変わらないわ。ダイアナを愛しているの。あたしは、ほかの子にひどく遅れているのよ。みんな第五読本なのに、あたしはまだ第四読本で、ちょっと恥ずかしいことだと思う。でも、あたしほど想像力のある子は一人もいないわ。それはすぐにわかったの。今日は読本と地理、カナダの歴史、それから書き取りをしたわ。フィリップス先生が、あたしのつづりは恥ずかしい出来だと言って、直しだらけの石盤を、みんなに見えるように持ち上げたの。とても恥ずかしかったわ、マリラ。初めて来た人には、もう少し礼儀正しくしてもいいと思う。ルビー・ギリスがりんごをくれて、ソフィア・スローンが『おうちまで送ってもいいですか』と書いてある、きれいな桃色のカードを貸してくれたの。明日返すことになっているわ。それからティリー・ボールターが、午後じゅうビーズの指輪をはめさせてくれたのよ。屋根裏の古い針山についている真珠色のビーズを、少しもらって指輪を作ってもいい? それからね、マリラ、ジェーン・アンドルーズが言ったんだけど、ミニー・マクファーソンが、プリッシー・アンドルーズがセーラ・ギリスに、あたしの鼻はとてもきれいだと言うのを聞いたんですって。マリラ、生まれて初めてほめられたのよ。どんなに不思議な気持ちがしたか、想像もつかないでしょう。マリラ、あたしの鼻は、本当にきれいなの? マリラなら本当のことを言ってくれるわね。」

「鼻は、まあ悪くないよ」と、マリラはそっけなく答えた。実のところ、アンの鼻は格別きれいだと思っていたが、そう教えてやるつもりはなかった。

それは三週間前のことで、それ以来、何もかも順調だった。そして今、このすがすがしい九月の朝、アンとダイアナは、アヴォンリーでいちばん幸せな女の子二人として、白樺の小道を軽やかに下っていた。

「今日はギルバート・ブライスが学校へ来ると思うわ」と、ダイアナが言った。「夏じゅうニューブランズウィックのいとこの家へ行っていて、土曜日の晩に帰ったばかりなの。ものすごくハンサムなのよ、アン。それに、女の子をひどくからかうの。もう、みんなさんざんな目に遭わされるわ。」

その声は、さんざんな目に遭わないより、遭うほうを、むしろ好んでいるようだった。

「ギルバート・ブライス?」と、アンは言った。「ポーチの壁に、ジュリア・ベルと並べて名前が書いてあって、その上に大きく『ご注目』ってある人?」

「ええ」と、ダイアナはつんと頭を振った。「でも、ジュリア・ベルをそれほど好きなわけじゃないと思う。あの子のそばかすで九九を勉強したって、言うのを聞いたもの。」

「ああ、そばかすの話はしないで」と、アンは頼んだ。「こんなにたくさんあるあたしに、思いやりがないわ。でも、男の子と女の子の名前を壁に書いて『ご注目』なんて、本当にくだらないと思う。あたしの名前を男の子と並べて書く人がいたら、ただじゃおかないわ。もちろん」と、急いで付け加えた。「そんな人はいないでしょうけど。」

アンはため息をついた。名前を書かれたいわけではない。だが、その心配がまったくないとわかっているのも、少しばかり屈辱だった。

「そんなことないわ」と、ダイアナは言った。黒い目とつややかな髪で、学校の男の子たちの心をかき乱してきたダイアナの名前は、ポーチの壁の「ご注目」に、半ダースも登場していた。「ただの冗談じゃない。それに、絶対に書かれないなんて、決めつけないほうがいいわよ。チャーリー・スローンは、あなたにぞっこんなんだから。お母さんに――いい、お母さんに言ったのよ――あなたが学校でいちばん頭のいい女の子だって。美人よりいいじゃない。」

「よくないわ」と、アンは芯まで女の子らしく答えた。「利口より、きれいなほうがいい。それにチャーリー・スローンは嫌いよ。出目の男の子なんて我慢できないわ。もしあの子と並べて名前を書かれたら、一生立ち直れないわよ、ダイアナ・バリー。でも、組の一番でいるのは、たしかにうれしいわね。」

「これからは、ギルバートも同じ組よ」と、ダイアナは言った。「あの子は、いつも一番だったんだから。もうじき十四歳なのに、まだ第四読本なの。四年前、お父さんが病気になって、療養にアルバータへ行かなくちゃならなくて、ギルバートもついていったのよ。三年間いて、帰ってくるまで学校にはほとんど通わなかったの。これからは、そう簡単に一番を守れなくなるわ、アン。」

「それはうれしいわ」と、アンはすぐに答えた。「九つか十の小さな子たちより上にいても、本当には誇れないもの。昨日は『沸騰』のつづりを答えて一番になったのよ。一番にいたのはジョジー・パイだったけど、いいこと、本をこっそり見たの。フィリップス先生は気づかなかったわ――プリッシー・アンドルーズを見ていたから。でも、あたしは見たの。凍るような軽蔑のまなざしを投げてやったら、ビーツみたいに赤くなって、結局つづりを間違えたわ。」

「パイの女の子たちは、何をやってもずるいんだもの」と、ダイアナは憤慨しながら、大通り沿いの柵を乗り越えた。「ガーティ・パイなんて、昨日、小川のあたしの場所に、自分の牛乳瓶を入れたのよ。あきれるでしょう? もう口をきいていないわ。」

フィリップス先生が教室の後ろでプリッシー・アンドルーズのラテン語を聞いているとき、ダイアナがアンにささやいた。「通路を挟んですぐ向こうに座っているのが、ギルバート・ブライスよ。見てごらんなさい。ハンサムだと思うでしょう。」

アンは言われたとおり見た。見るには都合がよかった。当のギルバート・ブライスは、前の席にいるルビー・ギリスの長い金髪の三つ編みを、椅子の背にこっそりピンで留めるのに夢中だった。背の高い男の子で、茶色の巻き毛、いたずらっぽいハシバミ色の目を持ち、口もとには、からかうような笑みが浮かんでいた。やがてルビー・ギリスが、計算を先生に見せようと立ち上がった。だが、髪を根こそぎ引き抜かれたと思い、小さな悲鳴を上げて席へ落ちた。みんなが振り向き、フィリップス先生があまり厳しくにらむので、ルビーは泣きだした。ギルバートは素早くピンを隠し、この世でいちばんまじめな顔をして歴史を勉強していた。だが騒ぎが静まると、アンに目を向け、なんともおどけたウインクを送った。

「あなたのギルバート・ブライスは、たしかにハンサムだわ」と、アンはダイアナに打ち明けた。「でも、ずいぶん図々しいと思う。知らない女の子にウインクするなんて、お行儀が悪いわ。」

けれども、本当に事件が起こりはじめたのは、午後になってからだった。

フィリップス先生はまた教室の後ろの隅で、プリッシー・アンドルーズに代数の問題を説明していた。ほかの生徒たちは、青いりんごを食べたり、ひそひそ話したり、石盤に絵を描いたり、ひもでつないだコオロギを通路で走らせたりと、ほとんど好き勝手なことをしていた。ギルバート・ブライスはアン・シャーリーを振り向かせようとしていたが、まるでうまくいかなかった。そのときアンは、ギルバート・ブライスの存在ばかりか、アヴォンリー学校のほかの生徒の存在まで、すっかり忘れていたからだ。両手で顎を支え、西の窓からのぞく輝く湖水の青さに目を据えて、はるかな夢の国へ行っていた。自分の素晴らしい幻以外は、何も見えず、何も聞こえなかった。

ギルバート・ブライスは、わざわざ女の子の気を引こうとして失敗することには慣れていなかった。あの赤毛のシャーリーという子、小さなとがった顎と、学校のどの女の子とも違う大きな目をした子を、必ずこちらへ向かせてみせる。

ギルバートは通路越しに手を伸ばし、アンの長い赤い三つ編みの先をつかんで、腕いっぱいに引き出すと、よく通るささやき声で言った。

「にんじん! にんじん!」

するとアンは、猛烈な勢いで振り向いた! 

振り向いただけではなかった。美しい空想は取り返しのつかないほど粉々になり、アンは跳ねるように立ち上がった。ギルバートに憤怒の一瞥を投げた目には、怒りの火花が散ったが、すぐに同じくらい激しい怒りの涙でかき消された。

「卑怯な、大嫌いな子!」と、アンは激しく叫んだ。「よくもそんなことを!」

そして――ばしん! アンは石盤をギルバートの頭にたたきつけ、真っ二つに割ってしまった。割れたのは頭ではなく、石盤だった。

アヴォンリー学校は、いつだって騒動を歓迎した。これはとくに見ごたえのある騒動だった。みんなが恐れと喜びの入り混じる「ああ」を漏らした。ダイアナは息をのみ、神経過敏なルビー・ギリスは泣きだした。トミー・スローンは口をあんぐり開けてその場面を見つめ、つないでいたコオロギを、すっかり逃がしてしまった。

フィリップス先生は大股に通路を進み、アンの肩に重々しく手を置いた。

「アン・シャーリー、これはどういうことだ?」と、怒って言った。アンは答えなかった。「にんじん」と呼ばれたと学校じゅうの前で言わせようというのは、生身の人間に求めるには酷すぎた。

きっぱり声を上げたのはギルバートだった。

「ぼくが悪かったんです、フィリップス先生。ぼくがからかったんです。」

フィリップス先生は、ギルバートを相手にしなかった。

「私の生徒が、このようなかんしゃくと報復心を見せるとは、残念です」と、厳粛に言った。自分の生徒であるというだけで、未熟な小さな人間の心から、あらゆる悪い感情が根こそぎ消えるはずだ、とでもいう口ぶりだった。「アン、午後の授業が終わるまで、黒板の前の壇に立っていなさい。」

繊細な心をむち打つようなこの罰より、実際にむちで打たれるほうが、アンにはよほどましだった。青白くこわばった顔で言いつけに従った。フィリップス先生はチョークを取り、アンの頭上の黒板に書いた。

「アン・シャーリーは大変なかんしゃく持ちである。アン・シャーリーは、かんしゃくを抑えることを学ばなければならない」。そして、まだ書き文字を読めない初級の子どもたちにもわかるよう、大声で読み上げた。

午後の残りの時間、アンはその文句を頭上に掲げたまま立ちつづけた。泣きもせず、うつむきもしなかった。心の怒りがまだ熱すぎて、それどころではなかった。その怒りが、屈辱の苦しみの中でアンを支えていた。恨みに満ちた目と、激情に赤く染まった頬をして、ダイアナの同情のまなざしも、チャーリー・スローンの憤慨したうなずきも、ジョジー・パイの意地悪な笑みも、同じように正面から受けとめた。ギルバート・ブライスだけは、見ようともしなかった。もう二度と見てやらない! 二度と口をきいてやらない!! 

授業が終わると、アンは赤い頭を高く上げて出ていった。ギルバート・ブライスが、ポーチの出口で行く手に立とうとした。

「髪をからかって、本当にごめんよ、アン」と、悔やんだ声でささやいた。「本当なんだ。ずっと怒っているのはやめてよ。」

アンは目も向けず、聞こえたしるしも見せず、傲然と通り過ぎた。「まあ、よくあんなことができるわね、アン」と、道を下りながらダイアナがささやいた。半ばとがめ、半ば感心していた。自分ならギルバートの頼みを断れないと思ったのだ。

「ギルバート・ブライスは、絶対に許さないわ」と、アンはきっぱり言った。「それにフィリップス先生は、あたしの名前からEを抜いて書いたのよ。鉄があたしの魂に食いこんだの、ダイアナ。」

ダイアナには何のことか、まったくわからなかったが、恐ろしいことなのはわかった。

「ギルバートが髪をからかったくらい、気にしちゃだめよ」と、なだめた。「誰のことだって、からかうんだから。あたしの髪も、真っ黒だからって笑うのよ。カラスって、もう何度も呼ばれたわ。それに、あの子が何かで謝るなんて、初めて聞いたのよ。」

「カラスと呼ばれるのと、にんじんと呼ばれるのは、大違いよ」と、アンは威厳をこめて言った。「ギルバート・ブライスは、あたしの心を耐えがたいほど傷つけたのよ、ダイアナ。」

それ以上何も起こらなければ、この一件は、さらなる耐えがたい苦しみもなく、おさまったかもしれない。だが、何かが起こりだすと、立て続けに起こるものだ。

アヴォンリーの生徒たちは、昼休みを、丘を越え、大きな牧草地を横切った先にあるベル氏のトウヒ林で、樹脂採りに費やすことが多かった。そこからは、先生が下宿しているイーベン・ライト氏の家を見張れた。フィリップス先生が家から出てくると、学校へ走った。だが、距離はライト家の小道の三倍ほどもあったので、息を切らし、あえぎながら、三分ばかり遅れて着くことが多かった。

翌日、フィリップス先生は、ときどき発作のように起こす規律への熱意に襲われ、昼食に帰る前に宣言した。もどってきたときには全員が席に着いていること。遅れた者は罰する、と。

男の子は全員、女の子も何人か、いつものようにベル氏のトウヒ林へ行った。ただし、噛む分の樹脂[訳注:トウヒの樹脂はチューインガムとして用いられた]を採るだけで帰るつもりだった。

ところがトウヒ林は魅力的で、黄色い木の実のような樹脂は人を引きとめた。採ってはのんびりし、あちこち歩きまわった。そしていつものように、時間の流れを初めて思いださせたのは、長老めいた古いトウヒのてっぺんから響いた、ジミー・グローバーの「先生が来るぞ」という叫びだった。

地面にいた女の子たちは先に走りだし、一秒の余裕もなく、どうにか間に合った。木から慌てて下りなければならなかった男の子たちは遅れた。いちばん遅れたのはアンだった。樹脂など採らず、林のいちばん奥で、腰まであるワラビの中を幸せに歩きまわっていたのだ。低く歌を口ずさみ、髪にはライスリリーの花輪を飾って、薄暗い森の奥の野性の女神のようだった。だが、アンは鹿のように走れた。そして走った結果、運命のいたずらで、戸口で男の子たちに追いつき、ちょうどフィリップス先生が帽子を掛けるところへ、彼らに交じってなだれこんでしまった。

フィリップス先生の短い改革熱は、もう冷めていた。十数人の生徒を罰する手間はかけたくない。だが、言った以上、何かしなければならないので、身代わりを探し、アンを見つけた。席へ崩れこみ、息をあえがせ、忘れた花輪が片耳の上に斜めに垂れているアンは、とりわけだらしなく、乱れた姿に見えた。

「アン・シャーリー、君はそんなに男の子といっしょが好きらしいから、今日の午後は、その好みをかなえてあげましょう」と、皮肉たっぷりに言った。「髪の花を取って、ギルバート・ブライスと座りなさい。」

ほかの男の子たちがくすくす笑った。ダイアナは同情で青ざめ、アンの髪から花輪を取り、手をぎゅっと握った。アンは石になったように、先生を見つめた。

「聞こえたのか、アン?」と、フィリップス先生は厳しく尋ねた。

「はい、先生」と、アンはゆっくり答えた。「でも、本気でおっしゃったとは思わなかったので。」

「本気ですよ、間違いなく」。まだあの皮肉な抑揚があった。子どもたちがみんな、とくにアンが嫌っている口調だった。むき出しの傷をぴしりと打つようだった。「今すぐ従いなさい。」

一瞬、アンは逆らいそうに見えた。だが、どうにもならないと悟ると、つんと立ち上がり、通路を渡ってギルバート・ブライスの隣に座り、机に伏せた腕の中へ顔を埋めた。その顔を一瞬見たルビー・ギリスは、帰り道でみんなに言った。「ほんとに、あんな顔、見たことなかったわ。真っ白なのに、小さな真っ赤なところがあって、恐ろしかったの。」

アンには、万事が終わったように思えた。同じ罪を犯した十数人の中から、一人だけ選ばれて罰せられるだけでも、十分ひどい。男の子の隣へ座らされるのは、なお悪い。しかも、それがギルバート・ブライスだなんて、傷の上へ重ねられた侮辱は、まったく耐えようのないところまで達していた。耐えられないし、耐えようとしても無駄だとアンは思った。全身が、恥と怒りと屈辱に煮え立っていた。

初めのうち、ほかの生徒たちは眺め、ささやき、くすくす笑い、ひじでつつき合った。だがアンは決して顔を上げず、ギルバートは分数だけに魂を注ぎこんだように計算していたので、みんなはじきに自分の勉強へもどり、アンのことは忘れられた。フィリップス先生が歴史の組を呼び出したとき、アンも行くはずだったが、動かなかった。先生はその直前まで「プリシラに寄せて」という詩を書いており、どうしても合わない韻のことをまだ考えていたので、アンがいないのにも気づかなかった。一度、誰も見ていないとき、ギルバートが机から小さな桃色のハート型キャンディーを出した。金文字で「きみはかわいい」と書かれていた。それを、曲げたアンの腕の内側へ滑りこませた。するとアンは身を起こし、桃色のハートを指先でつまみ、床へ落とし、かかとで踏み砕いて粉々にすると、ギルバートに一瞥もくれず、もとの姿勢にもどった。

学校が終わると、アンは自分の机へ歩いていき、わざと人目を引くように、中のものをすべて取り出した。本と筆記帳、ペンとインク、新約聖書と算術書。それらを、ひびの入った石盤の上へきちんと積んだ。

「どうして全部持って帰るの、アン?」

道へ出るとすぐ、ダイアナが尋ねた。それまでは、聞く勇気がなかったのだ。

「もう学校へは来ないの」と、アンは言った。ダイアナは息をのみ、本気かどうか確かめようと、アンを見つめた。

「マリラが家にいさせてくれる?」と、尋ねた。

「そうしてもらうしかないわ」と、アンは言った。「あの人に習うために学校へ来ることなんて、二度とないもの。」

「ああ、アン!」

ダイアナは泣きそうな顔になった。「ひどいと思うわ。あたしはどうすればいいの? フィリップス先生は、あの嫌なガーティ・パイと座らせるに決まっているわ。あの子、一人で座っているんだもの。お願い、もどってきてよ、アン。」

「ダイアナのためなら、たいていのことはするわ」と、アンは悲しげに言った。「あなたのためになるなら、手足をばらばらに引き裂かれてもいいの。でも、これだけはできないわ。だから、頼まないで。魂の奥までかき乱されるのよ。」

「どれだけ楽しいことを逃すか、考えてみて」と、ダイアナは嘆いた。「小川のそばに、新しい素敵なおうちを作るのよ。それに来週はボール遊びをするのに、アン、あなたは一度もしたことがないでしょう。ものすごく面白いのよ。それから新しい歌も習うわ。今、ジェーン・アンドルーズが練習しているの。それに、アリス・アンドルーズが来週、パンジーの新しい本[訳注:パンジーは当時人気の児童文学作家の筆名]を持ってくるから、小川のそばで一章ずつ交代で声に出して読むのよ。あなた、朗読が大好きじゃない、アン。」

何を言われても、アンの心は少しも動かなかった。もう決めたのだ。二度とフィリップス先生の学校へは行かない。帰ると、マリラにもそう告げた。

「馬鹿なことをお言いでない」と、マリラは言った。

「少しも馬鹿なことじゃないわ」と、アンは厳粛な、責めるような目で見つめた。「わからないの、マリラ? あたしは侮辱されたのよ。」

「侮辱も何もあるもんか! 明日はいつもどおり学校へ行くんだよ。」

「いいえ、行かないわ。」

アンは静かに首を振った。「もう行かないわ、マリラ。勉強は家でして、できるだけいい子にして、できるものなら、ずっと黙っている。でも学校へはもどらないわ。これは確かなの。」

アンの小さな顔には、折れそうもない強情さによく似たものが浮かんでいた。打ち負かすのは難しいと、マリラにもわかった。だが賢明にも、その場ではもう何も言うまいと決めた。

「今晩、レイチェルに会ってこよう」と、思った。「今アンに理屈を説いたところで、無駄だよ。あんまり興奮しているし、いったんその気になったら、ひどく頑固になれそうな子だ。話からわかるかぎりでは、フィリップス先生も、ずいぶん横暴なことをしたようだね。でも、あの子にそう言うわけにはいかない。レイチェルに相談してみよう。十人も子どもを学校へやったんだから、何かしらわかるだろう。それに、今ごろはもう一部始終聞いているはずだ。」

リンド夫人は、いつものように勤勉に、機嫌よく、掛けものを編んでいた。

「何のことで来たか、わかっているだろうね」と、マリラは少し照れくさそうに言った。

レイチェル夫人はうなずいた。

「学校でアンが起こした騒ぎのことだろうね」と言った。「ティリー・ボールターが帰りに寄って、話していったよ。」

「あの子をどうすればいいのか、わからなくてね」と、マリラは言った。「もう学校へは行かないと言い張るんだ。あんなに気の立った子は見たことがない。学校へ通いだしてから、いつか問題が起こるとは思っていたんだよ。あまりに順調すぎて、長続きはしないだろうってね。ひどく感じやすい子だから。どうしたらいいと思う、レイチェル?」

「そうだね、せっかく相談してくれたんだから言うけれど、マリラ」と、リンド夫人は愛想よく答えた。相談されるのが大好きなのだ。「初めのうちは、少し好きにさせておくね。私ならそうするよ。フィリップス先生が悪かったと思うもの。もちろん、子どもにはそう言えないけれどね。昨日、かんしゃくを起こしたのを罰したのは正しいさ。でも今日は違う。遅れたほかの子も、アンと同じように罰するべきだったんだよ、まったく。それに、罰として女の子を男の子の隣へ座らせるのは、私は賛成しないね。慎みがないじゃないか。ティリー・ボールターは、ずいぶん腹を立てていたよ。初めから終わりまでアンの味方で、生徒はみんなそうだと言っていた。どうやらアンは、ずいぶん人気があるらしいね。あんなに好かれるとは思わなかったよ。」

「じゃあ、本当に家にいさせたほうがいいと思うのかい?」と、マリラは驚いて言った。

「そうだよ。つまり、自分から言いだすまで、学校のことは持ち出さないね。大丈夫だよ、マリラ。一週間もすれば気が静まって、自分から喜んで帰りたくなるさ。すぐ無理に行かせたら、今度はどんな突飛なまねをするか、どんなかんしゃくを起こすか知れない。いっそう厄介なことになるかもしれないよ。騒ぎは小さくすませるに越したことはないと、私は思うね。勉強ということなら、学校を休んだって、それほど損はしないよ。フィリップス先生は、教師としてはまるでだめだ。教室の規律ときたら、ひどいものさ。小さい子は放っておいて、クイーン学院を受ける大きい生徒ばかりに時間をかける。叔父さんが学務委員でなければ、もう一年雇ってもらえるはずはなかったんだよ。委員といっても、実権を握る委員さ。ほかの二人を鼻先で引きずりまわしているんだから。まったく、この島の教育はどうなることやら、わからないね。」

レイチェル夫人は首を振った。自分さえ州の教育制度の頂点にいれば、もっとまともに運営できるのに、とでも言いたげだった。

マリラはレイチェル夫人の助言に従い、学校へもどることについて、アンに一言も言わなかった。アンは家で勉強し、家の仕事をし、冷たい紫色の秋のたそがれの中でダイアナと遊んだ。だが道や日曜学校でギルバート・ブライスに会うと、氷のような軽蔑を示して通り過ぎた。なだめたいというギルバートの気持ちは明らかだったが、その氷は少しも解けなかった。ダイアナが仲直りさせようとしても、無駄だった。どうやらアンは、一生ギルバート・ブライスを憎みつづけると決めたらしかった。

しかし、ギルバートを憎むのと同じ強さで、アンはダイアナを愛していた。好き嫌いのどちらにも激しい、小さな心のありったけの愛だった。ある夕方、りんごを入れたかごを持って果樹園から入ってきたマリラは、薄暮の東の窓辺にアンが一人で座り、激しく泣いているのを見つけた。

「今度は、いったい何があったんだい、アン?」と、尋ねた。

「ダイアナのことなの」と、アンは泣くことに浸りきって、すすり泣いた。「ダイアナが、とても好きなの、マリラ。あの子なしでは、とても生きられない。でも、大きくなったらダイアナは結婚して、あたしを置いていってしまうって、よくわかっているの。ああ、あたし、どうすればいいの? あの人の夫なんか大嫌い――猛烈に憎んでいるわ。全部想像してみたの――結婚式も、何もかも。ダイアナは雪のような衣装にヴェールをかぶって、女王みたいに美しく、気高いの。あたしは花嫁の付き添いで、やっぱり素敵な、袖のふくらんだドレスを着ているんだけど、笑顔の下では心が砕けているのよ。それからダイアナに、さよならを言うの――」そこでアンは完全に泣き崩れ、いっそう激しく泣きだした。

マリラはひきつる顔を隠そうと、さっと背を向けたが、無駄だった。手近な椅子へ崩れるように座りこむと、珍しいほど豪快に笑いだした。外の庭を横切っていたマシューが、驚いて立ち止まったほどだった。マリラのこんな笑い声を、いったいいつ聞いたことがあっただろう。

「やれやれ、アン・シャーリー」と、ようやく口がきけるようになると、マリラは言った。「どうしても先の心配を借りてこなきゃならないなら、お願いだから、もう少し手近なところから借りておくれ。おまえに想像力があることは、まったく疑いようがないね。」


第十六章 ダイアナをお茶に招いて起きた悲劇

グリーン・ゲイブルズの十月は、美しい月だった。くぼ地の白樺は日差しのような金色になり、果樹園の裏のカエデは王者の深紅に染まった。小道沿いの野桜は、暗い赤や青銅がかった緑の、このうえなく美しい色をまとい、野原では刈りあとに伸びた草が、日に身をゆだねていた。

アンは、まわりを包む色彩の世界に酔いしれた。

「ああ、マリラ」と、ある土曜日の朝、鮮やかな枝を両腕いっぱいに抱え、踊るように入ってきて叫んだ。「十月のある世界に住んでいて、本当によかったわ。九月から十一月へ飛んでしまったら、ひどいことだと思わない? このカエデの枝を見て。胸がわくわくするでしょう――何度も何度も! これで部屋を飾るのよ。」

「散らかるものを」と、美的感覚がとくに発達しているわけではないマリラは言った。「おまえは外のものを持ちこんで、部屋を散らかしすぎるよ、アン。寝室は眠るためにあるんです。」

「ああ、夢を見るためでもあるわ、マリラ。きれいなもののある部屋だと、ずっと素敵な夢が見られるのよ。この枝は古い青い水差しに入れて、テーブルに置くつもりなの。」

「それなら、階段じゅうに葉を落とさないようにね。今日の午後は、カーモディの扶助会の集まりへ行くんだよ、アン。暗くなるまでには帰れないだろうね。マシューとジェリーの夕食を頼むよ。この前みたいに、食卓に着くまでお茶をいれるのを忘れるんじゃありません。」

「忘れるなんて、ひどかったわね」と、アンは申しわけなさそうに言った。「でも、あの午後はスミレの谷の名前を考えていて、ほかのことが頭から押し出されてしまったの。マシューはとても優しかったわ。少しも叱らなかったの。自分でお茶をいれて、少し待てばいいんだと言ったわ。待っているあいだに、きれいな妖精のお話をしてあげたから、時間はちっとも長くなかったのよ。美しいお話だったわ、マリラ。結末を忘れてしまったから、自分で作ったの。でもマシューは、どこからつけ足したのかわからないと言っていたわ。」

「マシューなら、おまえが真夜中に起きて昼ごはんを食べようと思いついたって、かまわないと言うだろうよ、アン。でも、今度はしっかり気をつけておくれ。それから――こうしていいものか、私にもよくわからないけれど――ますますうわの空になるかもしれないけれど――ダイアナを呼んで、午後いっしょに過ごして、ここでお茶を飲んでもいいよ。」

「ああ、マリラ!」

アンは両手を組んだ。「なんて素敵なの! マリラにも、やっぱり想像力があるのね。そうでなければ、あたしがどんなにそうしたかったか、わかるはずないもの。とても素敵で、大人みたいな気分になるわ。お客様がいるのなら、お茶をいれるのを忘れる心配はないわよ。ねえ、マリラ、ばらのつぼみの枝模様のお茶道具を使ってもいい?」

「とんでもない! ばらのつぼみのお茶道具だって! 次には何を言いだすやら。あれは牧師さんか扶助会の方にしか使わないのを、知っているだろう。古い茶色の道具を出しなさい。でも、黄色い小つぼのサクランボの砂糖煮は開けてもいいよ。どのみち、もう使うころだからね。少し発酵しかけているようだし。それからフルーツケーキを切って、クッキーと薄焼きのビスケットも出していいよ。」

「食卓の上座に座って、お茶を注いでいる自分の姿が、目に浮かぶわ」と、アンはうっとり目を閉じた。「それでダイアナに、お砂糖はお使いになりますか、って尋ねるの! 使わないことは知っているけど、もちろん知らないふりをして聞くわ。それからフルーツケーキをもう一切れ、砂糖煮をもう少しと勧めるの。ああ、マリラ、考えるだけで素敵な気持ちよ。ダイアナが来たら、帽子を取るために客用寝室へ案内してもいい? それから客間で座るのは?」

「いいえ。おまえたちには居間で十分だよ。でも、この前の教会の懇親会で残ったラズベリー・コーディアル[訳注:果汁を砂糖などで甘くした飲み物]が、半瓶あるんだ。居間の戸棚の二段目にあるから、よければ二人で飲んでもいいよ。午後のおやつに、クッキーもいっしょにね。マシューはジャガイモを船へ運んでいるから、夕食に帰るのが遅くなるだろうし。」

アンはくぼ地へ駆け下り、木の精の泉を過ぎ、トウヒの小道を果樹園の丘へ駆け上がって、ダイアナをお茶に招いた。その結果、マリラが馬車でカーモディへ出かけるとすぐ、ダイアナがやってきた。自分の二番目によい服を着て、お茶に招かれたときにまさにふさわしい姿だった。ふだんならノックもせず台所へ駆けこんでくるのだが、今日はかしこまって玄関の戸をたたいた。こちらも二番目によい服を着たアンが、同じくかしこまって戸を開けると、二人は初対面のように、まじめくさって握手した。この不自然な厳粛さは、ダイアナが東の切妻の部屋で帽子を脱ぎ、それから居間へ通されて、つま先をそろえて十分間座るまで続いた。

「お母様はお元気?」と、アンは丁寧に尋ねた。その朝、バリー夫人がすこぶる元気で機嫌よく、りんごを摘んでいる姿など、見なかったかのように。

「ええ、とても元気です。ありがとう。カスバートさんは今日の午後、リリー・サンズ号へジャガイモを運んでいらっしゃるのでしょう?」と、ダイアナは言った。その朝、マシューの荷馬車に乗せてもらい、ハーモン・アンドルーズ氏の家まで行っていたのだ。

「ええ。今年はジャガイモが大豊作なの。あなたのお父様の畑も、よい実りだといいわね。」

「まあまあよ、ありがとう。りんごはもうたくさん摘んだの?」

「ええ、それはもう、たくさん」と、アンは威厳を忘れ、素早く跳び上がった。「果樹園へ行って、赤い甘りんごを取ってきましょう、ダイアナ。木に残っている分は、いくら食べてもいいとマリラが言ったの。マリラは、とても気前のいい女の人よ。お茶にはフルーツケーキとサクランボの砂糖煮を出していいって。でも、お客様に何をお出しするか先に話すのは、お行儀が悪いから、飲み物は何を許してもらったか言わないわ。ただ、RとCで始まって、真っ赤なものよ。真っ赤な飲み物って大好き。あなたもでしょう? ほかの色の飲み物より、二倍おいしいもの。」

実の重みで大枝を地面までしならせた果樹園は、とても心地よく、二人は午後の大半をそこで過ごした。霜にも緑を奪われず、やわらかな秋の日差しのぬくもりが残る草地の隅に座り、りんごを食べ、せっせとしゃべった。ダイアナには、学校のことでアンに話したいことが山ほどあった。ガーティ・パイと座らされて、うんざりしている。あの子はいつも石筆をきいきい鳴らすので、ダイアナは血が凍りそうになるのだ。ルビー・ギリスは、入り江のメアリー・ジョーばあさんにもらった魔法の小石で、いぼを全部消してしまった。本当なのだ。新月のときに、その小石でいぼをこすり、左肩越しに投げ捨てると、いぼが全部消えるという。チャーリー・スローンの名前が、エム・ホワイトと並べてポーチの壁に書かれ、エムはかんかんになっている。サム・ボールターが授業中フィリップス先生に「生意気な口をきいて」、先生にむちで打たれたので、父親が学校へ乗りこんできて、もう一度うちの子に手を上げてみろと先生に詰め寄った。マティ・アンドルーズは、新しい赤いずきんと房のついた青い肩掛けを持っていて、その気取りぶりは、まったく鼻持ちならない。リジー・ライトはメイミー・ウィルソンと口をきかない。メイミーの大きいお姉さんが、リジーの大きいお姉さんから恋人を奪ったからだ。それから、みんなアンを恋しがっていて、学校へもどってくればいいと言っている。そしてギルバート・ブライスは――。

だがアンは、ギルバート・ブライスのことは聞きたくなかった。急いで立ち上がり、中へ入ってラズベリー・コーディアルを飲まないかと持ちかけた。

アンは居間の戸棚の二段目を見たが、ラズベリー・コーディアルの瓶はなかった。探すと、いちばん上の棚の奥に見つかった。アンは盆にのせ、コップといっしょにテーブルへ運んだ。

「さあ、どうぞ、ご自由に、ダイアナ」と、丁寧に言った。「あたしは、今はやめておくわ。あんなにりんごを食べたら、飲みたい気がしないの。」

ダイアナはコップいっぱいに注ぎ、鮮やかな赤に見とれてから、おしとやかにひと口飲んだ。

「とてもおいしいラズベリー・コーディアルね、アン」と言った。「ラズベリー・コーディアルがこんなにおいしいなんて、知らなかったわ。」

「気に入ってくれて、本当にうれしい。好きなだけ飲んでね。あたし、ちょっと火をかき立ててくるわ。家を切り盛りすると、気にかけなくちゃならない責任が、たくさんあるものね。」

アンが台所からもどると、ダイアナは二杯目を飲んでいた。アンに熱心に勧められると、三杯目にも、とくに異存は示さなかった。一杯一杯は気前よくたっぷりで、ラズベリー・コーディアルは、たしかにとてもおいしかった。

「今まで飲んだ中で、いちばんおいしいわ」と、ダイアナは言った。「リンド夫人は、あんなにご自分のを自慢なさるけど、それよりずっとおいしいの。味は少しも似ていないわ。」

「マリラのラズベリー・コーディアルなら、リンド夫人のよりずっとおいしいだろうと思うわ」と、アンは忠実に答えた。「マリラは料理の名人ですもの。あたしにも教えようとしているけど、ダイアナ、これがまるで楽に進まないのよ。料理には想像を広げる余地がほとんどないんだもの。決まりどおりにしなくちゃならないの。この前ケーキを作ったときは、小麦粉を入れ忘れたわ。あなたとあたしの、とても素敵なお話を考えていたのよ、ダイアナ。あなたが天然痘で危篤になって、みんなが見捨てるの。でもあたしは勇敢に枕元へ行って、看病して命を救うのよ。それからあたしも天然痘になって死んで、墓地のあのポプラの下へ埋められるの。あなたはあたしのお墓にばらの木を植えて、涙で水をやるわ。そして、自分のために命をささげた幼い日の友を、決して、決して忘れないの。ああ、とても悲しいお話だったわ、ダイアナ。ケーキを混ぜているあいだ、涙が頬を雨のように流れたの。でも小麦粉を忘れたから、ケーキは惨めな失敗だったわ。小麦粉って、ケーキには欠かせないものなのね。マリラはひどく怒ったけど、無理もないわ。あたしはあの人に、とても苦労をかけているもの。先週のプディングのソースのことでは、ひどく恥ずかしい思いをさせたわ。火曜日のお昼にプラム・プディング[訳注:干し果物を入れた蒸し菓子]を食べて、半分と、ソースが水差し一杯ぶん残ったの。マリラは、もう一食分あるから、食料戸棚の棚に置いて、覆いをしておきなさいと言ったわ。ちゃんと覆うつもりだったのよ、ダイアナ。でも運んでいくとき、修道女になったつもりでいたの――もちろんあたしはプロテスタントだけど、カトリックだと想像したのよ――傷ついた心を静かな修道院に葬るために、ヴェールをかぶるところだったの。それでソースに覆いをすることを、すっかり忘れてしまったのよ。翌朝思いだして、戸棚へ走ったわ。ダイアナ、そのソースの中でネズミがおぼれているのを見つけたときの恐ろしさを、想像できるものならしてみて! スプーンでネズミをすくって庭へ捨て、それから水を三度替えてスプーンを洗ったの。マリラは乳しぼりに出ていたから、帰ってきたら、ソースを豚にやっていいか聞くつもりだったわ。でも帰ってきたときには、あたしは霜の妖精になって、森を歩きながら、木が望むままに赤や黄色に変えてやっていたの。だからソースのことは、もう思いもしなかった。マリラは、りんごを摘みにいくように言ったわ。そうしたら、その朝、スペンサーベールのチェスター・ロス夫妻がいらしたの。とてもあか抜けた方たちなのよ。とくにチェスター・ロス夫人はね。マリラに呼ばれて入ると、お昼の支度はすっかりできて、みんな席についていたわ。あたしは、できるだけ礼儀正しく、品よくしようとしたの。美人ではなくても、おしとやかな女の子だと、チェスター・ロス夫人に思っていただきたかったから。何もかもうまくいっていたわ。マリラが片手にプラム・プディング、もう片方に、温め直したソースの水差しを持ってくるまでは。ダイアナ、恐ろしい瞬間だったわ。何もかも思いだして、あたしはその場に立ち上がって叫んだの。『マリラ、そのソースを使っちゃだめ。ネズミがおぼれていたの。言うのを忘れていたわ』。ああ、ダイアナ、百歳まで生きても、あの恐ろしい瞬間は忘れない。チェスター・ロス夫人は、ただじっとあたしを見たの。恥ずかしくて、床の下へ沈むかと思ったわ。家のことを完璧になさる方なのよ。あたしたちをどう思ったか、考えてみて。マリラは火のように赤くなったけど、一言も言わなかった――その場ではね。ただソースとプディングを持って出て、イチゴの砂糖煮を持ってきたわ。あたしにも勧めてくれたの。でも、ひと口も飲みこめなかった。頭に燃える炭を積まれる[訳注:親切にされることで、かえって自責の念が募るという聖書由来の表現]ような気持ちだったわ。チェスター・ロス夫人がお帰りになると、マリラにひどく叱られたの。まあ、ダイアナ、どうしたの?」

ダイアナは、ひどくふらつきながら立ち上がり、また座りこんで、頭に手を当てた。

「あたし――ひどく気持ちが悪いの」と、少し舌のもつれた声で言った。「あたし――あたし――すぐ帰らなくちゃ。」

「ああ、お茶も飲まずに帰るなんて、考えちゃだめよ」と、アンは困りきって叫んだ。「すぐ支度するわ。今すぐ行って、お茶をいれるから。」

「帰らなくちゃ」と、ダイアナはぼんやりしながらも、頑固に繰り返した。

「せめて何か食べていって」と、アンは懇願した。「フルーツケーキを少しと、サクランボの砂糖煮を出させてよ。しばらくソファに横になれば、よくなるわ。どこが悪いの?」

「帰らなくちゃ」と、ダイアナは言った。それしか言わなかった。アンが頼んでも無駄だった。

「お茶も飲まずに帰るお客様なんて、聞いたことがないわ」と、アンは嘆いた。「ああ、ダイアナ、もしかして本当に天然痘にかかりかけているのかしら? そうなら、あたしが看病にいくわ。必ずよ。決して見捨てない。でも、せめてお茶がすむまでいてくれたらいいのに。どこが悪いの?」

「ひどく、めまいがするの」と、ダイアナは言った。

実際、足どりはひどくふらふらしていた。アンは失望の涙を浮かべながら、ダイアナの帽子を取り、バリー家の庭の柵まで送っていった。それからグリーン・ゲイブルズまで、道じゅう泣いて帰り、悲しげに残りのラズベリー・コーディアルを戸棚へもどすと、マシューとジェリーの夕食を用意した。もう、その仕事に何の張り合いもなかった。

翌日は日曜日で、夜明けから日暮れまで土砂降りだったので、アンはグリーン・ゲイブルズから一歩も出なかった。月曜日の午後、マリラはアンをリンド夫人の家へ使いにやった。ほどなくして、アンは頬に涙を流しながら、小道を飛ぶようにもどってきた。台所へ駆けこむと、苦しみに身を任せ、ソファへうつ伏せに倒れこんだ。

「今度はいったい何があったんだい、アン?」と、マリラは不安と困惑をこめて尋ねた。「またリンド夫人に、生意気なことを言ったんじゃないだろうね。」

アンは答えず、涙はいよいよ増え、すすり泣きはいよいよ激しくなった。

「アン・シャーリー、質問したら返事をしておくれ。今すぐ起き上がって、何を泣いているのか話しなさい。」

アンは、悲劇そのものの姿で起き上がった。

「リンド夫人が今日、バリー夫人のところへ行ったら、ものすごく怒っていたんですって」と、泣き声で言った。「あたしが土曜日にダイアナを酔っぱらわせて、みっともない姿で帰したって。あたしは心底悪い、邪悪な女の子に違いないから、もう二度と、二度と、ダイアナをあたしと遊ばせないんですって。ああ、マリラ、あたしは悲しみに押しつぶされそう。」

マリラは、あっけにとられて見つめた。

「ダイアナを酔っぱらわせただって!」と、ようやく声を出した。「アン、気が変なのはおまえなのか、バリー夫人なのかい? いったい何を飲ませたんだい?」

「ラズベリー・コーディアルだけよ」と、アンはすすり泣いた。「コーディアルで酔っぱらうなんて、考えもしなかったわ、マリラ。ダイアナみたいに大きなコップで三杯飲んだってね。ああ、なんだか――まるで――トーマス夫人のご主人みたいに聞こえるわ! でも、酔わせるつもりなんかなかったの。」

「酔っぱらうなんて、馬鹿な話だよ!」と、マリラは言い、居間の戸棚へ大股で向かった。棚にある瓶を見て、すぐにわかった。それは自家製の、三年物のスグリ酒だった。マリラのスグリ酒はアヴォンリーで評判だったが、厳格な人々の中には強く反対する者もいて、バリー夫人もその一人だった。同時にマリラは思いだした。ラズベリー・コーディアルの瓶は、アンに言ったように戸棚ではなく、地下室へしまったのだった。

酒の瓶を手に、マリラは台所へもどった。抑えようとしても、顔がひくついた。

「アン、おまえはまったく、面倒を起こす天才だね。ラズベリー・コーディアルのかわりに、スグリ酒を飲ませたんだよ。自分で違いがわからなかったのかい?」

「あたしは一口も飲まなかったの」と、アンは言った。「コーディアルだと思ったわ。あたしは、ただ――ただ――心をこめておもてなししたかったの。ダイアナはひどく気分が悪くなって、帰らなくちゃならなくなった。バリー夫人は、まったく泥酔していたとリンド夫人に言ったんですって。どうしたのか聞いたら、へらへら笑って、そのまま寝て、何時間も眠ったそうよ。お母さんが息のにおいをかいで、酔っているとわかったの。昨日は一日じゅう、ひどい頭痛だったんですって。バリー夫人は、ものすごく怒っているわ。あたしがわざとやったのでなければ、絶対に信じないのよ。」

「何にしたって、三杯も欲張って飲んだダイアナを叱るほうがいいと思うね」と、マリラはそっけなく言った。「あの大きなコップに三杯も飲んだら、ただのコーディアルだって気分が悪くなるよ。やれやれ、この話は、私がスグリ酒を作るのを目の敵にしている人たちには、いい口実になるだろうね。牧師さんが賛成なさらないとわかってから、この三年、一度も作っていないというのに。あの瓶は病気のときのために取っておいただけなんだよ。さあさあ、泣くんじゃない。こんなことになったのは残念だけど、おまえが悪いとは思えないからね。」

「泣かずにはいられないわ」と、アンは言った。「心が砕けたんだもの。天を巡る星までも、あたしに敵対しているのよ、マリラ。ダイアナとあたしは、永遠に引き裂かれたの。ああ、マリラ、初めて友情の誓いを立てたときは、こんなこと、夢にも思わなかったわ。」

「馬鹿なことをお言いでない、アン。おまえが悪くないとわかれば、バリー夫人も考え直すだろうさ。きっと、くだらないいたずらか何かでしたと思っているんだよ。今晩行って、どうだったか話してくるといい。」

「ダイアナを傷つけられたお母さんに向き合うと思うと、勇気がくじけるわ」と、アンはため息をついた。「マリラが行ってくれたらいいのに。あたしより、ずっと威厳があるんだもの。あたしより、マリラの話のほうが、すぐ聞いてくれるでしょう。」

「そうだね、私が行こう」と、マリラは、たぶんそのほうが賢明だと思って言った。「もう泣かないでおくれ、アン。大丈夫だから。」

だが、果樹園の丘から帰るころには、大丈夫だというマリラの考えは変わっていた。帰りを待っていたアンが、ポーチの戸口へ飛んで迎えた。

「ああ、マリラ、顔を見れば、だめだったとわかるわ」と、悲しげに言った。「バリー夫人は許してくれないのね?」

「バリー夫人だって!」と、マリラはぴしゃりと言った。「今まで見た中で、あれほど理不尽な女はいないね。全部間違いで、おまえは悪くないと説明したのに、どうしても信じないんだよ。それに私のスグリ酒のことで、誰にも少しも害はないと、いつも言っていたじゃないかと、さんざん嫌味を言ったんだ。だから、はっきり言ってやったよ。スグリ酒はコップで三杯もいっぺんに飲むものじゃありません、私の預かる子がそれほど欲張ったなら、たっぷりお尻をたたいて酔いを覚ましてやりますってね。」

マリラはひどく気を乱したまま台所へさっと入り、ポーチには、すっかり取り乱した小さな魂が残された。やがてアンは、帽子もかぶらず、冷たい秋の夕闇へ出ていった。西の森の上低くかかる淡い小さな月に照らされ、枯れたクローバー畑を下り、丸太橋を渡り、トウヒ林を上った。その足どりは、決然として揺るがなかった。おずおずと戸をたたく音に出てきたバリー夫人は、唇を白くし、切実な目をした小さな嘆願者が、戸口に立っているのを見た。

その顔が硬くなった。バリー夫人は思いこみも好き嫌いも激しい女で、怒りは冷たくむっつりした、いちばん鎮めにくい種類だった。公平に言えば、アンがまったくの悪意から、計画的にダイアナを酔わせたのだと、本気で信じていた。そして、そのような子と親しくして、幼い娘が悪く感化されるのを防ぎたいと、心から願っていたのだ。

「何の用?」と、冷淡に言った。

アンは両手を組んだ。

「ああ、バリー夫人、どうか許してください。ダイアナを――その――酩酊させるつもりなんかなかったんです。どうしてそんなことができるでしょう? 想像してみてください。ご自分が、親切な人に引き取られた、かわいそうな小さな孤児で、この世にたった一人の腹心の友がいたとしたら。その友達を、わざと酩酊させようと思いますか? ただのラズベリー・コーディアルだと思ったんです。ラズベリー・コーディアルだと、固く信じていたんです。ああ、どうか、もうダイアナを遊ばせないなんて言わないでください。そんなことをなさったら、あたしの人生は、悲しみの黒雲で覆われてしまいます。」

善良なリンド夫人なら一瞬で心を和らげただろうこの訴えも、バリー夫人には、いっそう腹を立てさせる効果しかなかった。アンの大げさな言葉や芝居がかった身ぶりを疑い、自分をからかっているのだと思ったのだ。そこで、冷たく残酷に言った。

「あなたは、ダイアナのお友達にふさわしい子ではないと思います。おうちへ帰って、お行儀よくすることね。」

アンの唇が震えた。

「たった一度、お別れを言うために、ダイアナに会わせていただけませんか?」と、懇願した。

「ダイアナは父親とカーモディへ行っています」と、バリー夫人は言い、中へ入って戸を閉めた。

アンは絶望に静まり返って、グリーン・ゲイブルズへ帰った。

「最後の希望もなくなったわ」と、マリラに告げた。「自分でバリー夫人に会いにいったの。でも、ひどく侮辱的な扱いを受けたわ。マリラ、あの方は育ちのよい女の人だとは、思わない。もう祈るほかにすることはないけれど、それもあまり役には立たない気がするの。だってマリラ、バリー夫人みたいに頑固な人は、神様ご自身でも、どうにもできないと思うから。」

「アン、そんなことを言うものじゃありません」と、マリラはたしなめた。よからぬ笑いの衝動を抑えようとしていた。このごろ、それがますます強くなる自分に、戸惑っていたのだ。そして実際、その夜マシューに一部始終を話したときには、アンの受難を思って大いに笑った。

だが寝る前、東の切妻の部屋へそっと入り、アンが泣きながら眠ってしまったのを見ると、その顔に、ふだんにはない優しさが忍びこんだ。

「かわいそうな子」と、つぶやき、涙の跡の残る顔から、ほどけた巻き毛をそっとよけた。それから身をかがめ、枕の上の赤い頬に口づけした。


第十七章 新しい生きがい

翌日の午後、台所の窓辺でつぎはぎにかがみこんでいたアンは、ふと外へ目をやり、木の精の泉のそばでダイアナが、ひそかに手招きしているのを見つけた。次の瞬間には家を飛び出し、くぼ地へ駆け下りていた。表情豊かな目の中で、驚きと希望がせめぎ合っていた。だが、ダイアナの沈んだ顔を見ると、希望は消えた。

「お母さんは、まだ許してくださらないの?」と、息を切らして尋ねた。

ダイアナは悲しげに首を振った。

「ええ。ああ、アン、もう二度と遊んじゃいけないって。あたし、泣いて泣いて、あなたが悪いんじゃないと言ったけど、だめだったの。ここへ来てお別れを言わせてもらうのも、ずいぶん頼みこんだのよ。十分だけだって。時計で計っているわ。」

「永遠のお別れを言うのに、十分はあまり長くないわね」と、アンは涙ながらに言った。「ああ、ダイアナ、たとえもっと親しい友が、そなたを慈しむようになっても、幼い日の友であるあたしを、決して忘れないと、固く約束してくれる?」

「もちろんよ」と、ダイアナはすすり泣いた。「もうほかに腹心の友なんて作らないわ。ほしくもないの。あなたほど好きになれる人なんて、いないもの。」

「ああ、ダイアナ」と、アンは両手を組んで叫んだ。「あたしを愛してくれているの?」

「ええ、もちろん。知らなかったの?」

「知らなかったわ。」

アンは大きく息を吸った。「好きでいてくれるとは思っていたけど、愛してくれているなんて、望みもしなかったわ。だってダイアナ、あたしを愛せる人がいるなんて、思わなかったもの。物心ついてから、誰にも愛されたことがなかったのよ。ああ、なんて素晴らしいの! そなたと引き離された暗い道を、永遠に照らす一筋の光だわ、ダイアナ。ああ、もう一度だけ言って。」

「心から愛しているわ、アン」と、ダイアナはしっかり言った。「これからもずっとよ。それだけは信じてね。」

「あたしも、そなたを永遠に愛するわ、ダイアナ」と、アンは厳かに手を差し出した。「これから先、そなたの思い出は、あたしの孤独な人生の上に、星のように輝くでしょう。この前いっしょに読んだお話にあったとおりにね。ダイアナ、別れに、そなたの漆黒の髪をひと房くれないかしら。永遠に宝物にするために。」

「切るものを持っている?」と、ダイアナは尋ねた。アンの感動的な言葉にまたあふれた涙を拭き、現実へ立ち返ったのだ。

「ええ。幸い、つぎはぎ用のはさみがエプロンのポケットにあるわ」と、アンは答え、厳かにダイアナの巻き毛をひと房切った。「さらば、愛する友よ。これからは隣り合って暮らしながら、他人のようであらねばならないのね。でも、あたしの心は、永遠にそなたに忠実でありつづけるわ。」

アンはダイアナが見えなくなるまで立って見送り、振り返るたびに悲しげに手を振った。それから家へもどった。このロマンチックな別れに、ひとまずは、かなり慰められていた。

「何もかも終わったわ」と、マリラに知らせた。「もう二度と友達はできないの。今はケイティ・モーリスもヴィオレッタもいないから、昔よりもっとつらいわ。たとえいたって、同じではないでしょうね。本当の友達を知ったあとでは、どういうわけか、夢の中の女の子では満足できないのよ。ダイアナとあたしは、泉のそばで、とても心を打つお別れをしたわ。あの思い出は、いつまでも神聖なものになるでしょう。思いつくかぎりいちばん悲しい言葉を使って、『あなた』じゃなくて『そなた』と言ったの。『そなた』って、『あなた』よりずっとロマンチックに思えるわ。ダイアナが髪をひと房くれたから、小さな袋に縫いこんで、一生首から下げるつもりなの。必ずいっしょに埋めてちょうだいね。あたし、もう長くは生きないと思うから。あたしが冷たく死んで横たわる姿を見たら、バリー夫人もしたことを悔やんで、ダイアナをお葬式へ来させてくださるかもしれないわ。」

「それだけしゃべれるうちは、悲しみで死ぬ心配は、あまりなさそうだね、アン」と、マリラは同情も見せずに言った。

次の月曜日、アンは教科書のかごを腕に掛けて腰に当て、唇を決意の一直線に結んで部屋から下りてきた。マリラは驚いた。

「学校へもどるわ」と、宣言した。「友を無慈悲に引き離された今、人生に残っているのは、それだけだもの。学校なら、あの子を見ながら、過ぎ去った日々に思いをはせられるわ。」

「勉強と計算に思いをはせたほうがいいよ」と、マリラは、この成り行きへの喜びを隠して言った。「学校へもどるのなら、人の頭で石盤を割ったとか、そういう騒ぎは、もう聞かせないでおくれ。行儀よくして、先生に言われたとおりにするんだよ。」

「模範生徒になるよう努めるわ」と、アンは悲しげに答えた。「あまり面白くはないでしょうけど。フィリップス先生は、ミニー・アンドルーズが模範生徒だと言ったけど、あの子には想像力も生き生きしたところも、ひとかけらもないのよ。退屈で、のろのろしていて、楽しんでいるようには見えないの。でも今はこんなに気が沈んでいるから、あたしにも簡単になれるかもしれないわ。大通りを回っていくつもり。白樺の小道を一人で歩くなんて、耐えられないもの。そんなことをしたら、悲痛な涙を流すわ。」

アンは学校で、大歓迎された。遊びにはアンの想像力が、歌にはその声が、昼休みの朗読には芝居心が、ひどく欠けていたのだ。ルビー・ギリスは新約聖書を読んでいるあいだに、青紫のスモモを三つ、こっそり渡してくれた。エラ・メイ・マクファーソンは、花のカタログの表紙から切り抜いた、大きな黄色いパンジーをくれた。アヴォンリー学校では、机の飾りとして大いにもてはやされるものだった。ソフィア・スローンは、エプロンの縁飾りにぴったりの、とても優雅な新しいレース編みの模様を教えてあげると言った。ケイティ・ボールターは、石盤をぬらす水を入れる香水瓶をくれた。ジュリア・ベルは、縁を波形に切った淡い桃色の紙に、次の詩を丁寧に書き写した。

「アンへ

「たそがれが幕を下ろし
星を留め金にするとき
忘れないで、あなたには友がいることを
たとえ遠くへさすらおうとも。」

「大切に思ってもらえるって、本当にうれしいものね」と、その夜アンは、うっとりため息をつきながらマリラに言った。

アンを「大切に思って」いた生徒は、女の子だけではなかった。昼休みが終わって席へもどると――フィリップス先生に、模範的なミニー・アンドルーズと座るよう言われていた――机の上に、大きくておいしそうな「イチゴりんご」が置いてあった。

アンは手に取り、今にもかじろうとしたところで、思いだした。アヴォンリーでイチゴりんごが実るのは、輝く湖水の向こう側にある、ブライス家の古い果樹園だけなのだ。アンは、真っ赤な炭にでも触れたようにりんごを放し、これみよがしにハンカチで指を拭いた。りんごは翌朝まで手つかずで机に残り、学校の掃除と火起こしをする幼いティモシー・アンドルーズが、役得の一つとして頂戴した。いっぽう、昼休みのあとチャーリー・スローンが送ってよこした石筆は、もっと好意的に迎えられた。赤と黄色の縞模様の紙できらびやかに飾られ、普通の石筆が一セントなのに、二セントもするものだった。アンは好意を示して受け取り、贈り主にほほえみを返した。その笑顔で、夢中な少年はたちまち有頂天に舞い上がり、書き取りで恐ろしいほど間違えたため、放課後、先生に居残りで書き直しをさせられた。

だが、

カエサルの行列にブルータスの像が欠けていたために
ローマは、最良の息子をいっそう深く思い起こしたように、

ガーティ・パイと座っているダイアナ・バリーからだけは、
贈り物も歓迎のしるしもないことが際立ち、アンの小さな勝利を苦くした。

「一度くらい、ほほえんでくれてもよかったと思うわ」と、その夜マリラに嘆いた。だが翌朝、恐ろしくも見事にねじられ、折りたたまれた手紙と、小さな包みがアンへ回ってきた。

「親愛なるアンへ」と、手紙にはあった。「お母さんが、学校でも
あなたと遊んだり、お話ししたりしてはいけないって言うの。あたしのせいじゃないから、
怒らないでね。前と変わらず、あなたが大好きなんだから。秘密を全部
話せなくて、とても寂しいわ。ガーティ・パイは少しも好きじゃないの。あなたに
赤い薄紙で、新しいしおりを作ったわ。今、とても流行していて、
作り方を知っているのは、学校で三人だけなの。これを見るたびに思いだしてね。

あなたの真の友、ダイアナ・バリーを。

アンは手紙を読み、しおりに口づけし、すぐに返事を教室の向こう側へ送った。

あたしのいとしいダイアナへ――  
    もちろん怒ってはいないわ。お母さんに従わなくちゃいけないもの。あたしたちは
魂で通じ合えるわ。素敵な贈り物は永遠に大切にする。ミニー・アンドルーズは
とてもいい子よ――想像力はないけれど――でも、
ダイアナの腹芯の友だったあたしは、ミニーの友にはなれないわ。書き間違いは
許してね。ずいぶん進歩わしたけれど、
つづりはまだ、あまり上手じゃないの。

死が二人を分かつまで、あなたの アン、またはコーデリア・シャーリー。

追伸 今夜はあなたの手紙を枕の下に入れて眠るわ。

A、またはC・S。

アンがまた学校へ通いだしたので、マリラは悲観的に、次の騒動を予期していた。だが何も起こらなかった。ミニー・アンドルーズから「模範」の精神をいくらか吸収したのかもしれない。少なくとも、それからはフィリップス先生とうまくやっていった。どの教科でもギルバート・ブライスに負けまいと心に決め、勉強に全身全霊を打ちこんだ。二人の競争は、じきに誰の目にも明らかになった。ギルバートの側には、まったく悪意がなかった。だがアンについて、同じことが言えるとは、残念ながら思えない。恨みを抱きつづける粘り強さは、決してほめられたものではなかった。愛情と同じく、憎しみも激しかったのだ。勉強でギルバートに対抗しようとしているとは、決して認めなかった。それでは、かたくなに無視している相手の存在を認めることになるからだ。それでも競争はあり、栄冠は二人のあいだを行き来した。ギルバートがつづりの組で一番になったかと思うと、アンが長い赤い三つ編みを振り、正しく答えて彼を追い越した。ある朝、ギルバートが計算をすべて正解し、優等生として黒板に名前を書かれると、翌朝は前夜ずっと小数と激闘したアンが一番になった。ある恐ろしい日には同点となり、二人の名が並べて書かれた。それは「ご注目」とほとんど同じくらい嫌なことで、ギルバートの満足と同じくらい、アンの屈辱も明らかだった。毎月末の筆記試験のときには、結果を待つ緊張はすさまじかった。最初の月はギルバートが三点上だった。二か月目はアンが五点勝った。だが、ギルバートが学校じゅうの前で心から祝ってくれたので、その勝利は傷ついた。負けた痛みを味わってくれたなら、どんなに甘い勝利になっただろう。

フィリップス先生は、あまりよい教師ではなかったかもしれない。だがアンほど、学ぼうという意志が揺るがない生徒なら、どんな教師のもとでも進歩せずにはいられなかっただろう。学期末にはアンもギルバートも第五級へ進み、「上級科目」の初歩を学ぶことになった。ラテン語、幾何、フランス語、代数のことだった。そして幾何において、アンはワーテルロー[訳注:ナポレオンが決定的敗北を喫した戦場。ここでは大敗の意]を迎えた。

「まったく恐ろしい勉強よ、マリラ」と、うめいた。「どう考えても、一生わかるようにはならないわ。想像を広げる余地が、少しもないんだもの。フィリップス先生は、これほど幾何のできない間抜けは見たことがないって言うの。それなのにギル――じゃなくて、ほかの何人かは、とてもよくできるのよ。ひどく屈辱的だわ、マリラ。

「ダイアナでさえ、あたしよりよくできるの。でも、ダイアナに負けるのは気にならないわ。今は他人のように会っていても、消えることのない愛で、あの子を愛しているんだもの。考えると、とても悲しくなることもあるわ。でも本当に、マリラ、こんなに面白い世界では、そう長く悲しんではいられないものね?」


第十八章 アンの救援

大きな出来事は、どれも小さな出来事と結びついている。あるカナダの首相が遊説先にプリンス・エドワード島を加えようと決めたことなど、グリーン・ゲイブルズの幼いアン・シャーリーの運命とは、ほとんど、あるいはまったく関係がなさそうに思えるだろう。けれども、ちゃんと関係があったのだ。

首相がやって来たのは一月だった。シャーロットタウンで開かれる大集会に集まった忠実な支持者と、反対派ながら出席する気になった人々を前に、演説をするためである。アヴォンリーの人々の大半は首相と同じ党派に属していたので、集会の夜には男という男がほとんど、女たちもかなりの人数が、三十マイル離れた町へ出かけていた。レイチェル・リンド夫人もその一人だった。夫人は筋金入りの政治好きで、反対党の人間ではあっても、自分抜きで政治集会が無事に済むとは思えなかったのだ。そこで夫を連れ――トーマスには馬の世話という役目がある――マリラ・カスバートも誘って町へ向かった。マリラ自身、ひそかに政治に関心があり、本物の首相をこの目で見られる機会は、これを逃せば二度とないかもしれないと思ったので、すぐに誘いに乗った。翌日帰るまで、留守はアンとマシューに任せることにした。

そんなわけで、マリラとレイチェル夫人が大集会を存分に楽しんでいるころ、アンとマシューはグリーン・ゲイブルズの居心地のよい台所を独り占めしていた。昔ながらのウォータールー式ストーブには明るい火が燃え、窓ガラスには青白い霜の結晶がきらめいていた。マシューは長椅子で*『ファーマーズ・アドヴォケート』*を広げたまま、こっくりこっくり舟をこいでいた。アンはテーブルに向かい、固い決意で勉強に取り組んでいたが、時計棚へ未練たっぷりの視線を何度も送らずにはいられなかった。そこには、今日ジェーン・アンドルーズが貸してくれたばかりの本が置いてあったのだ。ジェーンの請け合うところでは、読めば胸が何度もどきどきすること間違いなし――言葉は少し違ったかもしれないが、そういう本だった。アンは手を伸ばしたくて指先がうずうずした。けれど、そうすれば明日はギルバート・ブライスに負けてしまう。アンは時計棚に背を向け、本などそこにはないのだと想像しようとした。

「マシュー、学校で幾何を習ったことはある?」

「いや、そうさな、習わなかったよ」とマシューは、うたた寝からびくりと目を覚まして答えた。

「習っていてくれたらよかったのに」とアンはため息をついた。「そうしたら、わたしに同情してもらえるでしょう。習ったことのない人には、本当のところはわからないわ。幾何のせいで、わたしの人生すべてに暗雲が垂れこめているの。わたし、幾何ではまるでおばかなのよ、マシュー。」

「いや、そうさな、そんなことはないだろう」とマシューはなだめるように言った。「おまえなら何でもよくできると思うがね。先週、カーモディのブレアの店でフィリップス先生に会ったら、おまえは学校でいちばん利口で、めきめき進歩していると言っていたよ。『めきめき進歩』と、確かにそう言ったんだ。テディ・フィリップスをけなして、ろくな先生じゃないと言う者もいるが、わしはいい先生だと思うね。」

アンをほめる人なら、マシューは誰でも「いい人」だと思っただろう。

「先生が文字を変えさえしなければ、幾何だってもっとできると思うの」とアンは不満をこぼした。「命題をそっくり暗記するでしょう。ところが先生は黒板に図を描いて、本とは違う文字をつけるのよ。それでもう、何が何だかわからなくなってしまうの。先生がそんなずるい手を使うのはいけないと思わない? 今は農業も習っていて、道がどうして赤いのか、とうとうわかったのよ。おかげで胸のつかえが取れたわ。マリラとリンド夫人、楽しんでいるかしら。リンド夫人は、オタワで今みたいな政治をしていたらカナダは滅びる、それは有権者への恐ろしい警告なんだって言っていたわ。女にも投票させてくれたら、たちまちありがたい変化が起こるんですって。マシューはどっちの党に投票するの?」

「保守党だよ」とマシューは即答した。保守党に投票することは、マシューにとって信仰の一部だった。

「それなら、わたしも保守党よ」とアンはきっぱり言った。「うれしいわ。だってギル――学校の男の子たちには、グリット[訳注:カナダ自由党支持者の通称]がいるんだもの。フィリップス先生もきっとグリットだと思うわ。プリッシー・アンドルーズのお父さんがそうだから。ルビー・ギリスが言っていたの。男の人は恋をしているとき、宗教のことでは女の人のお母さんに、政治のことではお父さんに賛成しなくちゃならないんですって。本当、マシュー?」

「いや、そうさな、わからんね」とマシューは答えた。

「マシューも恋人に会いにいったことがある?」

「いや、そうさな、そういうことはなかったと思うが」とマシューは言った。実際、生まれてこのかた、そんなことは考えたこともなかった。

アンは両手で頬杖をつき、考えこんだ。

「ずいぶんおもしろそうだと思わない、マシュー? ルビー・ギリスは、大人になったら恋人を大勢手玉に取って、みんな自分に夢中にさせるんですって。でも、それじゃ刺激が強すぎると思うわ。わたしは正気の人が一人だけいるほうがいい。だけどルビー・ギリスは、お姉さんがたくさんいるから、そういうことにはとても詳しいの。リンド夫人も、ギリス家の娘たちは焼きたてのお菓子みたいに、次々売れていったって言っていたわ。フィリップス先生は、ほとんど毎晩プリッシー・アンドルーズに会いにいくのよ。勉強を見てやるためだって言うけれど、ミランダ・スローンだってクイーン学院を受けるのに。ミランダはプリッシーよりずっと勉強ができないから、もっと助けが必要だと思うわ。でも先生は、夜にミランダを教えにいったことなんか一度もないの。この世には、どうもよくわからないことがたくさんあるわね、マシュー。」

「そうさな、わしにも全部わかるとは言えんよ」とマシューは認めた。

「さあ、勉強を終わらせなくちゃ。済むまでは、ジェーンに借りた新しい本は絶対に開かないわ。でも、恐ろしい誘惑なのよ、マシュー。背中を向けても、そこにあるのがはっきり見えるの。ジェーンは、気分が悪くなるほど泣いたんですって。わたし、泣ける本が大好き。でも、あの本は居間のジャム戸棚にしまって鍵をかけて、マシューに鍵を預けるわ。勉強が終わるまで、絶対に渡さないでね、マシュー。わたしがひざまずいて哀願してもだめよ。誘惑に負けるなと言うのは簡単だけれど、鍵が手に入らなければ、負けずにすむのもずっと楽でしょう。それから地下室へ行って、ラセットリンゴを取ってこようか、マシュー? ラセットリンゴ、食べたくない?」

「そうさな、もらおうかね」とマシューは答えた。自分ではラセットリンゴを食べなかったが、アンが目のないことは知っていた。

アンが皿いっぱいのラセットリンゴを手に、得意げに地下室から上がってきたちょうどそのとき、外の凍った板敷きの道を駆ける足音がした。次の瞬間、台所の戸が勢いよく開き、ダイアナ・バリーが飛びこんできた。顔は真っ青で、息を切らし、頭にはあわてて巻いたショールをかぶっていた。アンは驚いた拍子に、ろうそくも皿も手から放してしまった。皿とろうそくとリンゴは、一緒くたに地下室の階段を転げ落ちた。翌日マリラが見つけたときには、どれも底で溶けたろうに埋まっていた。マリラはそれを拾い集め、家が火事にならなかったことを天に感謝した。

「いったいどうしたの、ダイアナ?」とアンは叫んだ。「お母さん、とうとう許してくださったの?」

「ああ、アン、早く来て」とダイアナは取り乱して頼んだ。「ミニー・メイがひどい病気なの――クループ[訳注:喉の腫れなどで呼吸困難を起こす、幼児に多い病気]ですって。若いメアリー・ジョーがそう言うの――お父さんもお母さんも町へ行っていて、お医者さんを呼びにいく人がいないのよ。ミニー・メイ、とても悪いのに、若いメアリー・ジョーはどうしていいかわからないの――ああ、アン、怖いわ!」

マシューは何も言わず、帽子と上着を取り、ダイアナのそばをすり抜けて、暗い庭へ出ていった。

「栗毛の牝馬に馬具をつけて、カーモディへお医者さんを迎えにいくのよ」とアンは、急いで頭巾と上着をつけながら言った。「口に出して聞いたのと同じくらい、よくわかるわ。マシューとわたしは魂の通い合う仲だから、何も言わなくても考えていることが読めるの。」

「カーモディにはお医者さんはいないと思うわ」とダイアナは泣きじゃくった。「ブレア先生は町へ行ったのを知っているし、スペンサー先生も行ったんじゃないかしら。若いメアリー・ジョーはクループの人を見たことがないし、リンド夫人もいないの。ああ、アン!」

「泣かないで、ダイ」とアンは明るく言った。「クループなら、どうすればいいかちゃんと知っているわ。ハモンド夫人が三度も双子を産んだのを忘れたの? 三組の双子の世話をすれば、自然と経験も積むものよ。どの子も決まってクループになったの。イペカック[訳注:吐き気を起こさせる吐根の薬。当時用いられたもの]の瓶を取ってくるから、ちょっと待って。あなたの家にはないかもしれないでしょう。さあ、行きましょう。」

二人の少女は手をつないで外へ飛び出し、恋人たちの小径を抜け、その先の表面の凍った雪野原を急いだ。森の近道は、雪が深すぎて通れなかった。アンはミニー・メイを心から気の毒に思いながらも、この状況のロマンチックな趣と、再び心の友とそれを分かち合える喜びを感じずにはいられなかった。

澄みきった凍てつく夜だった。影は黒檀の黒、雪の斜面は銀色。静まり返った野原の上には大きな星が輝いていた。あちらこちらに、とがった暗いモミが枝に粉雪をのせて立ち、風がその間を鳴り渡っていた。長いあいだ引き離されていた腹心の友と、この神秘と美しさのただ中を飛ぶように駆けていくのは、本当にすばらしいことだとアンは思った。

三歳のミニー・メイは、実際、ひどく具合が悪かった。台所の長椅子に横たわり、熱に浮かされて落ち着きなく身を動かしていた。かすれた呼吸の音が家じゅうに聞こえた。若いメアリー・ジョーは入り江のほうから来た、肉づきのよい、顔の幅の広いフランス系の娘で、バリー夫人が留守のあいだ子どもたちといてもらうために雇ったのだった。だが、ただ途方に暮れて取り乱すばかりで、何をすべきか思いつけず、思いついても実行できそうになかった。

アンは手際よく、すばやく仕事に取りかかった。

「やっぱりクループだわ。かなり悪いけれど、もっとひどいのも見たことがある。まず、お湯をたくさん用意しなくちゃ。まあ、ダイアナ、やかんにコップ一杯ぶんしかないじゃない! さあ、水をいっぱいにしたわ。メアリー・ジョー、ストーブに薪を足してちょうだい。気を悪くさせたいわけじゃないけれど、少しでも想像力があれば、もっと早く気がついたと思うわ。では、わたしがミニー・メイの服を脱がせて寝かせるから、ダイアナは柔らかいフランネルの布を探して。まずイペカックを一服飲ませるわ。」

ミニー・メイはイペカックを嫌がったが、アンもだてに三組の双子を育ててはいなかった。薬はちゃんと喉を通った。一度だけではない。不安に満ちた長い夜のあいだ、二人の少女が苦しむミニー・メイを辛抱強く世話するかたわらで、何度も飲ませたのだ。若いメアリー・ジョーも、できるだけ役に立ちたいという気持ちは本物だったから、盛んに火を燃やし、クループの赤ん坊ばかりの病院でも余りそうなほど、湯を沸かしつづけた。

マシューが医者を連れてきたのは三時だった。医者を見つけるため、スペンサーベールまで行かなければならなかったのだ。けれども、もう差し迫った危機は過ぎていた。ミニー・メイはずっとよくなり、ぐっすり眠っていた。

「もう少しで絶望して、あきらめてしまうところでした」とアンは説明した。「どんどん悪くなって、ハモンド家の双子よりひどくなったんです。最後の双子よりもずっと。ほんとうに息が詰まって死んでしまうかと思いました。瓶のイペカックを一滴残らず飲ませて、最後の一服を飲みこんだとき、自分に言ったんです――ダイアナや若いメアリー・ジョーには言いませんでした。二人とも十分心配していたから、これ以上不安にさせたくなかったんです。でも、気持ちを落ち着けるには、自分には言わずにいられなくて――『これが最後の、かすかな望み。けれど、むなしい望みに終わるのではないかしら』って。ところが三分くらいすると、痰をせき出して、すぐによくなりはじめたんです。どんなにほっとしたか、先生、想像してくださいね。言葉ではとても言えません。言葉にはできないことって、あるでしょう。」

「そうだね、あるね」と医者はうなずいた。アンを眺めるその顔には、アンについても何か言葉にできないことを考えているような様子があった。しかし、のちにバリー夫妻には、それを言葉にして聞かせた。

「カスバート家の、あの赤毛の小さい娘さんは、実に賢い子ですな。あの子が赤ちゃんの命を救ったんですよ。私が着いたときでは手遅れだったでしょう。あの年で、あの腕前と落ち着きはまったく驚きです。容体を説明してくれたときの、あの目といったら。あんな目は見たことがありません。」

アンは白い霜に覆われた美しい冬の朝、家へ帰った。寝不足でまぶたは重かったが、広い白い野原を横切り、恋人たちの小径のカエデがつくる、きらめく妖精のアーチの下を歩きながら、マシューに飽きずに話しかけていた。

「ああ、マシュー、なんてすばらしい朝でしょう。神様がご自分の楽しみのために、たった今思い描いたばかりの世界みたいじゃない? あの木なんて、ひと息吹いたら飛んでいきそう。ふうっ! こんな白い霜のある世界に生きていて、わたし本当にうれしいわ。マシューもそうでしょう? それに、やっぱりハモンド夫人が三組も双子を産んでくれてよかった。そうでなかったら、ミニー・メイをどうしていいかわからなかったかもしれないもの。双子ばかり産むからってハモンド夫人に腹を立てたこと、本当に申し訳なく思うわ。でも、ああ、マシュー、眠くてたまらない。学校には行けないわ。目を開けていられないし、頭も働かないに決まっているもの。でも休むのはいやだわ。ギル――ほかの誰かが一番になってしまうし、一番を取り返すのは大変なんだもの――もちろん、大変なほど取り返せたときの満足も大きいんだけれど。そうでしょう?」

「そうさな、おまえならうまくやれるさ」とマシューは、アンの小さな白い顔と、目の下の黒いくまを見ながら言った。「帰ったらすぐに寝て、ぐっすり眠りなさい。仕事はわしがみんなやっておくよ。」

そこでアンは床に入り、長いこと深々と眠った。目を覚まして台所へ下りてきたときには、白とばら色に染まる冬の午後も、だいぶ更けていた。その間に帰宅したマリラは、腰を下ろして編み物をしていた。

「ああ、首相には会えた?」とアンはすぐに声を上げた。「どんな人だった、マリラ?」

「まあ、顔がよくて首相になったわけではないね」とマリラは言った。「あの鼻ときたら! でも、演説はうまいよ。保守党であることが誇らしくなったね。レイチェル・リンドは、もちろん自由党だから、まるで感心していなかったけれど。アン、お昼はオーブンに入っているよ。食料室から青スモモの砂糖煮も取っておいで。おなかがすいただろう。昨夜のことはマシューから聞いたよ。どうすればいいかおまえが知っていて、本当によかった。わたしだったら、見当もつかなかったよ。クループなんて見たことがないからね。さあ、おしゃべりは食べ終えてからにおし。話したいことが山ほどあるのは顔を見ればわかるけれど、話は逃げやしないよ。」

マリラにもアンに話すことがあったが、すぐには口にしなかった。聞けばアンが興奮して、食欲だの昼食だのという現実的なことなど、すっかり忘れてしまうとわかっていたからだ。アンが小皿の青スモモまで食べ終えてから、ようやくマリラは言った。

「今日の午後、バリー夫人が来たよ、アン。おまえに会いたがっていたけれど、起こさなかったんだ。おまえがミニー・メイの命を救ってくれたってね。それから、あのスグリ酒の一件では、あんな態度を取って本当にすまなかったと言っていたよ。おまえがわざとダイアナを酔わせたんじゃないと、今はわかったそうだ。許して、またダイアナと仲よくしてほしいって。よければ今晩、遊びにおいでと言っていたよ。ダイアナは昨夜ひどい風邪をひいたから、外へは出られないそうだ。さあ、アン・シャーリー、お願いだから宙へ飛び上がったりしないでおくれ。」

その警告も、あながち無用ではなかった。立ち上がったアンは、心の炎に顔を照り輝かせ、表情も身のこなしも、そのまま空へ浮き上がりそうだった。

「ああ、マリラ、今すぐ行ってもいい? お皿は洗わなくても? 帰ってから洗うわ。でも、こんな胸の躍るときに、お皿洗いみたいにロマンチックでないことに縛られてなんかいられないの。」

「はいはい、行っておいで」とマリラは寛大に言った。「アン・シャーリー――気でも違ったのかい! すぐ戻って、何か着なさい。風に呼びかけるほうがまだましだよ。帽子も上着もなしで行ってしまった。あれまあ、髪をなびかせて果樹園を駆け抜けて。命にかかわる風邪をひかなければありがたいことだよ。」

アンは紫に暮れる冬の薄明かりのなか、雪の上を踊るように帰ってきた。輝く白い広がりと、トウヒの暗い谷を見下ろす空は、淡い金色と夢のようなばら色に染まり、そのはるか南西に宵の明星が大きく、真珠のように光っていた。雪の丘々から届くそりの鈴の音は、凍った空気を通して響く妖精の鐘のようだったが、それさえアンの心と唇にあふれる歌ほど甘美ではなかった。

「今、マリラの目の前にいるのは、完全に幸福な人間よ」とアンは宣言した。「わたし、完全に幸福なの――そう、赤毛でもね。今のわたしの魂は、赤毛なんて超越しているわ。バリー夫人はキスして泣いて、ほんとうにすまなかった、どうしたらお礼ができるかわからないっておっしゃったの。わたし、ひどく困ってしまったけれど、できるかぎり丁寧にこう言ったわ。『バリー夫人、お恨みする気持ちはありません。ダイアナを酩酊させるつもりなどなかったことを、ここではっきり申し上げます。そして今後、過去は忘却の衣で覆いましょう』。なかなか威厳のある言い方だったでしょう、マリラ?」

「バリー夫人の頭に燃える炭火を積んだ[訳注:親切によって相手の良心を目覚めさせるという、聖書由来の表現]気がしたわ。それからダイアナと、すてきな午後を過ごしたの。カーモディのおばさんに習った、新しい飾りかぎ針編みを教えてくれたのよ。アヴォンリーで知っているのは、わたしたち二人だけ。ほかの人には絶対教えないって、厳粛な誓いを立てたわ。それからダイアナが、ばらの花輪と詩のあるきれいなカードをくれたの。」

「わたしがあなたを愛するように、あなたもわたしを愛するなら
二人を分かつものは、死のほかには何もない。」

「本当にそのとおりよ、マリラ。フィリップス先生にお願いして、
また学校で隣同士に座らせてもらうの。ガーティ・パイにはミニー・アンドルーズと
座ってもらえばいいわ。お茶もとびきりすてきだったの。バリー夫人は一番上等な
陶器を出してくださったのよ、マリラ。まるでわたしが本当のお客様みたいに。
どんなに胸がどきどきしたか、とても言えないわ。
わたしのために一番上等な陶器を出してくれた人なんて、今までいなかったもの。フルーツ
ケーキとパウンドケーキとドーナツ、それに砂糖煮も二種類あったの、マリラ。それからバリー
夫人が、お茶は飲むかいって聞いてくださって、『お父さん、アンに
ビスケットを取ってあげてくださらない?』っておっしゃったの。大人になるってきっとすばらしいわ、マリラ。
大人扱いしてもらうだけで、こんなにうれしいんだもの。」

「それはどうかね」とマリラは、短くため息をついた。

「でも、とにかく、わたしが大人になったら」とアンはきっぱり言った。「小さな女の子にも、いつも大人に話すように話しかけるわ。難しい言葉を使っても、絶対笑わない。どんなに心が傷つくか、悲しい経験からよく知っているもの。お茶のあと、ダイアナとタフィーを作ったの。あまりおいしくなかったわ。二人とも作るのは初めてだったからでしょうね。ダイアナがお皿にバターを塗っているあいだ、わたしがかき混ぜていたんだけれど、忘れて焦がしてしまったの。それから冷まそうと外の板台に置いたら、猫が一皿の上を歩いたので、それは捨てなくちゃならなかった。でも、作るのはすばらしく楽しかったわ。帰るときには、バリー夫人が、来られるだけ来てちょうだいっておっしゃったの。ダイアナは窓に立って、わたしが恋人たちの小径に入るまで、ずっと投げキッスをしてくれたわ。マリラ、今夜は本当にお祈りしたい気分なの。この日の記念に、とっておきの新しいお祈りを考えるつもりよ。」


第十九章 音楽会と災難と告白

「マリラ、ほんのちょっとだけ、ダイアナに会いにいってもいい?」二月のある夕方、東の切妻部屋から息を切らして駆け下りてきたアンが尋ねた。

「暗くなってから、どうして出歩かなければならないんだい」とマリラはそっけなく言った。「学校から一緒に帰ってきて、そのあとも雪の中で三十分も立ち話をしていたじゃないか。まあ、よくもあれだけ、ぺちゃくちゃと舌が動くこと。すぐまた会わなければ困るとも思えないけれどね。」

「でも、ダイアナがわたしに会いたがっているの」とアンは頼みこんだ。「とても大事な話があるのよ。」

「どうしてわかるんだい?」

「今、窓から合図してきたから。ろうそくと厚紙を使って合図する方法を決めたの。窓辺にろうそくを置いて、厚紙を前後に動かして光を点滅させるのよ。何回光らせたら何の意味か、決まっているの。わたしが考えたのよ、マリラ。」

「おまえの考えに決まっているだろうね」とマリラは力をこめて言った。「次にはそのくだらない合図とやらで、カーテンを燃やすんだろうよ。」

「まあ、うんと気をつけているわ、マリラ。それに、とてもおもしろいのよ。二回なら『そこにいる?』、三回なら『ええ』、四回なら『いいえ』。五回は『打ち明けたい大事なことがあるから、できるだけ早く来て』なの。今、ダイアナが五回光らせたのよ。何なのか知りたくて、胸が苦しいくらい。」

「それじゃ、もう苦しまなくていいよ」とマリラは皮肉っぽく言った。「行ってもいい。ただし、きっかり十分で戻るんだよ。忘れないように。」

アンは忘れず、決められた時間内に帰ってきた。もっとも、ダイアナの重大な知らせについての話し合いを十分に収めるのに、どれだけの苦労を払ったかは、おそらく誰にもわかるまい。それでも、その十分間を十分に活用したことだけは確かだった。

「ああ、マリラ、聞いて! 明日はダイアナのお誕生日でしょう。それでお母さんが、学校からわたしを連れて帰って、泊まってもらっていいっておっしゃったんですって。それに、ニューブリッジのいとこたちが大きな箱ぞりで来るの。明日の晩、公会堂で開かれる討論会の音楽会に行くためよ。ダイアナとわたしも連れていってくれるんですって――マリラが許してくれたらだけれど。いいでしょう、マリラ? ああ、胸がわくわくするわ。」

「それなら落ち着きなさい。行かせないからね。家で自分のベッドに寝るほうがいいんだよ。それに、討論会の音楽会なんてくだらない。小さな女の子がそんな所へ出かけるものじゃない。」

「討論会は、とても立派な集まりだと思うわ」とアンは訴えた。

「立派でないとは言っていないよ。でも、音楽会だの何だのと遊び歩いて、夜更けまで外にいるようにはさせない。子どもにふさわしいことかね。バリー夫人がダイアナを行かせるとは、驚いたよ。」

「でも、ほんとうに特別な日なのよ」とアンは泣きだしそうになって言った。「ダイアナのお誕生日は一年に一度だけだもの。誕生日なんて、そうしょっちゅうあるものじゃないでしょう、マリラ。プリッシー・アンドルーズが『今宵、晩鐘を鳴らしてはならぬ』を朗読するの。とても教訓になる詩だから、聞けばわたしのためになると思うわ。それから合唱団が、美しくて悲しい歌を四曲歌うの。賛美歌と同じくらい立派な歌よ。それにね、マリラ、牧師さんも出るの。本当よ、お話をなさるの。ほとんどお説教と同じでしょう。お願い、行かせてくれない、マリラ?」

「わたしの言ったことは聞こえただろう、アン。さあ、靴を脱いで寝なさい。もう八時を過ぎているよ。」

「もう一つだけ、マリラ」とアンは、最後の切り札を出すような様子で言った。「バリー夫人が、お客間のベッドに寝てもいいって、ダイアナにおっしゃったの。あなたの小さなアンがお客間のベッドに寝かせてもらえるなんて、どんな名誉か考えてみて。」

「その名誉は、なくても我慢してもらおう。寝なさい、アン。もう一言も聞きたくないよ。」

アンが涙を頬に流しながら、悲しげに二階へ上がっていくと、話の間じゅう長椅子でぐっすり眠っていたかに見えたマシューが、目を開けてきっぱり言った。

「そうさな、マリラ、アンを行かせてやったほうがいいと思うがね。」

「わたしは思わないね」とマリラは言い返した。「この子を育てているのは誰だい、マシュー。おまえかい、それともわたしかい?」

「そうさな、おまえだ」とマシューは認めた。

「それなら口を出さないでおくれ。」

「いや、口を出しているわけじゃない。自分の考えを持つのは、口出しとは違うだろう。わしの考えでは、アンを行かせてやるべきだね。」

「アンが月へ行きたいと言いだしても、おまえは行かせてやれと言うんだろうよ」とマリラは、いかにも愛想よく応じた。「ダイアナの家に泊まるだけなら、許したかもしれないよ。でも音楽会というのが気に入らない。出かけて風邪をひくかもしれないし、くだらないことと興奮で頭がいっぱいになって、一週間は落ち着かなくなる。あの子の気性も、何があの子のためになるかも、わたしのほうがおまえよりよく知っているよ、マシュー。」

「アンを行かせてやったほうがいいと思うがね」とマシューは固く繰り返した。議論は得意でなかったが、自分の考えを曲げないことには確かに長けていた。マリラはあきれたように息をつき、黙りこむことで逃げ道をつくった。翌朝、アンが食料室で朝食の皿を洗っているとき、納屋へ向かう途中のマシューが立ち止まり、またマリラに言った。

「アンを行かせてやったほうがいいと思うがね、マリラ。」

一瞬、マリラの顔には、とても口には出せないような思いが浮かんだ。やがて、もう仕方がないと観念して、とげとげしく言った。

「いいでしょう、行かせますよ。それでなければ、おまえが承知しないんだから。」

アンは水の滴る皿洗い布を握ったまま、食料室から飛び出した。

「ああ、マリラ、マリラ、そのありがたい言葉をもう一度言って!」

「一度で十分だろう。これはマシューの責任だよ。わたしは知らないからね。よそのベッドで寝たり、真夜中に暑い公会堂から外へ出たりして肺炎になっても、わたしに文句を言うんじゃないよ。マシューにお言い。アン・シャーリー、床じゅうに脂水を垂らしているじゃないか。こんな不注意な子は見たことがないよ。」

「ああ、わたしがマリラに苦労をかけていることは、よくわかっているわ」とアンは反省して言った。「失敗ばかりするんだもの。でも、やりかねないのに、やらずにすんでいる失敗だって、たくさんあるのよ。それも考えてみて。学校へ行く前に、砂を持ってきて汚れをこすり落とすわ。ああ、マリラ、あの音楽会に行くことが、わたしの心からの願いだったの。生まれてから一度も音楽会に行ったことがなくて、学校でほかの女の子が話していると、わたしだけ仲間外れみたいだった。マリラはわたしの気持ちをすっかりはわからなかったけれど、マシューにはわかったのね。マシューはわたしを理解してくれるの。わかってもらえるって、とてもうれしいことよ、マリラ。」

その朝の授業では、アンは興奮しすぎて、いつもの実力を出せなかった。綴り方ではギルバート・ブライスに負け、暗算でははるか後ろに置き去りにされた。けれども、音楽会とお客間のベッドを思えば、その屈辱もふだんほどこたえなかった。アンとダイアナは一日じゅうその話ばかりしていたので、フィリップス先生より厳しい先生だったら、ひどく叱られるのは避けられなかっただろう。

もし音楽会へ行けなかったら、とても耐えられなかっただろう、とアンは思った。その日の学校では、それ以外の話は出なかったのだ。冬じゅう二週間おきに集まるアヴォンリー討論会は、これまでも小規模な無料の余興を何度か開いていた。だが今度は図書室の資金を集めるため、入場料十セントを取る大がかりな催しだった。アヴォンリーの若者たちは何週間も練習しており、生徒たちも兄や姉が出演するので、ことさら関心を寄せていた。九歳以上の子はみんな行くつもりだった。キャリー・スローンだけは別で、その父親は小さな女の子が夜の音楽会へ行くことについて、マリラと同じ意見だった。キャリーは午後じゅう文法の本に涙を落とし、生きていても仕方がないと感じていた。

アンにとって本当の興奮は、授業が終わるとともに始まり、そこからしだいに高まって、音楽会そのものでは歓喜の大音響となって頂点に達した。まず「すばらしく優雅なお茶」をいただき、それから二階のダイアナの小部屋で、楽しい身支度が始まった。ダイアナはアンの前髪を新流行のポンパドール風に結い上げ、アンは持ち前の器用さでダイアナのリボンを結んだ。後ろ髪のまとめ方は、少なくとも六通り試してみた。ようやく支度が整ったときには、頬は真っ赤で、目は期待に輝いていた。

確かにアンは、自分の飾り気のない黒いタム帽と、細い袖の、形のぱっとしない手製の灰色のコートを、ダイアナのしゃれた毛皮帽やすてきな短い上着と比べると、少し胸が痛んだ。けれど、折よく自分には想像力があり、それを使えばいいのだと思い出した。

やがてダイアナのいとこたち、ニューブリッジのマレー家の子どもたちが来た。みんなは大きな箱ぞりに乗りこみ、わらと毛皮のひざ掛けの間にぎゅうぎゅうに座った。アンは公会堂までの道のりを心ゆくまで楽しんだ。そりは橇脚きょうきゃくの下で雪をきしませながら、繻子のようになめらかな道を滑っていった。夕焼けは壮麗だった。雪の丘とセントローレンス湾の深い青の水がその輝きを縁取り、まるで真珠とサファイアの巨大な鉢に、葡萄酒と炎がなみなみ注がれたようだった。そりの鈴の音と、森の妖精のはしゃぎ声にも似た遠い笑い声が、四方から聞こえてきた。

「ああ、ダイアナ」とアンは息をのむように言い、毛皮の下でダイアナのミトンの手を握った。「何もかも、美しい夢みたいじゃない? わたし、本当にいつもと同じに見える? 気持ちがあまりにも違うから、見た目にも出ているはずだと思うの。」

「とってもすてきに見えるわ」とダイアナは答えた。たった今いとこの一人にほめられたので、そのほめ言葉を次へ渡さなくてはと思ったのだ。「頬の色が、ほんとうにきれい。」

その晩の演目は、少なくとも一人の聴衆にとっては「胸のときめき」の連続だった。しかもアンがダイアナに言ったところでは、新しいときめきが来るたびに、前よりもっと胸がときめくのだった。プリッシー・アンドルーズが、新しい桃色の絹のブラウスを着て、なめらかな白い首に真珠の首飾りをつけ、髪に本物のカーネーションを挿して――先生がわざわざ町から取り寄せたものだという噂だった――「光ひと筋も射さぬ暗闇の、ぬめる梯子を登った」とき、アンは心地よい共感に震えた。合唱団が『やさしいヒナギクのはるか上』を歌うと、天井に天使の絵が描かれているかのように、じっと見上げた。サム・スローンが身ぶりを交えて『ソッカリーが雌鶏に卵を抱かせた話』を語ると、アンは笑いに笑い、近くの人々までつられて笑った。アヴォンリーでさえ聞き飽きたその話がおかしかったというより、アンの笑いにつられたのだ。そしてフィリップス先生が、シーザーの遺体を前にしたマーク・アントニーの演説を、胸を揺さぶる声で朗読し――一文が終わるごとにプリッシー・アンドルーズへ目をやりながら――アンは、ローマ市民がたった一人でも先に立てば、その場で立ち上がって反乱を起こせそうな気がした。

ただ一つだけ、アンの心を動かさない演目があった。ギルバート・ブライスが『ライン河畔のビンゲン』を朗読したとき、アンはローダ・マレーが図書室から借りた本を取り上げ、終わるまで読みつづけた。終わっても、ダイアナが手がひりひりするほど拍手する横で、背筋を硬く伸ばしたまま、ぴくりとも動かなかった。

楽しみをたっぷり味わって家へ帰り着いたのは十一時だった。けれど、すべてを語り合うという、とびきり甘い喜びがまだ残っていた。家の者はみんな寝たらしく、暗く静まり返っていた。アンとダイアナは、細長い客間へ忍び足で入った。その部屋から、お客用の寝室へ続く戸が開いていた。暖炉の残り火がほのかに照らし、室内は心地よく暖かかった。

「ここで着替えましょう」とダイアナは言った。「とても暖かくていいわ。」

「ほんとうに楽しかったわね」とアンはうっとりとため息をついた。「あそこへ立って朗読するなんて、すばらしいでしょうね。いつかわたしたちにも、頼んでくれるかしら、ダイアナ?」

「ええ、もちろん、いつかは。大きい生徒には、いつも朗読を頼むのよ。ギルバート・ブライスなんてよくやるでしょう。わたしたちより二つ上なだけなのに。ああ、アン、どうして聞かないふりなんかできたの? あの、

『もう一人いる、妹ではない人が。』

というところで、まっすぐあなたを見ていたわよ。」

「ダイアナ」とアンは威厳をこめて言った。「あなたはわたしの腹心の友だけれど、あの人の話をすることだけは、あなたにだって許せないわ。もう寝る支度はできた? どちらが先にベッドに入れるか、競走しましょう。」

ダイアナもその提案に乗った。白い寝間着の小さな二人は長い部屋を駆け抜け、お客用寝室の戸を通り、同時にベッドへ飛び乗った。すると――何かが――二人の下で動いた。息をのむ音と悲鳴がして、誰かがくぐもった声で言った。

「まあ、なんてこと!」

アンもダイアナも、そのベッドからどうやって飛び降り、部屋を出たか、あとで説明できなかった。ただ夢中で逃げ出し、気がつくと震えながら爪先立ちで階段を上っていたことだけは覚えていた。

「ああ、誰だったの――何だったの?」アンは寒さと恐怖で歯を鳴らしながら、ささやいた。

「ジョセフィンおばさんよ」とダイアナは、笑いで息を詰まらせながら言った。「ああ、アン、ジョセフィンおばさんだったの。どうしてあそこにいたのかしら。きっとかんかんに怒るわ。大変よ、本当に大変――でも、あんなおかしなことってある、アン?」

「ジョセフィンおばさんって誰?」

「お父さんのおばさんで、シャーロットタウンに住んでいるの。ものすごいお年寄りよ。少なくとも七十にはなっているわ。小さな女の子だったことなんか、一度もないと思う。遊びに来る予定だったけれど、こんなに早いとは思わなかった。すごく堅苦しくて礼儀にうるさいから、きっとひどく叱るわ。まあ、ミニー・メイと寝るしかないわね――あの子がどんなに蹴るか、あなたには想像もつかないでしょうけれど。」

ミス・ジョセフィン・バリーは、翌朝の早い朝食には姿を見せなかった。バリー夫人は二人の少女に優しくほほえんだ。

「昨夜は楽しかった? 帰ってくるまで起きていようと思ったのよ。ジョセフィンおばさんがいらしたから、やっぱり二階で寝てもらわなければならないって、知らせたくてね。でも、疲れて眠ってしまったの。おばさんを起こさなかったでしょうね、ダイアナ。」

ダイアナは賢明にも黙っていたが、アンとテーブル越しに目を合わせ、後ろめたさとおかしさの入り混じった笑みをひそかに交わした。アンは朝食が済むと急いで帰ったので、そのあとバリー家に起きた騒ぎについては、幸い何も知らずにいた。午後遅く、マリラの使いでリンド夫人の家へ行くまでは。

「おまえとダイアナは、昨夜、気の毒なバリーさんを死ぬほど驚かせたそうじゃないか」とリンド夫人は厳しく言ったが、目にはおかしそうな光があった。「ついさっき、バリー夫人がカーモディへ行く途中に寄ってね。ずいぶん心配していたよ。今朝、年寄りのバリーさんが起きてきたときには、ひどい機嫌だったそうだ。ジョセフィン・バリーの怒り方は、冗談じゃすまないからね。ダイアナには口もきかなかったそうだよ。」

「ダイアナのせいじゃないんです」とアンは悔やみながら言った。「わたしのせいです。どちらが先にベッドへ入れるか、競走しようと言いだしたのはわたしなんです。」

「やっぱりね!」とリンド夫人は、推測が当たった喜びをこめて言った。「そんなことを考えつくのは、おまえだとわかっていたよ。まあ、おかげで大変な騒ぎになったものだね。年寄りのバリーさんは、一か月泊まるつもりで来たのに、もう一日だっていない、明日には町へ帰ると言い張っているんだ。日曜だというのにね。送ってやれたなら、今日にでも帰っただろうよ。ダイアナに三か月ぶんの音楽の月謝を払ってやる約束だったのに、あんなお転婆には何もしてやらないって決めこんでいる。今朝はさぞにぎやかだったろうね。バリーさんたちもつらいところだよ。あの人はお金持ちだから、機嫌を損ねたくはないだろう。もちろん、バリー夫人がそう言ったわけじゃないけれど、わたしは人の気持ちを読むのは、なかなか得意だからね。」

「わたしって、なんて不運な子なのかしら」とアンは嘆いた。「いつも自分から面倒を起こして、大切な友達まで巻き添えにするんです。その人たちのためなら、心臓の血だって流せるのに。どうしてそうなるのか、教えていただけます、リンド夫人?」

「それはね、おまえがそそっかしくて、思いつきで動くからだよ。立ち止まって考えることをしない。言おう、しようと思ったことを、一瞬も考えずに口にしたり、やったりするんだよ。」

「でも、それがいちばんすてきなところなんです」とアンは言い返した。「ぱっと頭にひらめいて、あんまりわくわくするものだから、すぐ外に出したくなるんです。立ち止まって考えたら、全部だいなしですもの。リンド夫人も、そう感じたことはありません?」

いや、リンド夫人にはなかった。夫人は賢そうに首を振った。

「少しは考えることを覚えなければいけないよ、アン。おまえが守るべきことわざは、『跳ぶ前によく見よ』だね――お客間のベッドへ跳ぶときは、なおさらさ。」

リンド夫人は、自分のささやかな冗談に満足げに笑ったが、アンは考えこんだままだった。この事態はひどく深刻に思われて、笑うところなど一つもなかった。リンド家を出ると、アンは表面の凍った雪野原を横切って、果樹園の丘へ向かった。ダイアナが台所の戸口で迎えた。

「ジョセフィンおばさん、とても怒ったんでしょう?」とアンはささやいた。

「ええ」とダイアナは答えた。笑いをこらえながら、居間の閉まった戸を肩越しに不安そうに見た。「もう、怒りで踊りだしそうだったのよ、アン。それはひどく叱られたわ。今まで見たうちでいちばん行儀の悪い子だって。こんな育て方をした両親は恥じるべきだって。もう泊まらないって言うけれど、わたしはちっともかまわないわ。でも、お父さんとお母さんは困っているの。」

「どうして、わたしのせいだと言わなかったの?」とアンは問い詰めた。

「わたしがそんなことをすると思うの?」とダイアナは、もっともな軽蔑をこめて言った。「わたしは告げ口なんかしないわ、アン・シャーリー。それに、わたしも同じだけ悪かったもの。」

「それじゃ、自分で言ってくるわ」とアンは決然と言った。

ダイアナは目を丸くした。

「アン・シャーリー、まさか! だって――生きたまま食べられてしまうわよ!」

「今でも十分怖いんだから、それ以上怖がらせないで」とアンは懇願した。「大砲の口へ歩いていくほうがまだましだわ。でも、しなくちゃならないの、ダイアナ。わたしのせいなんだから、告白しなければ。幸い、告白なら練習は積んであるわ。」

「まあ、おばさんはあの部屋にいるわ」とダイアナは言った。「入りたければ入って。わたしにはとてもできない。それに、何の役にも立たないと思うわ。」

この励ましを受けて、アンは獅子の巣へ乗りこんだ。つまり、決然と居間の戸まで歩いていき、かすかなノックをしたのである。鋭い「お入り」が返ってきた。

ミス・ジョセフィン・バリーは、やせて、きちんとして、いかにも頑固そうな人だった。暖炉のそばで猛烈な勢いで編み物をしていたが、怒りは少しも収まっておらず、金縁眼鏡の奥で目がぎらついていた。ダイアナだろうと思って椅子の向きをくるりと変えると、そこには顔を白くした少女が立っていた。大きな目には、必死に奮い起こした勇気と、身のすくむ恐怖があふれていた。

「おまえは誰だい?」とミス・ジョセフィン・バリーは、遠慮なく尋ねた。

「グリーン・ゲイブルズのアンです」と小さな訪問者は震える声で答え、いつもの癖で両手を握り合わせた。「あの、告白に来ました。」

「何を告白するんだい?」

「昨夜、ベッドのおばさまの上へ飛び乗ったのは、すべてわたしのせいだということです。わたしが言いだしたんです。ダイアナなら、あんなことは絶対思いつきません。ダイアナは、とても淑女らしい女の子なんです、バリーさん。ですから、あの子を責めるのがどんなに不公平か、おわかりいただけるはずです。」

「おや、わからなければいけないのかい? 少なくとも、ダイアナも一人前に飛び乗ったと思うけれどね。まともな家で、なんという騒ぎだろう!」

「でも、ふざけていただけなんです」とアンは食い下がった。「こうしておわびしたのですから、許してくださってもいいと思います。とにかく、ダイアナだけでも許して、音楽のおけいこをさせてあげてください。ダイアナは心から楽しみにしているんです、バリーさん。何かを心から願って、それがかなわないのがどんな気持ちか、わたしはよく知っています。誰かを怒らなければいけないなら、わたしを怒ってください。幼いころから人に怒られるのには慣れているので、ダイアナよりずっとうまく耐えられます。」

このころには、老婦人の目の険しい光はかなり薄れ、代わりにおもしろそうな輝きが浮かんでいた。だが口調はまだ厳しかった。

「ふざけていただけなんて、言い訳にはならないよ。わたしが小さいころ、女の子はそんなふざけ方はしなかった。長く骨の折れる旅のあと、ぐっすり眠っているところへ、大きな女の子が二人もどすんと飛び乗ってくるのが、どんなものか、おまえにはわからないだろう。」

「知ってはいませんけれど、想像はできます」とアンは熱心に言った。「とても迷惑だったと思います。でも、わたしたちの側の事情もあるんです。バリーさんには想像力がおありですか? あるのでしたら、わたしたちの身にもなってみてください。あのベッドに誰かいるなんて知らなかったので、こちらも死ぬほど驚いたんです。それは恐ろしい気持ちでした。それに、お客間に寝ていいと約束されていたのに、寝られなくなってしまって。おばさまは、お客間で寝るのに慣れていらっしゃるでしょう。でも、そんな名誉を受けたことのない、小さな孤児の女の子だったら、どんな気持ちか想像してみてください。」

そのころには、険しい光はすっかり消えていた。バリーさんは、とうとう笑った。外の台所で不安のあまり口もきけずに待っていたダイアナは、その声を聞いて、大きく安堵の息をついた。

「どうも、わたしの想像力は少しさびついているようだね。長いこと使っていないから」とバリーさんは言った。「気の毒がってもらう権利は、おまえたちにもわたしと同じくらいあるのかもしれないね。何事も、見る側しだいというわけだ。ここに座って、おまえの話を聞かせておくれ。」

「とても残念ですけれど、できません」とアンはきっぱり言った。「お話ししたい気持ちはあります。おばさまはおもしろそうな方ですし、あまりそうは見えませんけれど、ひょっとすると魂の通い合う方かもしれません。でも、ミス・マリラ・カスバートのところへ帰るのが、わたしの務めなんです。ミス・マリラ・カスバートはとても親切な方で、わたしを立派に育てようと引き取ってくださいました。精いっぱい努力してくださっていますけれど、ずいぶん気のめいる仕事なんです。わたしがベッドへ飛び乗ったからといって、マリラを責めないでください。でも帰る前に、ダイアナを許して、最初のご予定どおりアヴォンリーにいてくださるかどうか、ぜひ聞かせていただきたいんです。」

「おまえがときどき来て、話し相手になってくれるなら、そうしてもいいと思うよ」とバリーさんは答えた。

その晩、バリーさんはダイアナに銀の腕輪をやり、家の大人たちに、旅行かばんの荷物を解いたと言った。

「泊まることにしたのは、ただ、あのアンという子ともっと親しくなりたいからですよ」と率直に言った。「おもしろい子だね。わたしほどの年になると、おもしろい人間などめったにいないものだから。」

話を聞いたマリラが言ったのは、ただ一言、「だから言っただろう」だった。

これはマシューに聞かせるための言葉だった。

バリーさんは一か月を過ぎても滞在した。アンが機嫌よくしておいたので、いつもよりずっと付き合いやすいお客だった。二人はすっかり仲よしになった。

帰るとき、バリーさんは言った。

「いいかい、アンのお嬢ちゃん。町へ来たら、必ずわたしのところへおいで。うちのとっておきのお客間の、とっておきのベッドに寝かせてあげるから。」

「バリーさんは、やっぱり魂の通い合う人だったわ」とアンはマリラに打ち明けた。「見た目ではそう思えないけれど、本当よ。マシューのときのように初めからすぐにはわからないけれど、しばらくするとわかってくるの。心の通じる人は、昔思っていたほど少なくないのね。この世界にこんなに大勢いるとわかるのは、すばらしいことだわ。」


第二十章 想像力の落とし穴

グリーン・ゲイブルズに、再び春が来た。美しく気まぐれで、なかなか本腰を入れてくれないカナダの春である。四月から五月へと、さわやかで快い、肌寒い日々を重ねながらゆっくり進み、桃色の夕焼けと、よみがえり成長する命の奇跡をもたらした。恋人たちの小径のカエデは赤い芽をつけ、木の精の泉のまわりでは、小さな巻いたシダが顔を出した。サイラス・スローン氏の土地の裏手、はるか奥の荒れ地では、メイフラワー[訳注:北米原産のイワナシ属の植物で、春に香りのよい花をつける]が咲いた。褐色の葉の下に、桃色と白の香る星が散らばっていた。学校の子どもたちはみんなで、黄金のような午後を花摘みに過ごし、澄んだ音のよく響く夕暮れのなか、腕にも籠にも花の獲物をいっぱいにして帰ってきた。

「メイフラワーのない国に住んでいる人が、とても気の毒だわ」とアンは言った。「ダイアナは、もっといいものがあるのかもしれないって言うけれど、メイフラワーよりいいものなんて、あるはずがないでしょう、マリラ? それにダイアナは、どんなものか知らなければ、なくても寂しくないって言うの。でも、わたしにはそれがいちばん悲しいと思えるわ。メイフラワーがどんなものか知らなくて、それを寂しいとも思わないなんて、悲劇よ、マリラ。わたし、メイフラワーは何だと思うか、わかる? 去年の夏に死んだ花たちの魂で、ここが天国なんだと思うの。でも今日はすばらしく楽しかったわ、マリラ。古井戸のそばの、大きな苔むしたくぼみでお昼を食べたの。とてもロマンチックな場所だったわ。チャーリー・スローンがアーティ・ギリスに、井戸を跳び越えてみろって挑んだの。アーティは引き下がれないから跳んだわ。学校の子は誰だって、挑まれたら引き下がらないのよ。度胸試しがとても流行っているの。フィリップス先生は見つけたメイフラワーを全部プリッシー・アンドルーズにあげて、『美しい人に美しい花を』って言ったのが聞こえたわ。あれは本から取った言葉だと知っているけれど、少しは想像力がある証拠ね。わたしにも花をくれようとした人がいたけれど、軽蔑をこめて断ったわ。その人の名前は言えないの。二度と唇にのぼらせないと誓ったから。花輪を作って帽子につけたのよ。帰りには花束と花輪を持って二列に並び、『丘の上のわが家』を歌いながら道を行進したの。ああ、ほんとうに胸が躍ったわ、マリラ。サイラス・スローンさんの家の人たちがみんな飛び出して見に来たし、道で会う人もみんな立ち止まって、わたしたちを見送ったの。大評判だったわ。」

「そりゃそうだろうね。そんなばかげたまねをして!」とマリラは答えた。

メイフラワーのあとにはスミレが咲き、スミレの谷は紫に染まった。アンは学校へ行く途中、そこを通るときには、聖なる地を踏むように、敬虔な足取りと崇めるようなまなざしで歩いた。

「どういうわけか」とアンはダイアナに言った。「ここを歩いていると、ギル――誰かに勉強で追い越されても、ちっとも気にならないの。でも学校へ着くと、すっかり変わって、いつもどおり気になるのよ。わたしの中には、いろいろなアンがたくさんいるのね。だから、こんなに面倒を起こすのかしらと、ときどき思うわ。たった一人のアンだったら、ずっと楽でしょうけれど、でも、おもしろさは半分にもならないでしょうね。」

果樹園が再び桃色の花に包まれた六月のある夕べ、アンは切妻部屋の窓辺に座っていた。輝く湖水の奥の沼地では、カエルが銀の鈴のような甘い声で歌い、空気にはクローバー畑とモミ林の芳香が満ちていた。勉強をしていたのだが、本が読めないほど暗くなったので、目を大きく開いたまま夢想にふけっていた。眺める先には、また房々の花を星のようにつけた雪の女王の枝があった。

切妻の小部屋は、もとの姿をほとんど変えていなかった。壁は白いまま、針刺しは相変わらず硬く、黄色い椅子も以前と同じように堅苦しく背を伸ばしていた。それなのに、部屋全体の趣は一変していた。新しい、生き生きと脈打つ個性が隅々まで満ちていた。それは女学生の本や服やリボンとは関わりなく、テーブルの上のリンゴの花をいっぱいに挿した、ひびのある青い水差しとも関わりなく存在しているようだった。まるで、この活気ある住人が眠っても覚めても見る夢のすべてが、形はなくとも目に見えるものとなり、殺風景な部屋の壁を、虹と月光で織った美しい薄絹で飾ったかのようだった。やがて、マリラがアイロンをかけたばかりの通学用エプロンを何枚か持って、きびきびと入ってきた。椅子に掛け、短くため息をついて座った。その午後はいつもの頭痛に見舞われ、痛みは去ったものの、力が抜けて、本人の言うところでは「へとへと」だった。アンは澄んだ、思いやりに満ちた目で見つめた。

「マリラの代わりに、わたしが頭痛になれたらよかったのに。本当にそう思うわ。マリラのためなら、喜んで我慢したのに。」

「仕事をして、わたしを休ませてくれたんだから、それで十分だよ」とマリラは言った。「まあまあよくやったし、いつもより失敗も少なかったようだね。もちろん、マシューのハンカチに糊をつける必要はなかったけれど! それから、たいていの人は夕食用のパイをオーブンで温めたら、温まったところで取り出して食べるものだよ。置きっぱなしにして黒焦げにはしない。でも、おまえのやり方は違うらしいね。」

頭痛のあと、マリラはいつも少し皮肉っぽくなった。

「ああ、ごめんなさい」とアンは悔い入って言った。「パイをオーブンに入れてから今まで、まるきり忘れていたわ。でも、夕食のテーブルに何か足りないとは、本能的に感じていたのよ。今朝マリラに仕事を任されたとき、今日は何も空想しないで、現実だけを考えようと固く決めたの。パイを入れるまでは、かなりうまくいったのよ。ところが、寂しい塔に閉じこめられた魔法のかかったお姫様になって、美しい騎士が真っ黒な馬で助けに来るところを想像したくなって、どうしてもこらえられなかったの。それでパイを忘れてしまったわけ。ハンカチに糊をつけたことは、知らなかったわ。アイロンをかけているあいだじゅう、ダイアナと小川の上流で見つけた新しい島の名前を考えていたの。うっとりするほどすてきな場所よ、マリラ。カエデが二本あって、そのまわりを小川がぐるりと流れているの。とうとう、ヴィクトリア島と呼べばいいとひらめいたわ。女王様のお誕生日に見つけたんだもの。ダイアナもわたしも、とても忠実な臣民なのよ。でも、パイとハンカチはごめんなさい。今日はいつも以上によい子になりたかったの。記念日だから。去年の今日、何があったか覚えている、マリラ?」

「いいや、別に思い当たらないね。」

「まあ、マリラ、わたしがグリーン・ゲイブルズへ来た日よ。わたしは絶対に忘れないわ。人生の転機だったんだもの。もちろん、マリラにはそれほど大事な日ではないでしょうけれど。ここに一年いて、本当に幸せだったわ。いろいろ困ったこともあったけれど、困ったことは乗り越えていけるものね。わたしを置いて、後悔している、マリラ?」

「いいや、後悔しているとは言えないね」とマリラは言った。アンが来る前、いったいどうやって暮らしていたのかと、ときどき不思議になるほどだった。「うん、後悔というほどのことはないよ。勉強が済んだなら、アン、バリー夫人のところへ行って、ダイアナのエプロンの型紙を貸してもらえるか聞いてきておくれ。」

「ああ――でも――もう暗すぎるわ」とアンは叫んだ。

「暗すぎる? まだ夕暮れじゃないか。それに、暗くなってからだって、何度も行っているだろう。」

「明日の朝早く行くわ」とアンは熱心に言った。「日の出と一緒に起きて行くから、マリラ。」

「今度は何を考えているんだい、アン・シャーリー? 今晩、新しいエプロンを裁ちたいから、型紙がいるんだよ。すぐ行って、急いで戻っておいで。」

「それなら、道路を回っていくしかないわ」とアンは、しぶしぶ帽子を取った。

「道路を回って三十分も無駄にするのかい! そんなことは許さないよ!」

「お化けの森は通れないの、マリラ」とアンは必死に叫んだ。

マリラは目を見張った。

「お化けの森だって! 気でも違ったのかい? いったい何だい、そのお化けの森というのは?」

「小川の向こうのトウヒ林よ」とアンはささやいた。

「ばかばかしい! お化けの森なんて、どこにもありゃしない。誰がそんなことを吹きこんだんだい?」

「誰でもないの」とアンは白状した。「ダイアナとわたしで、あの森にはお化けが出るって想像しただけ。ここらはどこも、あんまり――あんまり――ありふれているでしょう。だから、楽しみのために考えたの。四月から始めたのよ。お化けの森って、とてもロマンチックじゃない、マリラ。トウヒ林は薄暗いから、あそこにしたの。ああ、それは恐ろしいことをたくさん想像したわ。ちょうど今くらいの時刻になると、白い女の人が小川沿いを歩くの。両手をもみしぼり、悲しい声で泣きながら。その家に死人が出るとき、姿を現すのよ。それからアイドルワイルドのそばの角には、殺された小さな子どもの幽霊が出るの。後ろから忍び寄って、冷たい指を手にのせるのよ――こんなふうに。ああ、マリラ、考えただけでぞっとするわ。それに、首のない男が道を行ったり来たりして、骸骨が枝の間からにらむの。ああ、マリラ、今では日が暮れてからお化けの森を通るなんて、何をもらってもいや。木の陰から白いものが手を出して、つかまえるに決まっているもの。」

「まあ、こんな話は聞いたこともないよ!」と、それまであきれて声も出なかったマリラが叫んだ。「アン・シャーリー、自分で想像したそんな悪ふざけを、本気で信じているというのかい?」

「まるっきり信じているわけじゃないの」とアンは口ごもった。「少なくとも、昼間は信じないわ。でも、暗くなると違うのよ、マリラ。幽霊が歩くのは、そのときだもの。」

「幽霊なんてものはいないよ、アン。」

「でも、いるのよ、マリラ」とアンは熱をこめて叫んだ。「見た人を知っているもの。ちゃんとした立派な人たちよ。チャーリー・スローンのおばあさんは、おじいさんが埋められて一年たったある晩に、牛を追って帰ってくる姿を見たんですって。チャーリー・スローンのおばあさんは、何があっても嘘なんかつかないでしょう。とても信心深い人だもの。それからトーマス夫人のお父さんは、ある晩、燃える子羊に家まで追いかけられたの。切られた首が皮一枚でぶら下がっていたんですって。兄弟の霊だとわかったそうよ。九日以内に自分が死ぬというお告げだったんですって。そのときは死ななかったけれど、二年後に死んだから、やっぱり本当だったのよ。それにルビー・ギリスが――」

「アン・シャーリー」とマリラは断固として遮った。「二度とそんな話は聞きたくないよ。おまえの想像力とやらには、前からどうかと思っていたんだ。こんな結果になるなら、そんなまねは許さない。今すぐバリー家へ行きなさい。教訓と思い知らしめのためにも、あのトウヒ林を通るんだよ。それから、お化けの森なんて言葉は、二度と口にするんじゃない。」

アンがどれほど頼み、泣いても無駄だった。実際、恐怖は本物だったから、存分に泣き、頼んだ。想像力が暴走し、日が暮れてからのトウヒ林は、死ぬほど恐ろしい場所になっていたのだ。だがマリラは譲らなかった。おびえる幽霊好きの少女を泉まで連れていき、そのまま橋を渡って、泣き叫ぶ女や首なしの亡霊が潜む、薄暗い奥へ進むよう命じた。

「ああ、マリラ、どうしてそんなに残酷になれるの?」とアンは泣きじゃくった。「ほんとうに白いものがわたしをつかんで、連れ去ったら、どんな気持ちになる?」

「その危険は引き受けよう」とマリラは冷たく言った。「わたしが言ったことは必ず通すと知っているだろう。あちこちに幽霊を想像する癖は、直してあげるよ。さあ、進みなさい。」

アンは進んだ。つまり、つまずきながら橋を渡り、震えつつ、その先の恐ろしい薄暗い道を上った。この道行きを、アンは決して忘れなかった。想像力を野放しにしたことを、心底悔やんだ。自分で生み出した化け物たちが、あたりの影という影に潜み、冷たい骨ばかりの手を伸ばして、生みの親であるおびえた少女をつかもうとしていた。くぼみから吹き上げられた白いカバの樹皮が、林の褐色の地面を舞うだけで、心臓が止まりそうになった。古い枝が二本こすれ合って長くうめくと、額に汗の玉が浮かんだ。頭上の闇をかすめるコウモリは、この世ならぬ生き物の翼そのものだった。ウィリアム・ベル氏の畑に出ると、白いものの大軍に追われるように駆け抜け、バリー家の台所口へ着いたときには、息が切れて、エプロンの型紙を借りたいと伝えるのもやっとだった。ダイアナは留守で、長居する口実もなかった。あの恐ろしい帰り道に向かわなければならない。アンは目を閉じて帰った。白いものを見るくらいなら、枝に頭をぶつけて砕く危険を冒すほうがましだった。ようやく丸木橋をつまずきながら渡ると、震える長いため息を、ほっと吐き出した。

「どうだい、何にもつかまらなかっただろう?」とマリラは、少しも同情せずに言った。

「ああ、マ、マリラ」とアンは歯を鳴らした。「こ、これからは、あ、ありふれた場所で、じゅ、十分満足するわ。」


第二十一章 香料の新しい使い道

「ああ、この世は出会いと別ればかりね。リンド夫人の言うとおりだわ」とアンは悲しげに言った。六月最後の日、石盤と本を台所のテーブルに置き、濡れきったハンカチで赤い目をぬぐいながらのことだった。「今日、余分のハンカチを学校へ持っていってよかったわ、マリラ。必要になる予感がしたの。」

「フィリップス先生がいなくなるからって、涙を拭くのにハンカチが二枚もいるほど、好きだとは思わなかったよ」とマリラは言った。

「先生がそんなに好きで泣いたわけじゃないと思うの」とアンは考えた。「みんなが泣いたから、わたしも泣いただけ。最初はルビー・ギリスだったのよ。いつもフィリップス先生なんか大嫌いと言っていたくせに、先生が別れのあいさつをしようと立ち上がったとたん、泣きだしたの。すると女の子たちが、一人また一人と泣きだして。わたしは踏みとどまろうとしたのよ、マリラ。ギル――男の子の隣に座らされたときや、黒板にわたしの名前をE抜きで書いたときのことを思い出そうとしたの。幾何ではこんなおばかを見たことがないと言われたり、綴り方を笑われたり、意地悪や皮肉を言われたことも、みんな思い出そうとしたのよ。でも、どういうわけかだめで、わたしも泣かずにいられなかった。ジェーン・アンドルーズなんて、一か月も前から、先生がいなくなればどんなにうれしいかって話して、一滴も涙はこぼさないと宣言していたのよ。それが、誰よりひどく泣いて、お兄さんにハンカチを借りなければならなくなったの――もちろん、男の子は泣かなかったから。いらないと思って、自分のを持ってこなかったんですって。ああ、マリラ、胸が張り裂けそうだったわ。先生の別れのあいさつは、それはすてきだったの。『私たちにも別れの時が来ました』で始まって、とても心を打つのよ。先生の目にも涙があったわ、マリラ。わたし、授業中におしゃべりしたり、石盤に先生の似顔絵を描いたり、先生とプリッシーをからかったりしたことが、本当に申し訳なくて、後悔でいっぱいになったの。ミニー・アンドルーズみたいな模範生だったらよかったと、心から思ったわ。ミニーには良心が痛むことなんてないもの。女の子たちは帰り道もずっと泣いていたのよ。少しでも元気になりかけると、キャリー・スローンが何分かおきに『私たちにも別れの時が来ました』って言うから、また泣きだしてしまうの。わたし、本当に悲しいわ、マリラ。でも、これから二か月も休みがあると思うと、絶望のどん底にまでは沈めないものね。それに、駅から来る新しい牧師さんと奥様に会ったのよ。フィリップス先生がいなくなるのがどんなに悲しくても、新しい牧師さんには少しくらい興味を持ってしまうでしょう? 奥様はとてもきれいな方だったわ。もちろん、女王様のような絶世の美女というわけじゃないけれど――牧師さんの奥様がそんな美人では、いけないんでしょうね。悪い手本になるかもしれないもの。リンド夫人は、ニューブリッジの牧師さんの奥様はおしゃれすぎて、とても悪い手本だと言っていたわ。わたしたちの新しい牧師さんの奥様は、青いモスリンの服で、すてきな膨らんだ袖がついていて、ばらで飾った帽子をかぶっていらしたの。ジェーン・アンドルーズは、牧師さんの奥様に膨らんだ袖は俗っぽすぎると言ったけれど、わたしはそんな思いやりのないことは言わなかったわ、マリラ。膨らんだ袖に憧れる気持ちを知っているもの。それに、奥様になってまだ間もないんだから、少しは大目に見るべきでしょう? 牧師館の準備ができるまで、リンド夫人のお宅に下宿なさるんですって。」

その晩、マリラは前の冬に借りたキルトの枠を返すと言って、リンド夫人の家へ出かけた。もし口にした以外の動機があったとしても、それはアヴォンリーの大半の人々に共通する、ほほえましい弱みだった。その夜、リンド夫人が貸したさまざまな品物が、借り主に伴われて帰ってきた。なかには、もう返ってくるとは思っていなかったものもあった。めったに大事件の起こらない静かな小村では、新しい牧師、しかも妻のある牧師は、好奇心を向けても差し支えない相手だったのである。

アンが想像力に乏しいと感じた年老いたベントレー牧師は、十八年ものあいだアヴォンリーの牧師を務めていた。来たときには男やもめで、そのまま男やもめで通した。滞在中は毎年のように、噂の中であちらの誰か、こちらの誰かと結婚させられていたにもかかわらずである。二月に辞任し、教区の人々に惜しまれながら去っていった。話し手として物足りないところはあっても、大半の人々は長い付き合いから生まれる愛情を、善良な老牧師に抱いていた。その後アヴォンリー教会は、毎週日曜ごとにやって来る、さまざまな候補者や代務牧師の試しの説教を聞くという、宗教上の楽しみにふけっていた。彼らの採否は、教会の長老格の男女の判断にかかっていた。だが、古いカスバート家の席の隅におとなしく座っている、ある赤毛の少女も、それぞれに意見を持ち、マシューと存分に論じ合った。マリラは主義として、どんな形であれ牧師を批評することを断っていた。

「スミス先生ではだめだったと思うわ、マシュー」とアンは最後の評を下した。「リンド夫人は話し方が下手すぎると言うけれど、いちばんいけないのはベントレー先生と同じで、想像力がないことだと思う。テリー先生はありすぎたの。お化けの森のときのわたしと同じで、想像力に振り回されていたわ。それに、リンド夫人が、あの人の神学は正しくないって言っていた。グレシャム先生はとても善良で信心深い人だったけれど、おかしな話ばかりして、教会でみんなを笑わせすぎたわ。威厳がなかったのよ。牧師さんには、いくらか威厳がいるでしょう、マシュー? マーシャル先生は本当にすてきだと思ったけれど、リンド夫人が特別に調べたら、結婚どころか婚約もしていないんですって。若い独身の牧師さんをアヴォンリーに迎えるのは絶対によくないと言うの。信徒の誰かと結婚して、もめごとになるかもしれないから。リンド夫人は本当に先の見える人ね、マシュー。アラン先生に決まって、とてもうれしいわ。説教もおもしろかったし、お祈りも習慣でするんじゃなく、本心からしているみたいだったから好きになったの。リンド夫人は、完璧ではないけれど、年七百五十ドルで完璧な牧師は望めないでしょうって。それに神学は間違いないそうよ。教義のあらゆる点を念入りに問いただしたんですって。奥様の実家も知っていて、とても立派な家で、女の人はみんな家事が上手なんだそうよ。夫の教義が正しくて、妻の家事が上手なら、牧師の家庭として理想の組み合わせだって、リンド夫人は言っていたわ。」

新しい牧師夫妻は、感じのよい顔立ちの若い二人で、まだ新婚旅行のさなかにあり、自分たちの選んだ生涯の仕事に、善意と美しい情熱をいっぱいに抱いていた。アヴォンリーは初めから二人に心を開いた。高い理想を持つ、率直で陽気な青年と、牧師館の女主人となった、明るく優しい小柄な婦人は、老いも若きもから好かれた。アンはたちまち、心の底からアラン夫人を慕うようになった。また一人、魂の通い合う人を見つけたのだった。

「アラン夫人は、本当にすばらしい方よ」と、ある日曜の午後、アンは宣言した。「わたしたちのクラスを受け持ってくださったんだけれど、とてもいい先生なの。最初から、先生ばかり質問するのは不公平だと思うっておっしゃったのよ。マリラ、それって、わたしがいつも思っていたこととそっくりなの。何でも好きなことを聞いていいと言ってくださったから、たくさん質問したわ。質問は得意なのよ、マリラ。」

「それはよくわかっているよ」とマリラは力強く言った。

「ほかの子は誰も質問しなかったわ。ルビー・ギリスだけが、今年の夏は日曜学校のピクニックをするんですかって聞いたの。授業とは関係ないから、あまりふさわしい質問じゃないと思ったわ――ライオンの穴のダニエルのお話だったのよ――でもアラン夫人は、ただにっこりして、きっとあるでしょうと答えたの。アラン夫人の笑顔ってすてきなのよ。頬に、とてもきれいなえくぼができるの。わたしにもえくぼがあればいいのに、マリラ。ここへ来たときほどやせっぽちじゃないけれど、まだえくぼはできないわ。あれば、人をよいほうへ導けるかもしれないのに。アラン夫人は、いつもほかの人によい影響を与えるよう努力しなさいっておっしゃったの。何を話してもすてきだったわ。宗教がこんな明るいものだなんて、今まで知らなかった。なんとなく陰気なものだと思っていたの。でも、アラン夫人の宗教は違うわ。あの方のようになれるなら、わたしもキリスト教徒になりたい。日曜学校の校長のベルさんみたいにはなりたくないけれど。」

「ベルさんのことをそんなふうに言うのは、とても悪いことだよ」とマリラは厳しく言った。「ベルさんは、本当に立派な人なんだから。」

「ええ、もちろん立派よ」とアンは同意した。「でも、それがちっとも慰めになっていないみたい。わたしが善い人になれたら、うれしくて一日じゅう歌ったり踊ったりするわ。アラン夫人は、歌ったり踊ったりするには大人すぎるのでしょうし、もちろん牧師さんの奥様には威厳がなさすぎるでしょうけれど。でも、あの方がキリスト教徒であることを喜んでいるのは、感じられるの。そうでなくても天国へ行けるとしても、きっとキリスト教徒でいると思うわ。」

「近いうちに、アラン夫妻をお茶にお招きしなければね」とマリラは考えながら言った。「ここ以外には、たいていどこの家にも行っているんだから。そうだね、来週の水曜日がいいだろう。でもマシューには一言も言ってはいけないよ。来るとわかれば、何か口実をつけて留守にするからね。ベントレー先生にはすっかり慣れて平気だったけれど、新しい牧師と親しくなるのは苦労するだろうし、その奥さんまで来たら、怖くてたまらないだろう。」

「死者のように秘密を守るわ」とアンは請け合った。「でも、ああ、マリラ、その日のためにケーキを作らせてくれない? アラン夫人のために何かしたいの。もう、かなり上手に作れるでしょう。」

「重ねケーキを作っていいよ」とマリラは約束した。

月曜と火曜、グリーン・ゲイブルズでは大準備が進められた。牧師夫妻をお茶に招くのは、重大な一大事だった。マリラはアヴォンリーのどの主婦にも負けまいと心に決めていた。アンは興奮と喜びで夢中だった。火曜の夕暮れ、ダイアナと木の精の泉のそばの大きな赤い石に座り、モミの樹脂をつけた小枝で水面に虹をつくりながら、その話を何もかも聞かせた。

「もう何もかも用意はできたのよ、ダイアナ。朝作るわたしのケーキと、お茶のすぐ前にマリラが焼くベーキングパウダー入りのビスケット以外は。ほんとうに、マリラとわたしは忙しい二日間を過ごしたわ。牧師さんのご一家をお茶に招くのは、大きな責任なのね。こんな経験は初めてよ。うちの食料室を見せたいわ。見ものなんだから。鶏の煮こごりに、冷たいタン。赤と黄色のゼリーが二種類、泡立てたクリームとレモンパイ、チェリーパイ、クッキーが三種類、フルーツケーキ、それから牧師さん用に取ってある、マリラ自慢の黄スモモの砂糖煮。パウンドケーキと重ねケーキ、それに前述のビスケットよ。パンも焼きたてと古いのを両方用意するの。牧師さんが胃弱で、焼きたてを食べられない場合に備えてね。リンド夫人は牧師さんは胃が弱いと言うけれど、アラン先生はまだ、それほど長く牧師をしていないから、悪い影響も出ていないと思うわ。自分の重ねケーキを考えると、ぞっとするの。ああ、ダイアナ、うまくできなかったらどうしよう! 昨夜なんて、頭が大きな重ねケーキになった恐ろしい鬼に、あちこち追い回される夢を見たのよ。」

「きっとうまくできるわ」とダイアナは請け合った。こういうとき、実にありがたい友達だった。「二週間前、アイドルワイルドでお昼に食べた、あなたのケーキは、それはすばらしかったもの。」

「ええ、でもケーキって、とくにうまく焼きたいときほど失敗するという、恐ろしい癖があるでしょう」とアンはため息をつき、たっぷり樹脂のついた小枝を浮かべた。「でも、神様にお任せして、小麦粉を忘れないよう気をつけるしかないわね。ああ、見て、ダイアナ、なんてきれいな虹! わたしたちが帰ったら木の精が出てきて、スカーフにするかしら?」

「木の精なんていないのよ」とダイアナは言った。ダイアナの母親は、お化けの森のことを知って、たいそう腹を立てていた。そのためダイアナは、アンのまねをして想像を羽ばたかせることを控えていたし、害のない木の精でさえ、信じる気持ちを育てるのは賢明でないと考えていた。

「でも、いると想像するのは、とても簡単だわ」とアンは言った。「毎晩寝る前に窓から外を見て、木の精が本当にここに座って、泉を鏡に髪をとかしているかしらと思うの。朝露の中に足跡を探すこともあるわ。ああ、ダイアナ、木の精を信じる心まで捨てないで!」

水曜の朝が来た。アンは興奮して眠れず、日の出とともに起きた。前の晩、泉で水遊びをしたために、ひどい鼻風邪をひいていた。だがその朝、料理への熱意を消すには、本物の肺炎にでもならなければ無理だっただろう。朝食が済むと、ケーキ作りに取りかかった。ようやく生地を入れ、オーブンの戸を閉めたとき、長い息をついた。

「今度は何も忘れていないはずよ、マリラ。でも膨らむかしら? ベーキングパウダーが悪かったら、どうしましょう。新しい缶のを使ったのよ。リンド夫人は、今は何にでも混ぜ物がしてあるから、いいベーキングパウダーかどうか、わからないって言うの。政府が取り締まるべきだけれど、保守党の政府がそんなことをする日は来ないだろうって。マリラ、あのケーキが膨らまなかったらどうしよう?」

「なくたって、食べ物は十分あるよ」というのが、マリラの冷静な見方だった。

しかしケーキはちゃんと膨らみ、黄金の泡のように、ふわりと軽く焼き上がった。アンは喜びに頬を染め、ルビー色のゼリーを間に挟んで重ねた。そしてアラン夫人がそれを食べ、ひょっとするともう一切れと言ってくださる姿を想像した。

「もちろん、一番上等なお茶の食器を使うのよね、マリラ」とアンは言った。「テーブルをシダと野ばらで飾ってもいい?」

「そんなのはくだらないと思うね」とマリラは鼻を鳴らした。「大切なのは食べ物で、ごてごてした飾りじゃないよ。」

「バリー夫人は、ご自分のテーブルを飾ったわ」とアンは言った。蛇の知恵にまったく無縁というわけではなかった。「牧師さんが、それはすてきにほめてくださったそうよ。舌だけでなく、目にもごちそうですねって。」

「まあ、好きにおし」とマリラは言った。バリー夫人にも、ほかの誰にも負けるつもりはなかった。「ただし、お皿と食べ物を置く場所は、ちゃんと残しておくんだよ。」

アンは、バリー夫人の飾りなど足元にも及ばないものにしようと、精いっぱい腕を振るった。ばらもシダもふんだんにあり、生来の芸術的な感覚もあったので、そのお茶のテーブルは、牧師夫妻が席につくなり、声をそろえて美しさをたたえるほどのものになった。

「アンがやったんです」とマリラは、愛想はないが公平に言った。アラン夫人がほめるようにほほえむと、アンはこの世にあってよいのかと思うほど幸せだった。

マシューも席にいた。どうやって誘いこんだのか、神様とアンのほかにはわからなかった。あまりに恥ずかしがって緊張するので、マリラはもう匙を投げていたのだが、アンがうまく取りなしたおかげで、今は晴れ着と白い襟をつけ、牧師とかなり楽しそうに話していた。アラン夫人には一言も話しかけなかったが、そこまでは望めなかっただろう。

アンの重ねケーキが回ってくるまでは、すべてが婚礼の鐘のように楽しく進んだ。アラン夫人はすでに目が回るほど多くの料理をいただいていたので、ケーキを断った。だが、アンのがっかりした顔を見たマリラは、ほほえみながら言った。

「これはぜひ召し上がってください、アラン夫人。アンがあなたのために作ったんです。」

「それなら、ぜひ味見しなくては」とアラン夫人は笑って、厚い三角の一切れを取った。牧師とマリラも同じように取った。

アラン夫人がひと口食べると、その顔にひどく妙な表情が浮かんだ。だが何も言わず、せっせと食べつづけた。マリラはその表情を見て、急いで自分も味をみた。

「アン・シャーリー!」と叫んだ。「いったい、このケーキに何を入れたんだい?」

「作り方に書いてあるものだけよ、マリラ」とアンは、苦しそうな顔で叫んだ。「ああ、うまくできていないの?」

「うまく、だって! ひどい味じゃないか。アラン先生、無理に食べないでください。アン、自分で食べてごらん。香料は何を使ったんだい?」

「バニラよ」とアンは答えた。味見をした顔は、恥ずかしさで真っ赤だった。「バニラだけ。ああ、マリラ、やっぱりベーキングパウダーだったのよ。わたし、あのベーキング――」

「ベーキングパウダーなものか! 使ったバニラの瓶を持っておいで。」

アンは食料室へ飛んでいき、褐色の液が少し残った小瓶を持って戻った。黄色いラベルに「最上級バニラ」と書いてあった。

マリラは受け取り、栓を抜き、においをかいだ。

「まあ、なんてことだろう、アン。おまえはケーキに痛み止めの塗り薬を入れたんだよ。先週、薬の瓶を割ったので、残りを古いバニラの空き瓶へ移したんだ。わたしにも責任はあるね。言っておくべきだった。でも、お願いだから、どうしてにおいをかがなかったんだい?」

二重の恥に、アンは泣き崩れた。

「かげなかったの――こんなにひどい鼻風邪なんだもの!」そう言うと、切妻部屋へ一目散に逃げ込み、ベッドに身を投げて、慰めを拒む者のように泣いた。

やがて階段に軽い足音がして、誰かが部屋へ入ってきた。

「ああ、マリラ」とアンは顔も上げずに泣きじゃくった。「もう、一生の恥だわ。こんなこと、絶対に乗り越えられない。みんなに知れ渡るわ――アヴォンリーでは何だって知れ渡るもの。ダイアナはケーキのできを聞くでしょうし、本当のことを言わなくちゃならない。わたしはいつまでも、ケーキに痛み止めの塗り薬を入れた子だって、指をさされるんだわ。ギル――学校の男の子たちが、いつまでも笑うでしょう。ああ、マリラ、少しでもキリスト教徒の慈悲があるなら、こんなあとで下へ行ってお皿を洗えなんて言わないで。牧師さんと奥様が帰ったら洗うわ。でも、アラン夫人には二度と顔向けできない。毒を盛ろうとしたと思われたかもしれないもの。リンド夫人は、恩人に毒を盛ろうとした孤児の女の子を知っているんですって。でも、あの塗り薬は毒じゃないわ。飲んでもいい薬だもの――ケーキに入れるものではないけれど。マリラ、アラン夫人にそう言ってくださらない?」

「起き上がって、ご自分でそう言ってはどう?」と、明るい声がした。

アンは跳ね起きた。ベッドのそばにアラン夫人が立ち、笑みをたたえた目で見下ろしていた。

「かわいいアン、そんなに泣いてはいけないわ」と夫人は言った。アンの悲痛な顔に、心から胸を痛めていた。「誰にでもありそうな、ちょっとおかしな間違いじゃないの。」

「いいえ、こんな間違いをするのは、わたしだけです」とアンはしょんぼり言った。「アラン夫人のために、とてもおいしいケーキを作りたかったのに。」

「ええ、わかっているわ。ちゃんとできたのと同じくらい、あなたの親切と思いやりをうれしく思っているのよ。さあ、もう泣かないで。一緒に下りて、花壇を見せてちょうだい。カスバートさんから、あなた専用の小さな花壇があると聞いたの。わたし、花が大好きだから、ぜひ見たいわ。」

アンは手を引かれて下り、慰めを受け入れた。アラン夫人が魂の通い合う人だったのは、本当に天の恵みだと思った。塗り薬入りのケーキの話は、それきり出なかった。お客様が帰ったとき、アンはあの恐ろしい事件があったわりには、思いがけず楽しい夕べを過ごしたと気づいた。それでも、深いため息をついた。

「マリラ、明日はまだ何の失敗もしていない新しい一日だと思うと、すてきじゃない?」

「きっとたくさん失敗するだろうよ」とマリラは言った。「おまえほど失敗する子は見たことがないね、アン。」

「ええ、それはよくわかっているわ」とアンは悲しげに認めた。「でも、わたしにも一つ、希望の持てるところがあるのに気がついた、マリラ? 同じ失敗は二度としないのよ。」

「いつも新しい失敗をするんだから、それがどれほど役に立つものかね。」

「あら、わからない、マリラ? 一人の人間にできる失敗には、きっと限りがあるでしょう。全部やり終えたら、もう失敗とはお別れなのよ。そう思うと、とても慰められるわ。」

「まあ、あのケーキを豚にやっておいで」とマリラは言った。「人間の食べるものじゃないよ。ジェリー・ブオートにだって食べさせられない。」


第二十二章 アン、お茶に招かれる

「今度はいったい何にそんなに目をむいているんだい?」郵便局へひと走りして戻ったアンに、マリラが尋ねた。「また魂の通い合う人でも見つけたのかい?」

興奮は衣のようにアンを包み、目に輝き、顔の隅々に火をともしていた。八月の夕方の柔らかな日差しと、ものうい影をくぐり、風に運ばれる妖精のように、道を踊りながら上がってきたのだ。

「違うの、マリラ。でも、聞いて! 明日の午後、牧師館のお茶に招かれたのよ! アラン夫人が郵便局に、わたし宛ての手紙を預けてくださったの。見て、マリラ。『グリーン・ゲイブルズ、ミス・アン・シャーリー』。『ミス』なんて呼ばれたのは、生まれて初めてよ。どんなに胸がときめいたことか! いちばん大切な宝物の一つとして、一生大事にするわ。」

「アラン夫人は、日曜学校のクラスの子たちを順番にお茶に招くつもりだと言っていたよ」とマリラは、このすばらしい出来事を実に冷静に受け止めた。「そんなにのぼせ上がらなくていい。物事を落ち着いて受け止めることを覚えなさい。」

アンが落ち着いて物事を受け止めるには、生まれついた性質を変えるほかなかった。「魂と炎と露」そのもののようなアンには、人生の喜びも苦しみも、三倍の強さで迫ってきた。マリラもそれを感じ、漠然と心配していた。人生の浮き沈みは、この衝動的な魂には厳しくこたえるだろうとわかっていたが、喜びを感じる力も同じだけ強く、それが苦しみを補って余りあることは、十分には理解していなかった。そこで、アンの気質を穏やかでむらのないものに鍛えることが自分の務めだと考えた。だがそれは、小川の浅瀬で踊る陽光に、じっとしていろと命じるほど、アンには無縁で不可能なことだった。訓練はあまり進まなかったと、マリラは悲しく認めていた。大切な望みや計画がついえると、アンは「悲嘆の淵」へ沈んだ。

それがかなえば、目もくらむ歓喜の高みへ舞い上がった。マリラは、この世に放り出されていた子を、おとなしい態度と行儀正しい身のこなしの、理想の少女に育て上げることを、ほとんどあきらめかけていた。しかも、本当は今のままのアンのほうがずっと好きなのだと言われても、信じなかっただろう。

その夜、アンは悲しみのあまり口もきけずに床に入った。マシューが、風が北東に変わったので、明日は雨になるかもしれないと言ったからだ。家のまわりのポプラの葉が鳴る音は、雨粒のぱらぱら落ちる音にあまりに似ていて、不安をかき立てた。湾から遠く響く、豊かなとどろきも、いつもなら、その不思議で深く、心に残る調子を愛して、喜んで耳を傾けるのに、晴天を切に願う少女には、今は嵐と災いの予言に聞こえた。朝など永久に来ないのではないかと、アンは思った。

だが、あらゆるものには終わりがある。牧師館のお茶に招かれた日の前夜でさえも。マシューの予想に反して、朝は晴れ、アンの心は最高の高さまで舞い上がった。「ああ、マリラ、今日は心の中に何かがあって、会う人みんなを大好きになれそうなの」と朝食の皿を洗いながら叫んだ。「どんなに気持ちがいいか、わからないでしょう! これがずっと続けばすてきね。毎日お茶に招かれさえすれば、わたし、模範の子になれると思うわ。でも、ああ、マリラ、これは厳粛な機会でもあるのよ。とても心配。ちゃんと行儀よくできなかったらどうしよう? 牧師館でお茶をいただくのは初めてだし、礼儀作法を全部知っているか、自信がないの。ここへ来てからずっと、『ファミリー・ヘラルド』の礼儀作法欄で勉強してきたけれど。ばかなことをしたり、するべきことを忘れたりしそうで、とても怖いわ。どうしてももっと食べたいものがあったら、お代わりをしても失礼ではないの?」

「おまえのいけないところは、自分のことばかり考えすぎることだよ、アン。アラン夫人のことを考えて、どうすればいちばん喜んで、気持ちよく過ごしていただけるかを考えればいいんだ」とマリラは言った。このときばかりは、実に的を射た、簡潔な助言が口をついて出た。アンにも、それはすぐわかった。

「そのとおりだわ、マリラ。自分のことは、まったく考えないようにする。」

どうやらアンは、重大な「礼儀違反」をせずに訪問を終えたらしかった。サフラン色とばら色の雲の筋が光彩を添える、大きく高い空の下、夕暮れを帰ってきたアンは、至福に満ちていた。台所口の大きな赤砂岩の板石に座り、疲れた巻き毛の頭をマリラのギンガムの膝に預け、うれしそうに何もかも話した。

西のモミの丘の稜線から、長い収穫畑を渡って涼しい風が吹き下ろし、ポプラを鳴らしていた。果樹園の上には澄んだ星が一つかかり、恋人たちの小径では、シダとそよぐ枝の間をホタルが出たり入ったりしていた。話しながらそれを眺めていたアンには、風も星もホタルも、何とも言えず甘美で魅惑的な一つのものに織り合わされているように感じられた。

「ああ、マリラ、ほんとうにうっとりするような時間だったわ。これまで生きてきたことは無駄ではなかったと思うの。もう二度と牧師館のお茶に招かれなくても、ずっとそう思えるわ。着いたら、アラン夫人が戸口で迎えてくださったの。淡い桃色のオーガンジーの、それは愛らしい服で、フリルが何十もついていて、袖は肘までだったわ。まるで熾天使みたい。わたし、大人になったら牧師さんの奥さんになりたい気がするの、マリラ。牧師さんなら世俗的なことは考えないから、赤毛も気にしないかもしれないでしょう。でも、もちろん、生まれつき善良でなくちゃならないわね。わたしには絶対無理だから、考えても仕方がないのかもしれない。生まれつき善良な人もいれば、そうでない人もいるでしょう。わたしは後者なの。リンド夫人は、わたしは原罪でいっぱいだって言うわ。どんなによい子になろうと努力しても、生まれつきよい人ほどうまくいかないの。幾何によく似ていると思う。でも、こんなに一生懸命努力することにも、少しは価値があると思わない? アラン夫人は生まれつき善良な人よ。わたし、情熱的に大好きなの。マシューやアラン夫人みたいに、何の苦労もなく、すぐ好きになれる人がいるでしょう。それからリンド夫人みたいに、好きになるにはたいへんな努力がいる人もいるの。物知りで、教会の仕事もあんなによくするから、愛さなくてはいけないとわかってはいるんだけれど、いつも自分に言い聞かせていないと、忘れてしまうのよ。牧師館には、ホワイト・サンズの日曜学校から、もう一人女の子が来ていたわ。ローレッタ・ブラッドリーという名前で、とてもいい子だった。魂の通い合う友達というほどではないけれど、でも本当にいい子。お茶はすばらしかったし、礼儀作法もだいたい守れたと思うわ。お茶のあと、アラン夫人が楽器を弾いて歌って、ローレッタとわたしにも歌わせてくださったの。夫人はわたしの声がいいから、これからは日曜学校の聖歌隊に入りなさいっておっしゃったのよ。考えただけで、どんなに胸が躍ったか、想像もつかないでしょう。ダイアナみたいに聖歌隊で歌いたくてたまらなかったけれど、わたしには望めない名誉だと思っていたの。ローレッタは早く帰らなければならなかったわ。今夜、ホワイト・サンズ・ホテルで大きな音楽会があって、お姉さんが朗読するんですって。ホテルのアメリカ人たちは、シャーロットタウン病院のために二週間おきに音楽会を開いて、ホワイト・サンズの人をたくさん招いて朗読してもらうそうよ。ローレッタは、自分もいつか頼まれると思うと言ったの。わたし、畏敬の念に打たれて、見つめてしまったわ。あの子が帰ってから、アラン夫人と心を打ち明けて話したの。何もかもお話ししたわ――トーマス夫人のこと、双子のこと、ケイティ・モーリスやヴィオレッタ、グリーン・ゲイブルズへ来たこと、幾何で苦労していることも。そしたら、信じられる、マリラ? アラン夫人も幾何ではおばかだったんですって。どんなに励みになったか、わからないでしょう。帰る少し前に、リンド夫人が牧師館へ来たの。それでね、マリラ、聞いて! 理事さんたちが新しい先生を雇ったんですって。それも女の方よ。ミス・ミュリエル・ステイシーというの。ロマンチックな名前でしょう? アヴォンリーには今まで女の先生なんていなかったから、危険な新機軸だとリンド夫人は言うの。でも、女の先生なんて、すばらしいと思うわ。学校が始まるまでの二週間、どうやって生きていけばいいかわからないくらい。早く会いたくてたまらないの。」


第二十三章 名誉を懸けたアンの災難

ところが実際には、アンは二週間以上待たなければならなかった。塗り薬入りのケーキの一件から、ほぼ一か月が過ぎていたので、新しい面倒を起こしてもよいころだった。食料室で、ぼんやりして脱脂乳の鍋を豚の餌のバケツではなく毛糸玉の籠へ空けたり、空想にふけって丸木橋の端からまっすぐ小川へ歩きこんだりという小さな失敗は、数えるほどのことではなかった。

牧師館のお茶から一週間後、ダイアナ・バリーが集まりを開いた。

「少人数の選ばれた仲間だけよ」とアンはマリラに請け合った。「同じクラスの女の子だけなの。」

みんなは楽しく過ごし、お茶が済むまでは何事も起こらなかった。そのあとバリー家の庭に出たときには、どの遊びにも少し飽きていて、おもしろそうないたずらが現れれば、いつでも飛びつく気分だった。そしてそれは、すぐに「度胸試し」という形を取った。

当時、アヴォンリーの子どもたちの間では、度胸試しが流行していた。男の子から始まり、すぐ女の子にも広まった。その夏アヴォンリーで、「やれるものならやってみろ」と挑まれたために行われたばかなことだけで、一冊の本ができただろう。

まずキャリー・スローンが、玄関前の大きな古い柳の、ある高さまで登ってみろと、ルビー・ギリスに挑んだ。ルビーは、その木にたかる太った青虫を死ぬほど怖がり、新しいモスリンの服を破ったら母親に叱られるのも恐れていたが、それでも身軽に登ってみせ、キャリー・スローンをがっかりさせた。次にジョジー・パイが、ジェーン・アンドルーズに、左足だけで庭を一周してみろ、一度も止まらず、右足を地面につけずに、と挑んだ。ジェーンは勇敢に挑戦したが、三つ目の角で力尽き、負けを認めなければならなかった。

ジョジーの勝ち誇り方があまりに品を欠いていたので、アン・シャーリーは、庭の東側を囲む板塀の上を歩いてみろと挑んだ。板塀を「歩く」のは、やったことのない人が思うよりも、ずっと技術と落ち着きと確かな足取りを要する。だがジョジー・パイには、人に好かれる資質はいくつか欠けていたにせよ、少なくとも板塀を歩く才能は生まれつき備わっており、その才能をよく磨いていた。ジョジーは、こんなことなど度胸試しにもならないと言わんばかりに、平然とバリー家の塀を歩いた。

ほかの少女たちは、しぶしぶながら感嘆した。大半は自分も塀を歩こうとして、さんざんな目に遭っていたので、その腕前がわかったのだ。ジョジーは勝利に顔を紅潮させて塀から下り、挑むような視線をアンへ投げた。

アンは赤い三つ編みを振った。

「そんな低い小さな板塀を歩くくらい、たいしてすごいことじゃないと思うわ」と言った。「メアリーズヴィルで知っていた女の子は、屋根の棟むねを歩けたもの。」

「信じないわ」とジョジーはきっぱり言った。「屋根の棟を歩ける人なんていないわよ。とにかく、あなたにはできないでしょう。」

「わたしにできないですって?」とアンは軽はずみに叫んだ。

「それなら、やってみせて」とジョジーは挑発した。「あそこへ登って、バリーさんの台所の屋根の棟を歩いてごらんなさいよ。」

アンは青ざめたが、もう取るべき道は一つしかないことが明らかだった。台所の屋根に梯子が立てかけてあるほうへ歩きだした。第五級の女の子たちはみんな、興奮と不安を半々にして、「あっ」と声を上げた。

「やめて、アン」とダイアナは懇願した。「落ちて死んでしまうわ。ジョジー・パイなんか放っておいて。こんな危ないことをやれなんて、卑怯よ。」

「しなくてはならないの。名誉が懸かっているもの」とアンは厳粛に言った。「あの棟を歩ききるか、試みの途中で命を落とすかよ、ダイアナ。もし死んだら、真珠玉の指輪はあなたにあげるわ。」

みんなが息を詰めて見守るなか、アンは梯子を登り、棟にたどり着いた。その危うい足場で体をまっすぐに保ち、歩きだした。地上から気味の悪いほど高いところにいること、棟歩きには想像力もたいして助けにならないことを、目のくらむ思いで悟った。それでも、災難が起こるまでに数歩は進めた。次の瞬間、体が揺れ、釣り合いを失い、つまずき、よろめいて倒れた。日に焼けた屋根を滑り落ち、その下でもつれ合うアメリカヅタを突き破って落下した。下の少女たちが、恐怖の悲鳴をそろって上げるより先のことだった。

もし登った側へ落ちていたら、ダイアナはその場で真珠玉の指輪の相続人になっていたかもしれない。幸い、アンは反対側へ落ちた。そちらは屋根がポーチの上まで延び、地面すれすれまで低くなっていたので、落ちても被害はずっと小さかった。それでも、ダイアナたちが家のまわりを夢中で駆けていくと――ルビー・ギリスだけは根が生えたように動けず、取り乱していた――アンは引き裂かれたアメリカヅタの中で、真っ青になってぐったり横たわっていた。

「アン、死んでしまったの?」とダイアナは叫び、友達のそばにひざまずいた。「ああ、アン、大好きなアン、一言だけ話して。死んだかどうか教えて!」

少女たちはみんな、ことにジョジー・パイは、アンがふらふら起き上がるのを見て、心底ほっとした。ジョジーは想像力に乏しいとはいえ、アン・シャーリーを若くして悲惨な死へ追いやった少女として、一生烙印を押される恐ろしい未来を思い浮かべていたのだ。アンは頼りない声で答えた。

「いいえ、ダイアナ、死んではいないわ。でも、意識不明になったと思う。」

「どこが?」とキャリー・スローンは泣きながら尋ねた。「ああ、どこなの、アン?」

アンが答える前に、バリー夫人が現れた。その姿を見て、アンはあわてて立ち上がろうとしたが、鋭い小さな悲鳴を上げ、また崩れ落ちた。

「どうしたの? どこをけがしたの?」とバリー夫人が尋ねた。

「足首です」とアンは息を詰めて言った。「ああ、ダイアナ、お父さんを探して、家へ連れていってくださるようお願いして。とても歩けないわ。ジェーンだって庭を一周できなかったんだから、わたしが片足であんな遠くまで跳んでいけるはずがないもの。」

マリラは果樹園で、夏リンゴを鍋いっぱい摘んでいた。そのとき、バリー氏が丸木橋を渡って斜面を上ってくるのが見えた。そばにはバリー夫人がいて、後ろには少女たちがぞろぞろ続いていた。バリー氏はアンを抱いており、アンの頭はぐったりとその肩にもたれていた。

その瞬間、マリラは一つの真実を悟った。突然の恐怖が心の奥底を刺し貫き、アンが自分にとってどんな存在になっていたのかを知ったのだ。アンが好きだということなら認めただろう。いや、とてもかわいく思っているとさえ。けれど、夢中で斜面を駆け下りながら、今ではわかった。アンはこの世の何よりも大切だった。

「バリーさん、どうしたんです?」と息を切らして尋ねた。冷静で分別のあるマリラが、ここまで青ざめ、うろたえたのは何年ぶりだろう。

アンが自分で頭を上げ、答えた。

「あまり怖がらないで、マリラ。屋根の棟を歩いていて、落ちたの。足首をくじいたんだと思う。でも、マリラ、首の骨を折っていたかもしれないのよ。物事の明るい面を見ましょう。」

「あんな集まりに行かせたら、こんなことをしでかすとわかっていたはずなのにね」とマリラは、安心したあまり、かえってきつく、とげとげしく言った。「こちらへ運んで、長椅子に寝かせてください、バリーさん。まあ、大変、この子、気を失ってしまった!」

本当だった。けがの痛みに耐えきれず、アンはまた一つ、かねてからの願いをかなえたのである。完全に気絶していた。

収穫中の畑から急いで呼び戻されたマシューは、すぐ医者を迎えにやられた。やがて来た医者は、思っていたより重いけがだと告げた。アンの足首は折れていた。

その夜、マリラが東の切妻部屋へ入ると、青白い顔の少女が寝ているベッドから、哀れっぽい声が聞こえた。

「わたしがとてもかわいそうだと思わない、マリラ?」

「自分でまいた種だよ」とマリラは言って、日よけをさっと下ろし、ランプをともした。

「だからこそ、かわいそうに思ってほしいの」とアンは言った。「全部自分のせいだと考えるから、いっそうつらいんだもの。誰かのせいにできたら、ずっと気が楽になるわ。でもマリラだったら、屋根の棟を歩いてみろと挑まれたら、どうした?」

「しっかりした地面に立ったまま、勝手に言わせておいたね。なんてばかげたことだろう!」とマリラは言った。

アンはため息をついた。

「でも、マリラには強い意志があるでしょう。わたしにはないの。ジョジー・パイに軽蔑されるなんて、耐えられないと思ったのよ。一生、勝ち誇られるところだったわ。それに、わたしはもう十分罰を受けたんだから、そんなに怒らなくてもいいと思うの、マリラ。気絶するのなんて、ちっともすてきじゃなかった。先生が足首を治すときも、ものすごく痛かったわ。六、七週間は歩けないし、新しい女の先生にも会えないの。学校へ行けるころには、もう新しい先生じゃなくなっているでしょう。それにギル――みんなに勉強で追い越されてしまうわ。ああ、わたしは苦難を背負った人間なのね。でも、マリラが怒らないでいてくれれば、勇敢に耐えてみせるわ。」

「はいはい、怒ってはいないよ」とマリラは言った。「おまえは運の悪い子だ。それは確かだね。でも、おまえの言うとおり、苦しむのはおまえ自身なんだから。さあ、夕飯を少し食べてごらん。」

「わたしにこんな想像力があって、よかったでしょう?」とアンは言った。「きっと、これを乗り越えるすばらしい助けになるわ。想像力のない人は、骨を折ったらどうするのかしら、マリラ?」

そのあとの退屈な七週間、アンは何度も何度も、自分の想像力に感謝する理由を見つけた。だが、それだけに頼る必要はなかった。見舞い客は多く、毎日のように学校の女の子が一人、あるいは何人も訪ねてきて、花や本を持ってきたり、アヴォンリーの子どもたちの世界で起こることを、すべて聞かせてくれたりした。

「みんな、本当によくしてくれたわ、マリラ」と、初めて足を引きずりながら部屋を横切れた日、アンは幸せそうにため息をついた。「寝たきりなのは楽しくないけれど、明るい面もあるのね。自分にどんなに友達がいるか、わかるんだもの。ベル校長までお見舞いに来てくださったのよ。ほんとうに立派な方なのね。もちろん、魂の通い合う人ではないけれど、それでも好きになったわ。お祈りを批判したことを、ひどく申し訳なく思うの。今は、本心から祈っていると信じられるわ。ただ、そうでないような言い方が癖になっているだけなのね。少し気をつければ直せると思う。わたし、それとなく、かなりはっきりほのめかしたのよ。自分のお祈りをおもしろくしようと、どんなに努力しているか話したの。校長は、男の子のころ足首を折ったときの話を、すっかり聞かせてくださったわ。ベル校長にも男の子の時代があったなんて、変な気がするでしょう。わたしの想像力にも限界があるのね。それだけは想像できないもの。男の子の校長を想像しようとすると、灰色のひげと眼鏡がついた、日曜学校での姿を小さくしただけの人が見えるのよ。アラン夫人が小さい女の子だったところは、とても簡単に想像できるのに。アラン夫人は十四回も来てくださったわ。誇らしいことだと思わない、マリラ? 牧師さんの奥様は、あんなに忙しいのに! お見舞いに来ていただくと、ほんとうに気持ちが明るくなる方よ。自分のせいでしょうとか、これでよい子になってくれるといいけれど、なんて絶対言わないの。リンド夫人は来るたびにそう言ったわ。それも、よい子になってほしいとは思うけれど、本当になるとは信じていないみたいな言い方なのよ。ジョジー・パイまで来たの。できるだけ丁寧に迎えたわ。屋根の棟を歩けと挑んだこと、後悔していたと思うから。わたしが死んでいたら、一生、暗い後悔の重荷を背負わなければならなかったでしょう。ダイアナは忠実な友達だったわ。毎日、わたしの寂しい枕辺を慰めに来てくれたの。でも、ああ、学校へ行けるようになったら、どんなにうれしいでしょう。新しい先生の話を聞くと、胸が躍るんだもの。女の子たちはみんな、とてもすてきな先生だと思っているのよ。ダイアナの話では、きれいな金色の巻き毛で、目がとても魅力的なんですって。服もすてきで、膨らんだ袖はアヴォンリーの誰より大きいの。隔週の金曜の午後には朗読会をして、みんな詩を朗読するか、対話劇に出なくちゃならないんですって。ああ、考えるだけですばらしいわ。ジョジー・パイは大嫌いと言うけれど、あの子には想像力がないからよ。ダイアナとルビー・ギリスとジェーン・アンドルーズは、来週の金曜に『朝の訪問』という対話劇をするの。それから、朗読会のない金曜の午後は、ステイシー先生がみんなを森へ連れていって、『野外学習』でシダや花や鳥を勉強するんですって。毎日、朝と夕方には体操もするのよ。リンド夫人は、そんなやり方は聞いたことがない、女の先生にしたせいだと言うけれど、わたしはすばらしいと思うわ。ステイシー先生もきっと、魂の通い合う人だと思うの。」

「一つだけ、はっきりわかることがあるよ、アン」とマリラは言った。「バリー家の屋根から落ちても、おまえの舌は少しも傷まなかったということだね。」


第二十四章 ステイシー先生と生徒たちの音楽会

アンが学校へ戻れるようになったとき、季節は再び十月になっていた。赤と金に彩られた、すばらしい十月だった。穏やかな朝には谷々が淡い霧で満たされ、まるで秋の精が、太陽に飲み干させようと注いだかのようだった。紫水晶色、真珠色、銀色、ばら色、煙がかった青。露は深く降り、野原は銀の織物のように輝いた。幹の立ち並ぶ森のくぼみには、かさかさ鳴る落ち葉が山と積もり、そこを走り抜けると軽やかな音がした。白樺の小径は黄色い天蓋に覆われ、道沿いのシダは乾いて褐色になっていた。空気そのものに心を奮い立たせるような鋭い清々しさがあり、少女たちはカタツムリとは正反対に、喜び勇んで学校へ急いだ。ダイアナの隣の小さな茶色い机に戻るのは、本当に楽しかった。通路の向こうではルビー・ギリスがうなずきかけ、キャリー・スローンが手紙を回し、ジュリア・ベルが後ろの席から一かみぶんのガムをよこした。アンは鉛筆を削り、机の中の絵入りカードを整えながら、幸せのため息を深くついた。人生は、まったくおもしろかった。

新しい先生に、アンはまた一人、真実の、力になってくれる友を見つけた。ステイシー先生は明るく思いやりのある若い女性で、生徒の愛情を得て保ち、知性にも徳性にも、内にある最良のものを引き出す恵まれた才能があった。その健やかな感化のもとで、アンは花のように開いていった。家へ帰ると、感心して聞くマシューと、批判的に聞くマリラに、学校の勉強や目標を熱っぽく語った。

「わたし、ステイシー先生を心から愛しているわ、マリラ。本当に淑女らしくて、声もとてもすてきなの。先生がわたしの名前を呼ぶと、Eをつけて綴ってくださっていると、本能的にわかるのよ。今日の午後は朗読会だったの。わたしが『スコットランド女王メアリー』を読むのを、聞いてもらいたかったわ。魂のすべてをこめたのよ。帰り道にルビー・ギリスが、『さあ、父の勇気をこの腕に』と女王は言った、『女の心よ、さらば』というところの読み方で、血が凍る思いがしたって言ったわ。」

「そうさな、いつか納屋で、わしにも聞かせてくれるといいが」とマシューが言った。

「もちろんよ」とアンは少し考えて答えた。「でも、同じくらいうまくはできないと思うわ。学校じゅうの子が目の前で息を詰めて、一言も聞き逃すまいとしているときほど、胸が高鳴らないもの。マシューの血を凍らせることはできないでしょうね。」

「リンド夫人は、先週の金曜、男の子たちがカラスの巣を取ろうと、ベルの丘の大木のてっぺんまで登るのを見て、自分の血が凍ったと言っていたよ」とマリラは言った。「それを勧めるなんて、ステイシー先生にもあきれるね。」

「でも、自然観察にカラスの巣が必要だったの」とアンは説明した。「野外学習の午後だったのよ。野外学習ってすばらしいわ、マリラ。ステイシー先生の説明も、とてもわかりやすいの。その午後のことを作文に書くんだけれど、わたしのがいちばん上手なのよ。」

「それを自分で言うなんて、うぬぼれだよ。先生に言っていただくものだ。」

「でも、先生がそうおっしゃったのよ、マリラ。本当にうぬぼれてはいないわ。幾何があんなにできないのに、どうしてうぬぼれられる? もっとも、幾何も少しずつわかりかけてきたの。ステイシー先生は、すごく明快に教えてくださるから。でも、得意にはなれないでしょうね。そう考えると、謙虚になるわ。作文を書くのは大好き。たいていは題を自分で選ばせてくださるけれど、来週は偉い人について書くのよ。昔から偉い人はたくさんいるから、誰にするか迷うわ。偉い人になって、死んでから作文に書いてもらえるなんて、すばらしいでしょうね。ああ、わたしもぜひ偉くなりたい。大人になったら看護師になって、慈悲の使いとして赤十字と戦場へ行こうかしら。海外へ宣教師として行かなければの話だけれど。宣教師も、とてもロマンチックでしょう。でも、すごく善良でなくちゃならないから、そこが障害ね。毎日、体操もするのよ。しなやかになって、消化を促進するんですって。」

「促進も何もあるものか!」とマリラは言った。心底、ばかばかしいと思っていた。

だが、野外学習も金曜の朗読会も、体操の奇妙な身ぶりも、十一月にステイシー先生が持ち出した計画の前では、すっかり影が薄くなった。学校の旗の費用を助けるという立派な目的で、アヴォンリー学校の生徒たちが音楽会を催し、クリスマスの夜に公会堂で開こうというのだった。生徒たちは全員、喜んで賛成し、さっそく演目の準備が始まった。出演する子どもたちはみんな興奮していたが、アン・シャーリーほどではなかった。マリラの反対に妨げられながらも、アンは心も魂もすべて注ぎこんだ。マリラに言わせれば、まったくの愚行だった。

「おまえたちの頭をくだらないことでいっぱいにして、勉強に使うべき時間を奪っているだけじゃないか」とマリラは不平を言った。「子どもが音楽会を開いたり、練習に駆け回ったりするのには賛成できないね。うぬぼれて、出しゃばって、遊び歩くのが好きになるだけだよ。」

「でも、立派な目的を考えて、マリラ」とアンは訴えた。「旗は愛国心を育てるのよ。」

「ふん! おまえたちの頭に愛国心なんて、ほとんどありゃしない。ただ楽しみたいだけだろう。」

「でも、愛国心と楽しみを両立できるなら、それでいいでしょう? もちろん、音楽会を準備するのは本当に楽しいわ。合唱が六曲あって、ダイアナは独唱するの。わたしは対話劇に二つ出るのよ――『噂話防止協会』と『妖精の女王』。男の子たちの対話劇もあるわ。それから朗読も二つするの、マリラ。考えるだけで震えるけれど、気持ちのいい、胸のときめく震えなのよ。最後には活人画[訳注:人物が静止した姿で絵画の一場面を表す舞台表現]もするの――『信仰・希望・慈愛』。ダイアナとルビーとわたしが、白い衣をまとって、髪を下ろして出るのよ。わたしは希望で、手をこう――握り合わせて、目を上に向けるの。朗読は屋根裏で練習するつもり。うめき声が聞こえても、びっくりしないでね。片方の詩では、胸も裂けるようにうめかなければならないの。芸術的に立派なうめき声を出すのは、本当に難しいわ、マリラ。ジョジー・パイは、対話劇で好きな役をもらえなかったから、すねているの。妖精の女王になりたかったんですって。おかしな話よね。ジョジーほど太った妖精の女王なんて、聞いたことがある? 妖精の女王は、ほっそりしていなければならないの。女王はジェーン・アンドルーズで、わたしは侍女の一人なのよ。ジョジーは、赤毛の妖精も太った妖精と同じくらいおかしいと言うけれど、わたしは気にしないことにしているわ。髪には白ばらの花輪をかぶるの。上履きは持っていないから、ルビー・ギリスが貸してくれるわ。妖精には上履きが必要でしょう。ブーツを履いた妖精なんて、想像できないわね。まして爪先に銅のかぶせがあるのなんて。公会堂は、地をはうトウヒと、モミの枝で作った標語で飾って、そこへ桃色の薄紙のばらをつけるの。お客さんが座ってから、エマ・ホワイトがオルガンで行進曲を弾いて、みんな二人ずつ入場するのよ。ああ、マリラ、わたしほど熱心でないのはわかっているけれど、あなたの小さなアンが活躍するといいとは、思ってくれるでしょう?」

「わたしが望むのは、おまえが行儀よくすることだけだよ。この騒ぎが終わって、落ち着いてくれれば、本当にせいせいするね。今のおまえは、対話劇とうめき声と活人画で頭がいっぱいで、何の役にも立たないよ。その舌がすり切れてしまわないのが不思議だね。」

アンはため息をついて、裏庭へ向かった。若い月が、リンゴ色の緑の西空から、葉を落としたポプラの枝越しに照らしていた。そこではマシューが薪を割っていた。アンは丸太に腰かけ、音楽会のことをすっかり話した。少なくともここには、感心し、共感して聞いてくれる相手がいるとわかっていた。

「そうさな、なかなかいい音楽会になりそうだね。おまえも立派にやるだろうよ」とマシューは言い、熱心で生き生きした小さな顔にほほえみかけた。アンもほほえみ返した。この二人は、まったく最良の友だった。マシューは、アンのしつけに責任がないことを、何度も幸運に感謝していた。それはマリラだけの務めだった。自分の務めだったなら、好みと義務の板挟みになって、しょっちゅう悩んだだろう。今は好きなだけ、マリラの言う「アンを甘やかす」ことができた。けれども、結局それは、それほど悪い取り合わせではなかった。少しの「認めてやる心」が、ときにはこの世のどんな熱心な「しつけ」にも劣らず、よい働きをするものだから。


第二十五章 マシュー、膨らんだ袖を主張する

マシューはつらい十分間を過ごしていた。十二月の寒い、灰色の夕暮れに台所へ入り、重い靴を脱ごうと薪箱の隅に腰を下ろしたのだが、居間ではアンと学校の友達が大勢で『妖精の女王』を練習していることに気づかなかった。やがて少女たちは楽しそうに笑い、おしゃべりしながら、廊下を通ってぞろぞろ台所へ出てきた。片手に靴、もう一方に靴脱ぎ台を持ち、薪箱の向こうの影へ恥ずかしそうに身を引いたマシューには、誰も気づかなかった。少女たちが帽子や上着をつけ、対話劇や音楽会のことを話す、その十分間、マシューはおずおずと眺めていた。アンも仲間に交じり、同じように目を輝かせ、生き生きしていた。だがふと、アンにはほかの子と違うところがあると気づいた。しかもマシューを悩ませたのは、その違いが、あってはならないもののように感じられたことだった。アンの顔はほかの子より明るく、目は大きく星のようで、顔立ちも繊細だった。内気で観察力の乏しいマシューでさえ、そういうことには気づくようになっていた。だが、気にかかる違いは、そのどれでもなかった。では、何なのだろう? 

少女たちが腕を組んで、凍りついた長い道を下って帰り、アンが本に向かったあとも、マシューはその疑問を振り払えなかった。マリラに相談するわけにはいかなかった。きっと鼻で笑って、アンとほかの女の子の違いなら、ほかの子はときどき口を閉じるが、アンは絶対に閉じないことだけだ、と言うに決まっている。そんな返事では、ほとんど役に立たないとマシューは思った。

その晩、考えをまとめる助けにしようとパイプを取り出し、マリラを大いに不快にさせた。二時間、煙をくゆらせて懸命に考えた末、ようやく答えにたどり着いた。アンは、ほかの女の子と同じような服を着ていないのだ! 

考えれば考えるほど、アンは一度も、ほかの女の子のような服を着たことがないと確信した。グリーン・ゲイブルズへ来てから、ただの一度も。マリラはいつも、変わりばえのしない同じ型の、飾り気のない暗い色の服を着せていた。服に流行というものがあると知っていたとしても、マシューの知識はそこまでだった。しかし、アンの袖が、ほかの少女たちの袖とまったく違うことだけは、よくわかった。その夕方、アンを囲んでいた少女たちを思い出した。赤、青、桃色、白のブラウスを着て、みんな華やかだった。どうしてマリラは、アンにいつもあんな地味で質素な服を着せるのだろう。

もちろん、それでよいに違いない。マリラがいちばんよくわかっていて、育てているのもマリラなのだ。きっと、賢くて計り知れない目的があるのだろう。だが、一着くらいきれいな服をやっても、悪いことはないはずだ。ダイアナ・バリーがいつも着ているような服を。マシューは、自分が贈ろうと決めた。それなら、差し出がましい口出しだとは責められないだろう。クリスマスまであと二週間しかない。すてきな新しい服こそ、ぴったりの贈り物だった。満足のため息をついて、マシューはパイプをしまい、寝床へ向かった。その間にマリラは、戸をすべて開けて家の空気を入れ替えた。

翌日の夕方、マシューは服を買いにカーモディへ出かけた。いちばんつらいところは、早く済ませてしまおうと決めたのだ。容易な試練でないことは、よくわかっていた。品物によっては、買い物にも慣れていて、値切り上手なところを見せることもできた。だが少女の服となると、店の者の言いなりになるほかないと知っていた。

考え抜いた末、ウィリアム・ブレアの店ではなく、サミュエル・ローソンの店へ行くことにした。確かに、カスバート家はいつもウィリアム・ブレアの店を使っていた。それは長老派教会へ通い、保守党に投票するのと同じくらい、良心に関わる習慣だった。だがウィリアム・ブレアの二人の娘は、よく店番をしており、マシューには恐ろしくてならなかった。欲しいものがはっきりわかり、指で示せるときなら、何とか相手ができた。けれど今度のように、説明や相談のいる買い物には、確実に男が店先にいてくれなければ困る。それでローソンの店へ行くことにした。そこならサミュエルか息子が相手をしてくれるだろう。

ああ、マシューは知らなかった。サミュエルが最近商売を広げ、女店員まで置いたことを。その娘は妻の姪で、ひどく威勢のよい若者だった。大きく垂れたポンパドールの髪、大きく動く茶色い目、そして人をまごつかせるほど盛大な笑顔を持っていた。たいそうしゃれた服装で、いくつもの腕輪が、手を動かすたびに光り、じゃらじゃら、ちりちり鳴った。その娘がいるのを見ただけでも、マシューはすっかりうろたえた。そこへ腕輪が追い打ちをかけ、一瞬で頭の働きを奪ってしまった。

「今晩は何をお求めでしょう、カスバートさん?」

ミス・ルシラ・ハリスは両手でカウンターを軽くたたき、てきぱきと愛想よく尋ねた。

「何か――その――あの――そうさな、庭の熊手はあるかね?」とマシューはどもった。

十二月の真ん中に庭の熊手を求められて、ミス・ハリスは少し驚いた様子だった。当然である。

「一つか二つ、残っていたと思いますけれど」と言った。「上の物置なんです。見てまいります。」

店員がいない間、マシューはもう一度挑戦しようと、散り散りになった理性をかき集めた。

ミス・ハリスは熊手を持って戻り、明るく尋ねた。「ほかにご入り用は、カスバートさん?」

マシューは勇気を振り絞って答えた。「そうさな、せっかくそう言ってくれるなら――もらおうか――つまり――見せてもらって――買おうかと――その、牧草の種を。」

ミス・ハリスは、マシュー・カスバートは変わり者だと聞いていた。今や、すっかり頭がおかしいのだと結論を下した。

「牧草の種は春しか扱いません」と、つんとした調子で説明した。「今は在庫がありません。」

「ああ、もちろん――もちろん――そのとおりだ」と気の毒なマシューはどもり、熊手をつかんで戸口へ向かった。敷居のところで、代金を払っていないと思い出し、みじめな気持ちで引き返した。ミス・ハリスが釣りを数える間に、最後の必死の試みのため、力を奮い起こした。

「そうさな――面倒でなければ――ついでに――つまり――見せてもらいたいんだが――その――砂糖を。」

「白いのですか、茶色いのですか?」とミス・ハリスは辛抱強く尋ねた。

「ああ――そうさな――茶色いのを」とマシューは弱々しく答えた。

「あちらの樽にあります」とミス・ハリスは、腕輪を鳴らして指した。「茶色いのは、あれだけです。」

「それを――二十ポンドもらおう」とマシューは言った。額には汗の玉が浮かんでいた。

家までの道を半分ほど馬車で走って、ようやくマシューは自分を取り戻した。恐ろしい経験だったが、馴染みでない店へ行くという異端の罪を犯した報いだと思った。家に着くと熊手は道具小屋へ隠し、砂糖だけをマリラのところへ持っていった。

「茶色い砂糖!」とマリラは叫んだ。「いったい何を考えて、こんなにたくさん買ってきたんだい? 雇い人の粥と黒いフルーツケーキにしか使わないことは、知っているだろう。ジェリーはもういないし、ケーキはとっくに作ったよ。それに、いい砂糖でもないね。粗くて黒い。ウィリアム・ブレアは、ふつうこんな砂糖は置かないのに。」

「わしは――いつか役に立つかもしれんと思ってね」とマシューは言い、うまく逃げ出した。

考え直したマシューは、この問題を扱うには女の人が必要だと決めた。マリラは問題外だった。たちまち計画に冷水を浴びせるに決まっている。残るのはリンド夫人だけだった。アヴォンリーで、ほかに相談を持ちかける勇気の出る女性はいなかった。そこでリンド夫人を訪ねると、親切な夫人は、悩み疲れた男の手から、すぐに仕事を引き受けた。

「アンに贈る服を選んでほしいんですって? もちろん、いいですよ。明日カーモディへ行くから、見てきましょう。何かご希望は? ないの? では、わたしの見立てに任せてもらいましょう。きれいな深い茶色が、アンには似合うと思いますよ。ウィリアム・ブレアのところに、新しいグローリア[訳注:絹と毛などを交ぜて織った、光沢のある生地]が入っていて、それが本当にきれいなの。仕立てるのも、わたしがしましょうか? マリラが縫ったら、日が来る前にアンに気づかれて、驚かせられなくなるでしょうから。ええ、やりますよ。ちっとも面倒じゃありません。針仕事は好きですからね。姪のジェニー・ギリスに合わせて作ればいいわ。体つきなら、アンと瓜二つですもの。」

「そうさな、ありがたいことだ」とマシューは言った。「それから――その――よくわからんが――できれば――このごろは袖の作り方が、昔とは違うようだね。あまり面倒でなければ――わしは――新しい作り方にしてもらいたいんだが。」

「膨らんだ袖のこと? もちろんですよ。もう少しも心配しなくていいの、マシュー。いちばん新しい流行で仕立ててあげます」とリンド夫人は言った。マシューが帰ると、独り言を付け加えた。

「あの気の毒な子が、一度くらいまともな服を着るのを見られたら、さぞ気持ちがいいだろうね。マリラの着せ方ときたら、まったくばかげている。何度、はっきりそう言ってやりたくなったことか。でも、口はつぐんできたよ。マリラは助言なんて欲しくないし、独り身のくせに、子どもの育て方はわたしより知っているつもりだとわかるからね。でも、世の中そんなものさ。子どもを育てた人なら、どんな子にも当てはまる決まりきった方法なんてないと知っている。育てたことのない人は、三率法[訳注:三つの数から比例関係を使って未知の数を求める計算法]と同じくらい、わかりやすく簡単だと思うんだね。三つの数を決まったとおりに並べれば、正しい答えが出るってわけさ。でも、生身の人間は算術では割り切れない。マリラ・カスバートの間違いはそこなんだよ。あんな服を着せて、アンに謙虚な心を育てようとしているんだろうけれど、育つのはねたみと不満のほうだろうね。あの子だって、自分とほかの女の子の服の違いは感じているはずだ。それにしても、マシューが気づくとはね! 六十年以上眠っていた男が、ようやく目を覚ましかけているんだよ。」

その後の二週間、マリラはマシューの心に何かがあるとわかっていた。だが、それが何かは、クリスマス・イブにリンド夫人が新しい服を持ってくるまで見当がつかなかった。マリラは、全体としてはまずまず穏やかに受け止めた。もっとも、マリラが縫うとアンに早く知れてしまうのをマシューが心配したから自分が縫った、というリンド夫人の外交的な説明は、おそらく信じていなかっただろう。

「この二週間、マシューが妙に秘密めかして、独りでにやにやしていたのは、これだったんだね」と、少し堅いが寛容な口調で言った。「何かばかなことを考えているとは思っていたよ。まあ、アンにこれ以上服が必要だったとは思わないけれどね。この秋、暖かくて丈夫ないい服を三着も作ったんだよ。それ以上は、ただの贅沢だ。この袖だけで、ブラウスが一枚できるくらいの布を使っているじゃないか。マシュー、おまえはアンの虚栄心を甘やかすだけだよ。今だって孔雀みたいにうぬぼれているのに。まあ、これでようやく満足するだろうさ。あのばかげた袖が流行りだしてから、ずっと欲しがっていたのは知っているよ。最初に言ったきり、口には出さなかったけれどね。膨らみはどんどん大きく、ばかばかしくなって、今では風船みたいだ。来年には、あれを着た人は横向きでないと戸を通れなくなるだろうよ。」

クリスマスの朝は、美しい白い世界の上に明けた。十二月はとても暖かく、人々は雪のない「緑のクリスマス」になると思っていた。だが夜のうちに、アヴォンリーを一変させるのにちょうどよい量の雪が、静かに降った。アンは霜のついた切妻窓から、喜びに輝く目で外をのぞいた。お化けの森のモミは、羽毛をまとったように美しく、白樺と山桜の枝は真珠で縁取られていた。耕した畑には雪のえくぼが一面に広がり、空気にはすばらしい、ぴりりとした清々しさがあった。アンは歌いながら階段を駆け下り、その声がグリーン・ゲイブルズじゅうに響いた。

「メリー・クリスマス、マリラ! メリー・クリスマス、マシュー! なんてすてきなクリスマスでしょう。白くなって、本当にうれしいわ。ほかのクリスマスなんて、本物の感じがしないでしょう? 緑のクリスマスは嫌い。緑じゃないんだもの――ただ、くすんだ茶色と灰色で、いやな感じ。どうして緑なんて呼ぶのかしら? あら――あら――マシュー、それ、わたしの? ああ、マシュー!」

マシューは照れくさそうに紙包みをほどき、服を広げて差し出していた。マリラへ遠慮がちな視線を送った。マリラは、そんなことには構わないという顔で茶壺に湯を注ぐふりをしていたが、目の端ではかなり興味深そうに様子を見ていた。

アンは服を受け取り、うやうやしく、無言で見つめた。ああ、なんてきれいなのだろう。絹のような光沢を放つ、柔らかな美しい茶色のグローリア。スカートには愛らしいフリルとギャザー。身頃には最新流行の細かなピンタックが凝った形で入り、襟元には薄いレースの小さなひだ飾りがあった。けれど袖こそ、栄光の頂点だった! 肘まで届く長いカフス、その上には美しい二つの膨らみがあり、ギャザーの列と茶色い絹のリボンの結び目で区切られていた。

「クリスマスの贈り物だよ、アン」とマシューは内気に言った。「おや――おや――アン、気に入らんのかね? そうさな――どうしたものか。」

アンの目に、突然涙がいっぱいになったからだった。

「気に入るですって! ああ、マシュー!」

アンは服を椅子に掛け、両手を握り合わせた。「マシュー、これ以上なくすてきよ。ああ、どんなにお礼を言っても足りないわ。見て、あの袖! こんなの、幸せな夢に違いないと思えてしまう。」

「さあさあ、朝ごはんにしよう」とマリラが口を挟んだ。「アン、おまえにその服が必要だったとは思わないよ。でもマシューがくれたのだから、大切に着るんだよ。リンド夫人からは髪のリボンを預かっている。服に合う茶色だよ。さあ、座りなさい。」

「朝ごはんなんて、どうやって食べればいいかわからないわ」とアンはうっとりと言った。「こんな胸の躍るときに、朝ごはんなんて平凡すぎるもの。あの服で目を楽しませていたいわ。膨らんだ袖がまだ流行っていて、ほんとうによかった。わたしが着られないうちに流行遅れになったら、一生立ち直れないと思っていたの。そうしたら、心から満足することは一度もなかったでしょうね。リンド夫人も、リボンをくださるなんてご親切ね。わたし、本当によい子にならなければと思うわ。こういうとき、模範の少女でないのが残念になるの。それで、これからはそうなろうと、いつも決心するのよ。でも、逆らえない誘惑が来ると、決心を守るのは難しいのね。それでも、これからは本当に、もっと努力するわ。」

平凡な朝食が終わると、谷間の白い丸木橋を渡ってダイアナが現れた。深紅のアルスターコートを着た、小さく華やかな姿だった。アンは斜面を飛ぶように下りて迎えた。

「メリー・クリスマス、ダイアナ! ああ、すばらしいクリスマスよ。見せたいものがあるの。マシューがとてもきれいな服をくれたのよ。袖がものすごくすてきなの。これ以上のものは、わたしにも想像できないわ。」

「わたしも、あなたに持ってきたものがあるの」とダイアナは息を切らして言った。「ほら、この箱。ジョセフィンおばさんが、大きな箱いっぱいにいろいろ送ってくれたの。これはあなたのよ。昨夜持ってこようと思ったけれど、届いたのが暗くなってからで。今でも、暗いお化けの森を通るのは、どうも落ち着かないの。」

アンは箱を開けてのぞいた。まず、「アンのお嬢ちゃんへ。楽しいクリスマスを」と書いたカード。それから、世にも愛らしい小さな山羊革の上履きが一足。爪先にはビーズ、繻子のリボンと、きらめく留め金がついていた。

「ああ」とアンは言った。「ダイアナ、これは幸せすぎるわ。きっと夢を見ているのね。」

「天の恵みだと思うわ」とダイアナは言った。「これでルビーの上履きを借りなくてすむもの。ありがたいことよ。あれはあなたには二つも大きいし、妖精が足を引きずる音なんて、ひどいでしょう。ジョジー・パイが大喜びするわ。そうそう、おとといの練習の帰り、ロブ・ライトがガーティ・パイを送っていったのよ。そんな話、聞いたことがある?」

その日、アヴォンリーの生徒たちはみんな、興奮に浮き立っていた。公会堂の飾りつけをし、最後の大稽古もしなければならなかったからだ。

夜の音楽会は、はっきりと大成功だった。小さな公会堂は満員で、出演者はみんな立派に演じた。だが、その晩ひときわ輝く星だったのはアンだった。嫉妬そのもののジョジー・パイでさえ、それを否定する勇気はなかった。

「ああ、なんて輝かしい夜だったんでしょう」と、すべてが終わり、星の散る暗い空の下をダイアナと帰りながら、アンはため息をついた。

「何もかもうまくいったわ」とダイアナは実際的に言った。「十ドルくらいは集まったんじゃないかしら。それにね、アラン先生が、シャーロットタウンの新聞に記事を送ってくださるのよ。」

「ああ、ダイアナ、本当に自分たちの名前が活字になるの? 考えるだけで胸が震えるわ。あなたの独唱は、本当にすばらしかったわね。アンコールされたとき、わたし、あなた以上に誇らしかったの。『こんな名誉を受けているのは、わたしの大切な腹心の友なのよ』って、心の中で言ったわ。」

「あなたの朗読だって、大喝采だったじゃない、アン。あの悲しい詩は、それはすばらしかったわ。」

「ああ、わたし、とても緊張したのよ、ダイアナ。アラン先生に名前を呼ばれたとき、どうやって壇上へ上がったのか、自分でもわからないの。百万の目に見つめられて、体の中まで見透かされる気がしたわ。恐ろしい一瞬、絶対に始められないと思ったの。でも、そのとき、きれいな膨らんだ袖を思って勇気が出たわ。この袖に恥じない自分でなくちゃ、とわかったのよ、ダイアナ。それで読み始めたら、声がずっと遠くから聞こえてくるみたいだった。ただのオウムになった気分。屋根裏で何度も練習しておいたのは、天の助けだったわ。そうでなければ、最後までできなかったでしょう。うめき声は、ちゃんと出せた?」

「ええ、もちろん。とてもすてきにうめいていたわ」とダイアナは請け合った。

「座ったとき、スローンのおばあさんが涙を拭いているのが見えたの。誰かの心を動かせたと思うと、すばらしかったわ。音楽会に出るって、ロマンチックね。ああ、本当に忘れられない夜になったわ。」

「男の子たちの対話劇もよかったでしょう?」とダイアナは言った。「ギルバート・ブライスは、本当にすばらしかったわ。アン、あなたのギルへの態度は、ひどく意地悪だと思うの。まあ聞いて。妖精の劇のあと、あなたが舞台から駆け下りたとき、髪からばらが一輪落ちたのよ。ギルがそれを拾って、胸のポケットに入れるのを見たわ。さあ、どう? あなたはそんなにロマンチックなんだから、きっと喜ぶべきだと思うわ。」

「あの人が何をしようと、わたしには関係ないわ」とアンはお高く言った。「わたしはあの人のことに、考えを一つだって無駄にしないのよ、ダイアナ。」

その夜、二十年ぶりに音楽会へ出かけたマリラとマシューは、アンが寝たあと、しばらく台所の火のそばに座っていた。

「そうさな、うちのアンは、誰にも負けないくらいよくやったと思うがね」とマシューは誇らしげに言った。

「ええ、よくやったね」とマリラは認めた。「賢い子だよ、マシュー。それに、とてもかわいく見えた。わたしはこの音楽会には反対だったけれど、結局、別に悪いこともないんだろうね。とにかく今夜は、アンを誇らしく思ったよ。本人には言わないけれど。」

「そうさな、わしも誇らしかったから、二階へ上がる前にそう言ってやったよ」とマシューは言った。「そのうち、あの子のために何ができるか考えなければならんね、マリラ。いずれはアヴォンリー学校だけでは足りなくなるだろう。」

「それを考えるには、まだ十分時間があるよ」とマリラは言った。「三月にやっと十三になるんだから。もっとも、今夜はずいぶん大きな娘になったと思ったね。リンド夫人が服を少し長めに作ったので、とても背が高く見えるんだよ。覚えのいい子だから、もうしばらくしたらクイーン学院へやるのが、いちばんいいんだろうね。でも、あと一年か二年は、何も言わなくていいよ。」

「そうさな、ときどき考えておいても、悪くはないさ」とマシューは言った。「そういうことは、よくよく考えておくほどいいものだからね。」


第二十六章 物語クラブの結成

アヴォンリーの子どもたちは、再び平凡な日常に落ち着くのに苦労した。とりわけアンには、何週間も興奮という名の美酒を味わってきただけに、何もかもが恐ろしく退屈で、味気なく、むなしく思えた。音楽会以前の、あの遠い昔の静かな楽しみに戻れるだろうか。初めのうち、ダイアナに話したとおり、とても無理だと思っていた。

「ダイアナ、あの昔のころと同じ暮らしには、もう二度と戻れないって、あたし、確信しているの」と、少なくとも五十年は前のことを振り返るように、アンは悲しげに言った。「しばらくしたら慣れるかもしれないけれど、音楽会って、ふだんの暮らしを楽しめなくしてしまうのね。マリラが嫌がるのもそのせいだと思うわ。マリラは本当に分別のある人だもの。分別があるほうが、ずっといいに決まっているわ。でも、あたし、本当は分別のある人になりたいとは思わないの。だって、そういう人ってロマンチックじゃないんだもの。リンド夫人は、あたしにはそんな心配はいらないって言うけれど、先のことはわからないわ。今は、あたしも大人になったら分別がつくかもしれないって気がするの。でも、ただ疲れているせいかもしれない。昨夜なんて、いつまでも眠れなかったのよ。寝床で目を覚ましたまま、何度も何度も音楽会を思い返していたわ。こういう催しのすばらしいところは、あとで思い出すのがとても楽しいってことね。」

けれども、やがてアヴォンリー学校はいつもの調子を取り戻し、子どもたちの関心も元に戻った。もっとも、音楽会が跡を残さなかったわけではない。舞台の席順をめぐって争ったルビー・ギリスとエマ・ホワイトは、同じ机に座らなくなり、三年続いた有望な友情は崩れ去った。ジョジー・パイとジュリア・ベルは三か月も「口をきかなかった」。ジュリアが朗読しようと立ち上がってお辞儀をしたとき、鶏が首をひょいと動かすみたいだった、とジョジーがベッシー・ライトに言い、それをベッシーがジュリアに伝えたからだ。スローン家の子どもたちは、ベル家の子どもたちと一切つきあわなくなった。ベル家が、スローン家は出番が多すぎると言えば、スローン家は、ベル家はあれっぽっちの出番さえ満足にこなせないくせに、と言い返したのである。最後には、チャーリー・スローンがムーディー・スパージョン・マクファーソンと殴り合いをした。ムーディー・スパージョンが、アン・シャーリーは朗読を鼻にかけている、と言ったためで、ムーディー・スパージョンは「やっつけられた」。その結果、妹のエラ・メイは、冬のあいだずっとアン・シャーリーと「口をきかなかった」。こうした些細な摩擦を別にすれば、ステイシー先生の小さな王国では、授業は規則正しく、滞りなく進んだ。

冬の日々が過ぎていった。例年になく暖かな冬で、雪も少なかったので、アンとダイアナはほとんど毎日、白樺の小径を通って学校へ行けた。アンの誕生日にも、二人はその道を軽やかに歩いていた。おしゃべりをしながらも、目と耳は油断なくあたりに向けている。ステイシー先生から、近いうちに「冬の森の散歩」という作文を書いてもらうと言われていたので、よく観察しておかなければならなかった。

「考えてもみて、ダイアナ。あたし、今日で十三歳なのよ」と、アンは畏れを帯びた声で言った。「もう十代の仲間入りをしたなんて、信じられないくらい。今朝目が覚めたら、何もかも違っているはずだと思ったわ。あなたは十三歳になって、もうひと月たつから、あたしほど新鮮な気持ちはしないでしょうね。生きることが、ずっとおもしろくなった気がするの。あと二年たてば、本当に大人だわ。そうしたら難しい言葉を使っても笑われずにすむと思うと、とても慰められるのよ。」

「ルビー・ギリスは、十五になったらすぐ恋人を作るんですって」と、ダイアナが言った。

「ルビー・ギリスって、恋人のことしか考えていないのね」と、アンは軽蔑するように言った。「誰かに相合傘みたいな落書きをされると、ひどく怒ったふりをするけれど、本当はうれしくてたまらないのよ。でも、今のは思いやりのない言い方だったわね。アラン夫人は、人を悪く言ってはいけないっておっしゃるけれど、考えるより先に口から出てしまうことって、しょっちゅうあるでしょう? あたし、ジョジー・パイの話をすると、どうしても悪口になるから、名前も出さないことにしているの。あなたも気づいていたでしょう。できるだけアラン夫人に似た人になろうと努力しているのよ。あの方は完璧だと思うから。アラン先生もそう思っていらっしゃるわ。リンド夫人は、先生は奥様の踏んだ土まで拝むような惚れ込みようだって言うの。それに、牧師が死すべき人間にあんなに心を奪われるのは、よくないと思うんですって。でもね、ダイアナ、牧師だって人間だもの。ほかの人と同じように、つい犯してしまう罪があるはずよ。この前の日曜の午後、アラン夫人と、そういう罪について、とてもおもしろいお話をしたの。日曜に話していいことって、ほんの少ししかないけれど、これはその一つなのよ。あたしがつい犯してしまう罪は、空想しすぎて、しなければならないことを忘れること。それを直そうと、うんと努力しているの。もう本当に十三歳になったんだから、前よりうまくいくかもしれないわ。」

「あと四年たてば、髪を結い上げられるわね」と、ダイアナが言った。「アリス・ベルはまだ十六なのに、もう結い上げているのよ。でも、ばかみたいだと思う。あたしは十七まで待つわ。」

「あたしがアリス・ベルみたいな曲がった鼻をしていたら」と、アンはきっぱり言った。「決して――あら、いけない。今言おうとしたことは言わないわ。とても思いやりがないもの。それに、自分の鼻と比べていたんだから、虚栄心よね。ずっと前に鼻を褒められてから、あたし、自分の鼻のことを気にしすぎていると思うわ。でも、本当に大きな慰めなの。ああ、ダイアナ、見て、ウサギよ。森の作文のために覚えておかなくちゃ。森は冬も夏と同じくらい美しいと思うの。真っ白で静かで、眠りながら美しい夢を見ているみたい。」

「あの作文なら、書く日が来ても困らないと思うわ」と、ダイアナはため息をついた。「森のことなら、なんとか書けるもの。でも月曜に出すほうはひどいわ。自分の頭で物語を考えなさいなんて、ステイシー先生も無理を言うわね!」

「あら、そんなの、まばたきするくらい簡単よ」と、アンが言った。

「あなたは想像力があるから簡単なのよ」と、ダイアナは言い返した。「でも、生まれつき想像力がなかったら、どうするの? あなたはもう書き上げたんでしょう?」

アンはうなずいた。勤勉な自分を誇る顔を見せまいと懸命に努めたが、まるで成功しなかった。

「先週の月曜の晩に書いたの。題は『嫉妬する恋敵、または死してなお離れず』よ。マリラに読んであげたら、くだらないばか話だって。それからマシューに読んであげたら、すばらしいって言ってくれたわ。あたし、そういう批評家が好き。悲しくて、甘美な物語なの。書きながら、子どもみたいに泣いてしまったわ。コーデリア・モンモランシーとジェラルディン・シーモアという二人の美しい乙女の話よ。同じ村に住んでいて、お互いを心から愛していたの。コーデリアは女王のように気高い黒髪の美人で、真夜中のような髪を王冠のように結い上げていて、瞳は暗い光を放っていたわ。ジェラルディンは女王の風格を備えた金髪の美人で、髪は紡いだ黄金のよう、瞳はビロードのような紫だったの。」

「紫の目の人なんて、見たことないわ」と、ダイアナは疑わしげに言った。

「あたしもないわ。空想したのよ。ありふれていないものが欲しかったの。ジェラルディンは雪花石膏のような額もしていたわ。あたし、雪花石膏のような額って、どういうものかわかったのよ。十三歳になると、そういういいことがあるの。たった十二だったころより、ずっと物知りになるんだから。」

「それで、コーデリアとジェラルディンはどうなったの?」と、二人の運命にかなり興味が湧いてきたダイアナが尋ねた。

「二人は並んで美しく育って、十六歳になったの。そこへバートラム・ディヴィアが村にやって来て、美しいジェラルディンと恋に落ちたわ。彼女の乗った馬車の馬が暴走したとき、彼が命を救ったの。彼女は彼の腕の中で気を失って、彼は三マイルも抱いて家まで運んだのよ。だって、馬車はすっかり壊れてしまっていたんだもの。求婚の場面は、想像するのにちょっと苦労したわ。お手本になる経験がなかったから。ルビー・ギリスに、男の人がどんなふうに求婚するか知っているか聞いたの。結婚したお姉さんが大勢いるから、その道の権威だろうと思って。ルビーは、お姉さんのスーザンがマルコム・アンドレスに求婚されたとき、廊下の食品戸棚に隠れていたんですって。マルコムはスーザンに、おやじが農場をおれの名義にしてくれたって話して、それから『どうだい、かわいいおまえさん、この秋に一緒にならないか?』って言ったそうよ。スーザンは『ええ――いいえ――わからないわ――考えさせて』って言って、それでもう婚約したんですって。でもあたし、そういう求婚はあまりロマンチックじゃないと思ったから、結局、自分でできるだけ想像したの。とても華やかで詩的なものにして、バートラムはひざまずいたわ。今どきそんなことはしないって、ルビー・ギリスは言うけれど。ジェラルディンは一ページもあるせりふで求婚を受け入れたの。そのせりふには、本当に苦労したわ。五回も書き直したし、自分の最高傑作だと思っているのよ。バートラムは彼女にダイヤモンドの指輪とルビーの首飾りを贈って、新婚旅行はヨーロッパへ行こうと言ったの。ものすごいお金持ちだったから。でも、ああ、二人の行く手には暗い影が忍び寄りはじめたのよ。実はコーデリアも、ひそかにバートラムを愛していたの。ジェラルディンから婚約の話を聞くと、怒り狂ってしまったわ。首飾りとダイヤモンドの指輪を見たら、なおさらよ。ジェラルディンへの愛情はすべて激しい憎しみに変わって、絶対にバートラムとは結婚させないと誓ったの。でも、相変わらず友だちのふりをしていたわ。ある晩、二人は激しく渦巻く流れにかかった橋の上に立っていたの。コーデリアは二人きりだと思って、『あっはっは!』と狂ったようにあざ笑いながら、ジェラルディンを突き落としたのよ。けれどもバートラムが一部始終を見ていたの。すぐに流れへ飛び込んで、『救ってみせよう、たぐいなきわがジェラルディン!』と叫んだわ。でも、ああ、自分が泳げないことを忘れていたのね。二人は抱き合ったまま溺れてしまったの。遺体はまもなく岸に打ち上げられて、二人は同じお墓に葬られたわ。そのお葬式は、それはそれは荘厳だったのよ、ダイアナ。物語は結婚式よりお葬式で終わるほうが、ずっとロマンチックね。コーデリアはというと、後悔のあまり気が狂って、精神病院に閉じ込められたの。あたし、罪にふさわしい、詩的な報いだと思ったわ。」

「なんてすてきなの!」と、マシューと同じ流派の批評家であるダイアナは、ため息をついた。「そんな胸の躍る話を、自分の頭だけで考えられるなんて、どうしてなのかしら、アン。あたしにも、あなたくらい想像力があったらいいのに。」

「育てさえすれば、あなたにだってできるわ」と、アンは励ました。「今、いいことを思いついたの、ダイアナ。二人だけの物語クラブを作って、練習のために物語を書きましょうよ。一人で書けるようになるまで、あたしが手伝うわ。想像力は育てなくちゃいけないのよ。ステイシー先生もそうおっしゃるの。ただし、正しい方法でね。お化けの森のことをお話ししたら、あれはやり方が間違っていたっておっしゃったわ。」

こうして物語クラブは誕生した。初めはダイアナとアンだけだったが、まもなくジェーン・アンドルーズとルビー・ギリス、それに、自分の想像力も育てる必要があると思った一、二人が加わった。男子の入会は禁止だった。ルビー・ギリスは、男の子を入れればもっとおもしろくなるという意見だったが。会員は一人につき週に一編、物語を書かなければならなかった。

「とてもおもしろいのよ」と、アンはマリラに話した。「一人ずつ自分の物語を朗読して、それからみんなで話し合うの。全部大切にとっておいて、子孫に読んであげるつもりよ。みんな筆名を使っているの。あたしはロザモンド・モンモランシー。みんな、なかなか上手なのよ。ルビー・ギリスはちょっと感傷的ね。恋愛の場面が多すぎるの。ほら、過ぎたるは及ばざるがごとしでしょう。ジェーンは恋愛を少しも入れないわ。声に出して読むと、ばかばかしくなってしまうんですって。ジェーンの物語は、ものすごく分別があるの。それから、ダイアナの話には殺人が多すぎるわ。登場人物をどうしたらいいかわからなくなることが多いから、殺して片づけるんですって。たいてい、何を書けばいいか、あたしが教えてあげなくちゃならないけれど、難しくはないの。あたしには考えが何百万もあるから。」

「今度の物語書きが、これまででいちばんばかげていると思うね」と、マリラは鼻で笑った。「頭にくだらないことを詰め込んで、勉強に使うべき時間を無駄にするんだろう。物語を読むだけでもよくないのに、書くなんて、もっと悪いよ。」

「でも、どの話にも必ず教訓を入れるように、気をつけているのよ、マリラ」と、アンは説明した。「それだけは、あたしが言い張っているの。善人はみんな報われて、悪人はみんな罪にふさわしい罰を受けるのよ。きっと健全な効果があるはずだわ。教訓がいちばん大切なの。アラン先生もそうおっしゃるのよ。あたしの物語を一つ、先生と奥様に読んであげたら、お二人とも、教訓は申し分ないって言ってくださったわ。ただ、見当違いのところで笑うの。あたしは泣いてもらうほうが好き。ジェーンとルビーは、哀れなところへ来ると、たいてい泣いてくれるのよ。ダイアナがジョセフィンおばさんにクラブのことを書いたら、物語を何編か送っておくれって、お返事が来たの。それで、とびきりいいのを四つ書き写して送ったわ。ミス・ジョセフィン・バリーから、こんなおもしろいものは生まれて初めて読んだって、お返事が来たのよ。あたしたち、少し戸惑ったわ。どれも悲しい物語で、ほとんど全員死んでしまうんですもの。でも、ミス・バリーが気に入ってくださって、うれしいわ。あたしたちのクラブも、世の中の役に立っている証拠ね。アラン夫人は、何をするにもそれを目標にしなさいっておっしゃるの。あたし、本当にそうしようとしているんだけれど、楽しくなると、つい忘れてしまうのよ。大人になったら、少しでもアラン夫人のようになりたいわ。そうなれる見込みはあると思う、マリラ?」

「大いにあるとは言えないね」と、マリラは励ました。「アラン夫人は、きっとおまえほど、ばかで忘れっぽい子どもじゃなかっただろうよ。」

「そうね。でも、今ほどよい人だったわけでもないのよ」と、アンは真剣に言った。「ご自分でそうおっしゃったの。つまり、小さいころはひどいいたずらっ子で、いつも騒動を起こしていたんですって。それを聞いて、とても励まされたわ。ねえ、マリラ、ほかの人も悪い子だったり、いたずらっ子だったりしたと聞いて、励まされるのは、とてもいけないことかしら? リンド夫人はそうだって。どんなに小さかったときのことでも、人が悪さをしたと聞くと、いつもぞっとするんですって。前に、ある牧師が、子どものころ、おばさんの食品戸棚からイチゴのタルトを盗んだと打ち明けるのを聞いて、それきりその牧師を尊敬できなくなったそうよ。でも、あたしならそんなふうには思わないわ。それを告白するなんて、本当に立派だと思うし、今、悪いことをして後悔している男の子たちだって、それでも大人になれば牧師になれるかもしれないと知ったら、どんなに励まされるだろうって思うわ。あたしなら、そう感じるわ、マリラ。」

「今、私が感じているのはね、アン」と、マリラは言った。「もうとっくに、その食器を洗い終えていていいころだってことだよ。おしゃべりばかりして、半時間も余計にかかっているじゃないか。まず仕事をして、それから話すことを覚えなさい。」


第二十七章 虚栄と心の悩み

四月も末のある夕方、扶助会の集まりから帰る道すがら、マリラは冬がすっかり去ったことに気づいた。その胸を、春が必ずもたらす喜びが震わせた。どれほど年老いた悲しい人にも、若く陽気な人と同じように訪れる喜びだった。マリラには、自分の思いや感情を内省する習慣はなかった。自分では、扶助会や、伝道地へ送る慰問箱や、教会の控え室に敷く新しいじゅうたんのことを考えているつもりだったろう。けれども、その思いの底では、あたりの景色と心が調和していた。傾く日を浴び、淡い紫のもやとなって煙る赤土の畑。小川の向こうの牧草地へ、長く鋭く伸びるモミの影。鏡のような森の池を囲み、深紅の芽をつけて静まるカエデ。目覚めつつある世界と、灰色の芝土の下で動きはじめる、目に見えない命の鼓動。春は大地の隅々にまで満ち、その根源的な深い喜びに、堅実な中年女のマリラの足取りも、いつもより軽く、速くなっていた。

木々の網目から顔をのぞかせるグリーン・ゲイブルズに、マリラは愛情のこもった目を向けた。窓は夕日を照り返し、小さな輝きをいくつも放っていた。湿った小径を足元に気をつけながら歩き、マリラは思った。ぱちぱちと気持ちよく燃える薪の火と、きちんと夕食の整った食卓が待つ家へ帰れるとは、なんとありがたいことだろう。アンが来る前、扶助会の帰りに待っていたのは、冷え冷えとしたわびしい家だったのだから。

だから、台所へ入ってみると火はすっかり消え、アンの姿もどこにもなかったので、マリラが失望して腹を立てたのも無理はなかった。五時には必ず夕食を用意しておくようにと言いつけておいたのに、今から急いで二番目によい外出着を脱ぎ、畑を耕して帰って来るマシューのために、自分で食事の支度をしなければならない。

「アンお嬢様がお帰りになったら、きっちり話をつけてやるよ」と、マリラは険しい声で言い、肉切り包丁で、必要以上の勢いを込めて焚きつけを削った。マシューはもう帰っていて、いつもの隅で辛抱強く夕食を待っていた。「ダイアナとどこかをほっつき歩いて、物語を書いたり、掛け合いの練習をしたり、そんなばかげたことをしているんだろう。時間のことも、自分の務めも、まるで考えないで。こういうことは、ここらでびしっとやめさせなくちゃならない。アラン夫人が、あんなに利発でかわいい子は見たことがないと言おうと、私は知らないよ。利発でかわいいには違いないかもしれないけれど、頭の中はばかげたことでいっぱいで、次にどんな形で飛び出すか、わかったものじゃない。一つの奇行が治まったと思うと、また別のことを始めるんだから。おや、いやだね。今日、扶助会でレイチェル・リンドに言われて腹を立てたのと、同じことを私が言っているよ。アラン夫人がアンをかばってくださって、本当によかった。そうでなかったら、みんなの前でレイチェルにきついことを言ってしまったに違いない。アンに欠点がたくさんあるのは、神様もご存じだ。私だって否定はしないよ。でも、あの子を育てているのは私であって、レイチェル・リンドじゃない。あの人ときたら、大天使ガブリエルがアヴォンリーに住んでいたって、あら探しをするだろうさ。それにしても、今日は午後、家にいて留守を守るようにと言ったのに、こんなふうに家を空けるなんて許されないよ。あの子にはいろいろ欠点があるが、言いつけに背いたり、当てにならなかったりしたことは、一度もなかった。それが今になってこんなことになるなんて、本当に残念だね。」

「さあ、どうかねえ」と、マシューは言った。辛抱強く、賢明で、何より空腹だったマシューは、マリラの腹立ちを遮らず、言いたいだけ言わせるのがいちばんだと考えていた。折の悪い口論で邪魔をしなければ、マリラはずっと早く仕事を片づけると、経験で知っていたのである。「ちと決めつけるのが早すぎるんじゃないか、マリラ。言いつけに背いたと確かめるまでは、当てにならんなどと言わんほうがいい。何もかも説明がつくかもしれんよ――アンは説明がうまいからな。」

「ここにいなさいと言ったのに、いないんだよ」と、マリラは言い返した。「そのことを、私が納得するように説明するのは難しいだろうね。もちろん、あんたがあの子の味方をするのは、わかっていたよ、マシュー。でも、育てているのは私で、あんたじゃないんだから。」

夕食ができたころには暗くなっていたが、それでもアンが丸木橋を急いで渡って来たり、恋人たちの小径を駆け上がって来たりする気配はなかった。息を切らし、務めを怠ったことを悔やんで現れるはずの姿は、どこにも見えない。マリラは険しい顔で食器を洗い、片づけた。それから、地下室へ下りる明かりにろうそくが欲しくなり、いつもアンの机に置いてある一本を取りに、東の切妻部屋へ上がった。火をつけて振り返ると、アンが寝台の上で、枕に顔を埋めてうつ伏せになっていた。

「まあ、なんてこと」と、マリラは驚いて言った。「アン、おまえ、眠っていたのかい?」

「いいえ」と、くぐもった返事がした。

「じゃあ、具合が悪いのかい?」と、マリラは心配そうに尋ね、寝台へ近づいた。

アンは、二度と人の目に触れたくないとでもいうように、いっそう深く枕へ顔を埋めた。

「いいえ。でもお願い、マリラ、あっちへ行って、あたしを見ないで。あたし、絶望のどん底なの。誰がクラスで一番になろうと、いちばんいい作文を書こうと、日曜学校の聖歌隊で歌おうと、もうどうでもいいのよ。そんな小さなことは、もう何の意味もないわ。あたし、二度とどこへも行けないと思うから。あたしの前途は閉ざされたの。お願い、マリラ、あっちへ行って、あたしを見ないで。」

「こんな話、聞いたことがあるかね」と、マリラはわけがわからずに言った。「アン・シャーリー、いったいどうしたんだい? 何をしたんだい? 今すぐ起きて話しなさい。今すぐと言っているんだよ。さあ、何があったの?」

アンは絶望したまま言いつけに従い、寝台から床へ滑り下りた。

「あたしの髪を見て、マリラ」と、ささやいた。

マリラはろうそくを持ち上げ、アンの背中へたっぷりと流れ落ちる髪を、まじまじと見た。確かに、ひどく妙な色をしていた。

「アン・シャーリー、髪に何をしたんだい? まあ、緑色じゃないか!。」

この世の色にたとえるなら、緑と呼ぶしかなかった。奇妙なくすんだ、青銅めいた緑色で、ところどころに元の赤毛が筋になって残り、その恐ろしさをいっそう際立たせていた。マリラは生まれてこのかた、そのときのアンの髪ほど珍妙なものを見たことがなかった。

「そう、緑色なの」と、アンはうめいた。「赤毛ほどひどいものはないと思っていたわ。でも、緑の髪は、その十倍もひどいとわかったの。ああ、マリラ、あたしがどんなに惨めか、あなたにはわからないわ。」

「どうしてこんなことになったのか、私にはわからないが、聞かせてもらうよ」と、マリラは言った。「さあ、台所へ下りなさい。ここは寒すぎる。何をしたのか、一つ残らず話すんだよ。そろそろ何か妙なことが起こると思っていたところさ。二か月以上も騒ぎを起こさなかったから、次が来るころだと思っていたんだ。さあ、髪に何をしたんだい?」

「染めたの。」

「染めた! 髪を染めたって! アン・シャーリー、それが悪いことだと知らなかったのかい?」

「少し悪いことだとは知っていたわ」と、アンは認めた。「でも、赤毛がなくなるなら、少しくらい悪いことをしても、それだけの値打ちはあると思ったの。犠牲は覚悟していたのよ、マリラ。それに、ほかのことで特別によい子になって、埋め合わせをするつもりだったの。」

「そうかい」と、マリラは皮肉っぽく言った。「私だったら、染めるだけの値打ちがあると決めたからには、せめてまともな色にしただろうよ。緑色にはしなかったね。」

「でも、緑に染めるつもりじゃなかったのよ、マリラ」と、アンはしょんぼり抗議した。「悪いことをするにしても、ちゃんと目的を果たすつもりだったの。あの人は、きれいなカラスの濡れ羽色になるって言ったのよ。絶対にそうなるって、請け合ったの。どうして、その言葉を疑えたでしょう、マリラ? あたし、自分の言葉を疑われるのがどんな気持ちか知っているもの。それにアラン夫人も、嘘だという証拠がないかぎり、人の言葉を疑ってはいけないっておっしゃるでしょう。今は証拠があるわ。この緑の髪なら、誰にだって十分な証拠よ。でも、そのときはなかったから、あの人の言うことを一言残らず、少しも疑わずに信じたの。」

「誰が言ったって? いったい誰の話をしているんだい?」

「今日の午後に来た行商人よ。あの人から染め薬を買ったの。」

「アン・シャーリー、ああいうイタリア人を家に入れてはいけないと、何度言ったらわかるんだい! 私は、ああいう人たちを呼び寄せるようなことは、一切すべきじゃないと思っているんだよ。」

「あら、家には入れなかったわ。言いつけを覚えていたから、外へ出て、ちゃんと戸を閉めて、玄関の段で品物を見たの。それに、イタリア人じゃなかったわ。ドイツのユダヤ人だったのよ。大きな箱に、とてもおもしろい品物をいっぱい詰めていて、ドイツから奥さんと子どもを呼び寄せるお金をためるために、一生懸命働いているって話してくれたの。家族のことをあんまり心を込めて話すものだから、胸を打たれたわ。そんな立派な目的のお手伝いに、何か買ってあげたいと思ったの。そしたら、ふと髪の染め薬の瓶が目に入ったのよ。どんな髪でもきれいなカラスの濡れ羽色に染まることは保証つきで、洗っても落ちないって言ったわ。その瞬間、きれいな黒髪になった自分が目に浮かんで、どうしても誘惑に勝てなかったの。でも、一瓶七十五セントで、あたしには鶏を売ったお金が五十セントしか残っていなかったのよ。あの行商人は、とても親切な人だったと思うわ。あたしだから特別に五十セントにしてくれる、それじゃただであげるようなものだって言ったから。それで買って、あの人が帰るとすぐ、ここへ上がって、説明書どおりに古いヘアブラシで塗ったの。一瓶全部使ったわ。そして、ああ、マリラ、髪があの恐ろしい色になったのを見て、悪いことをしたのを本当に悔やんだのよ。それからずっと、悔やみつづけているの。」

「その後悔が、ちゃんと役に立つといいね」と、マリラは厳しく言った。「虚栄心に引きずられて、どこまで来てしまったか、目が覚めたならいいんだがね、アン。さて、いったいどうしたものか。まず髪をよく洗ってみて、少しは落ちるか確かめるしかないだろう。」

そこでアンは、石けんと水で髪をごしごし洗った。けれども効果のほどは、元の赤毛をこすり落とそうとしたのと変わらなかった。ほかの点では行商人の誠実さを疑う余地があるとしても、洗っても落ちないと言ったことだけは、確かに真実だった。

「ああ、マリラ、どうしたらいいの?」と、アンは泣きながら尋ねた。「こんな恥、一生消えないわ。ほかの失敗なら、みんなほとんど忘れてくれたのに。塗り薬のケーキも、ダイアナを酔わせたことも、リンド夫人にかんしゃくを起こしたことも。でも、これは忘れてくれないわ。あたし、まともな子じゃないと思われるのよ。ああ、マリラ、『ひとたび欺きを始めれば、なんと絡んだ網を織ることか』。詩の言葉だけれど、本当ね。ああ、ジョジー・パイがどんなに笑うかしら! マリラ、あたし、ジョジー・パイには顔を合わせられないわ。プリンス・エドワード島で、いちばん不幸な女の子よ。」

アンの不幸は一週間続いた。そのあいだ、どこへも出かけず、毎日髪を洗った。家の者以外では、ダイアナだけがその恐ろしい秘密を知っていたが、決して人には話さないと固く誓った。そして、ここではっきり言っておくが、その約束は守られた。一週間の終わりに、マリラはきっぱり言った。

「無駄だよ、アン。これほど落ちない染め薬もないだろうね。髪を切るしかないよ。ほかに方法はない。その頭で外へ出るわけにはいかないからね。」

アンの唇が震えた。だが、マリラの言葉が厳しい真実だということはわかっていた。暗いため息をつき、はさみを取りに行った。

「お願い、一息に切って、終わりにしてちょうだい、マリラ。ああ、胸が張り裂けそう。こんなにロマンチックじゃない不幸なんて。本の中の女の子なら、熱病で髪をなくしたり、よいことをするお金のために髪を売ったりするのよ。そんなふうになくすのなら、きっと今ほどつらくはないわ。でも、恐ろしい色に染めたせいで切られるなんて、慰めになることが何もないでしょう? 邪魔にならなければ、切っているあいだ、ずっと泣かせてちょうだい。こんなに悲劇的なことなんだもの。」

アンはそのとき泣いたが、その後二階へ上がって鏡を見たときには、絶望のあまり静かになっていた。マリラは仕事を徹底してやり遂げていた。できるだけ短く刈り込むしかなかったのである。その結果は、控えめに言っても、似合ってはいなかった。アンはすぐに鏡を壁へ向けた。

「髪が伸びるまで、もう絶対、絶対に自分を見ないわ!」と、激しく叫んだ。

だが、ふいに鏡を元へ戻した。

「いいえ、やっぱり見るわ。それを、悪いことをした償いにするの。部屋に入るたびに、自分がどんなに醜いか見てやるわ。空想でごまかそうともしない。まさか髪のことでうぬぼれていたなんて、思いもしなかったけれど、今はわかるの。赤毛でも、長くて、たっぷりしていて、巻いていたから、誇りにしていたのよ。次は鼻に何か起こるんでしょうね。」

次の月曜、アンの刈り込んだ頭は学校で大騒ぎを引き起こした。だが、ほっとしたことに、本当の理由を察した者はいなかった。ジョジー・パイでさえわからなかったが、アンに、まるっきりかかしみたいだと言うのは忘れなかった。

「ジョジーにそう言われても、あたし何も言わなかったの」と、その晩アンは、頭痛のあとでソファに横たわっているマリラに打ち明けた。「それも罰の一部だと思って、辛抱しなくちゃいけないと考えたから。かかしみたいだなんて言われるのはつらくて、言い返したかったわ。でも、言わなかったの。ただ、軽蔑のまなざしを一つ投げて、それから許してあげたわ。人を許すと、自分がとても徳の高い人になった気がするでしょう? これからは、全力をよい子になることに注いで、二度と美人になろうとはしないわ。もちろん、よい人であるほうが大切なのよね。それはわかっているけれど、わかっていることでも、本当に信じるのが難しいときがあるの。あたし、本当によい子になりたいのよ、マリラ。あなたやアラン夫人やステイシー先生のようになって、あなたの誇りになる大人に育ちたいわ。ダイアナは、髪が伸びはじめたら、黒いビロードのリボンを頭に巻いて、片側で蝶結びにすると、とても似合うと思うって。あたし、それをスヌードって呼ぶことにするわ。ロマンチックな響きだもの。でも、おしゃべりしすぎているかしら、マリラ? 頭に響く?」

「頭はもうよくなったよ。でも、今日の午後はひどかった。頭痛がだんだん悪くなるね。お医者に診てもらわなくちゃ。おまえのおしゃべりは、別に気にならないよ。すっかり慣れてしまったからね。」

それは、アンの声を聞くのが好きだという、マリラなりの言い方だった。


第二十八章 不運な百合の乙女

「もちろん、エレーンになるのはあなたよ、アン」と、ダイアナが言った。「あたしには、あそこを流れていく勇気なんて、とてもないわ。」

「あたしも」と、ルビー・ギリスは身震いした。「二人か三人で平底舟に乗って、座っていられるなら平気よ。それなら楽しいもの。でも、寝転んで死人のふりをするなんて、とても無理。本当に怖くて死んでしまうわ。」

「ロマンチックなのは確かだけれど」と、ジェーン・アンドルーズも認めた。「あたし、じっとしていられないわ。今どこにいるのか、遠くへ流されすぎていないかって、しょっちゅう起き上がってしまうもの。そうしたら雰囲気が台なしでしょう、アン。」

「でも、赤毛のエレーンなんて、あんまりおかしいわ」と、アンは嘆いた。「流れていくのは怖くないし、エレーンにもなりたいのよ。でも、やっぱりおかしいわ。ルビーがエレーンになるべきなの。色白で、あんなにきれいな長い金髪なんだもの。エレーンは『輝く髪をすべて流して』いたでしょう。それに、エレーンは百合の乙女なのよ。赤毛の人は、百合の乙女にはなれないわ。」

「あなたの肌だって、ルビーと同じくらい白いわ」と、ダイアナは真剣に言った。「それに、髪も切る前より、ずっと濃い色になっているもの。」

「ああ、本当にそう思う?」と、アンは喜びにぱっと頬を染めた。「自分でも、ときどきそう思ったの。でも、違うって言われるのが怖くて、誰にも聞けなかったのよ。今なら、赤褐色って呼んでもいいと思う、ダイアナ?」

「ええ。それに、とてもきれいだと思うわ」と、ダイアナは言い、アンの頭を包む、絹のような短い巻き毛を感心して眺めた。巻き毛は、しゃれた黒ビロードのリボンと蝶結びで押さえられていた。

四人は、果樹園の丘の下の池のほとりに立っていた。岸からは、白樺に縁どられた小さな岬が突き出している。その先端には、釣り人や鴨猟をする人のために、水面へ張り出した小さな木の足場があった。真夏のその午後、ルビーとジェーンはダイアナの家へ遊びに来ていて、アンも仲間に加わりに来たのだった。

その夏、アンとダイアナは、遊び時間の大半を池やその周辺で過ごしていた。アイドルワイルドは、もう過去のものだった。春にベル氏が、裏の牧草地に輪を作っていた小さな木々を、無情にも切り倒してしまったのである。アンは切り株のあいだに座り、そうすることのロマンチックさも少しは意識しながら、涙を流した。だが、慰めはすぐに見つかった。結局、二人が言うには、十三歳にもなって十四歳を迎えようという大きな女の子に、おままごとの家などという幼い遊びはもう似合わないし、池にはもっと心を引かれる遊びがあった。橋の上からマスを釣るのはすばらしかったし、二人はバリー氏が鴨猟に使う小さな平底舟を、自分たちで漕ぎ回すことも覚えた。

『エレーン』を芝居にしようと言い出したのはアンだった。前の冬、プリンス・エドワード島の教育長が英語の授業の教材に指定したので、学校でテニスンのこの詩を学んでいた。分析し、文法を解剖し、さんざん切り刻んだので、まだ意味が残っていることが不思議なくらいだったが、少なくとも美しい百合の乙女とランスロット、グィネヴィア、アーサー王は、子どもたちにとって実在の人々となっていた。アンは、キャメロット[訳注:アーサー王伝説の王都]に生まれなかったことを、ひそかに悔やんでやまなかった。あの時代は今よりずっとロマンチックだった、と言うのである。

アンの計画は熱烈に歓迎された。少女たちは、船着き場から平底舟を押し出すと、流れに乗って橋の下をくぐり、最後には池の曲がり角へ突き出した下手の岬に乗り上げることを知っていた。何度もそうして流れていったことがあり、エレーンごっこには、これ以上都合のよいことはなかった。

「じゃあ、あたしがエレーンになるわ」と、アンは渋々折れた。主役を演じるのは大いにうれしかったが、芸術を愛する心は役柄へのふさわしさを求め、自分の容姿ではそれを満たせないと思っていたのだ。「ルビー、あなたはアーサー王よ。ジェーンはグィネヴィア、ダイアナはランスロットね。でも、最初はお兄さんたちとお父さんになってちょうだい。年老いた口のきけない召使いは出せないわ。一人が寝たら、舟に二人は乗れないもの。舟の端から端まで、漆黒の絹で覆わなくちゃ。ダイアナ、あなたのお母さんの古い黒いショールがぴったりよ。」

黒いショールを持って来ると、アンはそれを舟に敷き、底に横たわって目を閉じ、胸の上で両手を組んだ。

「ああ、本当に死んでいるみたい」と、ルビー・ギリスはおびえた声でささやいた。白樺の揺れる影の下で、白い小さな顔は静まり返っていた。「ねえ、怖くなってきたわ。こんなことをして、本当にいいのかしら? リンド夫人は、芝居ごっこはみんな、ひどく罪深いって言うわ。」

「ルビー、リンド夫人の話はしないで」と、アンは厳しく言った。「雰囲気が壊れるわ。これはリンド夫人が生まれる何百年も前のことなんだから。ジェーン、あなたが指図して。死んでいるエレーンがしゃべるなんて、おかしいもの。」

ジェーンはその役目を立派に果たした。掛け布にする金襴はなかったが、黄色い日本のちりめんでできた古いピアノ掛けが、見事な代用品になった。白い百合も、そのときは手に入らなかったが、アンの組んだ片手に背の高い青いアヤメを持たせると、申し分のない効果が出た。

「さあ、支度はできたわ」と、ジェーンが言った。「静かな額に口づけをしなくちゃ。ダイアナ、あなたは『妹よ、とこしえにさらば』と言うの。ルビーは『さらば、愛しき妹よ』。二人とも、できるだけ悲しそうにね。アン、お願いだから少し微笑んでちょうだい。エレーンは『微笑むがごとく横たわり』でしょう。そう、そのほうがいいわ。さあ、舟を押し出して。」

そこで舟は押し出されたが、その拍子に、岸へ打ち込まれた古い杭を激しくこすった。ダイアナ、ジェーン、ルビーは、舟が流れに乗って橋へ向かうのだけ見届けると、森を駆け上がり、道を渡って下手の岬へ走った。そこでランスロット、グィネヴィア、王となって、百合の乙女を迎える準備をするのである。

ゆっくり流れ下るあいだの数分間、アンは自分の境遇のロマンチックさを心ゆくまで味わった。だが、そのあと、少しもロマンチックでないことが起こった。舟に水が入りはじめたのだ。たちまちエレーンは起き上がり、金襴の掛け布と漆黒の絹の覆いを抱え、舟底の大きな裂け目を呆然と見つめなければならなくなった。そこから、文字どおり水がどっと流れ込んでいた。船着き場の尖った杭が、舟に釘で留めてあった目張りをはぎ取っていたのである。アンにそれはわからなかったが、危険な状態だと気づくのに時間はかからなかった。この調子では、下手の岬に着くずっと前に、舟は水でいっぱいになって沈んでしまう。櫂はどこ? 船着き場に置いて来てしまった! 

アンは息をのむような小さな悲鳴を一声上げたが、誰にも聞こえなかった。唇まで真っ白になったものの、落ち着きは失わなかった。助かる道は一つだけ――たった一つあった。

「本当に怖かったんです」と、翌日アンはアラン夫人に話した。「舟が橋まで流れていくあいだ、水がどんどん増えて、何年にも感じられました。あたし、一心にお祈りしました。でも、目は閉じなかったんです。神様が助けてくださるには、橋の杭によじ登れるくらい近くまで、舟を運んでくださるしかないとわかっていましたから。あの杭は古い木の幹で、節や枝の切り残しがいっぱいあるでしょう。お祈りは大切だけれど、自分でもよく見張って、自分の役目を果たさなくちゃならないって、ちゃんとわかっていたんです。だから、『神様、どうか舟を杭のそばへ運んでください。あとは自分でします』って、何度も何度も言いました。ああいうときには、飾ったお祈りをしようなんて、あまり考えないものですね。でも、願いは聞き届けられました。舟がほんの一瞬、杭にぶつかったんです。あたし、ピアノ掛けとショールを肩へ放りかけて、天の助けみたいに出ていた太い枝の切り残しによじ登りました。そうしたら、アラン夫人、滑る古い杭にしがみついたまま、上へも下へも行けなくなったんです。全然ロマンチックじゃない姿だったけれど、そのときは考えませんでした。水の墓から逃れたばかりでは、ロマンスどころじゃありませんもの。すぐに感謝のお祈りをして、それからは、しっかりつかまることだけに気を配りました。陸へ戻るには、たぶん人間の助けに頼らなくちゃならないとわかっていましたから。」

舟は橋の下を流れ抜けると、すぐに流れの真ん中で沈んだ。下手の岬ですでに待っていたルビー、ジェーン、ダイアナは、それが目の前で消えるのを見て、アンも一緒に沈んだものと信じて疑わなかった。一瞬、三人は布のように真っ白になり、その悲劇に恐怖で凍りついた。それから声を限りに叫び、森の中を狂ったように駆け上がった。大通りを渡るときも、立ち止まって橋のほうを見ることはなかった。不安定な足場に必死でしがみついていたアンは、飛ぶように走る三人の姿を見、その悲鳴を聞いた。助けはまもなく来るだろう。だが、それまでの姿勢は、ひどく苦しかった。

一分、また一分が過ぎた。不運な百合の乙女には、その一分が一時間に思えた。どうして誰も来ないのだろう? みんな、どこへ行ったのだろう? 三人とも気絶してしまったらどうしよう! 誰も来なかったら! 疲れきって手足がつり、もうつかまっていられなくなったら! アンは足の下を見た。緑の不気味な深みで、油のような長い影が揺らめいている。身震いした。想像力が、ありとあらゆる恐ろしい結末を描きはじめた。

そして、腕と手首の痛みに、もう一瞬も耐えられないと思ったちょうどそのとき、ハーモン・アンドルーズの小舟に乗ったギルバート・ブライスが、橋の下へ漕ぎ入って来た! 

ギルバートが見上げると、驚いたことに、白い小さな顔が見下ろしていた。大きな灰色の目はおびえていたが、顔にも目にも、やはり軽蔑の色があった。

「アン・シャーリー! いったいどうして、そんなところにいるんだ?」と、ギルバートは叫んだ。

返事も待たず、杭のそばへ舟を寄せて手を差し伸べた。どうしようもなかった。アンはギルバート・ブライスの手にすがり、小舟へ下りた。そして、滴るショールと濡れたちりめんを腕いっぱいに抱え、ずぶ濡れで腹を立てながら船尾に座った。この状況で威厳を保つのは、まったくもって至難の業だった。

「何があったんだい、アン?」と、ギルバートは櫂を取り上げて尋ねた。

「エレーンごっこをしていたの」と、アンは救い主の顔さえ見ず、冷ややかに説明した。「あたしは舟に乗ってキャメロットへ流れていくことになっていたのよ。舟って、あの平底舟のこと。水が入りはじめたから、杭によじ登ったの。みんなは助けを呼びに行ったわ。船着き場まで漕いでくださらない?」

ギルバートは言われるままに舟を進め、アンは手助けを拒んで、身軽に岸へ飛び移った。

「たいへんありがとうございました」と、尊大に言って背を向けた。だが、ギルバートも舟から飛び下り、引き止めるようにアンの腕へ手を置いた。

「アン」と、急いで言った。「ねえ、仲よくできないかな。あのとき髪をからかったこと、本当に悪かったと思っているんだ。怒らせるつもりはなかった。ただの冗談だったんだよ。それに、もうずいぶん昔じゃないか。今の髪、とてもきれいだと思うよ。本当さ。友だちになろうよ。」

一瞬、アンはためらった。傷ついた自尊心の下で、思いがけない新しい感覚が芽生えた。ギルバートのはしばみ色の瞳に浮かぶ、半ばはにかみ、半ば熱心な表情が、とても好ましく思えたのだ。胸が奇妙に小さく、速く跳ねた。だが、昔の恨みの苦さが、揺らぎかけた決心をすぐに固めた。二年前のあの場面が、まるで昨日のことのように鮮やかによみがえった。ギルバートは自分を「にんじん」と呼び、学校中の前で恥をかかせたのだ。大人やほかの人には、きっかけと同じくらい笑うべきものに見えるかもしれないその恨みは、時がたっても、少しも和らいでいないようだった。ギルバート・ブライスなんて大嫌い! 絶対に許すものか! 

「いいえ」と、アンは冷たく言った。「あなたとは決して友だちにならないわ、ギルバート・ブライス。なりたくもないの!」

「わかったよ!」

ギルバートは怒りで頬を赤くして、小舟へ飛び乗った。「もう二度と、友だちになってくれなんて頼まないよ、アン・シャーリー。こっちだって、どうでもいいさ!」

挑むように素早く櫂を動かし、ギルバートは漕ぎ去った。アンは、カエデの下のシダに覆われた急な小径を上がった。顔は高く上げていたが、妙な後悔を感じていた。違う返事をすればよかったと、ほとんど思いかけた。もちろん、ひどい侮辱を受けたのだ。でも、それでも――! 何もかも合わせると、どこかへ座って思い切り泣けば、楽になりそうだった。実際、アンの神経はすっかり張りつめていた。恐怖と、窮屈な姿勢でしがみつづけたことの反動が、現れはじめていたのである。

小径の半ばまで来ると、半狂乱に近い様子で池へ駆け戻ってくるジェーンとダイアナに出会った。果樹園の丘には誰もいなかったのだ。バリー夫妻は二人とも留守だった。そこでルビー・ギリスがヒステリーを起こしたので、落ち着くまで一人にしておき、ジェーンとダイアナはお化けの森を飛ぶように抜け、小川を渡ってグリーン・ゲイブルズへ走った。だが、そこにも誰もいなかった。マリラはカーモディへ出かけ、マシューは裏の畑で干し草を作っていたのである。

「ああ、アン」と、ダイアナは息も絶え絶えに言い、アンの首へほとんど倒れかかるように抱きついて、安堵と喜びの涙を流した。「ああ、アン――あたしたち――あなたが――溺れたと思って――人殺しになった気がしたの――だって、あたしたちが――あなたを――エレーンにしたんだもの。ルビーはヒステリーを起こしているのよ――ああ、アン、どうやって助かったの?」

「橋の杭によじ登ったの」と、アンは疲れた声で説明した。「そしたら、ギルバート・ブライスがアンドルーズさんの小舟で来て、岸まで乗せてくれたのよ。」

「ああ、アン、なんてすてきな人なの! まあ、ロマンチックだわ!」と、ようやく息が整って口をきけるようになったジェーンが言った。「これからは、もちろん彼と話すでしょう?」

「もちろん、話さないわ」と、アンは一瞬いつもの気性を取り戻して言い返した。「それから、ロマンチックって言葉は、もう二度と聞きたくないの、ジェーン・アンドルーズ。みんな、あんなに怖い思いをさせて、本当にごめんなさい。何もかも、あたしのせいよ。きっと不運の星の下に生まれたんだわ。何をしても、自分か、大切な友だちを騒動に巻き込んでしまうの。あなたのお父さんの舟をなくしてしまったわね、ダイアナ。あたしたち、もう池で舟を漕がせてもらえない気がするわ。」

アンの予感は、予感というものにしては、ずいぶん確かだった。その午後の出来事が知れると、バリー家とカスバート家は大騒ぎになった。

「アン、おまえに分別がつく日は来るのかね?」と、マリラはうめいた。

「あら、もちろん来ると思うわ、マリラ」と、アンは楽観的に答えた。ありがたいことに一人になれた東の切妻部屋で、ひとしきり泣いたおかげで、神経は落ち着き、いつもの明るさを取り戻していた。「分別がつく見込みは、今まででいちばん明るいと思うの。」

「どうしてそうなるのか、わからないね」と、マリラは言った。

「あのね」と、アンは説明した。「今日、新しい大切な教訓を学んだの。グリーン・ゲイブルズへ来てから、あたし、失敗ばかりしてきたでしょう。でも、失敗するたびに、大きな欠点が一つずつ治ってきたのよ。アメシストのブローチの一件で、自分のものでないものをいじる癖が治ったわ。お化けの森の失敗で、空想に振り回される癖が治ったし、塗り薬のケーキで、お料理のときの不注意も治ったわ。髪を染めて、虚栄心もなくなったの。今じゃ髪や鼻のことなんて、考えもしないわ――少なくとも、めったにはね。そして今日の失敗で、ロマンチックすぎるところが治るはずよ。アヴォンリーでロマンチックになろうとしても無駄だ、という結論に達したの。何百年も前の、塔のそびえるキャメロットなら、きっと簡単だったでしょうけれど、今はロマンスが理解されないんだもの。この点では、もうすぐ大きな進歩を見てもらえるって、あたし、確信しているわ、マリラ。」

「そうだといいんだがね」と、マリラは疑わしげに言った。

だが、いつもの隅で黙って座っていたマシューは、マリラが出ていくと、アンの肩へ手を置いた。

「ロマンスを全部捨ててはいかんよ、アン」と、恥ずかしそうにささやいた。「少しくらいあるのは、いいことだ――もちろん、多すぎてはいかんがね――少しは残しておきなさい、アン。少しはね。」


第二十九章 アンの人生の一大事件

アンは裏の牧草地から、恋人たちの小径を通って牛を家へ連れ帰っていた。九月の夕暮れで、森の切れ目や空き地には、ルビー色の夕日があふれていた。小径にもところどころ、その光がこぼれていたが、カエデの下はもう大半が暗く、モミの木の下には、空気でできた葡萄酒のように透き通った、紫の薄闇が満ちていた。梢では風が吹いていた。夕べのモミの木に風が奏でる音楽ほど甘美なものは、この世にない。

牛たちはゆったりと小径を下り、アンは夢見心地にそのあとを歩きながら、*『マーミオン』*の戦いの章を声に出して暗唱していた。これも前の冬の英語の教材で、ステイシー先生に暗記させられたものだった。勢いよく流れる詩句と、その情景の中でぶつかり合う槍の響きに、胸を躍らせていた。そして次の詩句に来ると、

頑強なる槍兵は、なお守りぬ
暗く、侵しがたき槍の森を、

アンは恍惚として足を止め、目を閉じた。
自分もその勇壮な輪の一人なのだと、いっそうありありと思い描くために。
再び目を開けると、バリー家の畑へ通じる門からダイアナが入って来た。
そのもったいぶった様子に、アンはすぐ、何か知らせがあるのだと悟った。
けれども、あまり知りたがっているそぶりは見せるまいと思った。

「今夜って、紫色の夢みたいじゃない、ダイアナ? 生きていて本当によかったと思うわ。朝にはいつも、朝がいちばんだと思うのに、夕方になると、夕方はもっときれいだと思うの。」

「とてもいい夕方ね」と、ダイアナは言った。「でもね、すごい知らせがあるのよ、アン。当ててみて。三回までよ。」

「シャーロット・ギリスが、やっぱり教会で結婚式を挙げることになって、アラン夫人が、あたしたちに飾りつけをしてほしいって!」と、アンは叫んだ。

「違うわ。シャーロットの婚約者が承知しないの。まだ誰も教会で結婚式をしたことがないから、お葬式みたいに思えるんですって。ひどいわね。きっと楽しいのに。もう一度。」

「ジェーンのお母さんが、お誕生日のパーティーを許してくれたの?」

ダイアナは、黒い目を楽しげに輝かせて首を振った。

「もう何も思いつかないわ」と、アンは困り果てて言った。「昨夜の祈祷会の帰りに、ムーディー・スパージョン・マクファーソンが送ってくれたってことなら別だけれど。そうなの?」

「とんでもない!」と、ダイアナは憤慨した。「もしそうでも、自慢なんかするものですか。あんな嫌な子! 当てられないと思っていたわ。今日、お母さんにジョセフィンおばさんから手紙が来たの。来週の火曜に、あなたとあたしで町へ来て、博覧会のあいだ泊まっていらっしゃいって。どう!」

「ああ、ダイアナ」と、アンはささやき、支えが必要になってカエデの幹へ寄りかかった。「本当なの? でも、マリラが行かせてくれないんじゃないかしら。遊び歩く癖をつけるわけにはいかないって言うわ。先週、ジェーンが二列座席の馬車で、ホワイト・サンズ・ホテルのアメリカ人の音楽会へ一緒に行こうと誘ってくれたときも、そう言ったの。行きたかったけれど、家で勉強したほうがいい、ジェーンもそうだって。本当にがっかりしたわ、ダイアナ。悲しくてたまらなくて、寝るときにお祈りもしなかったの。でも、あとで悔やんで、夜中に起きてお祈りしたわ。」

「こうしましょう」と、ダイアナは言った。「お母さんからマリラに頼んでもらうの。そうしたら、行かせてもらえる見込みが増えるわ。行けたら、一生でいちばん楽しい思いをしましょうね、アン。あたし、博覧会へ行ったことがないの。ほかの子たちが行った話をするのを聞くと、悔しくて。ジェーンとルビーは二度も行って、今年もまた行くのよ。」

「行けるかどうかわかるまで、そのことは考えないわ」と、アンはきっぱり言った。「考えてから、だめだったら、耐えられないもの。でも、もし行けるなら、そのころには新しいコートができているから、とてもうれしいわ。マリラは新しいコートはいらないと思っていたの。古いので、もうひと冬十分だし、新しい服で満足しなさいって。その服、とてもきれいなのよ、ダイアナ。紺色で、すごく流行の形なの。今ではマリラも、いつも流行どおりに作ってくれるのよ。マシューがリンド夫人のところへ頼みに行くようなことには、させないんですって。あたし、うれしくて。服が流行の形だと、よい子になるのもずっと楽なんだもの。少なくとも、あたしにはね。生まれつきよい人には、それほど違いはないんでしょうけれど。でも、マシューが新しいコートも必要だと言ってくれたから、マリラがきれいな青いブロード織の毛織物を買って、カーモディの本物の仕立屋さんに頼んでいるの。土曜の晩にできるんですって。日曜に新しい服と帽子で教会の通路を歩く自分を、想像しないようにしているのよ。そんなことを思うのは、よくない気がするから。でも、どうしても頭に浮かんでしまうの。帽子がとてもかわいいのよ。カーモディへ行った日にマシューが買ってくれたの。今、大流行の小さな青いビロードの帽子で、金の紐と房がついているのよ。あなたの新しい帽子も立派ね、ダイアナ。とてもよく似合うわ。先週の日曜、あなたが教会へ入って来るのを見たとき、あの人があたしのいちばんの親友なんだと思って、誇らしさで胸がいっぱいになったの。こんなに服のことばかり考えるのは、いけないのかしら? マリラは、とても罪深いって言うけれど。でも、こんなにおもしろい話題なんですものね?」

マリラはアンの町行きを許し、次の火曜にバリー氏が二人を送っていくことになった。シャーロットタウンまでは三十マイルあり、バリー氏はその日のうちに往復したかったので、朝早く出発する必要があった。だが、アンにはそれさえうれしく、火曜の朝は日の出前に起きていた。窓から一目外を見るだけで、晴れるとわかった。お化けの森のモミの向こう、東の空は一面に銀色で、雲一つなかった。木々の切れ目から、果樹園の丘の西の切妻部屋に灯が見えた。ダイアナも起きているしるしだった。

マシューが火を起こすころには、アンは着替えを済ませ、マリラが下りて来るまでに朝食も用意していた。だが、自分は興奮しすぎて、ほとんど食べられなかった。朝食後、しゃれた新しい帽子と上着を身につけ、小川を越え、モミのあいだを抜けて果樹園の丘へ急いだ。バリー氏とダイアナが待っていて、まもなく一行は出発した。

長い道のりだったが、アンとダイアナは一瞬一瞬を楽しんだ。刈り入れの済んだ畑を這う朝の赤い日差しの中、湿った道をがたごと進むのは、なんと愉快なことだろう。空気は新鮮でひんやりし、煙のような青い霧が、谷間を巻き、丘から浮かび上がっていた。道はときに、カエデが緋色の旗を掲げはじめた森を抜けた。ときには川を橋で渡り、そのたびアンは、昔からの、半ば楽しくもある恐怖に肌をすくませた。港沿いを曲がり、風雨にさらされて灰色になった漁師小屋の小さな一群を通り過ぎることもあった。丘へ上がると、うねる高地や、霞んだ青い空が遠くまで見渡せた。どこを通っても、話し合うおもしろいことが尽きなかった。町へ着き、「ビーチウッド」へたどり着いたのは、正午近かった。

それは立派な古い邸宅で、通りから奥まったところにあり、緑のニレと枝を広げたブナに囲まれて、静かにたたずんでいた。ミス・バリーは、鋭い黒い目をきらめかせながら、玄関で迎えた。

「やっと遊びに来たね、アンのお嬢ちゃん」と、言った。「まあ、なんて大きくなったんだろう! 私より背が高いじゃないか。それに、前よりずっときれいになったね。もっとも、言われなくても自分で知っているだろうけれど。」

「本当に、知らなかったんです」と、アンは顔を輝かせた。「そばかすが前より減ったことはわかっていましたから、それだけでもずいぶんありがたいと思っていました。でも、ほかにもよくなったところがあるなんて、とても望めませんでした。そう思ってくださるなんて、本当にうれしいです、ミス・バリー。」

ミス・バリーの家は、あとでアンがマリラに語ったところによると、「たいへん豪華」にしつらえられていた。ミス・バリーが昼食の様子を見に行き、客間に残された田舎の少女二人は、その壮麗さに気後れした。

「まるで宮殿みたいじゃない?」と、ダイアナはささやいた。「ジョセフィンおばさんの家へ来たのは初めてなの。こんなに立派だとは思わなかったわ。ジュリア・ベルに見せてやりたい。お母さんの客間を、あんなに自慢しているんですもの。」

「ビロードのじゅうたん」と、アンはうっとりため息をついた。「それに絹のカーテン! こんなものを夢見ていたのよ、ダイアナ。でもね、やっぱり、あまり落ち着かない気がするわ。この部屋には物がたくさんあって、どれも立派すぎるから、想像の余地がないんだもの。貧しいときには、そこが慰めになるわね。空想できることが、ずっとたくさんあるから。」

町で過ごした日々は、その後何年も、アンとダイアナが「あのときから」と物事を数える節目になった。初めから終わりまで、喜びがぎっしり詰まっていた。

水曜にはミス・バリーが二人を博覧会場へ連れていき、一日中そこで過ごした。

「すばらしかったわ」と、あとでアンはマリラに語った。「あんなにおもしろいものがあるなんて、想像もしなかったの。どの部門がいちばんおもしろかったのか、本当にわからないわ。馬と、お花と、手芸がいちばん好きだったと思う。ジョジー・パイが編みレースで一等賞を取ったのよ。あたし、本当によかったと思ったわ。そして、よかったと思えたことが、うれしかったの。ジョジーの成功を喜べるなんて、進歩した証拠でしょう、マリラ? ハーモン・アンドルーズさんはグラヴェンシュタイン種のリンゴで二等賞、ベルさんは豚で一等賞だったわ。ダイアナは、日曜学校の校長先生が豚で賞を取るなんて、おかしいって言ったけれど、どうしてなのか、あたしにはわからないわ。あなたにはわかる? これから先生が厳かにお祈りするたびに、そのことを思い出してしまうんですって。クララ・ルイーズ・マクファーソンは絵で入賞して、リンド夫人は自家製のバターとチーズで一等賞だったの。アヴォンリーも、ずいぶん立派に顔を出したでしょう? その日、リンド夫人も来ていたのよ。知らない人ばかりの中で、見慣れた顔を見つけて、初めて、自分がどんなにあの人を好きかわかったわ。何千人もいたのよ、マリラ。自分がひどくちっぽけに感じられたわ。それから、ミス・バリーが競馬を見るために観覧席へ連れていってくださったの。リンド夫人は来なかったわ。競馬は忌まわしいもので、教会員として、行かないことで模範を示すのが当然の義務だって。でも、あんなに大勢いたんだから、リンド夫人がいないことに、誰も気づかなかったと思うわ。ただ、競馬には、あまりたびたび行かないほうがいいと思ったの。だって、本当に夢中になるんだもの。ダイアナなんて興奮して、赤い馬が勝つほうに十セント賭けようって言い出したのよ。あたしは勝たないと思ったけれど、賭けは断ったわ。アラン夫人に全部お話ししたかったし、それはお話しできないと思ったから。牧師の奥様に話せないことは、何でも間違っているのよ。牧師の奥様がお友だちだと、良心がもう一つあるようなものね。賭けなくて本当によかったわ。赤い馬が本当に勝ったから、あたし、十セントなくすところだったんですもの。だからね、徳はそれ自体が報いだったのよ。気球に乗って上がる男の人も見たわ。あたしも乗ってみたい、マリラ。きっと胸が躍るでしょうね。それから、運勢を売る人もいたの。十セント払うと、小鳥が運勢の紙を選んでくれるのよ。ミス・バリーが、占ってもらいなさいって、一人に十セントずつくださったわ。あたしの運勢は、色の浅黒い大金持ちの男の人と結婚して、海を渡って暮らすんですって。そのあとは、見かける浅黒い男の人をみんなよく見たけれど、どの人もあまり気に入らなかったわ。それに、探しはじめるには、まだ早すぎるでしょうね。ああ、一生忘れられない日だったわ、マリラ。疲れすぎて、夜は眠れなかったの。ミス・バリーは約束どおり、客用の寝室に泊めてくださったわ。立派な部屋だったけれど、客用の寝室で眠ることって、どういうわけか、昔考えていたようなものじゃなかったの。大人になるのって、そこが困るのね。あたし、わかりはじめているの。子どものころ、あんなに欲しかったものが、手に入ると、思っていたほどすばらしくないのよ。」

木曜には公園を馬車で回り、夜はミス・バリーが音楽アカデミーの演奏会へ連れていった。有名なプリマドンナが歌うことになっていた。その夜はアンにとって、喜びにきらめく幻のようだった。

「ああ、マリラ、とても言葉では言えないわ。興奮しすぎて、しゃべることさえできなかったの。それで、どんなだったかわかるでしょう。あたし、ただ黙ってうっとり座っていたわ。マダム・セリツキーは本当に美しくて、白いサテンとダイヤモンドを身につけていらしたの。でも、歌いはじめたら、ほかのことは何も考えなくなったわ。ああ、どんな気持ちだったか、とても言えない。でも、もうよい人になるのは少しも難しくないと思えたの。星を見上げるときのような気持ちだったわ。涙が出てきたけれど、本当に幸せな涙だったのよ。終わってしまうのが悲しくて、どうしたら普通の暮らしへ戻れるのかわからないと、ミス・バリーに言ったわ。そうしたら、向かいのレストランでアイスクリームを食べれば、少しは助けになるだろうって。ずいぶん散文的だと思ったけれど、驚いたことに、本当だったの。アイスクリームはおいしかったわ、マリラ。夜の十一時に座って食べるなんて、とてもすてきで、放蕩気分だったわ。ダイアナは、自分は都会暮らしに生まれついたんだと思うって言ったの。ミス・バリーに、あたしはどう思うか聞かれたけれど、本当の気持ちをお答えするには、よく考えてみなくちゃと言ったわ。それで、寝床に入ってから考えたの。物事を考え抜くには、あの時間がいちばんね。そして、あたしは都会暮らしに生まれついたんじゃない、それがうれしい、という結論になったわ、マリラ。たまに夜の十一時、きらびやかなレストランでアイスクリームを食べるのはすてきよ。でも、いつもなら、十一時には東の切妻部屋でぐっすり眠っていたいわ。眠りながらも、外では星が輝いて、小川の向こうのモミに風が吹いていると、どこかで感じていたいの。翌朝、朝食のときにそう言ったら、ミス・バリーは笑ったわ。あの方は、あたしが何を言っても、たいてい笑うの。どんなに真面目なことでもよ。あたし、それはあまり好きじゃなかったわ、マリラ。笑わせるつもりじゃなかったんだもの。でも、とてもおもてなしのよい方で、あたしたちを王族みたいに扱ってくださったわ。」

金曜には帰る日が来て、バリー氏が二人を迎えに来た。

「さて、楽しんでもらえたかね」と、別れ際にミス・バリーが言った。

「ええ、本当に」と、ダイアナが答えた。

「アンのお嬢ちゃんは?」

「一分一秒、みんな楽しかったです」と、アンは言い、衝動のまま老婦人の首へ両腕を回して、しわのある頬に口づけした。ダイアナには、とてもそんなことはできず、アンの大胆さに少し肝をつぶした。だが、ミス・バリーは喜び、ベランダに立って馬車が見えなくなるまで見送った。それから、ため息をついて大きな家へ戻った。若々しい二人がいなくなると、家はひどく寂しく思えた。正直に言えば、ミス・バリーはやや利己的な老婦人で、これまで自分以外の誰かを、それほど気にかけたことはなかった。役に立つか、自分を楽しませるかによって、人の価値を決めていた。アンは楽しませてくれたので、大いに気に入られていたのだ。だが今、ミス・バリーの心に浮かぶのは、アンの風変わりな言葉よりも、生き生きした熱意、透き通るような感情、愛らしいしぐさ、目元と口元の優しさだった。

「マリラ・カスバートが孤児院から女の子を引き取ったと聞いたときには、とんだばかなことをと思ったけれど」と、独り言を言った。「結局、たいした間違いじゃなかったようだね。アンのような子がいつも家にいたら、私ももっとよい、幸せな人間になれるだろうよ。」

アンとダイアナには、帰り道も行きと同じくらい楽しかった。いや、その先に家が待っているといううれしさがあるだけ、いっそう楽しかった。ホワイト・サンズを通り、海岸の道へ入ったころには日が沈みかけていた。前方では、サフラン色の空を背に、アヴォンリーの丘が黒く浮かび上がっていた。背後では海から月が昇り、その光に海は輝き、別世界のようになっていた。曲がりくねる道沿いの小さな入り江は、どれも踊るさざ波の驚異だった。下の岩には波が柔らかな音を立てて砕け、力強く新鮮な空気に、潮の香りが満ちていた。

「ああ、生きていて、家へ帰れるって、なんてすてきなの」と、アンは吐息のように言った。

小川の丸木橋を渡ると、グリーン・ゲイブルズの台所の灯が、親しげにまたたいて帰宅を歓迎した。開いた戸口からは炉の火が見え、冷たい秋の夜へ、暖かな赤い光を投げかけていた。アンは弾む足取りで丘を駆け上がり、台所へ入った。食卓には温かい夕食が待っていた。

「帰ったのかい?」と、マリラは編み物を畳みながら言った。

「ええ、ああ、帰って来られて、本当にうれしいわ」と、アンは喜んだ。「何もかもに口づけしたいくらい。時計にだって。マリラ、焼き鶏! まさか、あたしのために焼いてくれたの?」

「そうだよ」と、マリラは言った。「あれだけ馬車に揺られれば、おなかもすくだろうし、うんと食欲の出るものがいると思ってね。早く上着を脱いでおいで。マシューが戻ったら、すぐ夕食にしよう。帰って来てくれて、本当によかったよ。おまえがいないと、ひどく寂しくてね。こんなに長い四日間は初めてだった。」

夕食のあと、アンはマシューとマリラのあいだ、火の前に座って、町でのことを何もかも話した。

「すばらしい時間を過ごしたわ」と、幸せそうに結んだ。「あたしの人生の、一つの時代を画する出来事だったと思うの。でも、いちばんよかったのは、家へ帰って来たことよ。」


第三十章 クイーン学院受験組の結成

マリラは編み物を膝に置き、椅子の背にもたれた。目が疲れていた。次に町へ行ったら、眼鏡を替えてもらわなくてはと、ぼんやり考えた。このごろ、しょっちゅう目が疲れるのだった。

グリーン・ゲイブルズを十一月の夕闇がすっかり包み、あたりはもう暗かった。台所を照らすのは、ストーブの中で踊る赤い炎だけだった。

アンは炉辺の敷物にあぐらをかいて丸くなり、その楽しげな輝きを見つめていた。カエデの薪から、百たびの夏の日差しが蒸留されているかのようだった。本を読んでいたのだが、それは床へ滑り落ち、今は少し開いた唇に微笑みを浮かべ、夢を見ていた。活発な空想の霧と虹から、きらめく空中楼閣が形を成していた。雲の国では、驚くほど魅惑的な冒険が次々に起こっていた。それはいつも見事な成功に終わり、現実のような厄介事には、決してアンを巻き込まなかった。

マリラは優しい目でアンを見つめた。火の光と影が柔らかく混じるこの明かりより明るければ、決して表には出さなかったであろう優しさだった。愛情を言葉や表情でためらいなく伝えるということを、マリラはどうしても学べなかった。けれども、このほっそりした灰色の目の少女を愛することは覚えた。その愛は、表に出さないだけ、いっそう深く強かった。むしろ、愛するあまり甘やかしすぎるのを恐れていた。人間一人に、アンに対してそうであるほど深く心を寄せるのは、どこか罪深いのではないかという不安があった。そのため、さほど愛していなければ、こうも厳しく、小言も多くはならなかったかもしれない。知らず知らず、そのようにして償いをしていたのだろう。少なくともアン自身は、マリラがどれほど自分を愛しているか知らなかった。ときには寂しく、マリラはなかなか満足してくれず、思いやりも理解も足りないと思うことがあった。だが、いつもすぐ、受けた恩を思い出し、自分を責めて、その考えを打ち消した。

「アン」と、マリラは不意に言った。「今日の午後、おまえがダイアナと出かけているあいだに、ステイシー先生がおいでになったよ。」

アンははっとして、ため息とともに別世界から戻って来た。

「そうなの? ああ、いなくて残念だったわ。どうして呼んでくれなかったの、マリラ? ダイアナと、お化けの森にいただけなのよ。今、森はとてもきれいなの。シダも、つやつやした葉っぱも、ゴゼンタチバナも、森の小さなものたちはみんな眠っているわ。誰かが春まで、落ち葉の毛布をかけて寝かせたみたい。あたし、この前の月夜に、虹のスカーフを巻いた灰色の小さな妖精が、つま先立ちで歩いて来て、そうしたんだと思うの。でも、ダイアナはあまり乗り気じゃなかったわ。お化けの森に幽霊を空想して、お母さんに叱られたことを、まだ忘れていないのよ。あれはダイアナの想像力に、とても悪い影響を与えたの。しおれさせてしまったわ。リンド夫人は、マートル・ベルはしおれた人だって言うの。どうしてマートルがしおれたのか、ルビー・ギリスに聞いたら、恋人に捨てられたからだろうって。ルビー・ギリスは若い男の人のことばかり考えているわ。大きくなるほど、ひどくなるのよ。男の人も、それなりのところでは結構だけれど、何にでも持ち出すのはよくないでしょう? あたしとダイアナは、結婚しないで、すてきな独身のおばあさんになって、いつまでも一緒に暮らそうって、約束することを真剣に考えているの。でも、ダイアナはまだ決心がつかないのよ。向こう見ずで、颯爽として、素行の悪い青年と結婚して、改心させるほうが立派かもしれないと思っているから。あたしたち、このごろ真面目なことをたくさん話すのよ。前よりずいぶん大きくなったんだから、子どもっぽいことを話すのは、ふさわしくない気がするの。もうすぐ十四になるって、厳粛なことね、マリラ。先週の水曜、ステイシー先生が十代の女の子をみんな小川へ連れていって、そのお話をしてくださったの。この年ごろに、どんな習慣を身につけ、どんな理想を持つかは、どんなに気をつけても気をつけすぎることはないんですって。二十歳になるころには人格ができあがって、これからの人生の土台が据えられるからって。土台がぐらついていたら、本当に価値のあるものは、その上に建てられないとおっしゃったわ。帰り道、ダイアナと話し合ったの。あたしたち、すごく厳粛な気持ちになったわ、マリラ。それで、本当に気をつけて、ちゃんとした習慣を身につけて、できるだけ学んで、できるだけ分別を持とうと決めたの。二十歳になったとき、人格がきちんとできているようにね。二十歳になるなんて、ぞっとするわ、マリラ。恐ろしく年を取った、大人の響きがするんだもの。でも、ステイシー先生は、今日の午後、何のご用だったの?」

「それを話そうとしているんだよ、アン。おまえが、ひと言でも口を挟ませてくれるならね。おまえのことを話していかれたんだ。」

「あたしのこと?」

アンは少しおびえた顔をした。それから赤くなって叫んだ。

「ああ、何のお話かわかったわ。マリラ、あたし、話そうと思っていたの。本当よ。でも忘れてしまったの。昨日の午後、カナダ史を勉強しなくちゃいけない時間に『ベン・ハー』を読んでいて、ステイシー先生に見つかったのよ。ジェーン・アンドルーズが貸してくれた本なの。お昼休みに読んでいて、ちょうど戦車競走のところで授業が始まったの。どうなるか知りたくて、たまらなくなったのよ。もちろん、ベン・ハーが勝つはずだとは思ったわ。そうでなければ詩的な正義に反するもの。それで机の上に歴史の本を開いて、『ベン・ハー』は机と膝のあいだに隠したの。見た目はカナダ史を勉強しているようでも、本当はずっと『ベン・ハー』に夢中だったのよ。おもしろくてたまらなくて、先生が通路を歩いて来るのにも気づかなかったわ。ふと顔を上げたら、そこに立って、責めるような目で見下ろしていらしたの。どんなに恥ずかしかったか、とても言えないわ、マリラ。ジョジー・パイのくすくす笑いが聞こえたときは、なおさらよ。先生は『ベン・ハー』を取り上げたけれど、その場では何もおっしゃらなかったの。休み時間に残されて、お話をされたわ。あたしは二つの点で、とても悪いことをしたんですって。一つは、勉強に使うべき時間を無駄にしたこと。もう一つは、物語を読んでいるのに歴史を読んでいるように見せて、先生を欺いたことよ。その瞬間まで、自分が人を欺いているなんて、気づいていなかったの、マリラ。衝撃だったわ。あたし、ひどく泣いて、二度としませんから許してくださいってお願いしたの。それに、償いとして一週間は『ベン・ハー』を見もしない、戦車競走の結果だって確かめないと言ったわ。でも先生は、そこまでは求めませんと言って、すっかり許してくださったの。だから、それなのにここへ来て話すなんて、あまり親切じゃないと思うわ。」

「ステイシー先生は、そんなことは一言もおっしゃらなかったよ、アン。おまえが良心にとがめられているだけさ。物語の本を学校へ持っていくんじゃないよ。そもそも、小説を読みすぎるんだ。私が娘のころは、小説なんて見ることも許されなかったよ。」

「ああ、あんなに宗教的な本なのに、どうして『ベン・ハー』を小説なんて呼べるの?」と、アンは抗議した。「もちろん、日曜に読むには少し胸が躍りすぎるから、平日にしか読まないわ。それに今は、ステイシー先生かアラン夫人が、十三歳と四分の三の女の子にふさわしいとおっしゃらなければ、どんな本も読まないのよ。先生と約束したんだもの。ある日、『幽霊屋敷の恐るべき謎』って本を読んでいるところを見つかったの。ルビー・ギリスが貸してくれたのよ。ああ、マリラ、すごくおもしろくて、ぞっとする本だったわ。血が凍るようだったの。でも先生は、とてもばかげた、よくない本だから、続きを読まず、似たような本も読まないでほしいとおっしゃったの。同じような本を読まない約束は、平気だったわ。でも、結末を知らないまま返すのは、苦しくてたまらなかったのよ。それでも、先生への愛情は試練に耐えたわ。ちゃんと返したの。本当に誰かを喜ばせたいと思うと、どんなことができるか、驚くほどね、マリラ。」

「さて、ランプをつけて仕事に戻ろうかね」と、マリラは言った。「先生のお話を聞きたくないのは、よくわかったよ。おまえは何より、自分の声を聞いているのがおもしろいんだろう。」

「ああ、違うの、マリラ、本当に聞きたいのよ」と、アンは悔い入って叫んだ。「もうひと言もしゃべらないわ。ひと言も。おしゃべりしすぎるのはわかっているし、本当に直そうとしているのよ。たくさん話しすぎるけれど、言いたくても言わないことが、どれだけあるか知っていたら、少しは認めてくれると思うわ。お願い、教えて、マリラ。」

「先生は、上級の生徒のうち、クイーン学院の入学試験を受けるつもりの子を集めて、受験組を作りたいそうだよ。放課後、一時間余分に教えてくださるんだ。それで、おまえを入れたいかどうか、マシューと私に聞きにおいでになったのさ。おまえはどう思う、アン? クイーン学院へ行って、教師の資格を取りたいかい?」

「ああ、マリラ!」

アンは膝立ちになり、両手を握り合わせた。「それは、あたしの生涯の夢だったのよ――つまり、この半年、ルビーとジェーンが受験の話をしはじめてから、ずっと。でも、言っても絶対に無駄だと思って、何も言わなかったの。教師になれたら、どんなにうれしいかしら。でも、ものすごくお金がかかるんじゃない? アンドルーズさんは、プリッシーを卒業させるのに百五十ドルかかったって言っていたわ。それに、プリッシーは幾何が苦手じゃなかったのよ。」

「そのことは心配しなくていいだろうよ。マシューと私は、おまえを引き取って育てるとき、できるかぎりのことをして、よい教育を受けさせようと決めたんだ。実際に必要になるかどうかにかかわらず、女の子も自分で暮らしを立てられるようにしておくべきだと、私は思うよ。私たちがいるかぎり、グリーン・ゲイブルズはいつでもおまえの家だけれど、この不確かな世の中、何が起こるかわからないからね。備えておくに越したことはない。だから、望むなら受験組へ入っていいよ、アン。」

「ああ、マリラ、ありがとう。」

アンはマリラの腰へ両腕を回し、真剣な目で顔を見上げた。「あなたとマシューに、心から感謝しているわ。できるかぎり勉強して、二人の誇りになれるように、全力を尽くすわ。幾何にはあまり期待しないでほしいけれど、ほかの科目なら、一生懸命やれば、誰にも負けないと思うの。」

「きっとうまくやれるだろうよ。先生も、おまえは利発で勉強熱心だとおっしゃっていた。」

ステイシー先生が実際にどれほど褒めたかは、マリラは何があってもアンに話すつもりはなかった。虚栄心を甘やかすことになるからだ。「勉強で体を壊すほど、極端に走ることはないよ。急ぐ必要はないんだから。入学試験を受けるには、まだ一年半かかるんだ。でも、早いうちから始めて、土台をしっかり作るのがいいと、先生はおっしゃったよ。」

「これからは、ますます勉強がおもしろくなるわ」と、アンは幸せいっぱいに言った。「人生に目標ができたんですもの。アラン先生は、誰もが人生の目標を持って、それを誠実に追い求めるべきだっておっしゃるの。ただ、まずそれが立派な目標かどうか、確かめなくちゃいけないんですって。ステイシー先生のような教師になりたいというのは、立派な目標だと思うわ。そうでしょう、マリラ? とても尊い仕事だと思うの。」

やがてクイーン学院受験組が結成された。ギルバート・ブライス、アン・シャーリー、ルビー・ギリス、ジェーン・アンドルーズ、ジョジー・パイ、チャーリー・スローン、ムーディー・スパージョン・マクファーソンが加わった。ダイアナ・バリーは入らなかった。両親に、クイーン学院へやるつもりがなかったからだ。アンには、それは災難そのものに思えた。ミニー・メイがクループにかかったあの夜以来、二人は何をするにも離れたことがなかった。受験組が初めて放課後に残った日、ダイアナがほかの子たちとゆっくり教室を出て、一人で白樺の小径とスミレの谷を通って帰っていくのを見て、アンは衝動的に親友を追いかけず、席にとどまるのがやっとだった。喉に熱いものがこみ上げ、急いでラテン語文法の本を持ち上げ、その陰に涙を隠した。ギルバート・ブライスやジョジー・パイに、その涙を見られるくらいなら、どんなことでもしたかった。

「でも、ああ、マリラ、ダイアナが一人で出ていくのを見たとき、この前の日曜のお説教でアラン先生がおっしゃったように、本当に死の苦さを味わった気がしたの」と、その晩、アンは悲しげに言った。「ダイアナも一緒に受験勉強をするのだったら、どんなにすばらしかったかしら。でも、リンド夫人が言うように、不完全なこの世で、何もかも完璧にはできないのね。リンド夫人は、ときどき慰めになる人じゃないけれど、本当のことをたくさん言うのは確かだわ。それに受験組は、とてもおもしろくなりそうよ。ジェーンとルビーは、ただ教師になるために勉強するの。それが望みの全部なのね。ルビーは卒業したら二年だけ教えて、それから結婚するつもりなんですって。ジェーンは一生教えて、絶対、絶対に結婚しないと言っているわ。先生ならお給料がもらえるけれど、夫は何もくれないし、卵やバターを売ったお金を分けてと頼めば、ぶつぶつ文句を言うからって。ジェーンは悲しい経験から言っているんでしょうね。リンド夫人は、ジェーンのお父さんはひどい偏屈で、二度もクリームを取ったあとのミルクより、けちくさいって言うもの。ジョジー・パイは、自分で暮らしを立てる必要がないから、ただ教養のために学院へ行くんですって。もちろん、慈善で暮らしている孤児は別で、そういう子たちはせいぜい働かなきゃならないって言ったわ。ムーディー・スパージョンは牧師になるのよ。リンド夫人は、あんな名前[訳注:ムーディー、スパージョンはいずれも著名な説教者の名]を背負っていたら、ほかのものにはなれないって。罪深いことじゃないといいけれど、マリラ、ムーディー・スパージョンが牧師になると思うと、どうしても笑ってしまうの。大きな丸い顔に、小さな青い目で、耳がぴらぴら突き出していて、とてもおかしな顔なんだもの。でも、大人になれば、もっと知的に見えるかもしれないわね。チャーリー・スローンは政治家になって、国会議員になると言っているわ。でもリンド夫人は、成功しないって。スローン家はみんな正直者で、今どき政治で出世するのは悪党ばかりだからって。」

「ギルバート・ブライスは何になるんだい?」と、アンがカエサルの本を開きかけたのを見て、マリラが尋ねた。

「ギルバート・ブライスの人生の野望なんて、あいにく知らないわ。そんなものがあるなら、だけれど」と、アンは軽蔑したように言った。

今や、ギルバートとアンの競争は公然のものになっていた。以前は、どちらかといえば一方的だったが、今ではギルバートもアンと同じほど、クラスで一番になる決意を固めていることに、疑いの余地はなかった。彼はアンにとって、真剣に刃を交えるに足る相手だった。ほかの生徒たちも、暗黙のうちに二人の優位を認め、競おうとは夢にも思わなかった。

池のほとりで、許しを求める言葉をアンがはねつけたあの日以来、ギルバートは、前述の断固とした競争以外では、アン・シャーリーの存在を一切認めなかった。ほかの女の子とは話し、冗談を言い、本やパズルを交換し、勉強や将来の計画を語り合った。祈祷会や討論会の帰りに、誰かを送っていくこともあった。だがアン・シャーリーは、ただ無視した。無視されるのは気持ちのよいものではないと、アンは知った。ふんと顔を上げて、どうでもいいと自分に言い聞かせても無駄だった。気まぐれな少女の小さな心の奥では、気にしていることがわかっていた。もし輝く湖水でのあの機会がもう一度あれば、まったく違う返事をするだろうとも。そして、突然のことのように思えて、ひそかにうろたえたのだが、あれほど大切に抱えていた昔の恨みが、消えていた。その力にいちばん支えてほしいときに、消えてしまったのだ。あの忘れがたい日の出来事と感情を一つずつ思い返し、昔の、胸のすく怒りを取り戻そうとしても無駄だった。池のほとりのあの日に、怒りは最後の炎をちらりと上げたのだった。アンは、自分が知らぬ間に許し、忘れていたことに気づいた。だが、遅すぎた。

それでも、自分がどれほど後悔し、あんなに高慢で意地悪でなければよかったと思っているかは、ギルバートにも、ほかの誰にも、ダイアナにさえ、絶対に悟らせまい! アンは「感情を、最も深い忘却の帳で覆う」と決めた。そしてここではっきり言っておくが、見事にやり遂げた。実は見かけほど無関心ではなかったかもしれないギルバートも、報復の冷淡さがアンにこたえていると信じて慰めることはできなかった。唯一のささやかな慰めは、アンがチャーリー・スローンを、容赦なく、絶えず、いわれもなく冷たくあしらっていることだった。

それ以外は、楽しい務めと勉強を重ねながら、冬は過ぎていった。アンにとって一日は、一年という首飾りに通した黄金の玉のように流れていった。幸せで、意欲に満ち、何もかもがおもしろかった。学ぶべき課題、勝ち取るべき栄誉があった。読むべきすばらしい本、日曜学校の聖歌隊で練習する新しい曲があった。土曜の午後には、牧師館でアラン夫人と楽しい時間を過ごした。そして、気づく間もないほどに、グリーン・ゲイブルズにはまた春が来て、世界は再び花に包まれた。

すると、勉強はほんの少し色あせた。ほかの子たちが緑の小径や葉の茂る森の近道、牧草地の細道へ散っていくのに、学校へ残る受験組は、恋しげに窓の外を見つめた。ラテン語の動詞もフランス語の練習問題も、澄んだ寒い冬にはあった歯ごたえやおもしろみを、なぜか失っていた。アンとギルバートでさえ、張り合いがなくなり、気が緩んだ。学期が終わり、楽しい休暇の日々がばら色に広がったときには、教える者も教わる者も、等しく喜んだ。

「でも、この一年、みなさん本当によく勉強しました」と、最後の日の夕方、ステイシー先生は言った。「楽しい休暇を過ごす資格は十分あります。戸外で思う存分楽しんで、来年を乗り切るために、健康と活力と意欲を、たっぷり蓄えておきなさい。来年はいよいよ正念場ですよ。入学試験までの最後の一年ですからね。」

「先生、来年も戻っていらっしゃいますか?」と、ジョジー・パイが尋ねた。

ジョジー・パイは、質問するのに遠慮というものがなかった。このときばかりは、ほかの生徒たちもありがたく思った。誰も先生に尋ねる勇気はなかったが、みんな知りたかったのだ。しばらく前から、ステイシー先生は来年戻って来ない、故郷の学年別の学校に口があり、そこへ行くつもりだという、不安な噂が学校中を駆け巡っていた。受験組は息を詰め、答えを待った。

「ええ、そのつもりですよ」と、ステイシー先生は言った。「ほかの学校へ行くことも考えましたが、アヴォンリーへ戻ると決めました。実を言うと、ここの生徒たちが大切になりすぎて、離れられなくなってしまったんです。だから、残って、みなさんを最後まで見届けます。」

「ばんざい!」と、ムーディー・スパージョンが言った。これほど感情に流されたことは、かつて一度もなかったので、その後一週間は、思い出すたびに居心地悪そうに赤くなった。

「ああ、とてもうれしい」と、アンは目を輝かせた。「大好きな先生、戻っていらっしゃらなかったら、本当につらかったわ。ほかの先生が来たら、勉強を続ける元気なんて、なくなってしまったと思います。」

その晩、家へ帰ったアンは、教科書をすべて屋根裏の古いトランクへしまい、鍵をかけて、その鍵を毛布箱へ放り込んだ。

「休みのあいだは、教科書なんて見もしないわ」と、マリラに言った。「学期中は、できるだけ一生懸命勉強したもの。幾何なんて、第一巻の命題は、文字を変えられてもみんなそらで言えるくらい、にらめっこしたのよ。もう、分別のあることにはすっかり疲れたわ。夏じゅう想像力を思い切り羽ばたかせるつもり。ああ、心配しないで、マリラ。ちゃんと節度のある範囲で羽ばたかせるから。でも、この夏は本当に楽しく過ごしたいの。小さな女の子でいる、最後の夏かもしれないもの。リンド夫人は、来年も今年みたいに伸びたら、もっと長いスカートをはかなくちゃいけないって言うの。あたしは脚と目ばかりになっていくんですって。長いスカートをはいたら、それにふさわしく、とても威厳を持たなくちゃいけない気がするわ。そうなったら、妖精を信じるのさえ、いけないかもしれない。だから、この夏は心から信じるつもりよ。とてもにぎやかな休みになると思うの。ルビー・ギリスがもうすぐ誕生日のパーティーをするし、来月は日曜学校のピクニックと、伝道のための音楽会があるでしょう。それにバリーさんが、いつか晩に、あたしとダイアナをホワイト・サンズ・ホテルへ連れていって、お食事をさせてくださるんですって。あそこでは、晩に正餐を食べるのよ。ジェーン・アンドルーズが去年の夏、一度行ったの。電灯やお花、それに、きれいなドレスを着た女のお客さまたちで、目もくらむ光景だったんですって。初めて上流社会をのぞいたので、死ぬ日まで忘れないと言っていたわ。」

翌日の午後、リンド夫人が、木曜の扶助会にマリラが来なかったわけを確かめにやって来た。マリラが扶助会を休めば、グリーン・ゲイブルズで何かあったのだと、誰もが知っていた。

「木曜はマシューの心臓の具合が悪くなってね」と、マリラは説明した。「置いて出かける気になれなかったんだよ。ええ、今はもうすっかりいいんだけれど、前より発作が多くなって、心配でね。お医者は興奮を避けるようにと言うんだ。それは簡単だよ。マシューは今も昔も、刺激を探して歩くような人じゃないからね。でも、ひどい力仕事もいけないそうで、マシューに働くなと言うのは、息をするなと言うようなものさ。さあ、上着を脱いでおくれ、レイチェル。夕食も食べていくんだろう?」

「まあ、そこまでおっしゃるなら、そうさせてもらおうかしら」と、レイチェル夫人は言った。初めから、ほかのつもりは少しもなかった。

レイチェル夫人とマリラが客間でくつろぐあいだ、アンは夕食を整え、熱々のビスケットを焼いた。白く、ふんわりと軽く、レイチェル夫人でさえ文句のつけようがなかった。

「アンは、本当に気のきく娘になったわね」と、日暮れにマリラが小径の端まで送っていくと、レイチェル夫人は認めた。「ずいぶん助かるでしょう。」

「助かるよ」と、マリラは言った。「今じゃ、落ち着いていて頼りになる。あのおっちょこちょいは一生治らないんじゃないかと心配したものだけれど、すっかり直ったね。今なら何を任せても、心配はないよ。」

「三年前、初めてここで会った日には、あんなに立派になるとは思わなかったわ」と、レイチェル夫人は言った。「まったく、あのかんしゃくは忘れられるものじゃないわね! あの晩、家へ帰って、トーマスに言ったのよ。『覚えておいで、トーマス。マリラ・カスバートは、いつか自分のしたことを悔やむよ』って。でも、私の間違いだった。それが本当にうれしいわ。私はね、マリラ、どうしても自分の間違いを認めないような人間じゃないの。ありがたいことに、そんな性分ではなかったわ。アンのことは見誤ったけれど、それも無理はなかったのよ。あんなに風変わりで、何をしでかすかわからない小さな魔女は、この世に二人といなかったもの。ほかの子に通じる物差しじゃ、あの子は測れなかったの。この三年の成長は、驚くほどだわ。とくに見た目ね。本当にきれいな娘になったわ。もっとも、私はああいう色白で目の大きな顔が、とりわけ好きなわけじゃないけれど。ダイアナ・バリーやルビー・ギリスみたいに、もっと生き生きして血色のいいほうが好きなのよ。ルビー・ギリスは、本当に華やかな顔立ちね。でも、どういうわけか、私にもわからないけれど、アンが一緒にいると、あの子は二人の半分も整った顔じゃないのに、ほかの子たちが、どこかありふれて、飾りすぎに見えるのよ。ちょうど、あの子がナルシサスと呼ぶ六月の白い百合を、大きな赤い牡丹のそばへ置いたみたいにね。」


第三十一章 小川と川の出会うところ

アンは「すてきな」夏を、心から楽しんだ。ダイアナと二人、ほとんど戸外で暮らすようにして、恋人たちの小径、木の精の泉、柳の湖、ヴィクトリア島が与えてくれる喜びを、ことごとく味わった。マリラは、アンが気ままに歩き回るのを止めなかった。ミニー・メイがクループにかかった夜に来たスペンサーベールの医者が、休暇の初めのある午後、往診先でアンに出会ったのである。医者は鋭く全身を見て、口をすぼめ、首を振り、別の人を通じてマリラ・カスバートへ伝言をよこした。その言葉はこうだった。

「あの赤毛のお嬢さんは、夏のあいだずっと外で遊ばせなさい。足取りにもっと弾みが戻るまでは、本を読ませないことです。」

この伝言は、マリラをよい意味で怖がらせた。言いつけを厳密に守らなければ、アンは肺病で死ぬという宣告のように受け取ったのだ。そのおかげで、自由と遊びにかけては、アンは生涯で最も輝かしい夏を過ごした。歩き、舟を漕ぎ、木の実を摘み、心ゆくまで夢を見た。九月が来るころには、目は輝き、動きもきびきびして、足取りはスペンサーベールの医者を満足させるほどになっていた。心には再び、向上心と意欲が満ちていた。

「今は、全力で勉強したい気分よ」と、屋根裏から本を下ろしながら宣言した。「ああ、懐かしいお友だち、またその誠実な顔に会えてうれしいわ。ええ、幾何、あなたにだってよ。すばらしい夏を過ごしたわ、マリラ。今は、この前の日曜にアラン先生がおっしゃったように、『勇士が競走に臨むように喜んで』いるの。先生のお説教って、すばらしくない? リンド夫人は、日ごとに上手になるから、気がついたら町の教会にさらわれて、あたしたちは置き去りにされ、また別の新米牧師を一から仕込まなくちゃならなくなるって言うの。でも、苦労を途中まで迎えにいっても、仕方がないでしょう、マリラ? 先生がいてくださるあいだ、そのことを喜んでいるほうがいいと思うわ。あたし、男だったら牧師になると思うの。神学がしっかりしていれば、人によい影響をたくさん与えられるんだもの。すばらしいお説教をして、聞く人の心を動かすのは、きっと胸の躍ることだわ。どうして女は牧師になれないの、マリラ? リンド夫人に聞いたら、びっくりして、とんでもないことだって言ったわ。アメリカには女の牧師がいるかもしれないし、たぶんいるんだろうけれど、ありがたいことにカナダはまだそこまで来ていないし、これからもそうなってほしくないんですって。でも、どうしてなのかわからないわ。女の人も、すばらしい牧師になれると思うの。寄付を集めるために親睦会や教会のお茶会なんかを開くとなると、女の人が働かなくちゃいけないでしょう。リンド夫人は、ベル校長と少しも変わらず立派にお祈りできるし、少し練習すれば、お説教だってできると思うわ。」

「ええ、できるだろうね」と、マリラはそっけなく言った。「今だって、非公式にはずいぶん説教しているからね。レイチェルが見張っているアヴォンリーじゃ、道を踏み外す機会も、そうはないよ。」

「マリラ」と、アンは急に打ち明ける気になって言った。「一つお話しして、どう思うか聞きたいことがあるの。とても悩んでいたのよ――つまり、そういうことをとくに考える、日曜の午後にね。あたし、本当によい人になりたいの。あなたやアラン夫人やステイシー先生といると、いっそうそう思って、喜んでもらえること、よいと言ってもらえることだけをしたくなるわ。でも、リンド夫人といると、たいてい、ものすごく悪い子になった気がして、してはいけないと言われたことを、そのまましてやりたくなるのよ。どうしてもしたい誘惑に駆られるの。ねえ、どうしてそんな気持ちになるのかしら? あたしが本当は悪くて、改心していないからだと思う?」

マリラは一瞬、困った顔をした。それから笑った。

「それなら、私も同じなんだろうね、アン。レイチェルには、私もしょっちゅうそんな気持ちにさせられるよ。正しくしろと、ああも口うるさく言わなければ、おまえの言う、人によい影響を与える力も、もっとあったろうにと思うことがある。くどくど言ってはいけないという戒めも、特別にあればよかったのにね。でも、こんなことを言うものじゃない。レイチェルはよいキリスト教徒だし、善意でやっているんだ。アヴォンリーに、あれほど親切な人はいないし、自分の仕事を怠けることもないからね。」

「あなたも同じで、本当によかったわ」と、アンはきっぱり言った。「とても励まされるの。これからは、そのことであまり悩まないわ。でも、きっと別の悩みが出てくるでしょうね。次々に新しく現れるのよ。人を戸惑わせることがね。一つ解決したと思ったら、すぐ次が来るの。大人になりかけると、考えたり決めたりしなくちゃいけないことが、こんなにたくさんあるのね。どれが正しいか、考えて決めるだけで、いつも忙しいわ。大人になるって、大変なことね、マリラ。でも、あなたやマシューやアラン夫人やステイシー先生みたいな、よい味方がいるんだから、あたし、ちゃんと育たなくちゃ。そうならなかったら、きっと自分のせいよ。機会は一度しかないから、大きな責任を感じるの。育ち方を間違えても、戻ってやり直せないんですもの。この夏、二インチ伸びたのよ、マリラ。ルビーのパーティーでギリスさんが測ってくれたの。新しい服を長くしてくれて、本当にうれしいわ。濃い緑の服がとてもきれいで、ひだ飾りをつけてくれたのも、優しい心遣いだったわね。本当は必要なかったって、もちろんわかっているの。でも、この秋はひだ飾りが流行で、ジョジー・パイの服には全部ついているのよ。あたしもつけてもらったから、きっと勉強がはかどるわ。あのひだ飾りを思うと、心の奥が、とても落ち着くんだもの。」

「そうなれば、それだけの値打ちはあるね」と、マリラは認めた。

アヴォンリー学校へ戻ったステイシー先生は、生徒たちがみな、再び勉強への意欲を燃やしているのを見た。とくに受験組は、戦いへ向けて気を引き締めた。これからの一年の終わりには、「入学試験」という運命の存在が待ち構え、もう行く手に薄い影を投げかけていたからだ。それを思うと、誰もが心臓を靴の中へ落とすような気持ちになった。もし受からなかったら! その思いは、冬のあいだ、日曜の午後を含め、アンが目覚めている時間に絶えずつきまとい、道徳や神学の問題を、ほとんど締め出してしまうことになった。悪い夢を見るとき、アンはいつも、入学試験の合格者名簿を惨めな気持ちで見つめていた。先頭にはギルバート・ブライスの名が輝き、自分の名はどこにもなかった。

それでも、陽気で忙しく、幸せで、飛ぶように過ぎる冬だった。学校の勉強は相変わらずおもしろく、クラスの競争にも夢中になった。新しい思考と感情と野心の世界が、まだ知らない知識の新鮮で魅惑的な領域が、アンの熱心な目の前に、次々と開けていくようだった。

「丘の向こうに丘がのぞき、アルプスの上にアルプスがそびえた。」

こうしたことの多くは、ステイシー先生の思慮深く、きめ細かく、
広い心に支えられた指導のおかげだった。先生は、生徒たちが自分で考え、
探り、発見するよう導いた。そして、古い決まりきった道を離れることを、
リンド夫人や学校の理事たちが驚きあきれるほど、奨励した。
理事たちは、従来の方法を変える試みには、何でも疑いの目を向けていた。

勉強のほかにも、アンの交際は広がった。マリラはスペンサーベールの医者の言葉を忘れず、ときどき出かけることには、もう反対しなかった。討論会は盛んになり、音楽会を何度か開いた。大人の集まりといってもよさそうなパーティーも一、二度あり、そり遊びやスケートの機会もたくさんあった。

そのあいだにもアンは成長した。あまりに急に背が伸びたので、ある日並んで立ったマリラは、自分より高くなっていることに気づいて驚いた。

「まあ、アン、なんて大きくなったんだろう!」と、信じられないように言った。そのあとには、ため息が続いた。マリラはアンの伸びた背丈に、妙な寂しさを感じた。愛するようになったあの子どもは、いつのまにか消えていた。代わりにここにいるのは、真剣な目と物思わしげな額を持ち、小さな頭を誇らしく上げた、十五歳の背の高い少女だった。少女となったアンも、子どもだったアンと同じほど愛していたが、不思議な悲しい喪失感があった。その晩、アンがダイアナと祈祷会へ出かけると、マリラは冬の夕闇に一人で座り、弱さに身を任せて泣いた。ランタンを持って入って来たマシューがそれを見つけ、あまりにうろたえた顔で見つめるので、マリラは涙の中で笑わずにはいられなかった。

「アンのことを考えていたんだよ」と、説明した。「あんなに大きな娘になってしまって――来年の冬には、たぶん家にいないんだろうからね。ひどく寂しくなるよ。」

「しょっちゅう帰って来られるさ」と、マシューは慰めた。マシューにとってアンは今も、そしていつまでも、四年前の六月の夕方、ブライト・リバーから連れ帰った、小さな、何にでも目を輝かせる女の子だった。「そのころには、鉄道の支線もカーモディまで通るだろうからな。」

「いつもここにいるのとは違うよ」と、マリラは暗くため息をついた。慰められず、悲しみというぜいたくを味わい尽くすつもりだった。「まあ、男の人には、こういうことはわからないんだね!」

アンの変化は、体だけではなかった。ほかにも、それと同じほど確かな変化があった。一つには、ずっと静かになった。考えることは増え、夢も相変わらず見ていたのかもしれないが、話す量は確かに減った。マリラはそれにも気づき、口にした。

「アン、おまえ、前の半分もおしゃべりしなくなったね。難しい言葉も、半分ほども使わない。どうしたんだい?」

アンは赤くなって少し笑い、本を膝へ下ろして、夢見るように窓の外を見た。つる草には、春の日差しに誘われて、大きくふくらんだ赤い芽が開きかけていた。

「わからないわ。前ほど話したくないの」と、人差し指で顎を軽く押しながら、考え深げに言った。「愛しい、きれいなことを考えて、宝物みたいに胸の中へしまっておくほうが、すてきなのよ。笑われたり、不思議がられたりしたくないの。それに、どういうわけか、もう難しい言葉を使いたくないのよ。使いたければ使ってもいいくらい、本当に大きくなったのに、少し残念な気もするわね。大人になりかけるのは、楽しいところもあるけれど、思っていたような楽しさではないわ、マリラ。学ぶこと、すること、考えることが多すぎて、難しい言葉の出る幕がないの。それに先生は、短い言葉のほうが、ずっと力強くてよいとおっしゃるわ。作文は、できるだけ簡潔に書かせるのよ。初めは難しかったわ。思いつくかぎり、立派で長い言葉を詰め込む癖がついていたから。そういう言葉なら、いくらでも思いついたのよ。でも今は慣れたし、そのほうがずっとよいとわかるわ。」

「物語クラブはどうなったんだい? 長いこと話を聞かないね。」

「もうなくなったの。時間がなかったし――それに、みんな飽きていたんだと思うわ。恋愛や殺人や駆け落ちや謎のことを書くなんて、ばかげていたのよ。先生は、ときどき作文の練習に物語を書かせるけれど、アヴォンリーで、自分たちの暮らしに起こりそうなことしか書かせてくださらないの。それを、とても厳しく批評して、自分たちにも自分の作品を批評させるのよ。自分で探しはじめるまで、自分の作文にあんなに欠点があるとは思わなかったわ。恥ずかしくて、全部やめたくなったけれど、先生は、自分自身のいちばん厳しい批評家になる訓練をすれば、上手に書けるようになるとおっしゃったの。だから、そうしようとしているわ。」

「入学試験まで、あと二か月しかないね」と、マリラは言った。「受かりそうかい?」

アンは身震いした。

「わからないわ。大丈夫と思うときもあるけれど――それから、ひどく怖くなるの。一生懸命勉強したし、先生にも徹底的に鍛えていただいたけれど、それでも受からないかもしれないでしょう。みんな、つまずくものがあるのよ。あたしはもちろん幾何。ジェーンはラテン語、ルビーとチャーリーは代数、ジョジーは算術。ムーディー・スパージョンは、イギリス史で落ちる予感が骨の髄までするんですって。六月に先生が、本番と同じくらい難しい試験をして、同じくらい厳しく採点してくださるから、少しは見当がつくわ。早く全部終わってしまえばいいのに、マリラ。頭から離れないの。夜中に目が覚めて、落ちたらどうしようと考えることもあるわ。」

「そうしたら、来年も学校へ通って、もう一度受ければいいさ」と、マリラは何でもないことのように言った。

「ああ、とてもその元気はないと思うわ。落ちたら、ひどい恥だもの。とくにギル――ほかの子たちが受かったら。それにあたし、試験になると緊張して、失敗しそうなの。ジェーン・アンドルーズみたいな神経だったらよかったのに。何があっても動じないんだもの。」

アンはため息をつき、春の世界の魔法から、風と青空で誘う一日から、庭に芽吹く緑から、無理に目を離し、決然と本へ没頭した。春はまた来る。だが、もし入学試験に受からなければ、再び春を楽しめるほどには、決して立ち直れないだろうと、アンは確信していた。


第三十二章 合格者名簿の発表

六月の終わりとともに学期が終わり、ステイシー先生がアヴォンリー学校を教える日々も終わった。その夕方、アンとダイアナは、ひどくしんみりした気持ちで帰途についた。赤い目と濡れたハンカチが、先生の別れの言葉も、三年前、同じ折にフィリップス先生が述べたものに劣らず胸を打ったことを、雄弁に物語っていた。トウヒの丘のふもとで、ダイアナは校舎を振り返り、深いため息をついた。

「何もかも終わってしまったみたいね」と、沈んだ声で言った。

「あなたは、あたしの半分も悲しむことはないわ」と、アンはハンカチの乾いたところを探したが、無駄だった。「来年の冬には、また戻って来るんだもの。でも、あたしは懐かしい学校に、永遠のお別れをしたんだと思うわ――運がよければ、だけれど。」

「ちっとも同じじゃないわ。ステイシー先生もいないし、あなたも、たぶんジェーンもルビーもいないもの。あたし、一人で座らなくちゃ。あなたのあとで、ほかの子と同じ机になるなんて耐えられないわ。ああ、楽しいことがたくさんあったわね、アン。全部終わってしまったと思うと、つらいわ。」

大きな涙が二粒、ダイアナの鼻の脇を転がった。

「あなたが泣きやんでくれたら、あたしもやめられるのに」と、アンは懇願した。「ハンカチをしまうと、あなたの目に涙がいっぱいになっているのが見えて、また泣いてしまうんだもの。リンド夫人も言うでしょう、『明るくなれないなら、できるだけ明るくしておいで』って。結局、あたしも来年は戻って来るかもしれないわ。今は、絶対に受からないってわかるときの一つなの。そういうときが、怖いほど増えてきたわ。」

「でも、ステイシー先生の試験では、すばらしい成績だったじゃない。」

「ええ、でも、あれでは緊張しなかったの。本番を考えると、心臓のまわりが、どれほど冷たく、嫌なふうに震えるか、あなたには想像もできないわ。それに受験番号が十三なのよ。ジョジー・パイが、とても縁起が悪いって。あたしは迷信深くないし、関係ないとわかっているわ。でも、やっぱり十三じゃなければよかったのに。」

「あたしも一緒に町へ行けたらいいのに」と、ダイアナは言った。「とびきり楽しいでしょうね。でも、夜は詰め込み勉強をしなくちゃならないのかしら。」

「いいえ。先生に、本は絶対に開かないと約束させられたの。疲れて混乱するだけだから、外を散歩して、試験のことは考えず、早く寝なさいって。よい助言だけれど、守るのは難しいと思うわ。よい助言って、たいていそういうものね。プリッシー・アンドルーズは、受験の週には毎晩、夜中まで起きて、必死に詰め込んだと話してくれたわ。あたしも、少なくとも同じくらいは起きていようと決めていたのよ。町にいるあいだ、ビーチウッドへ泊まりなさいと言ってくださったジョセフィンおばさんは、本当に親切ね。」

「町へ行っているあいだ、お手紙をくれるでしょう?」

「火曜の晩に、初日がどうだったか書くわ」と、アンは約束した。

「水曜は郵便局に入り浸るわ」と、ダイアナは誓った。

次の月曜、アンは町へ出かけた。水曜、ダイアナは約束どおり郵便局に入り浸り、手紙を受け取った。

「最愛のダイアナへ」[と、アンは書いていた]、

「今は火曜の晩で、ビーチウッドの書斎でこの手紙を書いています。昨夜は部屋にたった一人で、ひどく寂しくて、あなたがいてくれたらと、どんなに思ったことか。ステイシー先生に約束したから『詰め込み』はできなかったけれど、歴史の本を開かずにいるのは、昔、勉強が終わるまで物語を読まずにいるのと同じくらい難しかったわ。

「今朝、先生が迎えに来てくださって、途中でジェーン、ルビー、ジョジーを誘い、学院へ行ったの。ルビーが手を触ってみてと言うから触ったら、氷のようだったわ。ジョジーは、あたしが一睡もしていないように見えるし、たとえ受かっても、教員課程の猛勉強に耐えられるほど丈夫ではないと思うって言ったの。ジョジー・パイを好きになる修業では、たいして進歩していないと思う瞬間が、今でもあるわ! 

「学院には、島中から大勢の生徒が来ていたわ。最初に見かけたのはムーディー・スパージョンで、階段に座って、ぶつぶつ独り言を言っていたの。ジェーンが何をしているのか聞いたら、気を落ち着けるために掛け算の九九を繰り返しているんだから、後生だから邪魔をしないでくれって。少しでもやめると怖くなって、覚えたことを全部忘れてしまうけれど、九九を唱えていれば、知識がみんな、ちゃんとあるべきところに収まっているんですって! 

「教室が割り当てられると、ステイシー先生とはお別れだったの。あたしはジェーンの隣に座ったわ。ジェーンはとても落ち着いていて、うらやましかった。まじめで、しっかりしていて、分別のあるジェーンには、九九なんていらないのね! 自分が感じているとおりの顔をしているかしら、教室の向こうまで心臓の音が聞こえないかしらと考えたわ。そこへ男の人が入って来て、英語の問題用紙を配りはじめたの。受け取ると、手が冷たくなって、頭がくらくらしたわ。ほんの一瞬の、恐ろしい時間だった――ダイアナ、四年前、グリーン・ゲイブルズにいてもいいかとマリラに尋ねたときと、まったく同じ気持ちだったの――でも、そのあと頭がすっきりして、心臓がまた動きはじめたわ。言い忘れたけれど、完全に止まっていたのよ! とにかく、この問題ならなんとかできるって、わかったんだもの。

「お昼は戻って食事をし、午後はまた学院で歴史だったわ。かなり難しくて、年代がひどくごちゃごちゃになったの。それでも、今日はまあまあできたと思うわ。でも、ああ、ダイアナ、明日は幾何なのよ。それを考えると、ユークリッドの本を開かないために、持っている決意を残らず使わなくちゃならないの。九九が少しでも役に立つなら、今から明日の朝まで唱えるわ。

「今晩、みんなに会いに行ったの。途中でムーディー・スパージョンが、取り乱して歩き回っているのに会ったわ。歴史は落ちたに決まっている、自分は両親を失望させるために生まれたんだ、朝の汽車で帰る、それに牧師より大工のほうが楽だろうって言うの。あたし、励まして、途中でやめたらステイシー先生に申し訳ないから、最後まで残るように説得したわ。男の子に生まれたかったと思うこともあるけれど、ムーディー・スパージョンを見ると、女の子でよかった、あの子の姉妹でもなくてよかったと、いつも思うのよ。

「下宿へ着くと、ルビーがヒステリーを起こしていたわ。英語の答案で、とんでもない間違いをしたことに気づいたばかりだったの。落ち着いてから、みんなで町の中心へ行って、アイスクリームを食べたわ。あなたがいてくれたらと、どんなに思ったことか。

「ああ、ダイアナ、幾何の試験さえ終わっていたら! でも、リンド夫人なら、あたしが幾何で落ちても落ちなくても、お日様は昇って沈むものだって言うでしょうね。それは本当だけれど、あまり慰めにはならないわ。落ちたら、いっそ昇ったり沈んだりしないでほしいくらい! 

「変わらぬ愛をこめて、

「アン。」

幾何も、ほかの試験も、やがてすべて終わり、金曜の夕方、アンは少し疲れながらも、控えめな勝利の気配を漂わせて帰宅した。ダイアナはグリーン・ゲイブルズで待っていて、二人は何年も離れていたかのように再会した。

「大好きなアン、お帰りなさい。帰って来てくれて、本当にうれしいわ。町へ行ってから、何年もたったみたい。ねえ、どうだった?」

「幾何以外は、かなりよくできたと思うわ。幾何は受かったかどうかわからないの。落ちたんじゃないかという、ぞっとする予感がするわ。ああ、帰って来られて、なんてうれしいんでしょう! グリーン・ゲイブルズは、世界でいちばん大好きな、美しいところね。」

「ほかのみんなはどうだった?」

「女の子たちは、絶対に落ちたって言っているけれど、かなりできたと思うわ。ジョジーは、幾何なんて十歳の子でも解けるほど簡単だったって! ムーディー・スパージョンは、まだ歴史で落ちたと思っているし、チャーリーは代数がだめだったって。でも、本当は何もわからないの。合格者名簿が出るまではね。それが二週間後なのよ。こんな不安な気持ちで二週間も暮らすなんて! 眠ってしまって、結果が出るまで目が覚めなければいいのに。」

ギルバート・ブライスの出来を聞いても無駄だと、ダイアナはわかっていたので、ただこう言った。

「あなたはきっと受かるわ。心配しないで。」

「名簿のかなり上に載れないくらいなら、いっそ落ちるほうがいいわ」と、アンは勢いよく言った。それは、ギルバート・ブライスを上回らなければ、合格しても不完全で苦いものになる、という意味だった。ダイアナにも、それはわかっていた。

そのために、アンは試験中、神経をすり減らすほど力を尽くした。ギルバートも同じだった。二人は町で十数回すれ違ったが、一度も知り合いらしい様子は見せなかった。そのたび、アンは少しずつ顔を高く上げ、頼まれたときに友だちになっておけばよかったと、いっそう強く思い、そして試験では必ず勝とうと、さらに固く誓った。アヴォンリーの子どもたちがみな、どちらが一番になるか気にしていることを知っていた。ジミー・グローヴァーとネッド・ライトが賭けをしていることも、ジョジー・パイが、ギルバートが一番になるに決まっていると言ったことも、知っていた。負けたら、その屈辱には耐えられないと思った。

けれども、よい成績を取りたい理由は、もう一つ、もっと気高いものもあった。マシューとマリラのため、とりわけマシューのために、「上位で合格」したかった。マシューは、アンなら「島中の誰にも負けん」と確信を口にしていた。

さすがにそれは、どんな奔放な夢の中でも、望むのは愚かだと思った。けれども、せめて十番以内には入りたいと、心から願っていた。自分の成績を誇って、マシューの優しい茶色の目が輝くのを見たかったからだ。それこそ、想像力のかけらもない方程式や動詞活用を、辛抱強く掘り進んだ苦労に対する、甘美な報いになると思った。

二週間がたつと、アンも、落ち着かないジェーン、ルビー、ジョジーとともに、郵便局へ「入り浸る」ようになった。震える手でシャーロットタウンの日刊紙を開くときには、入学試験の週に劣らぬ、冷たく心の沈む思いがした。チャーリーとギルバートも同じことをしたが、ムーディー・スパージョンだけは、断固として近づかなかった。

「あそこへ行って、しらふで新聞を見る勇気なんてないよ」と、アンに言った。「誰かが来て、受かったか落ちたか、いきなり教えてくれるまで待つんだ。」

三週間たっても名簿が出ないと、アンは、この緊張にもう長くは耐えられないと思いはじめた。食欲がなくなり、アヴォンリーの出来事への関心も薄れた。リンド夫人は、保守党の教育長が仕切っているのだから、ほかに何が期待できるのかと言った。毎日午後、郵便局から重い足取りで帰って来るアンの、青白さと無気力な様子を見て、マシューは次の選挙では自由党に投票したほうがよいのではないかと、真剣に考えはじめた。

だが、ある晩、知らせが来た。アンは開いた窓辺に座り、しばし試験の苦しみも世の悩みも忘れ、夏の夕闇の美しさを吸い込んでいた。下の庭から花の甘い香りが漂い、ポプラが揺れて、さらさらとささやいていた。モミの上の東の空は、西の空の照り返しで、ほのかに桃色に染まっていた。色彩の精とは、あんな姿なのかしらと、夢見心地に考えていたとき、ダイアナが手に新聞をひらめかせ、モミのあいだを駆け下り、丸木橋を渡り、斜面を駆け上がって来るのが見えた。

アンはぱっと立ち上がった。その新聞に何が載っているか、すぐわかった。合格者名簿が出たのだ! 頭がくらくらし、心臓は痛いほど鳴った。一歩も動けなかった。ダイアナが廊下を走り、興奮のあまりノックもせずに部屋へ飛び込んで来るまで、一時間にも思えた。

「アン、受かったわ!」と、ダイアナは叫んだ。「いちばんで受かったのよ――あなたもギルバートも――同点なの――でも、あなたの名前が先よ。ああ、あたし、誇らしくてたまらない!」

ダイアナは新聞を机へ投げ、自分はアンの寝台へ倒れ込んだ。すっかり息が切れ、もう言葉も出なかった。アンはランプをつけたが、震える手ではなかなかうまくいかず、マッチ入れを倒し、六本ほども使ってしまった。それから新聞をひったくるように取った。そう、合格していた。二百人の名簿のいちばん上に、自分の名前があった! 生きてきた甲斐のある瞬間だった。

「本当にすばらしいわ、アン」と、ようやく起き上がって話せるようになったダイアナが、息を弾ませた。アンは星のような目で見入り、ひと言も口をきいていなかった。「十分もしない前に、お父さんがブライト・リバーから新聞を持って帰ったの。午後の汽車で来たんですって。郵便では明日まで届かないのよ。名簿を見たら、あたし、気が狂ったみたいに走って来たわ。みんな受かったのよ、一人残らず。ムーディー・スパージョンも。歴史は条件つきだけれど。ジェーンとルビーもなかなかで、真ん中くらい。チャーリーもよ。ジョジーは合格点より三点上で、やっと受かったの。でも、きっと一番だったみたいに威張るでしょうね。ステイシー先生、どんなに喜ばれるかしら! ああ、アン、あんなふうに名簿の先頭に自分の名前を見るのは、どんな気持ち? あたしなら、うれしくて気が変になるわ。今だって、ほとんどそうなのに、あなたは春の夕方みたいに静かで落ち着いているのね。」

「胸の中が、まぶしくてたまらないの」と、アンは言った。「百も言いたいことがあるのに、言葉が見つからないわ。こんなこと、夢にも思わなかった――いいえ、思ったわ、一度だけ! 一度だけ、『もし一番になれたら?』って、震えながら考えたの。島で一番になれると思うなんて、うぬぼれて、思い上がっている気がしたから。ちょっとごめんなさい、ダイアナ。すぐ畑へ行って、マシューに知らせなくちゃ。それから道を上って、みんなにいい知らせを伝えましょう。」

二人は納屋の下の干し草畑へ急いだ。マシューはそこで草をまとめていた。折よく、小径の柵のところでは、リンド夫人がマリラと話していた。

「ああ、マシュー」と、アンは叫んだ。「受かったのよ、一番で――正確には、一番の一人なの! うぬぼれてはいないけれど、感謝しているわ。」

「そうとも、わしはいつも言っていたよ」と、マシューは喜びいっぱいに名簿を見つめた。「おまえなら、みんなに楽に勝てると思っていた。」

「よくやったと言わなくちゃね、アン」と、マリラは言った。レイチェル夫人の鋭い目から、自分の並々ならぬ誇らしさを隠そうとしていた。だが、その善良な人は、心から言った。

「本当によくやったわ。私だって、それを言うのにためらったりしませんよ。アン、あなたは友だちの誇りだわ。みんな、あなたを誇りに思っているのよ。」

その晩、楽しい夕べの締めくくりに、牧師館でアラン夫人と少し真剣な話をしたアンは、開いた窓辺にひざまずいた。降り注ぐ月明かりの中で、心の底から湧いた感謝と願いの祈りを、静かにささやいた。そこには過去への感謝と、未来への敬虔な願いがあった。そして白い枕で眠りについたとき、その夢は、乙女が望みうるかぎり、清らかで明るく、美しかった。


第三十三章 ホテルの音楽会

「絶対に、白いオーガンジーにしなさいよ、アン」と、ダイアナはきっぱり勧めた。

二人は東の切妻部屋にいた。外はまだ夕暮れで、澄んだ青空には雲一つなく、美しい黄緑色の薄明が広がっていた。大きな丸い月がお化けの森の上にかかり、淡い光から、磨き上げた銀へと、ゆっくり輝きを深めていた。空気は、心地よい夏の音に満ちていた。眠たげな鳥のさえずり、気まぐれなそよ風、遠くの声や笑い声。だが、アンの部屋では日よけを下ろし、ランプをつけていた。大切な身支度の最中だったからだ。

東の切妻部屋は、四年前のあの晩、何もない冷たさが魂の芯までしみた部屋とは、すっかり違っていた。マリラがあきらめて黙認するうちに、少しずつ変化が入り込み、若い娘が望むかぎり愛らしく、きちんとした巣になっていた。

アンが初めに夢見た、桃色のばら模様のビロードのじゅうたんと、桃色の絹のカーテンは、確かに実現しなかった。だが、夢も成長と歩調を合わせて変わったので、それを嘆いていたとは思えない。床には美しい敷物が敷かれ、高い窓を柔らかく縁どり、気ままな風に揺れるカーテンは、淡い緑の模様入りモスリンだった。壁は金銀の錦織の壁掛けではなく、愛らしいリンゴの花の壁紙で覆われ、アラン夫人から贈られた、よい絵が数枚掛けられていた。ステイシー先生の写真は最も目立つ場所を占め、その下の棚に新鮮な花を絶やさないことが、アンの感傷的なこだわりだった。今夜は一本の白い百合が、香りの夢のように、ほのかに部屋を満たしていた。「マホガニーの家具」はなかったが、本でいっぱいの白塗りの本棚、クッションを置いた籐のロッキングチェア、白いモスリンのひだ飾りをつけた化粧台があった。以前は客用の寝室にあった、趣のある金縁の鏡もあった。弓形の上部には、桃色の丸々したキューピッドと紫の葡萄が描かれていた。そして、低い白い寝台があった。

アンは、ホワイト・サンズ・ホテルの音楽会へ出かける支度をしていた。宿泊客たちがシャーロットタウン病院のために企画した催しで、近隣の地域から、頼めるかぎりの素人の芸達者を探し出していた。ホワイト・サンズのバプテスト教会聖歌隊からは、バーサ・サンプソンとパール・クレイが二重唱を頼まれ、ニューブリッジのミルトン・クラークはヴァイオリン独奏、カーモディのウィニー・アデラ・ブレアはスコットランドのバラッドを歌うことになった。そして、スペンサーベールのローラ・スペンサーと、アヴォンリーのアン・シャーリーは朗読をするのだった。

昔のアンなら、「人生の一大事件」と呼んだであろう出来事で、心地よい興奮に全身が震えていた。自分のアンに与えられた栄誉に、マシューは誇らしさで天にも昇る気持ちだった。マリラも、それに劣らなかった。もっとも、認めるくらいなら死んだほうがましだったし、責任ある大人もつかず、若い者ばかりでホテルへ遊びにいくのは、あまりよいことではないと言っていた。

アンとダイアナは、ジェーン・アンドルーズと兄のビリーに、二列座席の馬車で連れていってもらうことになっていた。アヴォンリーのほかの少年少女も何人か出かける予定だった。町からも一団の客が来ることになっており、音楽会のあとには、出演者に夜食が振る舞われるのだった。

「本当にオーガンジーがいちばんいいと思う?」と、アンは心配そうに尋ねた。「青い花模様のモスリンほどきれいじゃないと思うの。それに、流行でもないわ。」

「でも、あなたには、ずっとよく似合うのよ」と、ダイアナは言った。「柔らかくて、ひだがたっぷりで、体になじむもの。モスリンはぱりっとしすぎて、おめかししすぎに見えるわ。でも、オーガンジーは、あなたの一部みたいなの。」

アンはため息をついて従った。ダイアナは、服選びの趣味がとてもよいという評判になりはじめていて、この方面では、よく助言を求められていた。その夜のダイアナ自身も、野ばらのような美しい桃色のドレスで、とてもかわいらしかった。アンには永遠に着られない色だった。だが、ダイアナは音楽会に出演するわけではないので、その装いは二の次だった。持てる力はすべてアンに注がれた。アヴォンリーの名誉のために、服も髪も飾りも、女王のお眼鏡にかなうほどに仕上げなくては、と固く誓っていた。

「そのひだを、もう少し出して――そう。さあ、サッシュはあたしが結んであげる。次は靴ね。髪は太い三つ編みを二本にして、半分のところを大きな白いリボンで結ぶわ。だめ、額に巻き毛を一本も出さないで。柔らかく分けるだけ。あなたには、この髪形がいちばん似合うのよ、アン。アラン夫人も、そうやって分けると聖母みたいだって言っていたわ。この小さな白い鉢植えのばらを、耳のすぐ後ろへ留めるわね。あたしの木に一輪だけ咲いていたの。あなたのために取っておいたのよ。」

「真珠のビーズをつけようかしら?」と、アンが尋ねた。「先週、マシューが町から一連、買って来てくれたの。きっと、つけているところを見たいと思うわ。」

ダイアナは唇をすぼめ、黒髪の頭を横に傾けて吟味し、ついに賛成した。そこでビーズは、アンのほっそりした乳白色の首に結ばれた。

「あなたには、どこか洗練されたところがあるわ、アン」と、ダイアナは少しもねたまず、感心して言った。「顔の上げ方に、すごく品があるのよ。体つきのせいかしら。あたしは、まるでお団子だわ。ずっとそうなるのが心配だったけれど、今では本当にそうだとわかるもの。まあ、あきらめるしかないんでしょうね。」

「でも、あなたにはえくぼがあるわ」と、アンは、すぐそばの生き生きした美しい顔に、優しく微笑んだ。「クリームをちょっとへこませたような、すてきなえくぼが。あたし、えくぼの望みは、すっかり捨てたの。えくぼの夢はかなわないわ。でも、ほかの夢がこんなにたくさんかなったんだから、文句を言ってはいけないわね。もう支度はできた?」

「すっかりできたわ」と、ダイアナは請け合った。そのとき、戸口にマリラが現れた。昔より髪は白くなり、角ばったところは少しも減っていない、痩せた姿だったが、顔つきはずっと柔らかくなっていた。「入って、あたしたちの朗読家をご覧になって、マリラ。きれいでしょう?」

マリラは、鼻を鳴らすのと、うなるのとの中間のような音を立てた。

「こざっぱりして、きちんとしているね。その髪形はいいよ。でも、ほこりと露の中を馬車で行けば、その服は台なしになるだろうし、こんな湿った夜には、薄すぎるようだね。そもそもオーガンジーほど役に立たない布はないよ。マシューが買って来たときにも、そう言ったんだ。でも、このごろのマシューには、何を言っても無駄さ。昔は私の忠告を聞いたものだけれど、今はアンのためなら、構わず何でも買って来る。カーモディの店員たちも、何でも売りつけられると知っているんだよ。きれいだ、流行だと言いさえすれば、マシューはぽんとお金を出すからね。スカートを車輪につけないように気をつけるんだよ、アン。それから、暖かい上着を着ておいで。」

そう言うと、マリラは大股で階下へ向かった。あの、

「額から頭の頂へ、ひと筋の月の光。」

をまとったアンが、なんと愛らしいかと誇らしく思いながら、
自分も音楽会へ行って、わが娘の朗読を聞けないことを
残念に思っていた。

「やっぱり、この服には湿りすぎているのかしら」と、アンは心配そうに言った。

「全然そんなことないわ」と、ダイアナは日よけを上げた。「申し分のない夜よ。露も降りないわ。月明かりを見て。」

「窓が東向きで、日の出が見えるのが、とてもうれしいの」と、アンはダイアナのそばへ行って言った。「長く続く丘の向こうから朝が来て、尖ったモミの梢のあいだを輝かせるのは、本当にすばらしいわ。毎朝、新しいのよ。いちばん早い日の光を浴びると、魂まで洗われる気がするの。ああ、ダイアナ、あたし、この小さな部屋が大好き。来月、町へ行ったら、ここなしでどうやって暮らせばいいのかわからないわ。」

「今夜は、行ってしまう話をしないで」と、ダイアナは頼んだ。「考えたくないの。悲しくなるもの。今晩は楽しく過ごしたいわ。何を朗読するの、アン? 緊張している?」

「少しも。人前で何度も読んだから、今は平気なの。『乙女の誓い』に決めたわ。とても悲しい詩よ。ローラ・スペンサーはおかしな話を読むけれど、あたしは笑わせるより、泣かせるほうが好きなの。」

「アンコールされたら、何を読むの?」

「アンコールなんて、考えもしないでしょうよ」と、アンは笑い飛ばした。だが、ひそかに期待していないわけではなく、翌朝の食卓でマシューに一部始終を話している自分を、すでに思い描いていた。「ビリーとジェーンが来たわ。車輪の音がする。さあ、行きましょう。」

ビリー・アンドルーズは、アンに自分の隣の前席へ乗ってほしいと言い張ったので、アンは気が進まぬまま上がった。本当は後ろで女の子たちと、心ゆくまで笑っておしゃべりをしたかったのだ。ビリーには、笑いも話もあまりなかった。二十歳の、大柄で太った、のんびりした青年で、丸い無表情な顔をし、会話の才には痛々しいほど恵まれていなかった。だが、アンに大いに心を寄せており、ほっそりと背筋の伸びたその姿を隣に乗せ、ホワイト・サンズへ行けると思うと、誇らしさで胸を膨らませた。

アンは肩越しに女の子たちと話し、ときどきビリーにも愛想のひと言を投げることで、なんとか馬車の道中を楽しんだ。ビリーはにやにやしたり、くすくす笑ったりするばかりで、返事を思いつくころには、いつも機を逸していた。楽しむのにふさわしい夜だった。道はホテルへ向かう馬車でいっぱいで、銀のように澄んだ笑い声が、何度も響き合っていた。ホテルへ着くと、建物は上から下まで光り輝いていた。音楽会の委員の婦人たちが出迎え、その一人がアンを出演者の控え室へ案内した。中はシャーロットタウン交響楽団の団員でいっぱいで、アンは急に恥ずかしく、怖く、田舎者になった気がした。東の切妻部屋では、あれほど愛らしくきれいだったドレスが、今は質素で地味に見えた。まわりできらめき、衣擦れの音を立てる絹やレースの中では、あまりにも質素で地味だと思った。すぐそばの、大柄で美しい婦人のダイヤモンドに比べれば、自分の真珠のビーズなど何だろう? ほかの人の温室育ちの花に比べ、小さな白いばら一輪は、どれほど貧弱に見えるだろう! アンは帽子と上着を片づけ、惨めに隅へ縮こまった。グリーン・ゲイブルズの白い部屋へ戻りたかった。

やがて出たホテルの大演奏会場の舞台では、さらにひどかった。電灯に目がくらみ、香水とざわめきに頭が混乱した。客席のずっと後ろで楽しそうにしているダイアナとジェーンの隣に、座っていたかった。アンは、桃色の絹を着た太った婦人と、白いレースのドレスを着た、背の高い、見下すような顔の娘とのあいだに挟まれていた。太った婦人は、ときどき首をぐるりと回して、眼鏡越しにアンを品定めした。その視線にひどく敏感になったアンは、思わず叫びたくなった。白いレースの娘は、隣の人に聞こえよがしに、客席の「田舎者」や「田舎美人」の話をし、プログラムにある地元の出演者は、「さぞおもしろい」でしょうねと、気だるげに言いつづけた。アンは、この白いレースの娘を、一生嫌いだろうと思った。

アンにとって不運なことに、ホテルには職業朗読家が泊まっていて、出演を承諾していた。しなやかな体に黒い目を持つ女性で、月光を織ったように輝く灰色の、すばらしいドレスを着て、首と黒髪に宝石を飾っていた。声は驚くほど自在で、表現力も見事だった。聴衆はその朗読に熱狂した。アンもしばし、自分のことも悩みも忘れ、目を輝かせて聞き入った。だが、朗読が終わると、突然両手で顔を覆った。あんなもののあとでは、立って朗読するなんて、絶対にできない。絶対に。自分に朗読ができると思っていたのだろうか? ああ、グリーン・ゲイブルズに戻れたら! 

その最悪の瞬間に、名前が呼ばれた。アンはどうにか立ち上がり、めまいを感じながら前へ進んだ。白いレースの娘が、少し後ろめたそうに、はっと驚いたことには気づかなかった。気づいても、そこに含まれた微妙な賛辞は理解できなかっただろう。アンはあまりに青白かったので、客席のダイアナとジェーンは、同じ不安に襲われて手を握り合った。

アンは、圧倒的な舞台恐怖に捕らわれていた。何度も人前で朗読してきたが、こんな聴衆を前にしたことはなく、その光景が力を完全に奪った。何もかもが見慣れず、きらびやかで、気を乱した。夜会服の婦人たちが並び、批評する顔が向けられ、富と教養の空気があたりを包んでいた。友人や近所の人々の、気取らない好意的な顔が並ぶ討論会の簡素な長椅子とは、大違いだった。この人たちは容赦なく批評するだろう、とアンは思った。もしかしたら、白いレースの娘のように、自分の「田舎じみた」芸を笑うつもりかもしれない。救いようも、なすすべもなく、恥ずかしく惨めだった。膝が震え、心臓が乱れ、気が遠くなるような恐ろしさが襲った。ひと言も出なかった。次の瞬間には、舞台から逃げ出していただろう。そうすれば、その恥を一生背負うことになるとわかっていても。

だが、恐怖に見開いた目で客席を見渡したそのとき、ふいに部屋の後方にギルバート・ブライスが見えた。身を乗り出し、微笑んでいた。その笑みはアンには、勝ち誇り、あざけっているように見えた。実際は、まったくそうではなかった。ギルバートはただ、会全体を楽しみ、とりわけヤシを背景にしたアンのほっそりした白い姿と、澄んだ精神を感じさせる顔を好ましく思って、微笑んでいたのだった。隣には、彼が馬車に乗せて来たジョジー・パイが座っていて、その顔は確かに勝ち誇り、あざけっていた。だが、アンにはジョジーは見えず、見えたとしても気にはしなかっただろう。大きく息を吸い、誇らしく顔を上げた。勇気と決意が、電撃のように全身を走った。ギルバート・ブライスの前で、失敗するものか。絶対に笑わせはしない。絶対に、絶対に! 恐怖も緊張も消え去り、朗読を始めた。澄んだ美しい声が、震えも途切れもせず、会場のいちばん遠い隅まで届いた。落ち着きはすっかり戻った。そして、力を失ったあの恐ろしい瞬間の反動で、アンはかつてないほど見事に朗読した。終わると、心からの拍手が沸き起こった。恥ずかしさと喜びに頬を染め、席へ戻ったアンの手を、桃色の絹の婦人が力強く握り、振った。

「あなた、すばらしかったわ」と、婦人は息を弾ませて言った。「赤ん坊みたいに泣いてしまった。本当よ。ほら、アンコールだわ。みんな、もう一度出てほしいんだって!」

「ああ、出られません」と、アンはうろたえて言った。「でも、やっぱり――出なくちゃ。そうしないと、マシューががっかりするわ。アンコールされると言っていたんですもの。」

「それなら、マシューをがっかりさせてはいけないわね」と、桃色の婦人は笑った。

微笑み、頬を染め、澄んだ目を輝かせて、アンは軽やかに戻り、風変わりで愉快な短い作品を読んだ。聴衆は、いっそう魅了された。そのあとの夜は、アンにとって、ささやかな勝利の連続だった。

音楽会が終わると、桃色の太った婦人――アメリカの大富豪の妻だった――がアンの後ろ盾になり、誰彼となく紹介した。皆、アンにとても親切だった。職業朗読家のエヴァンズ夫人も来て話し、声が魅力的で、作品の「解釈」も美しかったと言った。白いレースの娘でさえ、気だるげながら、少し褒めた。夜食は、美しく飾られた広い食堂で出された。アンと一緒に来たので、ダイアナとジェーンも招かれたが、ビリーの姿はどこにもなかった。そのような招待を恐れるあまり、逃げ出していたのである。それでも、すべてが終わるころには、馬車を用意して待っていた。三人の少女は楽しげに、静かな白い月光の中へ出た。アンは深く息を吸い、モミの黒い枝の向こうの、澄んだ空を見上げた。

ああ、再び清らかで静かな夜の外へ出られるのは、なんと気持ちがよいのだろう! 何もかもが大きく、静かで、すばらしかった。その中を海のざわめきが流れ、彼方の暗い崖は、魔法の岸辺を守る厳めしい巨人のようだった。

「本当にすばらしい晩だったわね」と、馬車が走り出すと、ジェーンはため息をついた。「あたし、お金持ちのアメリカ人になって、夏はホテルで過ごして、宝石や襟ぐりの深いドレスを着て、毎日欠かさずアイスクリームとチキンサラダを食べたいわ。学校で教えるより、ずっと楽しいに決まっているもの。アン、あなたの朗読は本当にすごかったわ。初めは、いつまでも始めないんじゃないかと思ったけれど。エヴァンズ夫人よりよかったと思うわ。」

「ああ、そんなことを言わないで、ジェーン」と、アンはすぐに言った。「ばかみたいに聞こえるわ。エヴァンズ夫人よりよいわけがないでしょう。あの方は専門家で、あたしは、少し朗読のこつを知っているだけの女学生なんだもの。みんなが、まあ気に入ってくだされば、それで十分よ。」

「あなたへの褒め言葉があるわ、アン」と、ダイアナが言った。「少なくとも、あの言い方なら褒め言葉だと思うの。一部は確かにそうよ。ジェーンとあたしの後ろに、アメリカ人が座っていたの。真っ黒な髪と目で、とてもロマンチックな感じの人だったわ。ジョジー・パイが、有名な画家だと言っていたの。ボストンにいるジョジーのお母さんのいとこの夫が、昔、その人と同じ学校へ通っていたんですって。それで、あたしたち聞いたのよね、ジェーン? 『舞台にいる、見事なティツィアーノ色の髪の少女は誰だろう。描いてみたい顔だ』って。どう、アン。でも、ティツィアーノ色の髪って、どういう意味?」

「訳せば、ただの赤毛ってことだと思うわ」と、アンは笑った。「ティツィアーノは、とても有名な画家で、赤毛の女の人を好んで描いたのよ。」

「ご婦人たちのダイヤモンド、見た?」と、ジェーンはため息をついた。「まぶしかったわ。ねえ、お金持ちになりたいと思わない?」

「あたしたちはお金持ちよ」と、アンはきっぱり言った。「だって、十六年という財産があって、女王みたいに幸せで、みんな多少なりとも想像力があるでしょう。あの海を見て。銀と影と、目に見えないものの幻でいっぱいよ。何百万ドルも、何連ものダイヤモンドも持っていたって、これ以上あの美しさを楽しめるわけじゃないわ。なれるとしても、あの女の人たちと入れ替わりたいとは思わないでしょう? 白いレースの娘になって、生まれたときから世の中を見下しているみたいな、不機嫌な顔で一生を過ごしたい? それとも、親切ですてきな方だけれど、背が低くて太っていて、体の線なんてないも同然の、桃色のご婦人になりたい? あるいは、エヴァンズ夫人にだって、なりたいかしら。あの目には、とても、とても悲しい色があったわ。あんな目になるには、いつか、ひどく不幸だったことがあるに違いないの。なりたくないって、わかっているでしょう、ジェーン・アンドルーズ!」

「そうとも言い切れないわ」と、ジェーンは納得せずに言った。「ダイヤモンドがあれば、たいていのことは慰められると思うもの。」

「でも、あたしは、一生ダイヤモンドに慰めてもらえなくても、自分以外の誰にもなりたくないわ」と、アンは宣言した。「真珠のビーズを一連持っている、グリーン・ゲイブルズのアンで、十分満足なの。あのビーズと一緒にマシューがくれた愛情は、桃色の奥様の宝石に添えられたどんな愛情にも、負けないって知っているから。」


第三十四章 クイーン学院の女学生

それから三週間、グリーン・ゲイブルズは大忙しだった。アンがクイーン学院へ行く支度をしていたので、縫い物も山ほどあれば、相談して決めておくこともたくさんあった。アンの衣装は、数も十分なら、どれもすてきだった。マシューが気を配ってくれたおかげである。マリラも今度ばかりは、マシューが何を買おうと何を提案しようと、いっさい異議を唱えなかった。それどころか、ある晩、柔らかな薄緑色の生地を両腕に抱えて、東の破風の部屋へ上がってきた。

「アン、これでよそゆきの薄物のドレスを作っておあげ。どうしても必要だとは思わないよ。きれいなブラウスはたくさん持っているんだからね。でも町で夜のお呼ばれや、パーティーなんかに招かれたら、うんとしゃれたものが一着くらい欲しかろうと思ってね。ジェーンもルビーもジョジーも、『イブニングドレス』とかいうものを作ったそうじゃないか。おまえだけ見劣りさせるつもりはないよ。先週、町でアラン夫人に手伝っていただいて選んだんだ。エミリー・ギリスに仕立ててもらおう。あの人は趣味がいいし、体にぴったり合わせて仕立てる腕では右に出る人がいないからね。」

「まあ、マリラ、なんてすてきなの」とアンは言った。「本当にありがとう。あんまり優しくしてくれちゃいけないと思うわ。家を離れるのが、日に日につらくなるんだもの。」

緑のドレスには、エミリーの美意識の許すかぎり、タックやフリルや細かなギャザーがふんだんにあしらわれた。ある晩、アンはマシューとマリラに見せるためにそれを着て、台所で『乙女の誓い』を朗読した。生き生きと輝く顔と優美な身ぶりを見つめているうちに、マリラの思いは、アンがグリーン・ゲイブルズにやってきたあの夕方へとさかのぼった。みっともない黄褐色のウィンシー織り[訳注:綿と羊毛を交ぜて織った丈夫な布]の服を着て、おどおどしていた風変わりな子。涙にぬれたその目には、胸も張り裂けそうな悲しみが浮かんでいた。その姿がありありとよみがえり、マリラの目にも涙がにじんだ。

「まあ、あたしの朗読で泣いてくれたのね、マリラ」とアンは楽しげに言い、椅子に座ったマリラにかがみこんで、蝶が触れるような口づけを頬に落とした。「これはもう、大成功だわ。」

「おまえの朗読で泣いたんじゃないよ」とマリラは言った。詩などに心を動かされて涙をこぼす弱さは、とうてい認められなかった。「昔のおまえのことを思い出さずにはいられなくてね、アン。あんなおかしなところがいろいろあっても、小さな女の子のままでいてくれたらよかったのにと思ったんだよ。今じゃすっかり大きくなって、家を出ていこうとしている。その服を着ていると、背も高くて、あか抜けていて、それに、なんていうか、まるで別の人みたいだよ。アヴォンリーの子じゃないみたいでね。そんなことを考えていたら、急に寂しくなったんだ。」

「マリラ!」

アンはギンガムの服に包まれたマリラの膝に腰を下ろし、しわの刻まれた顔を両手で挟むと、優しく真剣なまなざしで、その目をのぞきこんだ。「あたし、少しも変わっていないわ。本当よ。ちょっと枝を刈りこんで、そのぶん新しい枝が伸びただけなの。この奥にいる、本当のあたしは、昔のままよ。どこへ行っても、外見がどんなに変わっても、そんなことは少しも関係ないわ。心の中では、いつまでもマリラの小さなアンなの。マリラとマシューと、大好きなグリーン・ゲイブルズを、生きているかぎり、毎日もっともっと深く愛していく、あのアンなのよ。」

アンは若々しい頬をマリラの衰えた頬に寄せ、片手を伸ばしてマシューの肩を優しくたたいた。そのときマリラは、アンのように思いを言葉にできるなら、どんな代償を払ってもよいと思った。だが、生まれつきの性分と長年の習慣が、それを許さなかった。ただ、自分の娘を両腕でしっかりと抱きしめ、優しく胸に引き寄せて、いつまでも手放さずにいられたらと願うばかりだった。

マシューは、目にどうやら涙らしいものを浮かべて立ち上がり、外へ出た。青く澄んだ夏の夜空に星が輝く下、胸の高鳴りを鎮められぬまま、庭を横切ってポプラの下の門まで歩いた。

「なあに、甘やかしてだめにしたわけじゃなかったな」と誇らしげにつぶやいた。「わしがときどき口を出したのも、結局はたいした害にはならんかったらしい。賢くて、きれいで、それに情が深い。何よりも、そこがいちばんだ。あの子はわしらに授かった幸せだよ。スペンサー夫人の間違いほど、ありがたい間違いはなかったな。もっとも、あれが偶然だったとすればの話だ。わしは、そんなものじゃなかったと思う。神さまのお取り計らいだよ。わしらにはあの子が必要だと、神さまにはおわかりだったんだろう。」

とうとう、アンが町へ行く日が来た。よく晴れた九月の朝、アンはダイアナと涙ながらに別れを告げ、マリラとは涙を見せず実際的な用事を確かめ合って――少なくともマリラのほうはそうだった――マシューと馬車で出発した。けれどもアンが行ってしまうと、ダイアナは涙を拭き、カーモディのいとこたちとホワイト・サンズの浜辺へピクニックに出かけて、それなりに楽しく過ごした。一方マリラは、しなくてもよい仕事に猛烈な勢いで取りかかり、一日じゅう休まず働いた。胸を焼き、かじるような痛み、涙で洗い流すことのできない、ひときわ苦しい寂しさを抱えながら。だがその晩、床に入ったマリラは、廊下の突き当たりの小さな破風の部屋に、もうあの生き生きした若い命がなく、静かな寝息も聞こえないことを、身を切られるような思いで感じた。枕に顔を埋め、娘を恋しがって激しく泣きじゃくった。そして少し落ち着いてから、同じ罪深い人間ひとりのために、これほど取り乱すとは、なんとよこしまなことだろうと、われながら恐ろしくなった。

アンとほかのアヴォンリーの生徒たちは、町に着くと、急いで学院へ向かわなければならなかった。その初日は、新しい生徒たちに会い、先生方の顔を覚え、組分けやクラスの編成を受けるうち、興奮に包まれてまずは楽しく過ぎた。アンはステイシー先生の勧めに従い、二年級の課程に進むつもりだった。ギルバート・ブライスも同じ道を選んだ。うまくいけば、本来二年かかる第一級教員免許が一年で取れる。ただし、勉強は量も難しさも格段に増すことになる。ジェーン、ルビー、ジョジー、チャーリー、ムーディ・スパージョンは、向上心にせき立てられることもなく、第二級免許の課程で満足していた。アンは五十人の生徒と同じ教室に入り、向こう側にいる背の高い茶色の髪の少年以外には、知っている顔がひとつもないと気づいて、胸に寂しさが刺した。しかも、あんな間柄の知り合いでは、たいして慰めにもならない、と悲観的に考えた。それでも、同じクラスになれたのがうれしいことは否めなかった。これまでの競争を続けられるのだ。もしそれがなくなっていたら、アンは張り合いをどこに求めてよいかわからなかっただろう。

「あの競争がなかったら、きっと落ち着かないわ」とアンは思った。「ギルバートったら、すごく決意を固めた顔をしている。きっと今ここで、あのメダルを取るって心に誓っているのね。それにしても、なんて立派な顎なんでしょう。今まで気づかなかったわ。ジェーンとルビーも第一級の課程に来てくれればよかったのに。でも、みんなと知り合えば、見知らぬ屋根裏に迷いこんだ猫みたいな気持ちも薄れるでしょうね。この中のどの子が、あたしの友達になるのかしら。考えるだけでわくわくするわ。もちろんダイアナには約束した。クイーン学院でどんなに好きな子ができても、ダイアナほど大切には思わないって。でも二番目の愛情なら、あげられるぶんがたくさんあるもの。茶色の目をした、深紅のブラウスの子、感じがいいわ。生き生きして、赤いバラみたい。その向こうには、窓の外を見ている色白の淡い髪の子。髪がとてもきれいで、夢というものをよくわかっていそう。ふたりとも知り合いになりたいな。うんと親しくなって、腰に腕を回して歩いたり、愛称で呼び合ったりできるくらいに。でも今は、あたしはあの子たちを知らないし、あの子たちもあたしを知らない。たぶん、別に知り合いたいとも思っていないんでしょうね。ああ、寂しい!」

その晩、たそがれどきに、廊下脇の小さな寝室でひとりきりになると、寂しさはいっそう募った。ほかの女の子たちはみな、町に親切な親戚がいて世話をしてくれたので、アンと同じ下宿にはいなかった。ミス・ジョセフィン・バリーはアンを家に置きたがったが、ビーチウッドは学院からあまりにも遠く、とうてい無理だった。そこでバリー嬢が下宿を探し、マシューとマリラに、アンにはまさにうってつけのところだと請け合ったのだった。

「あそこの女主人は、暮らし向きこそ落ちぶれても、育ちのいいご婦人なんですよ」とバリー嬢は説明した。「亡くなったご主人はイギリス軍の将校でね、下宿人の身元にはたいそう気を配っています。あの家なら、アンが困った人間と付き合う心配はありません。食事もよくて、学院にも近いし、辺りも静かです。」

その話はすべて本当だったかもしれないし、実際、本当だった。けれども、初めて激しい郷愁に襲われたアンには、さほど慰めにならなかった。くすんだ壁紙に絵一枚掛かっていない壁、小さな鉄の寝台、空っぽの本棚。狭い部屋を寂しく見回すと、グリーン・ゲイブルズの白い自分の部屋が思い出され、喉に苦しい塊がせり上がってきた。あの部屋なら、窓の外に広がる緑の静けさを、庭に咲くスイートピーを、果樹園に降り注ぐ月の光を、いつでも心地よく感じていられる。斜面の下には小川が流れ、その向こうではトウヒの枝が夜風に揺れる。頭上には広々とした星空があり、木立の切れ間からはダイアナの窓の明かりが見える。ここには、そのどれひとつなかった。窓の外にあるのは堅い街路で、電話線が網のように空をさえぎり、知らない人の足音が響き、無数の明かりが見知らぬ顔を照らしている。アンは泣きだしそうになり、懸命にこらえた。

「泣かないわ。ばかみたいだし、意気地がないもの。あ、三粒目の涙が鼻の脇を落ちちゃった。まだ出てくる! 止めるには、何かおかしいことを考えなくちゃ。でもおかしいことはみんなアヴォンリーにつながっていて、ますますつらくなるだけ。四粒、五粒。今度の金曜日には家に帰れるけれど、百年も先みたい。ああ、マシューはもうすぐ家に着くころね。マリラは門に立って、小道の向こうを見ながら待っている。六粒、七粒、八粒。ああ、もう数えたってむだだわ! じきに洪水になる。元気になんかなれないし、元気になりたくもない。悲しいままでいるほうが、今はいいのよ!」

まさに涙の洪水になるところだったが、そのときジョジー・パイが現れた。見慣れた顔に会えたうれしさで、アンは自分とジョジーが昔からあまり仲よくなかったことを忘れた。アヴォンリーの暮らしを運んでくれるなら、パイ家の人間でさえ歓迎だった。

「来てくれて、本当にうれしいわ」とアンは心から言った。

「泣いてたのね」とジョジーは、腹立たしいほど同情たっぷりに言った。「ホームシックなんでしょ。そういうことになると、まるで自分を抑えられない人っているものね。あたしはホームシックになんかならないつもりよ、はっきり言って。あの退屈なアヴォンリーから来てみると、町は楽しすぎるくらいだもの。よくもあんな所にあんなに長くいられたものだわ。泣かないほうがいいわよ、アン。見よいものじゃないもの。鼻も目も赤くなって、そうするともう何もかも赤く見えるんだから。今日の学院は、最高に楽しかったわ。フランス語の先生ったら、本当にすてき。あのおひげを見ると、胸がどっきんどっきんするわよ。何か食べるものはない、アン? あたし、もう文字どおり飢え死にしそう。ああ、やっぱりね。マリラがケーキを山ほど持たせたと思ったわ。それで寄ったのよ。そうでなかったら、フランク・ストックリーと公園に楽隊を聴きに行っていたところよ。あたしと同じ所に下宿していて、とっても威勢がいいの。今日、教室であなたに気づいて、あの赤毛の子は誰かって聞いてきたわ。カスバート家に引き取られた孤児で、それ以前のことは誰もよく知らないのよって教えてあげた。」

やはりジョジー・パイと一緒にいるより、ひとりで泣いているほうがましなのではないか、とアンが考え始めたところへ、ジェーンとルビーが現れた。ふたりとも、クイーン学院の色である紫と緋色の一インチほどのリボンを、得意げに上着に留めていた。ジョジーはちょうどジェーンと「口をきかない」ことにしていたので、おとなしくなり、害もいくらか薄れた。

「はあ」とジェーンはため息をついた。「今朝から何か月もたったみたい。ほんとうは下宿でウェルギリウスを勉強していなくちゃいけないの。あのいやな老先生ったら、手始めに明日まで二十行も予習してこいって。でも今夜は、とても腰を据えて勉強する気になれなかったわ。アン、そなたの顔に涙の跡が見えるぞよ。泣いていたなら、どうか白状して。そうすれば、あたしも自尊心を取り戻せるわ。ルビーが来るまで、さんざん泣いていたんだもの。ほかにもおばかさんがいるなら、自分がおばかさんでも、それほど気にならないわ。ケーキ? ほんのちっちゃな一切れ、いただける? ありがとう。本物のアヴォンリーの味がする。」

ルビーは卓上にクイーン学院の要覧があるのに気づき、アンに金メダルを狙うつもりかと尋ねた。

アンは頬を赤らめ、そうしようかと考えていると認めた。

「ああ、それで思い出した」とジョジーが言った。「結局、クイーン学院にもエイヴリー奨学金の枠がひとつもらえることになったのよ。今日、知らせが来たんですって。フランク・ストックリーが教えてくれたの。あの人のおじさん、理事のひとりなのよ。明日、学院で発表されるわ。」

エイヴリー奨学金! アンの鼓動は速まり、志の地平が魔法のように動いて、さらに広がった。ジョジーがその知らせを告げるまで、アンの望みの頂点は、一年の終わりに州の第一級教員免許を取り、できればメダルも手にすることだった。ところが今、ジョジーの言葉の余韻が消えぬうちに、アンは自分がエイヴリー奨学金を獲得し、レッドモンド大学の文学課程で学び、角帽とガウンを着て卒業する姿を思い描いていた。エイヴリー奨学金の選考科目は英語だった。そして英語なら、アンは自分の庭も同然だと感じていた。

ニューブランズウィックの裕福な製造業者が亡くなり、財産の一部を遺して、多数の奨学金を設けたのだった。それらは、沿海諸州にあるさまざまな高校や学院へ、それぞれの格付けに応じて割り当てられることになっていた。クイーン学院にも一枠与えられるかどうかは、ずいぶん危ぶまれていたが、ようやく決まったのである。年度末に英語と英文学で最高点を取った卒業生が、レッドモンド大学で学ぶ四年間、毎年二百五十ドルの奨学金を受け取る。アンがその晩、頬を熱くほてらせて床に就いたのも無理はなかった。

「努力で取れるものなら、あたし、きっとあの奨学金を取ってみせる」とアンは決意した。「あたしが文学士になったら、マシューはどんなに誇らしく思ってくれるでしょう。ああ、目標があるってすばらしい。あたしにはそれがたくさんあって、ほんとうによかった。それに、目標には終わりがないみたい。そこがいちばんすてきなの。ひとつかなえたと思うと、もっと高いところで、次の目標が輝いている。だから人生は、こんなにおもしろいんだわ。」


第三十五章 クイーン学院の冬

アンのホームシックは、しだいに薄れていった。週末ごとに家へ帰れたことが、何よりの薬だった。雪に閉ざされないうちは、アヴォンリーの生徒たちは毎週金曜の晩、新しくできた支線の汽車でカーモディまで帰った。たいていはダイアナやアヴォンリーの若者たちが何人か迎えに来ていて、にぎやかな一団となって村まで歩いた。澄んだ金色の空気の中、秋の丘を気ままに越えていく金曜の夕暮れ。向こうにはアヴォンリーの家々の明かりがまたたいている。アンには、その時間が一週間でいちばん楽しく、いちばんいとおしかった。

ギルバート・ブライスは、ほとんどいつもルビー・ギリスと一緒に歩き、彼女の通学かばんを持ってやっていた。ルビーはたいそう美しい娘になり、自分でも、実際の成長にふさわしく、すっかり一人前のつもりでいた。スカートは母親が許してくれるかぎり長くし、町では髪を結い上げていた。ただし家へ帰ると、ほどかなければならなかった。大きな澄んだ青い目、つややかな肌、ふっくらとした華やかな姿。よく笑い、明るく気立てもよく、人生の楽しいことを、ためらいなく楽しんでいた。

「でも、ギルバートが好きになりそうな子には思えないわ」とジェーンがアンにささやいた。アンもそう思ったが、エイヴリー奨学金と引き換えだと言われても、それを口にするつもりはなかった。それと同時に、ギルバートのような友達がいて、冗談を言ったりおしゃべりをしたり、本や勉強や将来の目標について意見を交わせたら、どんなに楽しいだろうと思わずにはいられなかった。ギルバートには目指すものがある。それはアンにもわかっていた。だがルビー・ギリスは、そういう話をして実りのある相手には見えなかった。

ギルバートについて考えるアンの心に、浮ついた恋心は少しもなかった。男の子のことを考えるとしても、よい仲間になれるかもしれない相手というだけだった。ギルバートと友達であったなら、ほかに何人友達がいようと、誰と歩こうと、気にはしなかっただろう。アンには友情を育てる天賦の才があり、女友達は大勢いた。けれども男の友達を持つことも、友情というものをもっと幅広く知り、ものごとを判断したり比べたりする視野を広げてくれるのではないかと、ぼんやり感じていた。もちろん、そこまで明確に自分の気持ちを言い表せたわけではない。ただ、もしギルバートと汽車を降りて一緒に家へ帰り、爽やかな野原やシダの茂る脇道を歩くことがあれば、ふたりの前に開けつつある新しい世界や、そこでかなえたい希望や夢について、どれほど楽しく興味深い話ができるだろうと思うのだった。ギルバートは賢い若者で、自分なりの考えを持ち、人生から最善のものを得ると同時に、自分の最善を人生に注ぎこもうと決めていた。ルビー・ギリスはジェーン・アンドルーズに、ギルバート・ブライスの話は半分もわからないと言っていた。何か考えこんだときのアン・シャーリーにそっくりなことを言うのだそうだ。必要もないのに本やそんなことをあれこれ考えるなんて、ルビーには少しも楽しくなかった。フランク・ストックリーのほうが、ずっと威勢もよくて快活だ。でも顔はギルバートほどよくないし、どちらが好きなのか、ほんとうに決められないのだという。

学院でアンの周囲には、自分と同じように思慮深く、想像力に富み、向上心を持つ生徒たちの小さな友達の輪が、しだいにできあがった。「赤いバラのような子」のステラ・メイナードと、「夢見る子」のプリシラ・グラントとは、すぐに親しくなった。そして、青白くどこかこの世離れしたプリシラが、実はいたずらと茶目っ気と陽気さでいっぱいなのに気づいた。一方、生き生きした黒い目のステラの胸には、アンと同じように、空を漂う虹にも似た、切ない夢や空想が満ちていた。

クリスマス休暇が終わると、アヴォンリーの生徒たちは金曜日に家へ帰るのをやめ、腰を据えて勉強に励んだ。このころには、クイーン学院の生徒はみな、おのずと自分の位置に落ち着き、それぞれのクラスにも、はっきりした独自の色合いが定まっていた。誰もが認める事実も、いくつかできていた。メダル争いは、事実上ギルバート・ブライス、アン・シャーリー、ルイス・ウィルソンの三人に絞られていた。エイヴリー奨学金は、まだ予断を許さず、有力な六人の誰が取ってもおかしくなかった。数学の銅メダルは、内陸地方から来た、額のでこぼこした、つぎの当たった上着を着ている、太ったおもしろい小柄な少年が、もう手にしたも同然と見られていた。

その年の学院でいちばんの美人は、ルビー・ギリスだった。二年級ではステラ・メイナードが美貌の栄冠を手にしていたが、少数ながら目の肥えた一派は、アン・シャーリーに軍配を上げた。髪の結い方がいちばんしゃれているのはエセル・マーだと、見る目のある者はみな認めていた。家政学の課程で首位に立ったのは、ジェーン・アンドルーズ――地味で、こつこつと励み、まじめなジェーンだった。ジョジー・パイでさえ、クイーン学院でいちばん口の悪い娘として、ある種の抜きんでた地位を得た。だから、ステイシー先生のかつての教え子たちは、学院という広い舞台に出ても十分に力を発揮したと言ってよい。

アンは熱心に、たゆまず勉強した。ギルバートとの競争は、クラス全体には知られていなかったが、アヴォンリー学校時代に劣らず激しかった。ただ、いつしかそこから苦々しさが消えていた。今のアンは、ギルバートを負かすために勝ちたいのではなかった。立派な好敵手を相手に、正々堂々と勝利を収めたという誇りが欲しかったのである。勝てればすばらしい。けれども、勝てなければ生きていけないとは、もう思わなかった。

勉強に追われながらも、生徒たちは楽しく過ごす機会を見つけた。アンは余暇の多くをビーチウッドで過ごし、日曜にはたいていそこで昼食を取り、バリー嬢と教会へ行った。バリー嬢も自分で認めるとおり年を取っていたが、黒い目は少しもかすまず、舌鋒の鋭さもいささかも衰えていなかった。だが、その舌先をアンに向けることはなかった。気難しい老婦人にとって、アンは相変わらず格別のお気に入りだった。

「あのアンという子は、会うたびによくなるね」とバリー嬢は言った。「ほかの娘たちは飽きてしまうよ。腹が立つほど、いつまでたっても同じなんだから。アンには虹と同じくらい、いろんな色がある。そして、どの色も見ている間は、それがいちばん美しいと思えるのさ。子どものころほどおもしろいかどうかはわからないけれど、あの子は、こちらが愛さずにはいられなくしてしまう。わたしは、そうさせてくれる人が好きだよ。好きになろうと、こちらが骨を折らずに済むからね。」

やがて、誰もが気づかぬほどの早さで春が来た。アヴォンリーでは、吹き寄せられた雪がまだ残る枯れ野に、メイフラワー[訳注:北米東部に自生する、春先に咲く香りのよい淡紅色の花]が桃色の顔をのぞかせ、森にも谷にも「緑の霞」がかかっていた。だがシャーロットタウンでは、追い立てられたクイーン学院の生徒たちが、試験のことばかり考え、話していた。

「もう学年が終わりかけているなんて、信じられないわ」とアンは言った。「去年の秋には、これから冬じゅう勉強と授業が続くのかと思うと、ずいぶん長く感じたのに。もう来週には試験が迫っているんだもの。ねえ、あたし、ときどき試験が何もかもだという気がするの。でも、あの栗の木の大きな芽が膨らんでいるのや、通りの向こうの青くかすんだ空気を見ると、試験なんて、それほど大事じゃない気がしてくるのよ。」

遊びに来ていたジェーンとルビーとジョジーは、そうは考えなかった。三人にとって、迫り来る試験はいつでも重大なことだった。栗の芽や五月の霞などより、はるかに重大である。少なくとも合格だけは確実なアンなら、ときには試験を軽く見る余裕もあろう。だが、自分の将来のすべてが試験にかかっているとなれば――三人は本気でそう信じていた――達観してはいられない。

「この二週間で七ポンドもやせたわ」とジェーンはため息をついた。「心配するなって言ってもむだよ。あたしは心配するんだから。心配だって少しは役に立つわ。何かしている気になるもの。冬じゅうクイーン学院へ通って、あんなにお金を使ったのに、免許が取れなかったら大変だわ。」

「あたしは気にしないわ」とジョジー・パイが言った。「今年受からなければ、来年また来るだけよ。うちの父には、それくらいのお金はあるもの。アン、フランク・ストックリーから聞いたんだけど、トレメイン先生が、メダルはギルバート・ブライスに決まりで、エイヴリー奨学金もたぶんエミリー・クレイだろうって言ったそうよ。」

「明日なら、その話で落ちこむかもしれないわ、ジョジー」とアンは笑った。「でも今は、グリーン・ゲイブルズの下の谷に紫のスミレが咲き始めて、恋人たちの小径に小さなシダが頭を出していると思うだけで、エイヴリーが取れても取れなくても、それほど大きな違いはないって、心から思えるの。最善は尽くしたし、『闘う喜び』という言葉の意味もわかりかけてきたわ。挑戦して勝つことの次にすばらしいのは、挑戦して負けることよ。ねえ、試験の話はやめましょう! あの家並みの上に、薄緑色の空が弧を描いているでしょう。アヴォンリーの裏手の、紫がかった暗いブナの森の上では、どんなふうに見えるか想像してみて。」

「卒業式には何を着るつもり、ジェーン?」とルビーが実際的な話に戻した。

ジェーンとジョジーが同時に答え、おしゃべりは流行の服という脇道へそれていった。だがアンは耳を貸さず、窓辺に肘をつき、組み合わせた両手に柔らかな頬を寄せていた。夢を映す目は、町の屋根や尖塔の向こう、夕映えに輝く空の大きな丸天井を見つめていた。そして、若さだけが持つ楽天の金糸で、ありうる未来の夢を織り上げていた。これから先の世界は、すべてアンのものだった。近づいてくる年月には、ばら色の可能性がひそんでいる。一年一年が希望のバラとなり、色あせぬ花冠に編みこまれていくのだ。


第三十六章 栄光と夢

すべての試験の最終結果がクイーン学院の掲示板に張り出される朝、アンとジェーンは連れ立って通りを歩いていた。ジェーンは晴れやかにほほえみ、幸せそうだった。試験は終わり、少なくとも合格はしたはずだと安心していた。それ以上のことは、ジェーンには少しも気がかりでなかった。高く舞い上がる野心を持たないので、それに伴う心の揺れに苦しむこともなかったのである。この世で何かを得ようとすれば、何であれ代価を払わなければならない。志は持つだけの価値が十分にあるものだが、安くかなえられるものではない。努力と克己、不安と落胆という代価を、きちんと要求してくる。アンは青ざめ、口数も少なかった。あと十分で、メダルを取ったのは誰か、エイヴリーを得たのは誰かがわかる。今のアンには、その十分の向こうに、時間と呼ぶに値するものがあるとは思えなかった。

「もちろん、どちらかひとつは必ずあなたが取るわよ」とジェーンは言った。先生方が、それ以外の結果を出すような不公平をするとは、考えられなかった。

「エイヴリーは望みがないわ」とアンは言った。「みんなエミリー・クレイが取るって言っているもの。それにあたし、みんなの前で掲示板まで歩いていって、結果を見るつもりはないの。そんな勇気はないわ。まっすぐ女子更衣室へ行くから、ジェーンが発表を読んで、教えに来て。昔からの友情にかけてお願いするわ。できるだけ早く来てちょうだい。だめだったら、遠回しに言おうとしないで、はっきりそう言って。それから何があっても、同情だけはしないで。約束して、ジェーン。」

ジェーンは厳粛に約束した。だが実際には、その約束は必要なかった。ふたりが学院の玄関の階段を上がると、ホールには男の子たちがあふれていた。ギルバート・ブライスを肩に担いで練り歩き、声を限りに叫んでいた。「メダル受賞者、ブライス万歳!」

一瞬、敗北と失望の痛みがアンの胸をえぐった。自分は負け、ギルバートが勝ったのだ。ああ、マシューはがっかりするだろう。あんなにアンの勝利を信じてくれていたのに。

ところが、そのとき! 

誰かが叫んだ。

「エイヴリー奨学金を獲得したシャーリー嬢に、万歳三唱!」

「ああ、アン!」とジェーンは息を弾ませた。ふたりは心からの歓声の中を逃れるように、女子更衣室へ駆けこんだ。「ああ、アン、あたし、ほんとうに誇らしいわ! なんてすばらしいんでしょう!」

たちまち女の子たちが集まり、アンは笑顔で祝いを述べる一団の真ん中にいた。肩をたたかれ、手を強く握られ、押され、引っ張られ、抱きしめられる。その中で、どうにかジェーンにささやいた。

「ああ、マシューとマリラ、どんなに喜んでくれるでしょう! すぐ家に手紙を書かなくちゃ。」

次の大きな出来事は卒業式だった。式典は学院の大講堂で行われた。祝辞が述べられ、作文が朗読され、歌が歌われ、卒業証書と賞品とメダルが、列席者の前で授与された。

マシューとマリラも来ていたが、その目と耳は壇上のたったひとりにしか向いていなかった。薄緑色のドレスを着た、背の高い娘。頬をほのかに染め、目を星のように輝かせて、最優秀の作文を読み上げた娘。人々がそっと指し示し、エイヴリーの受賞者だとささやき合う娘に。

「あの子を引き取ってよかったと思うだろう、マリラ?」と、アンが作文を読み終えたとき、マシューがささやいた。講堂に入ってから初めて発した言葉だった。

「そう思うのは、今が初めてじゃないよ」とマリラは言い返した。「本当に、いつまでもそのことを持ち出すんだからね、マシュー・カスバート。」

後ろに座っていたバリー嬢が身を乗り出し、日傘の先でマリラの背をつついた。

「あのアンが誇らしくてたまらないでしょう? わたしはそうですよ」と言った。

その晩、アンはマシューとマリラと一緒にアヴォンリーへ帰った。四月以来、家には戻っていなかったので、もう一日だって待てる気がしなかった。リンゴの花が咲き、世界はみずみずしく若返っていた。グリーン・ゲイブルズでは、ダイアナが待っていた。マリラが窓辺に花の咲いた鉢植えのバラを置いてくれた、白い自分の部屋。アンはその中を見回して、幸せを胸いっぱいに吸いこんだ。

「ああ、ダイアナ、帰ってこられて、ほんとうにうれしい。あのとがったモミの梢が桃色の空に浮かんでいるのを見るのも、白い花の果樹園を見るのも、懐かしい雪の女王を見るのも、うれしいわ。ミントの香りって、なんてすてきなんでしょう。それにあのティーローズ、まるで歌と希望と祈りが、ひとつになったみたい。そしてダイアナ、またあなたに会えて、ほんとうにうれしい!」

「ステラ・メイナードのほうが、あたしより好きなのかと思っていたわ」とダイアナは恨めしそうに言った。「ジョジー・パイがそう言ったの。あなたはあの子に夢中なんですって。」

アンは笑い、花束の中のしおれた「六月のユリ」をダイアナに投げつけた。

「ステラ・メイナードは、世界でいちばんすてきな女の子よ。ただひとりを除いてね。そのひとりが、あなたなの、ダイアナ」と言った。「前よりもっと大好きよ。話したいことも山ほどあるの。でも今は、こうして座ってあなたを見ているだけで、十分幸せな気がするわ。あたし、疲れているのね。勉強や目標に向かって頑張ることに疲れたんだわ。明日は少なくとも二時間、果樹園の草の上に寝転んで、何ひとつ考えずにいるつもり。」

「ほんとうによくやったわね、アン。エイヴリーを取ったからには、もう先生にはならないの?」

「ええ。九月にはレッドモンドへ行くの。夢みたいでしょう? すばらしい、金色に輝く三か月の休暇が終わるころには、新しい目標をまたたっぷり蓄えているわ。ジェーンとルビーは先生になるのよ。みんな合格できたと思うと、すてきじゃない? ムーディ・スパージョンもジョジー・パイも、ひとり残らずよ。」

「ジェーンはもう、ニューブリッジの学校の理事たちから来てほしいと言われているわ」とダイアナは言った。「ギルバート・ブライスも先生になるのよ。そうしなくちゃならないんですって。お父さんは結局、来年大学へやるお金が出せなくて、それで自分で学費を稼ぐつもりなの。エイムズ先生が辞めることになったら、ここの学校に来るんじゃないかしら。」

アンは、思いがけない知らせに、胸の奥が小さく沈むのを感じた。それは知らなかった。ギルバートもレッドモンドへ行くものと思っていたのだ。あの励みになる競争がなくなったら、どうしたらよいのだろう。本物の学位を目指して共学の大学で学ぶとしても、あの敵にして友がいなければ、勉強もどこか張り合いがなくなるのではないか。

翌朝の朝食の席で、アンはふと、マシューの顔色がよくないことに気づいた。一年前よりも、確かにずいぶん髪が白くなっていた。

「マリラ」と、マシューが外へ出てから、ためらいがちに言った。「マシュー、体は悪くないの?」

「よくないんだよ」とマリラは心配そうに答えた。「この春は、ひどい心臓の発作を何度か起こしたんだ。それでも少しも体をいたわろうとしなくてね。ほんとうに心配したよ。でもこのところ少しよくなったし、いい働き手も雇えたから、少し休んで元気になってくれればと思っているんだ。おまえが帰ってきたから、そうなるかもしれないね。おまえがいると、いつも元気が出るんだから。」

アンはテーブル越しに身を乗り出し、マリラの顔を両手で包んだ。

「マリラだって、あたしが願っていたほど元気そうには見えないわ。疲れた顔をしている。働きすぎたんじゃない? あたしが帰ってきたんだから、もう休まなくちゃ。今日だけはお休みをもらって、大好きな場所をみんな訪ねて、昔の夢を探してくるわ。そうしたら、今度はマリラがのんびりする番よ。仕事はあたしがするから。」

マリラは、愛情のこもったほほえみを娘に向けた。

「仕事のせいじゃないんだよ。頭なんだ。近ごろ、しょっちゅう痛くてね。目の奥のあたりが。スペンサー先生が眼鏡をいろいろ合わせてくださっているけれど、ちっともよくならないんだ。六月の末に有名な眼科の先生が島へ来るそうで、診てもらわなきゃいけないと言われている。やっぱり行かなくちゃなるまいね。今じゃ、本を読むのも針仕事をするのもつらくて。まあ、アン、おまえはクイーン学院で本当によくやったよ。一年で第一級の免許を取って、そのうえエイヴリー奨学金まで。やれやれ、リンド夫人は、おごりは転落の前触れだと言って、女が高い教育を受けることには、まるで賛成しないけれどね。女本来の務めに向かなくなるんだそうだ。わたしは少しもそうは思わないよ。レイチェルで思い出したけれど、アン、最近アビー銀行について何か聞かなかったかい?」

「経営が危ないという話は聞いたわ」とアンは答えた。「どうして?」

「レイチェルもそう言っていたんだ。先週、うちへ来たとき、そんな噂があるってね。マシューがずいぶん心配していたよ。うちの蓄えは全部、あの銀行に預けてあるんだ。一銭残らずね。初めから貯蓄銀行にしておくように言ったんだけれど、アビーのおじいさんは父さんの親友で、父さんもずっとあそこに預けていたから。あの人が頭にいる銀行なら、誰が預けたって安心だとマシューは言うんだよ。」

「あの方はもう何年も、名目だけの頭取だと思うわ」とアンは言った。「ずいぶんお年を召していらっしゃるもの。実際に経営しているのは、甥御さんたちなのよ。」

「そうかい。レイチェルに聞いたとき、すぐにお金を引き出してほしいとマシューに言ったら、考えてみるとは言っていたよ。でも昨日、ラッセルさんに、あの銀行は大丈夫だと言われたんだそうだ。」

アンは戸外の世界を友として、すばらしい一日を過ごした。その日のことを、いつまでも忘れなかった。明るく、金色に輝き、美しく、影ひとつなく、花に惜しげもなく彩られた日だった。豊かな時間のいくつかを果樹園で過ごし、木の精の泉、柳の湖、スミレの谷を訪ねた。牧師館にも寄り、アラン夫人と心ゆくまで話した。そして夕方には、マシューと牛を連れに、恋人たちの小径を通って奥の牧草地へ向かった。森じゅうが夕映えに満ち、西の丘の切れ間から、暖かな光の輝きが流れこんでいた。マシューはうつむきがちにゆっくり歩き、背が高く、すらりと立ったアンは、弾むような足取りをそれに合わせた。

「今日も働きすぎたでしょう、マシュー」とアンはたしなめた。「どうしてもっと楽にしないの?」

「なあに、どうもそうはいかなくてね」とマシューは、牛を通すために庭の門を開けながら言った。「ただ年を取ったというだけなんだよ、アン。それを、つい忘れちまうのさ。まあ、これまでずっとよく働いてきたし、倒れるなら働きながらがいいんだよ。」

「あたしが、マシューの頼んだ男の子だったら」とアンは切なげに言った。「今ごろ、ずいぶん手伝ってあげられるのに。いろんな仕事を代わって、楽をさせてあげられるわ。そのためだけなら、男の子に生まれていたらよかったと、心から思えるの。」

「なあに、男の子が十二人いたって、わしはおまえのほうがいいよ、アン」とマシューはアンの手を優しくたたいた。「それだけは覚えておくれ。男の子十二人より、おまえのほうがいいんだ。だいいち、エイヴリー奨学金を取ったのは男の子じゃなかったろう? 女の子だった。わしの娘だよ。わしの自慢の娘だ。」

マシューは、はにかんだほほえみをアンに向けて、庭へ入っていった。その晩、アンはその笑顔を心に抱いて部屋へ上がり、開け放した窓辺に長く座って、過去を思い、未来を夢見た。外では雪の女王が月の光にかすむように白く浮かび、果樹園の丘の向こうの沼では、カエルが歌っていた。アンは、その夜の銀色に澄んだ穏やかな美しさと、香りに満ちた静けさを、生涯忘れなかった。悲しみがその人生に触れる前の、最後の夜だったのだ。一度でも、あの冷たく、魂を清める手に触れられたなら、人の人生は二度と元のままではいられない。


第三十七章 死という名の刈り手

「マシュー――マシュー、どうしたの? マシュー、気分が悪いのかい?」

そう言ったのはマリラだった。途切れ途切れの言葉のひとつひとつに、不安がにじんでいた。アンは白い水仙を両手いっぱいに抱えて、廊下を通ってきたところだった。――白い水仙の姿や香りを、また好きになれるまでには、長い年月がかかった。――マリラの声を聞くと同時に、玄関ポーチの戸口に立つマシューが目に入った。折り畳んだ新聞を手にし、顔は異様にこわばり、灰色になっていた。アンは花を取り落とし、マリラと同時に台所を駆け抜けた。だが、ふたりとも間に合わなかった。駆けつけるより先に、マシューは敷居に倒れ伏した。

「気を失ったんだよ」とマリラは息をのんだ。「アン、マーティンを呼んでおいで。早く、早く! 納屋にいるから。」

雇い人のマーティンは、ちょうど郵便局から馬車で帰ってきたところだった。すぐに医者を呼びに出かけ、途中、果樹園の丘へ立ち寄って、バリー夫妻に来てもらうよう頼んだ。用事でそこにいたリンド夫人も、一緒にやってきた。アンとマリラは、取り乱しながら懸命にマシューの意識を取り戻そうとしていた。

リンド夫人はふたりをそっと脇へ寄せ、脈を取り、それから胸に耳を当てた。そして不安に満ちたふたりの顔を悲しげに見つめると、その目に涙が浮かんだ。

「ああ、マリラ」と重い声で言った。「もう――わたしたちには、何もできないと思うよ。」

「リンド夫人、まさか――そんなはずはないわ。マシューが――マシューが――」アンには、その恐ろしい言葉が言えなかった。血の気が引き、気が遠くなった。

「アン、気の毒だけれど、そうだと思うよ。顔をごらん。わたしほど何度もあの顔を見ていれば、どういうことかわかるんだよ。」

アンは動かない顔を見つめ、そこに大いなる死の刻印を見た。

やってきた医者は、おそらく突然の衝撃が原因で、苦しむ間もなく即死したのだろうと言った。その衝撃の正体は、マシューが手にしていた新聞に見つかった。マーティンがその朝、郵便局から持ち帰ったものだった。そこにはアビー銀行の破綻を伝える記事が載っていた。

知らせはたちまちアヴォンリーに広まり、その日じゅう、友人や近所の人たちがグリーン・ゲイブルズに詰めかけた。亡き人と残された者のために、心づくしの用事を引き受けては、出入りしていった。内気で物静かなマシュー・カスバートは、生まれて初めて人々の中心にいた。白く厳かな死の威容をまとい、冠を授けられた者のように、ほかの人々とは隔てられていた。

穏やかな夜がグリーン・ゲイブルズにそっと降りると、古い家は静まり返った。客間では、マシュー・カスバートが棺に横たわっていた。長い白髪が穏やかな顔を縁取り、その顔には、ただ心地よい夢を見て眠っているだけのような、かすかな優しい笑みがあった。周りには花が供えられていた。マシューの母が嫁いできたころ、家の庭に植えた、素朴で香りのよい昔ながらの花々だった。マシューはそれらを、人知れず、言葉にすることもなく、ずっと愛してきた。アンが摘んできて、そばに置いたのだった。青白い顔の中で、苦悩に満ちた、涙の出ない目が熱く燃えていた。それがマシューのためにしてやれる、最後のことだった。

バリー夫妻とリンド夫人は、その晩、家に泊まってくれた。ダイアナは東の破風の部屋へ上がり、窓辺に立つアンに優しく言った。

「ねえ、アン、今夜は一緒に寝ましょうか?」

「ありがとう、ダイアナ。」

アンは友の顔をまっすぐに見つめた。「ひとりになりたいと言っても、あなたなら誤解しないでくれると思うの。怖いんじゃないわ。あのことがあってから、一分だってひとりになっていないの。だから、ひとりになりたい。何も言わず、静かにして、ほんとうのことなんだとわかろうとしてみたいの。まだ、わからないのよ。あるときは、マシューが死んだなんてありえないと思う。なのに、次には、ずっと昔に死んでしまって、それからずっと、このひどく鈍い痛みを抱えていたような気がするの。」

ダイアナには、よくわからなかった。生まれつきの慎みも、生涯の習慣も押し流して、嵐のようにあふれ出るマリラの悲嘆のほうが、アンの涙のない苦しみより理解しやすかった。けれども優しく身を引き、初めての悲しみとともに夜を明かすアンを、ひとりにしておいた。

アンは、ひとりになれば涙が出るだろうと願った。あれほど愛し、あれほど優しくしてくれたマシューのために、一粒の涙も流せない自分が、恐ろしかった。昨日の夕暮れには一緒に歩いていたマシューが、今は階下の薄暗い部屋に、恐ろしいほど静かな額をして横たわっている。けれども初めのうちは、涙が出なかった。暗闇の中、窓辺にひざまずき、丘の向こうの星を仰いで祈っても、涙は出なかった。ただ、あのひどく鈍い悲しみの痛みが、いつまでも胸をうずかせた。やがて一日の苦しみと動揺に疲れ果て、眠りに落ちるまで。

夜中にアンは目を覚ました。周囲は静けさと闇に包まれていた。昼間の記憶が、悲しみの波となって押し寄せた。最後の夕方、門のところで別れたときのマシューの笑顔が見えた。「わしの娘だよ。わしの自慢の娘だ」と言う声が聞こえた。

そのとき、涙があふれた。アンは胸の底から泣いた。マリラがそれを聞きつけ、慰めようとそっと入ってきた。

「さあ、さあ、そんなに泣くんじゃないよ、かわいい子。泣いても帰ってはこないんだから。そんなに――そんなに泣くのは、よくないことなんだよ。昼間、わたしもわかっていたけれど、どうしてもこらえられなかった。いつも、あんなにいい、優しい兄さんだったからね。でも、神さまには何がいちばんよいのか、おわかりなんだよ。」

「ああ、泣かせて、マリラ」とアンはすすり泣いた。「涙は、あの痛みほど苦しくないの。少しだけ、ここにいて。腕を回していてちょうだい。そう、そのまま。ダイアナにはいてもらえなかった。あんなにいい子で、親切で、優しいけれど、これはあの子の悲しみじゃないもの。あの子はその外にいて、あたしを助けられるほど、心の近くまでは来られないの。これは、あたしたちの悲しみなのね。マリラとあたしの。ああ、マリラ、あの人なしで、あたしたち、どうしていけばいいの?」

「わたしたちには、お互いがいるよ、アン。おまえがいてくれなかったら――初めから来てくれなかったら、わたしはどうしていたかわからない。ああ、アン、おまえには少し厳しく、つらく当たったこともあったろうね。でも、それだからといって、マシューほどおまえを愛していなかったなんて、思うんじゃないよ。今、言えるうちに言っておきたいんだ。胸の内を言葉にするのは、昔から苦手だったけれど、こんなときには、いつもより言いやすい。おまえが自分の血を分けた子だとしても、これ以上はないほど愛しているよ。グリーン・ゲイブルズへ来てくれた日から、おまえはずっと、わたしの喜びであり、慰めだったんだ。」

二日後、マシュー・カスバートは家の敷居を越えて運び出され、自分で耕した畑から、愛した果樹園から、植えた木々から去っていった。その後、アヴォンリーにはいつもの穏やかさが戻った。グリーン・ゲイブルズでさえ、暮らしはもとの軌道へ戻り、仕事は片づけられ、日々の務めも以前と同じように果たされた。ただ、「なじみ深いものすべてに、失ったものの痛み」が、いつもつきまとっていた。

初めて悲しみを知ったアンは、そうしていられること自体が、ほとんど悲しかった。マシューがいないのに、昔どおりに暮らしていけるなんて。モミの木の向こうに昇る朝日や、庭で開く淡い桃色のつぼみを見て、昔と同じ喜びが胸に湧き上がると気づいたとき、恥と悔いにも似たものを感じた。ダイアナが来てくれればうれしく、陽気な言葉やしぐさに、つい笑ったりほほえんだりしてしまう。つまり、花と愛と友情に満ちた美しい世界は、アンの想像力を喜ばせ、胸をときめかせる力を、少しも失っていなかった。人生はなおも、さまざまな声で熱心にアンを呼んでいたのである。

「マシューがいなくなったのに、そんなことで楽しむのは、なんだかあの人を裏切るような気がするんです」と、ある夕方、牧師館の庭で一緒にいたアラン夫人に、アンは切なげに言った。「いつだって、たまらなく会いたいんです。それなのに、アラン夫人、世界も人生も、やっぱりとても美しく、おもしろく思えるんです。今日もダイアナがおかしなことを言って、気づいたら笑っていました。あのときは、もう二度と笑うことなんてないと思ったのに。なんだか、笑ってはいけない気がして。」

「マシューがここにいたころ、あなたの笑い声を聞くのが好きだったでしょう。身の回りのすてきなものを、あなたが喜んでいると知るのも好きだったはずよ」とアラン夫人は優しく言った。「今は、ただ遠くへ行っているだけなの。そして今も、同じように、それを喜んでいらっしゃるわ。自然が差し出してくれる癒やしに、心を閉ざしてはいけないと、わたしは思うの。でも、あなたの気持ちはわかるわ。誰もが同じことを経験するのだと思う。愛する人がもうそばにいなくて、喜びを分かち合えないのに、自分だけ何かを喜べるなんて、受け入れたくないのね。人生への興味が戻ってくると、自分の悲しみにまで不実なことをしているように感じてしまうのよ。」

「今日の午後、お墓へ行って、マシューの墓にバラの木を植えてきたんです」とアンは夢見るように言った。「あの人のお母さんが、ずっと昔にスコットランドから持っていらした、小さな白いスコッチローズの苗を取っていきました。マシューは、あのバラがいちばん好きだったんです。とげのある枝に、小さくて香りのいい花が咲くんです。お墓のそばに植えられて、うれしかった。近くに持っていってあげることで、きっと喜んでもらえることをしている気がして。天国にも、あんなバラがあるといいですね。幾夏もマシューが愛してきた小さな白いバラたちの魂が、みんなそろって迎えてくれたのかもしれません。もう帰らなくちゃ。マリラがひとりですもの。たそがれになると、寂しがるんです。」

「あなたがまた大学へ行ってしまったら、もっと寂しくなるでしょうね」とアラン夫人は言った。

アンは答えなかった。おやすみなさいと挨拶し、ゆっくりグリーン・ゲイブルズへ帰った。マリラは玄関先の段に座っていた。アンはその隣に腰を下ろした。ふたりの後ろでは扉が開いていて、大きな桃色の巻き貝がつっかえに置かれていた。その滑らかな内側の渦には、海の夕焼けを思わせる色が潜んでいた。

アンは淡い黄色のスイカズラを数枝摘み、髪に挿した。身じろぎするたび、空から降る祝福のように、頭の上でほのかに漂う甘い香りが好きだった。

「おまえが出かけている間に、スペンサー先生がいらしたよ」とマリラが言った。「明日、専門の先生が町へ来るから、どうしても目を診てもらいに行くようにって。やっぱり行って、済ませてきたほうがいいんだろうね。ぴったり合う眼鏡をくださるのなら、どんなにありがたいか。わたしが留守の間、ひとりでもかまわないだろう? マーティンに馬車を出してもらわなければならないし、アイロンがけと焼き物もあるんだよ。」

「大丈夫よ。ダイアナに来てもらって、相手をしてもらうわ。アイロンも焼き物も、見事にやってみせるから。ハンカチを糊で固めたり、ケーキに塗り薬で香りをつけたりしないかなんて、心配しなくていいのよ。」

マリラは笑った。

「あのころのおまえは、まったく、よく失敗をしたものだね、アン。いつでも何か騒ぎを起こしていた。本当に、何かに取りつかれているんじゃないかと思ったものだよ。髪を染めたときのことを覚えているかい?」

「もちろん。あれは一生忘れないわ」とアンはほほえみ、形のよい頭に巻きつけた豊かな編み髪に手をやった。「昔、髪のことであんなに悩んだのを思い出すと、ときどき少し笑ってしまうの。でも、あんまりは笑わないわ。当時は、ほんとうに深刻な悩みだったんだもの。髪とそばかすには、ひどく苦しめられたわ。そばかすは、ほんとうになくなったでしょう。それに今は、みんな親切にも、髪は赤褐色だと言ってくれるの。ジョジー・パイ以外はね。昨日ジョジーに言われたわ。あたしの髪は前より赤くなったと思う、少なくとも黒い服を着ていると、もっと赤く見えるって。それから、赤毛の人って、自分が赤毛なのに慣れることがあるのかって聞くのよ。マリラ、あたし、ジョジー・パイを好きになろうとするのは、もうやめようかと思っているの。昔のあたしなら『英雄的な努力』と呼んだような努力をしてきたけれど、ジョジー・パイのほうが、好きにならせてくれないんだもの。」

「ジョジーはパイ家の子だからね」とマリラはきっぱり言った。「感じが悪いのは仕方がないよ。ああいう人間も世の中で何かの役には立っているんだろうけれど、アザミの役目と同じで、わたしにはさっぱりわからないね。ジョジーも先生になるのかい?」

「いいえ、来年もクイーン学院へ戻るの。ムーディ・スパージョンとチャーリー・スローンもよ。ジェーンとルビーは先生になるし、ふたりとも学校が決まったわ。ジェーンはニューブリッジ、ルビーは西のほうの、どこかの学校なの。」

「ギルバート・ブライスも先生になるんだろう?」

「ええ」――返事は短かった。

「あの子は、いい顔立ちをしているね」とマリラは何気なく言った。「先週の日曜、教会で見たけれど、背が高くて、男らしくなっていたよ。あの年ごろのお父さんによく似ている。ジョン・ブライスは、いい若者だった。わたしと、とても仲がよかったんだ。みんな、わたしの恋人だと言っていたよ。」

アンは、ぱっと興味をひかれて顔を上げた。

「まあ、マリラ! それで、どうなったの? どうしてふたりは――」

「けんかをしたんだよ。謝ってきたのに、わたしは許さなかった。しばらくしたら許すつもりだったんだけれど、すねて、腹を立てて、まずは懲らしめてやりたかったんだ。あの人は二度と来なかった。ブライス家の人たちはみんな、たいそう気位が高くてね。でもわたしは、ずっと――少し悔やんでいたよ。あのとき許しておけばよかったと、いつもどこかで思っていた。」

「マリラの人生にも、ロマンスがあったのね」とアンはそっと言った。

「まあ、そう呼べるかもしれないね。今のわたしを見ても、そうは思えないだろう? でも人のことは、外側だけではわからないものだよ。わたしとジョンのことなんか、みんな忘れてしまった。わたしだって忘れていたんだ。それが先週の日曜、ギルバートを見たら、何もかも思い出してしまったよ。」


第三十八章 道の曲がり角

マリラは翌日、町へ行き、夕方に戻った。アンはダイアナと果樹園の丘へ出かけていたが、帰ってみると、マリラが台所のテーブルに座り、片手で頭を支えていた。その打ちしおれた姿を見て、アンの胸に冷たいものが走った。こんなふうに、力なく、何もせずに座っているマリラを、見たことがなかった。

「とても疲れたの、マリラ?」

「ええ――いいえ――わからないよ」とマリラは疲れたように顔を上げた。「疲れてはいるんだろうけれど、そんなことは考えもしなかった。そういうことじゃないんだ。」

「眼科の先生には会えた? なんておっしゃったの?」とアンは不安そうに尋ねた。

「ああ、会ったよ。目も診てもらった。読むのも縫うのも、いっさいやめて、目を使う仕事は何ひとつせず、泣かないように気をつけて、渡された眼鏡を掛けていれば、目は今より悪くならずに済むかもしれないし、頭痛も治るだろうと言われたよ。けれど、そうしなければ、半年で必ず何も見えなくなるって。目が見えなくなるんだよ! アン、考えてもごらん!」

アンは短く驚きの声を上げたあと、しばらく黙っていた。とても言葉を発することなどできない気がした。やがて喉を詰まらせながらも、気丈に言った。

「マリラ、そんなことを考えないで。先生は希望もくださったでしょう。気をつけていれば、すっかり見えなくなることはないのよ。それに眼鏡で頭痛が治るなら、それだってすばらしいことだわ。」

「それほどの希望とは思えないね」とマリラは苦々しく言った。「本も読めず、縫い物もできず、そういうことが何もできないのなら、何を生きがいにすればいいんだい。目が見えなくなるのも、死ぬのも、変わらないじゃないか。それに泣くなと言われても、寂しくなれば、どうしようもないよ。でも、話したって始まらないね。お茶を一杯入れてくれるとありがたい。もうくたくただよ。とにかく、しばらくは誰にも言わないでおくれ。人がやってきて、根掘り葉掘り聞いたり、同情したり、この話をしたりするのは、とても耐えられないから。」

マリラが軽い食事を済ませると、アンはなだめるようにして床へ行かせた。それから自分も東の破風の部屋へ上がり、暗い窓辺に座った。ひとりきりで、涙と重い心を抱えて。帰ってきたあの晩、ここに座っていたときから、なんと悲しく変わってしまったことだろう。あのときは希望と喜びに満ち、未来はばら色の約束に輝いていた。あれから幾年も生きたような気がした。けれども床に就くころには、唇にほほえみが浮かび、心には安らぎがあった。勇気を持って自分の務めを見つめ、その中に友を見いだしたのだ。務めとは、正面から向き合えば、いつでも友となってくれるものである。

それから数日後の午後、マリラが前庭からゆっくり入ってきた。そこで来客と話していたのだった。アンも顔は知っている、カーモディのサドラーという男だった。あの人は何を言って、マリラをあんな顔にさせたのだろうと、アンは思った。

「サドラーさん、何のご用だったの、マリラ?」

マリラは窓辺に腰を下ろし、アンを見た。眼科医の言いつけに背いて、その目には涙が浮かんでいた。声を詰まらせながら言った。

「わたしがグリーン・ゲイブルズを売るつもりだと聞いて、買いたいと言ってきたんだよ。」

「買う! グリーン・ゲイブルズを?」

聞き間違いではないかとアンは思った。「ああ、マリラ、グリーン・ゲイブルズを売るつもりだなんて言わないで!」

「アン、ほかにどうしたらいいのかわからないんだよ。何もかも考えてみたんだ。目さえ丈夫なら、いい雇い人を置いて、ここにいて、どうにか切り盛りしていけただろう。でも、この目ではできない。すっかり見えなくなるかもしれないし、そうならなくても、もう家や農場を取り仕切ることはできないんだ。ああ、自分の家を売らなければならない日まで生きるなんて、思いもしなかったよ。でもこのままでは、ますます立ちゆかなくなって、しまいには買いたがる人さえいなくなる。お金はあの銀行で、一銭残らずなくなった。それに、去年の秋マシューが振り出した手形も、払わなければならないんだ。リンド夫人は農場を売って、どこかへ下宿したほうがいいと言ってくれたよ。たぶん、あの人のところだろうね。たいした値にはなるまい。土地は小さいし、建物は古いから。でも、わたしが暮らすぶんには足りるだろう。アン、おまえにはあの奨学金があって、本当によかった。休みのときに帰る家がなくなるのは、すまないと思うけれど、それもどうにかなるだろうからね。」

マリラはこらえきれず、激しく泣きだした。

「グリーン・ゲイブルズを売ってはいけないわ」とアンはきっぱり言った。

「ああ、アン、売らずに済むものなら、そうしたいよ。でも、おまえにもわかるだろう。ここにひとりでは住めないんだ。苦労と寂しさで、気がおかしくなってしまう。目も見えなくなるよ。きっとそうなる。」

「ひとりで住まなくていいのよ、マリラ。あたしが一緒にいるわ。レッドモンドへは行かないの。」

「レッドモンドへ行かない!」

マリラは両手に埋めていたやつれた顔を上げ、アンを見た。「おまえ、いったい何を言っているんだい?」

「言ったとおりよ。奨学金は辞退するつもりなの。マリラが町から帰ったあの晩に決めたのよ。こんなにつらい思いをしているマリラを、ひとり置いていけるなんて、本気で思ってはいないでしょう。これまで、あたしにしてくれたことを考えたら。いろいろ考えて、計画も立てたの。聞いてちょうだい。バリーさんが、来年は農場を借りたいと言っているわ。だから農場の心配はしなくていいの。あたしは先生になるつもり。ここの学校にも申しこんだけれど、たぶん採用されないでしょうね。理事たちはギルバート・ブライスに約束しているらしいから。でもカーモディの学校なら勤められるわ。昨日の晩、お店でブレアさんがそう言ってくれたの。もちろんアヴォンリー学校ほど、うれしくも便利でもないけれど、ここに住んで、馬車でカーモディまで通えるわ。少なくとも暖かいうちはね。冬だって、金曜日には帰ってこられる。そのために馬を一頭残しておけばいいのよ。ああ、マリラ、何もかもちゃんと考えてあるの。本も読んであげるし、元気づけてあげる。退屈も、寂しい思いもさせないわ。ふたりでここにいて、ほんとうに楽しく、心安らかに暮らしましょう。」

マリラは夢の中にいるように聞いていた。

「ああ、アン、おまえがいてくれれば、きっとうまく暮らしていけるよ。それはわかる。でも、わたしのために、そんな犠牲を払わせるわけにはいかない。そんなひどいことはできないよ。」

「何を言っているの!」

アンは明るく笑った。「犠牲なんかじゃないわ。グリーン・ゲイブルズを手放すよりつらいことなんて、何ひとつないもの。これ以上、あたしを悲しませることはないの。この大切な家は守らなくちゃ。あたしの気持ちは決まっているわ、マリラ。レッドモンドには行かない。ここに残って、先生になるの。あたしのことは、少しも心配しないで。」

「でも、おまえの志は――それに――」

「志は、前と少しも変わらないわ。ただ、目指す先が変わったの。よい先生になって、それからマリラの目を守るのよ。それに、ここで勉強を続けて、ひとりで大学の課程を少しずつ学ぶつもり。ああ、マリラ、計画ならいくらでもあるわ。一週間、ずっと考えてきたんだもの。ここでの暮らしに、あたしの最善を尽くすわ。そうすれば、暮らしのほうも最善のものを返してくれると信じているの。クイーン学院を出たとき、未来はまっすぐな道みたいに、目の前へ伸びていたわ。ずっと先の道標まで見通せるような気がしていた。でも今、その道に曲がり角ができたの。曲がった先に何があるかはわからない。でも、いちばんよいものがあるって信じるつもり。その曲がり角には、曲がり角ならではの魅力があるのよ、マリラ。その向こうの道は、どんなふうに続いているのかしら。どんな緑の輝きがあって、どんな柔らかな光と影が織りなされているのかしら。どんな新しい景色、どんな新しい美しさがあって、その先には、どんな曲がり道や丘や谷が待っているのかしら。」

「やっぱり、おまえにあきらめさせてはいけない気がするよ」とマリラは奨学金のことを言った。

「でも、止められないわよ。あたしは十六歳半で、リンド夫人が前に言ったとおり、『ラバみたいに頑固』なんだから」とアンは笑った。「ああ、マリラ、かわいそうだなんて思わないで。あたし、同情されるのは好きじゃないし、その必要もないの。大好きなグリーン・ゲイブルズにいられると思うだけで、心からうれしいのよ。あたしたちほどこの家を愛せる人なんて、誰もいないわ。だから、守らなくちゃ。」

「なんてありがたい子だろう!」とマリラは、とうとう折れた。「新しい命をもらった気がするよ。ほんとうなら、もっと強く言って、大学へ行かせるべきなんだろうね。でも、わたしにはできない。だから、もうそうしようとは思わないよ。その代わり、この恩はきっと返すからね、アン。」

アン・シャーリーが大学へ行くのをやめ、家に残って教員になるつもりだという噂がアヴォンリーに広まると、村ではずいぶん話題になった。マリラの目のことを知らない人々の大半は、ばかなことをすると思った。アラン夫人はそうは思わなかった。アンの決心をほめ、その言葉は少女の目にうれし涙を浮かばせた。善良なリンド夫人も、同じだった。ある晩訪ねてきたとき、アンとマリラは、香りの漂う暖かな夏の薄闇の中、玄関先に座っていた。ふたりは、たそがれが降り、白い蛾が庭を飛び、露を含んだ空気にミントの香りが満ちるころ、そこに座るのが好きだった。

レイチェル夫人は、疲れと安堵の入り混じった長い息をついて、玄関脇の石の腰掛けに、その堂々たる体を下ろした。後ろには、桃色と黄色の背の高いタチアオイが一列に咲いていた。

「やれやれ、座れるのがありがたいと思うようになったねえ。一日じゅう立ちっぱなしだったんだよ。二百ポンドを二本の足で運び回るのは、なかなかのことだからね。太っていないのは、ほんとうにありがたいことだよ、マリラ。感謝するんだね。ところでアン、大学へ行くのをやめたと聞いたよ。あれは本当にうれしかったね。おまえはもう、女が無理なく暮らすには十分すぎるほど勉強したんだから。娘が男と一緒に大学へ行って、ラテン語だのギリシャ語だの、あんなくだらないものを頭に詰めこむのには、わたしは賛成しないよ。」

「でも、ラテン語もギリシャ語も、やっぱり勉強するつもりですよ、リンド夫人」とアンは笑って言った。「このグリーン・ゲイブルズで文学課程を学んで、大学で勉強するはずだったものは、みんな勉強するんです。」

リンド夫人は、けしからぬ話を聞いたとばかりに両手を上げた。

「アン・シャーリー、そんなことをしたら死んでしまうよ。」

「そんなことありません。かえって元気になります。ああ、無理はしませんよ。『ジョサイア・アレンの妻』[訳注:米国のユーモア作家マリエッタ・ホリーの筆名であり、その作品の語り手]の言うとおり、『ほどほど』にします。でも冬の長い夜には、暇な時間がたくさんあるでしょう。それに、あたしは飾りの針仕事には向かないんです。カーモディで教えることになっているのは、ご存じでしょう。」

「知らないねえ。おまえは、このアヴォンリーで教えるはずだよ。理事たちが、おまえに学校を任せると決めたんだから。」

「リンド夫人!」とアンは叫び、驚いて立ち上がった。「だって、ギルバート・ブライスに約束したんじゃなかったんですか!」

「そのとおりだよ。でもギルバートは、おまえが申しこんだと聞くと、すぐ理事たちのところへ行ったんだ。昨夜、学校で会合があってね。自分の申しこみを取り下げるから、おまえを採用してはどうかと言ったんだよ。自分はホワイト・サンズで教えるつもりだと言ってね。もちろん、おまえがどんなにマリラのそばにいたがっているか、わかっていたんだろう。本当に親切で、思いやりのあることをしたと思うよ。まったくね。そのうえ、大変な自己犠牲だ。ホワイト・サンズでは下宿代を払わなければならないし、大学の学費も自分で稼がなければならないことは、みんな知っているんだから。それで理事たちは、おまえに決めたんだよ。トーマスが帰ってきて話してくれたときは、うれしくてたまらなかったね。」

「お受けしてはいけない気がします」とアンはつぶやいた。「つまり、ギルバートに、そんな犠牲を払わせてはいけないと思うんです。あたしの――あたしのために。」

「もう止めようがないと思うよ。ホワイト・サンズの理事たちと契約書を交わしたんだから。今さらおまえが断っても、あの子には何の得にもならない。もちろん引き受けるんだよ。もうパイ家の子は通っていないから、きっとうまくいくさ。ジョジーが最後だったのは、ほんとうによかった。まったくだよ。この二十年間、アヴォンリー学校には、必ずパイ家の誰かがいたからね。あの一族の使命は、学校の先生に、この世が安住の地ではないと思い知らせることだったんだろうよ。おやまあ! バリー家の破風で、あんなにちかちかしているのは、何のつもりだい?」

「ダイアナが、来てって合図しているんです」とアンは笑った。「昔のやり方を、今でも続けているの。ちょっと失礼して、何の用か聞きに行ってきますね。」

アンは鹿のようにクローバーの斜面を駆け下り、お化けの森のモミの影に消えた。リンド夫人は、ほほえましそうに見送った。

「あの子にはまだ、ずいぶん子どもっぽいところが残っているね。」

「別のところでは、ずっと大人の女らしくなっているよ」とマリラは、一瞬、昔の歯切れよい口調に戻って言い返した。

だが、もう歯切れのよさがマリラのいちばんの特徴ではなくなっていた。その晩、リンド夫人が夫のトーマスに言ったとおりだった。

「マリラ・カスバートは、すっかり丸くなったよ。まったくね。」

翌日の夕方、アンはアヴォンリーの小さな墓地へ行き、マシューの墓に新しい花を供え、スコッチローズに水をやった。たそがれまで、そこで過ごした。小さな墓地の穏やかさと静けさが好きだった。ポプラの葉ずれは、親しい人の低い語らいのようで、墓の間に伸び放題の草が、ささやき合っていた。ようやく立ち去り、輝く湖水へと続く長い坂を下りていくころには、日は沈んでいた。アヴォンリーのすべてが、夢のような残照の中、目の前に広がっていた。「いにしえの安らぎが宿るところ」だった。

空気には、蜜のように甘いクローバーの野を渡ってきた風を思わせる、みずみずしさがあった。家々を囲む木立の間に、明かりがぽつりぽつりとともった。その向こうには、紫にかすむ海が横たわり、心に染みる、絶え間ないさざめきを響かせていた。西の空は柔らかな色が溶け合って輝き、池はそれらを、いっそう淡い色合いで映していた。そのすべての美しさがアンの胸を震わせた。アンは感謝をこめて、魂の扉を大きく開いた。

「大好きな世界」とアンはつぶやいた。「あなたは、ほんとうに美しいわ。あなたの中で生きていられて、あたしはうれしい。」

坂を半分ほど下りたところで、背の高い若者が、ブライス家の門から口笛を吹きながら出てきた。ギルバートだった。アンに気づくと、その唇から口笛が消えた。礼儀正しく帽子を上げたものの、そのまま黙って通り過ぎるところだった。だがアンが立ち止まり、手を差し出した。

「ギルバート」と、頬を真っ赤にして言った。「あたしのために学校を譲ってくれて、ありがとう。ほんとうに親切にしてくれたわ。感謝しているって、伝えたかったの。」

ギルバートは、差し出された手を喜んで握った。

「特別に親切なことをしたわけじゃないよ、アン。少しでも役に立てて、うれしかったんだ。これからは友達になれるかな? 昔のあの失敗を、本当に許してくれた?」

アンは笑い、手を引こうとしたが、離してもらえなかった。

「あの池の船着き場で会った日に、もう許していたのよ。自分では気づかなかったけれど。なんて頑固なおばかさんだったんでしょうね。あたし、ずっと――この際、すっかり白状するわ。あれからずっと後悔していたの。」

「ぼくたちは、最高の友達になるんだ」とギルバートは喜びに弾む声で言った。「いい友達になるために生まれてきたんだよ、アン。もう十分、運命に逆らったじゃないか。きっと、いろんなことで助け合える。勉強は続けるんだろう? ぼくもだよ。さあ、家まで送っていくよ。」

アンが台所へ入ると、マリラは物問いたげに見た。

「今、一緒に小道を上がってきたのは誰だい、アン?」

「ギルバート・ブライスよ」とアンは答えた。自分が赤くなるのが、腹立たしかった。「バリー家の丘で会ったの。」

「おまえとギルバート・ブライスが、門のところで三十分も立ち話をするほど仲がいいとは、知らなかったね」とマリラは、少し皮肉な笑みを浮かべた。

「今までは仲よしじゃなかったわ。いい敵同士だったの。でも、これからはいい友達になるほうが、ずっと賢いって決めたのよ。本当に三十分もいた? ほんの数分にしか思えなかったわ。でもね、マリラ、あたしたち、話しそびれた五年ぶんのおしゃべりを取り戻さなくちゃならないんだもの。」

その晩、アンは喜びに満ちた充足感を友にして、長いこと窓辺に座っていた。桜の枝で風が柔らかくのどを鳴らし、ミントの香りが漂ってきた。谷のとがったモミの木々の上には星がまたたき、昔からの木立の切れ間には、ダイアナの明かりが輝いていた。

クイーン学院から帰ってきたあの晩、ここに座っていたときに比べれば、アンの地平は狭まっていた。それでも、これから足を踏み出す道が狭いものであったとしても、その道沿いには、静かな幸せの花が咲くとわかっていた。誠実に働く喜び、価値ある志、心の通い合う友情は、アンのものになるだろう。生まれながらに授かった想像の翼も、夢に描く理想の世界も、誰にも奪うことはできない。そして、道にはいつでも曲がり角があるのだ! 

「『神は天にいまし、世はすべてよし』」とアンはそっとささやいた。